「単語一つで全く違う、そして柔和な表情」
僕は早稲田大学に通っていました。
早稲田大学には本当に沢山、本を読んでいる学生さんが多くいました。
早稲田大学の友達と話すことと、自分の昔の友人と(中学時代の友人)話すことでは会話の内容もかなり違いました。
僕は受験信者ではありませんが、少なくとも、早稲田の難しい試験を突破してきた学生は、口から出てくる単語自体が違いました。
学生さんの単語自体が分からない時も良くありました。
そのような時は、自分で、本を読んで単語の意味について勉強したりしました。
一つの単語が膨大な本の内容の一意味を示していることもありました。
僕はもともと、難しいことを分かりやすく、話したり、書けたりすることが出来る人を尊敬していたので、まだ、若くて、本の中の単語でしか語れない学生の方にはもう少し、分かり易い言葉で話すようにと勧めていました。(偉そうですが)
しかし、いざ、自分が社会に出てみると、社会に出るとは、自分が高校や大学で学んできたことを薄める作業だということが分かりました。
社会に出ても、学校で学んだ、専門的な学問は何の役にも立ちませんし、むしろ社会では毛嫌いされることが良くありました。
学校で、法律を勉強していたと言えば、会社で役に立つような、法律を勉強して会社に貢献してほしいという職場がほとんどです。(当たり前ですが)
僕は、法学部で、憲法も勉強していましたが、憲法など、社会に出ると何の役にも立ちません。
僕は、1992年に成立した、PKO協力法で、カンボジアでの国連平和維持活動に、日本も参加するということで、日本からのカンボジアPKO活動を検証する、テレビ番組の制作に参加していました。
カンボジアの現場で活動する自衛隊員、文民警察官、民主化選挙ボランティアの方々の活動を検証するテレビドキュメンタリー番組の制作に携わっていました。
憲法9条の戦争放棄の問題とからみ、1992年当時も、問題になっていたPKO協力法ですが、日本国内での世論と、現場で活動する人間の方々ではやはり違いがありました。
テレビを含めたマスコミは、カンボジアの現場で活動する、自衛官や文民警察官、民主化選挙ボランティアの活動をカメラで追います。
現場で取材すればするほど、憲法とかの論理から離れていきます。
正直なところ、カンボジアの現場で活動する方々にとっては、憲法九条とは絵空事だったかもしれません。
カンボジアに駐在している、PKO活動に参加している外国の軍隊の人の目つきは違いました。
日本の自衛官の方々は、外国での武力の行使を経験したことがない人たちが多いので、外国の兵士と比べると柔和な目つきをしていました。
それでも、カンボジアでは、反政府勢力(ポルポト派)の力が強いので、反政府勢力の支配地域に行くときは、やはり厳しい目つきになります。
そこには、日本国憲法九条(戦争放棄)を守る勇気のある自衛官はいたのかなあと思います。
安保法制の改革が叫ばれていますが、自衛官も国の最高法規である憲法は守らなければ、法に反していると思います。
昨日、近所の駅前を歩いていたら、「戦争法案反対」のビラを配っている方々がいました。
ビラの写真はこちらです。
↓
ビラを見たら、文京区の憲法共同センターという団体が配っているようです。
ビラにホームページのURLが出ていたので、ネットで調べてみました。
Twitterもやっているようです。
ビラを配っていたおじさんは柔和な顔つきのおじさんでした。
僕は、署名を頼まれましたが、安保法制のことは良く分からないので、署名は断りました。
署名を断ってもビラを配っていたおじさんは、相変わらず柔和な顔つきをしていました。
昔、僕が神田川生活(一人暮らし)していた頃、隣に住んでいたおじさんも、若い頃は左翼系のセクトに所属し、学生運動をしていたようです。
僕の隣の部屋に住んでいたおじさんも、共同トイレなどで会うと、柔和な顔つきをしていました。
左翼系の学生運動をしていた方は、他にも知っていますが、その方も、精神障害者の福祉施設でボランティアとかしていたし、柔和な顔つきをしたおじさんでした。
僕が昔、所属していた会社も左翼系の会社でしたが、会社の人は柔和な顔つきをしていました。
昔、所属していた会社の人ではNさんという方のことが特に印象に残っています。
メガネをかけたNさんは、会社の人気者でした。
Nさんは服装にもこだわらず、本物の左翼のようでした。
僕の知っている左翼系の人は、とにかく、顔つきが柔和でした。
戦争に反対する人は柔和な表情の人が多いと僕は思っています。
以上、「「単語一つで全く違う、そして柔和な表情」
ブログに載せます。
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