2015年6月14日日曜日

銀杏企画三丁目の掲示板2008㉕「イタリアのバザリア法」



銀杏企画三丁目の掲示板2008㉕「イタリアのバザリア法」
フォローワーさん2008人到達記念、2008年に書いていた文章。

 Twitterのフォローワーさんが2008人に到達したので、僕が2008年に書いていた文章を公開してみます。
 心の病気の人たちを支援する、福祉施設、社会福祉法人、本郷の森、銀杏企画が運営する「銀杏企画三丁目の掲示板」に書き込みをしていました。
 ネット掲示板に関する本を読んでいたら、掲示板への書き込みの文は書き込んだ人間に著作権があるとのことでしたので、「銀杏企画三丁目の掲示板」への僕の書き込みをそのままブログに載せます。

掲示板でのハンドルネームは麻雀の役、国士無双でした。

銀杏企画三丁目の掲示板の掲示板はこちら

ハンドルネームの由来はこちら

朝日新聞が2008年に僕が働いていた職場を取材した記事はこちら

投稿タイトルは「イタリアのバザリア法」です。

こんにちは、国士無双です。

今日は公休日で午前中寝て過ごし、その後、年賀状の宛名印刷をしました。 今年来た年賀状は、銀杏関係の方からの年賀状が少なく、学生時代の友人が中心になりそうです。

ところで、ご存知の方も多いと思いますが、イタリアで、1978年に「バザリア法」という 精神保健福祉に関する法律が制定されています。

制定30年後の「バザリア法」の現状についてのシンポジュウムが10月に千葉県であったようです。
ネットで探したら記事がありましたので、投稿します。

イタリアの“夢のような挑戦”―地域精神保健サービスの国際セミナー 三井マリ子  2008/10/19

千葉県市川市で16日、国際セミナー「イタリアの精神科医療改革を知ろう!」が、精 神疾患を持つ人々の社会復帰をめざすNPOの主催で行われた。セミナーでは、バザ リア財団理事長のジャンニケッダさんとジャーナリストの大熊一夫さんからの報告の 他、当事者や家族との意見交換の場も設けられ、活発なやりとりがあった。

2008年10月16日、千葉県市川市において国際セミナー「イタリアの精神科医療改 革を知ろう!」が開かれた。
イタリアから来日したバザリア財団理事長マリア・グラッツィア・ジャンニケッダさん
(社会学者)とジャーナリスト大熊一夫さんの報告後、当時者や家族会の方との活発 な意見交換があった。会場には終始熱心にメモをとる千葉県知事の堂本暁子さんもいた。

イタリアでは1978年、精神病院をなくして精神疾患をかかえる人たちを地域で支える新たな試みがスタートした。その土台となったのがイタリア精神保健法の180号法(バザリア法)だ。

イタリアは、この法律によって精神病院を新たにつくることを禁止し、同時に既存精 神病院への入院も段階的に禁止していった。さらには精神科医が行う強制治療にも 厳しい歯止めを設けた。
次に続きます。

国士無双です。 先ほどの記事の続きです。
ジャンニケッダさんは、1970年代のトリエステで、イタリア精神保健改革の祖フラン コ・バザリア(精神科医)のごく近くで働いていた経歴から、「バザリアの娘」のニックネ ームを持つ。イタリア精神保健改革の生き字引だ。現在はサルデーニャ州サッサリ大 学の社会学教授で「法律と精神医学」を専門としている。セミナーでは、180号法の意味と法律のもたらした効果やイタリアの現状について話した。

冒頭、元WHO事務局長のグロ・ハーレム・ブルントラントさん(ノルウェー元首相)の言葉「精神疾患を持つ人に対してのケアは、途上国だけではなく先進国でもまったく不 十分である。法律には人権の擁護が定められているにもかかわらず、現実には人権のはく奪が世界中で行われている」を引用し、「社会から否定された市民denied citizens」の人権擁護にはたしたイタリアの“夢のような挑戦”を紹介した。

「1950年から60年にかけて、欧米各国で、精神医療に費やされる国家予算の負担が問題になり始め、アメリカ、フランス、イギリスなどで金食い虫の精神病院の閉鎖 が進められました。最大の難問は、精神病院閉鎖の後、精神疾患の人たちの新しい居場所をどうするか、でした。世界中で女性解放運動が巻き起こった時期でした。病院閉鎖によって家族介護、すなわち女性の手になる重い世話へ回帰することは、人道上許されない雰囲気でした」

国士無双です。 先程の記事の続きです。
「選ぶべき道は一つ。病院に頼らずに地域で支える新システムをつくるしかないはず なのです。しかし、その方向に向かわなかった国アメリカでは、多くの人たちが路上に放り出され、ホームレスとなりました」

イタリアはアメリカとは違って、徹底した地域保健サービスの道を選択した。その改革の先頭に立ったのがフランコ・バザリアだ。精神病院院長だった彼は、精神病院の 実態を世に知らしめるため、写真集の発行や、テレビ放映や、本の出版という、いわ ゆる“内部告発”に知恵を絞った。精神病院という名の『収容所』に、患者という名の『囚人』たちが、隔離され、捨てられ、死んでいく、そんなおぞましい姿を白日の下にさらした。

「こうして1960年代後半には、すでに地域保健サービス網をつくるための実践が動き出しました。1968年には旧来の精神保健法が部分的に改正されて、精神保健セン ターの設置が可能になりました。これが1978年の180号法の開花に道を開いたの です」
そして次のような数字が紹介された。 1971年には、9万4,800人もの患者がマニコミオ(精神病院)に入れられていた。
180号法ができた1978年にはそれが6万4,752人に減り、20年後の1998年に
は7,704人に、そして20世紀の終わりにはゼロになった。今の精神科のベッド数は、総合病院の精神科と私立病院を合わせても1万床に届かない。

「イタリアの人口は5,500万で、日本の半分です。その日本の精神病院は、いま実に35万床ですから、イタリアの改革がいかに徹底したものかがわかります」と大熊さんが補足説明する。
次に続きます。

国士無双です。 先程の記事の続きです。
また、病院に代わるサービス拠点の地域精神保健センターは、「週6日・1日12時 間」以上の稼働のものがイタリア全土で707か所。うち24時間365日フル稼働のセ ンターは50だ。この「年中無休」こそが、地域精神保健サービスでは最も大事だ。しかし、「バザリア法ができて30年もたつというのに、まだ、たったの50ですよ」とジャンニ ケッダさんは自国の改革のスローテンポにいらだちを見せた。日本に比べれば、これでも夢のような数字なのだが。

180号法によって、社会的危険性を理由にしての強制治療がなくなった。「180号 法は、治安的性格を捨てた世界でも稀有な精神保健法なのです。そのうえ、私立の医 療機関が強制治療をすることも禁じました」と大熊さんが付け加えた。

だが、「現在のイタリア右派政権はこの強制治療を復活させる改悪法案を提出しよう としています」とジャンニケッダさんはいう。この動きに対して、家族会や当事者組織は 猛反対をし、国会議員に働きかけ国会での審議に待ったをかけている。その運動の 先頭にたっているのが家族会に属する女性たちで、次のようなスローガンを掲げている。
「収容所回帰は許さない、もちろん、家庭を収容所にすることも許さない」なお本セミナーは、千葉県市川市で精神疾患を持つ人々の社会復帰をめざす「NPO法人リカバリーサポートセンターACTIPS」と「NPO法人NECST」の主催で行われた。

日本の「自立支援法」とは全然違い、精神科医が内部告発して、新たな法律を作ることに尽力したというのは、素晴らしいと思います。 イタリアに行ったことはありませんが、国民性はどうなのでしょうか? 精神疾患者に対して、地域で支援していくというのは、住民の理解が無ければ難しいものだと思います。 我が国のお偉いさんにも、イタリアの試み見習って欲しいものです。

以上です。

書き込み日は20081125日でした。

日本の精神保健福祉医療に比べて、イタリアでの精神病院をなくそうとする「バザリア法」について、長々とネットで見つけた記事を書いています。

今、コピペの書き込みを読み返してみると、イタリアの精神保健医療の法律「バザリア法」に関する、記事をネットで見つけて、コピペして、掲示板に書き込んでおり、自分でも良く、仕事が忙しかった時にネットで記事を見つけたなと思います。


日本の精神保健福祉行政もイタリアの「バザリア法」を見習ってほしいと思っている人も多くいると思います。
 


僕は記事をコピペしただけで、この法律のことや日本の精神保健医療の問題点など分かりませんが、当時は、掲示板上で、精神保健福祉に非常に関心のある方がいらしたので、ネットで調べてネット記事を掲示板に書き込んでいました。



以上、「イタリアのバザリア法」

くだらない内容ですが、ブログに載せます。















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