2016年6月22日水曜日

「K君のこと」



K君のこと」

 2010年に一通のメールが僕のGmailアドレスに送られてきました。

 メールの送信者は、早稲田大学探検部で、僕と同期だった方です。

 メールの内容は、後輩のK君が病気で、もう長くないとの内容でした。

 僕は、当時は一日8時間働いていて、「銀杏企画三丁目の掲示板」に書き込みをしたり、皆さんの書き込みをPDFで保存していたりして、本郷の森、銀杏企画のことをかなり考えていた時期でした。

 そのような僕の状況を一本のメールが大きく変えました。

 後輩のK君には、早稲田大学探検部の新入生歓迎合宿、神津島の合宿の際の、飲み会で、僕が神津島の地酒を飲ませた後輩でした。

 もう、長く早稲田大学探検部のことは遠い存在でしたが、メールを読んでみて、大変な状況になっているということはすぐに分かりました。

 僕はすぐにメールを返信しました。

 その後、K君の入院していた病院にお見舞いに行って、一緒に食事をしたりしました。

 K君が亡くなってからも、告別式に参列しました。

K君の死は僕にとっては、早稲田大学探検部に引き戻されるような、大きな出来事でした。

お見舞いに行っても、早稲田大学探検部の部員だった方々に再会するし、告別式に参列しても、早稲田大学探検部の部員だった方と再会しました。

一人の方の死がこれほど、早稲田大学探検部に大きな結束力を持たせるものになるとは思いませんでした。

僕は自分からFacebookを開設して、早稲田大学探検部員だった方々と友達になり、以後、Facebookで早稲田大学探検部員だった方の状況を見つめてきました。

Facebookが、優しさを求めている人のためのSNSだとか言う方もいるかと思いますが、僕は、当時は早稲田大学探検部部員だった方々には優しさが必要だと思っていました。

2011年の311日に東日本大震災が起きてからは、緊急連絡用としてもFacebookを活用出来ると思っていました。

その後、長く、Facebookで、早稲田大学探検部部員だった方々の様子を見てきましたが、反社会性が抜けきらない方もいるなと思いました。

仲間を思う気持ちと、社会とか政治に対しての怒りの気持ちは別物だと思います。

僕は仲間を思う気持ちを強めようと思い、Facebookを始めましたが、やはり、Facebook上でも意見の対立は免れないようでした。

特に東日本大震災以後の原発に対しての意見の対立は、早稲田大学探検部部員だった方々の結束を壊すものになりました。

K君を悼む気持ちと、福島原発事故を憂う気持ちは別物だと僕は思います。

2010に受信した一本のメールから、僕は早稲田大学探検部に強烈に引き戻されたような気がしたので、K君のことについて書いてみました。

以上、「K君のこと」

ブログに載せます。


















 


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