「早稲田大学探検部の同期だった平泰則君のこと」
僕は何度か、早稲田大学探検部員で、事故で亡くなった方のことをブログに書いています。
ネットに公開することではないかとも思いますが、僕も誰かと話をするわけでもなく、ブログを書いて、早稲田大学探検部員だった方のことを思っています。
先日は事故で亡くなった、後輩のことを書きましたが、今回は、僕と同期で、一度探検部をやめてから再び探検部に入部して青森県の白神山地で、事故で亡くなった平泰則君のことを書いてみたいと思います。
平君とは、早稲田大学探検部一年生の時に、神津島の新館合宿にも一緒に行きました。
早稲田大学探検部一年生の時に、早稲田大学探検部をやめて、大学4年生の時に、早稲田大学探検部に再びやってきて、早稲田大学探検部に入部しました。
早稲田大学探検部に入部すると、一人で青森県と秋田県の県境の白神山地に行って、音信が途絶えて、地元の警察に遺体で発見されました。
早稲田大学探検部でもすぐに捜索隊を出して、現地に赴いて、事故があった現場まで行きました。
白神山地の沢というか川を上っていく、途中の滝で滑落して、亡くなってしまったようでした。
僕らは、亡くなった平君の遺品を探しに現地に行きました。
平君のお葬式にも参列しました。
地元の警察の方に、亡くなった平君の遺体の写真を見せていただきましたが、普通に見られるような写真ではありませんでした。
平君の事故のことは早稲田大学探検部でも問題になったし、早稲田大学探検部のあり方も問われるようになりました。
多くの方々が、平君の事故に関わり、探検部のことを考えたと思います。
今でも平君のご遺族と連絡を取り合っている方もいるようです。
早稲田大学探検部のことを書くとどうしても事故で亡くなった僕と同期だった平君のことを思い出すので、辛い気持ちになることもあります。
早稲田大学探検部の関係者の方々も亡くなった方のことではなく、楽しい探検部、おもしろい探検部を望む方も多いと思いますが、僕はどうしても事故で亡くなったTさんのことを思い出してしまいます。
平君の遺骨は、早稲田大学探検部の仲間で山に登り、平君が好きな風景だった、大菩薩に分骨をしました。
平君にとっての思い出の風景である、大菩薩に遺骨を埋めることで、平君んの霊魂を供養しました。
大菩薩に最後に行ったのはいつか分かりませんが、その後、遺骨がどうなっているかなと思っています。
あの世から、思い出の風景を見ているのかなとも思っています。
平君の思い出の風景の大菩薩の風景を思い出しています。
早稲田大学探検部時代に見た風景は、思い出に残っていると思うし、忘れられない風景だと思います。
以上、「早稲田大学探検部の同期だった平泰則君のこと」
ブログ載せます。
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