2015年6月28日日曜日

銀杏企画三丁目の掲示板2009⑫「障害者自立支援法について考える」


銀杏企画三丁目の掲示板2009⑫「障害者自立支援法について考える」
フォローワーさん2009人到達記念、2009年に書いていた文章。

 Twitterのフォローワーさんが2009人に到達したので、僕が2009年に書いていた文章を公開してみます。
 心の病気の人たちを支援する、福祉施設、社会福祉法人、本郷の森、銀杏企画が運営する「銀杏企画三丁目の掲示板」に書き込みをしていました。
 ネット掲示板に関する本を読んでいたら、掲示板への書き込みの文は書き込んだ人間に著作権があるとのことでしたので、「銀杏企画三丁目の掲示板」への僕の書き込みをそのままブログに載せます。

掲示板でのハンドルネームは麻雀の役、国士無双でした。

銀杏企画三丁目の掲示板の掲示板はこちら

ハンドルネームの由来はこちら


朝日新聞が2008年に僕が働いていた職場を取材した記事はこちら

書き込みは以下です。

こんにちは、国士無双です。

今日は、仕事休みでしたが、午前中、ぐっすり寝ていました。 銀杏は、バザーモードで忙しそうですが、もう一度、自立支援法について考えてみたい と思い、ネットでいろいろと探してみました。
面白い記事があったので、投稿します
毎度毎度、同じような書き込みなってしまいますが、お許し下さい。

「自立支援法」(2)…障害者を国家公務員にしよう
<<          作成日時 2007/01/23 06:32       >>

さて「ホワイトカラー・エグイデション」と違って、「障害者自立支援法」は「障害者やそ の家族、国民の『理解』」を得られなかったにもかかわらず断念されることなく施行され ている。
この障害者の「自立」を支援するというこの法律がどんなものかを考えてみたい。と、いっても「今のとこ」ワタシは障害者じゃなく、家族にも障害者がいない。だから、現実 的な痛みや深い部分での気持ちは解らないし、安易な想像を書くのもよくないような 気がするので、そうしたアプローチで書く気はない。いや書けない。でも何かを書かなければならないと強く感じているのだ。 いつも思うのだが、なぜワタシは障害者が気になるのだろう。そう、知らなければ、とりあえずのワタシの生活にはなんの支障もなく過ぎて行く「障害者」の生活。知ろうとし なくても、哀しいかな恐らくほとんど非難さえされないだろう障害者が対象の法律。同じニポンという社会のなかの出来事だから気になるという理由なんだろうか?  わから ない。ワタシが差別者であることの贖罪なのだろうか?  ちがう、と言いたい。障害者 にもっと根源的なことを問いかけられているような気がしているのだ。答えは簡単には でそうにもないのだけど……

国士無双です。 先程の記事の続きです。
「障害者自立支援法」という法律がどんなものか、昨秋参加した学習会の白石正久さんの言葉を借りて紹介しておこう。

0610月施行された「障害者自立支援法」は、寮育手帳や身体障害者手帳をもっている方(家庭)にとって「ゆりかごから墓場まで」、つまり一生大変な金が取られる法律です。
これまで学校に上がる前の障害児が障害者のための通園施設の負担額は、4500 円でした。この額は20万円前後の月収の家庭ですね。ただしこれだけに納まらない。バス電車を乗り継いで通わなければならない家庭にとって交通費も非常にかかる。あまり知られていないのですが、通園するのにタクシーをつかわざるえない障害 児も多いわけです。つまり4500円におわらない負担を障害児の家族はしているってことです。
それが、28700円にはね上がった。最低で28700円ですが、収入の多い家庭は33000 円支払っている。この支払いが「ゆりかごから墓場まで」続くわけです(もちろん28700 円に終わらない負担は変わらない)。
障害者が成長して学齢期を過ぎ、障害があることを理由に十分な職場を得られなかったとしても、不十分なお金ですが、障害基礎年金67000/月がありますので、その お金をつかって生活することは出来たんです。これまでは、そうした障害者が作業所 に通ってもお金はとられなかった。あたりまえです、67000円から何をとろうというんですか?  取ってしまっては生活がなりたたないわけですね。作業所の給料は、厚生労 働省が10000円などと言ってますが、無認可の作業所にかよっている人の月給は5000 円くらい、基礎年金と合わせても72000円ここから30000円ちかくも払ったらどうなりますか。実際には負担額が25000円になりましたが、それでも25000円も払わなければならない。手元に残るお金は一体いくらになるのですか?
前にNHKの福祉のひろばでもやっていたが、作業所の昼食も680円の負担になった。680円払って食べられる仲間はいいんですが、払えない人もいます。そんな障害 者が片道20分歩いて毎日200円のハンバーガーを食べに行くんです。……
次に続きます。

国士無双です。

先程の記事の続きです。

白石さんは、67000円/月で生活することが出来たというが、一体どんな生活なのだろう、と想像を絶する。またこのときの話で出された無認可の作業所は、障害者の地域 生活をささえるものとして重要な働きをしていると聞いているが、この作業所自体にも 補助金の廃止や削減がされ、運営ができない施設も出ていると聞く。


こんな状況のなか、障害者の「自立」のために一般企業への就職が斡旋されている。数日前のNHK教育TVの「福祉」でも一般企業就職することで「自立」を期待する官民の努力が放映されていた。障害者の地域生活をささえる作業所を潰す方向へもっていき、健常者と同じ競争経済という土俵での「経済的自立」を強要しようとする。ワタシ はここに違和感を感じるのだ。
前出のNHKの番組でも、障害者が一般企業で働く例として、工場での同じ動作が黙々と延々とつづく作業が紹介されたが、こういう決められた単純作業なら健常者より早くできますよ。同等にできますよ。変わらずにできますよ。むしろ障害者の方が向いていますよ、というのを見るのがけっこう辛いのである。健常者が作業していても大変そうな仕事だな、と思うのだが、たとえそこに「経済的自立」の可能性があるとしても、障害者にさせていいのかよってのはワタシの個人的な感情なのだろうか?  何の疑問もなく健常者ベースの社会が前提とされ、そんな社会の中でもともと差別的に扱われていた障害者をさらに追い込んでいるような気がしてならない。
障害者だからといって容赦しません。健常者ベースの競争社会で同等に争えるよう努力しなさい。それこそが「自立」っていうものです。「自立」するのは寸分の間違いなくよいことです。自立を努力する障害者にのみ支援してあげましょう、ってのが、ニポン 社会の器であり、苦労知らずの23世議員の不徳であり、さらにはワタシたち健常者の欺瞞のような気がするのだ。

健常者ベースの「競争社会」のなかで「自立」はあたりまえとして、効率重視の工場にほうりこまれる障害者。現実にそこで発生するイジメや疎外感。一般企業の効率に耐えうる障害者だけを支援する法律。やはり根本の部分で間違ってはいないだろうか?
たしかに健常者ベースの社会のなかで障害者は非効率かもしれない。しかしその非効率のどこが悪いのであろうか?  その非効率がカウンターカルチャー的に「たかだか健常というだけの人間」に価値を投げかけていないのだろうか?  ……あれ、なんか表現がおかしいな。もう少し言葉を替えて言おう。障害者の存在そのものが、健常者中心の社会に、いや人間の社会そのものに何か大切な、根源的な、問題提起をしてないだろうか?
間違いなく問題を投げかけているだろう。社会はそのことに意味や価値を見いだし、 その意味や価値を評価することができないのか?  国家はその意味や価値に対価を支払うべきではないのだろうか。
「作業所」を障害者の地域生活を支える場としての存在と捉えるのではなく、地域社会が障害者に教えを乞う場としてとらえ、社会に開放された「だれもの解放を支援」する場にできないのだろうか?  そうしたフィールドとして社会に価値を提供する。その価 値に対して国家が給金を支払う。障害者は国家公務員として雇用される。作業所で働く職員の給金の保障もしなければならない。

何度も書くが、ワタシは過去ホームレスとかかわってきた。大切な事のほとんどはそこで教えられたと思っている。ホームレスと同様に障害者も「社会的弱者」と呼ばれ る。「社会的弱者」と呼ばれるときの「社会」とは、それが余儀なき場合でも「経済的自立」ができない者を「弱者」と呼んでしまう社会であり、逆にその「弱者」と呼ばれる視点から見ればいかに情けない「社会」かということが見えるのだ。「社会」ばかりではない。障害者からは、もっと根源的な、人とは、命とは、生きるとは……といったことまで も教えられる、と思う。ああそうだ。これこそ、ワタシが障害者が気になっている理由かもしれない。

次に続きます。

前エントリーで華氏さんに教えられた。「病気や老齢で働けなくなれば、当然、共同体
(一応、国といってもいい)全体で経済的に支えるべき。それは「お情けで与えられるも の」ではなく、したがってそういう形で生活費を得ている場合も『経済的に自立』しているのだと私は思う。」
そうだ「お情け」ではないのだ。ワタシもどこかで「お情け」とまでは言わないが、それ に近い感覚をもっていなかっただろうか?  それではいけないのだ。当然のこととして 共同体(一応、国といってもいい)が支えるべきで、がそれが共同体社会の使命では ないか。華氏さんが言われるように、とうぜん共同体から生活費を得ている場合も「経 済的自立」だろう。しかし、もっと発展的な考えてみたい。それが障害者を国家公務員 にという案である。  特に今のニポン社会にはそれだけの価値があるのではないか!!

最後に今のニポン社会の現実の声を紹介する。障害児K君の母tomokoさんのコメン トである。

dr.stonefly まさにその「自立」に対する疑問が、現在の障害者やその保護者の胸にあります。
社会は、行政は彼らにどう自立してほしいのか。どこまでを求めているのか。そして、 それが不可能だと思われる場合どうしたらいいのか。
不可能だと決めてはいけない、と言われても、根性や努力でなんとかなるものでは ないケースも多いのが現実です。何かが少しずつ、でも確実に崩れている。やはりうまく言えないけど、周囲の人々の生活にそんな感じをおぼえます。
以上です。

自ら、当事者でない「ワタシ」さんのブログには考えさせられるところ沢山ありました。
「一般企業の効率に耐えられるだけの障がい者のための法律」 という言葉には国士無双も自らそのような現場で働いているので、「なるほど」と実感 しました。

「障害者の存在そのものが、健常者中心の社会に、いや人間の社会そのものに何か 大切な、根源的な、問題提起をしてないだろうか?」 という言葉には、「ワタシ」さんの障がい者問題に対する認識を感じました。 当事者である、私もそう思います。「臭いものにはふたをする」日本の悪い風習を改 め、どんどん、障がい者の存在アピールしていったほうが良いと思います。

「「作業所」を障害者の地域生活を支える場としての存在と捉えるのではなく、地域社会が障害者に教えを乞う場としてとらえ、社会に開放された「だれもの解放を支援」する場にできないのだろうか?」 という提案にも、作業所の役割を多機能に捉え、障がい者だけの解放の場として捉えるのではなく、地域の重要な役割として、作業所を捉えていて感心しました。

健常者を含め、「だれもの解放を支援する場にできないか?」 この言葉は、「ワタシ」さんの深い思想を感じさせられます。 当事者である私だけでなく、健常者も沢山、苦しんでいる方いらっしゃいます。

以上が僕に銀杏企画三丁目の掲示板への書き込みです。

書き込み日は2009224日でした。

この書き込みの中では、当時の障害者の自立を促すための法律、障害者自立支援法が、健常者の効率優先の論理の中で、その効率優先の論理の職場に耐えうるだけの障害者向けの法律なのではないかというブログをコピペして、書き込んでいます。

当時、僕が働いていた職場も、システマティックで、何から何まで、コンピュータで管理して、なるべく効率的に業務をこなそうとする職場でした。

僕の働いていた職場も、 単純労働をするだけの無味乾燥とした職場のように見える人も多くいると思います。

僕の職場を取材した朝日新聞の記者の方にも、僕の働いていた職場は、単純労働をするだけの健常者の論理の必要なものを集めて運ぶだけの何の技術も身に付かない効率優先の単純作業工場のような派遣の村と映ったのでしょう。

リサーチをきちんとして、現場を取材して、派遣村帰りのバスを降りる労働者の姿を撮影するカメラマン、自分の視点で記事にまとめる記者、新聞社の仕事も大変だと思いますが、3年半以上、派遣の村に通い続けて、福祉施設運営の掲示板に様々なことを書き込むのも大変です。

ひたすら単純労働をこなす。疎外感を感じることも確かにありました。

この書き込みのコピペしたブログ記事にあるように、健常者の論理で、単純労働を障害者にこなさせるという点が障害者自立支援法による障害者雇用の問題点なのでしょう。

以上、「障害者自立支援法について考える」
                                                                                          
くだらない内容ですが、ブログに載せます。









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