「探検部精神を持っていれば精神病にならなかったのかもしれない」
先日、早稲田大学探検部の著名なOBである恵谷治さんが亡くなり、お通夜、告別式が行われたようです。
僕らの世代の早稲田大学探検部関係者も葬儀に参列されたようで、葬儀に参列された方からメールもいただきました。
メールには早稲田大学探検部で発行していた部誌での恵谷さんのインタビュー記事が添付されてあり、恵谷さんのインタビュー記事を読んでみると、恵谷さんの持っていた精神こそが早稲田大学探検部精神だとの内容の記事のようでした。
探検部精神(スピリット)とは、普通の人ではなかなか持てないような精神であることが分かりました。
僕は精神障害者とされていますが、僕はもともと探検部精神を持っていなかったと思うし、今でも探検部精神を持っていないと思います。
僕も探検部精神を持っていれば、精神障害者にならずに、精神病にならなかったのかなと思っています。
僕のような凡人には、探検部精神を持つことが難しく、早稲田大学探検部に所属していても、探検部精神を持つには至らなかったと思っています。
僕も探検部精神を持っていれば、精神障害者にならずに済んだのかもしれないと思っています。
早稲田大学探検部関係者の書いている本とか記事ばかりを読んでいれば精神障害者にはならなかったのかなとも思っています。
世には様々な文化作品があります。
早稲田大学探検部関係者の著作物を含めて、多くの文化作品があります。
文化作品の中には、精神病的な作品もあるし、文化作品の全てが探検部精神を体現しているものではないことは明らかです。
多くの文化作品に触れている方が、精神病になってしまうのかとも思っています。
良い意味で、探検部精神を持っていれば精神病にならずに済んだとも思ったのでブログを書いてみました。
以上、「探検部精神を持っていれば精神病にならなかったのかもしれない?」
ブログに載せます。
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