「便利さの代償がやってくるかもしれない」
2011年3月に起きた東日本大震災とそれに伴う、福島原発事故。
原発事故が起きて以来、原子力発電所という電源に対して、日本全国いや世界中で、論議が行われていると思います。
日本の原子力発電の歴史を紐解くと当初の目的は、東京都文京区にある後楽園球場で行われている、巨人戦をテレビの電波に載せて、試合の模様をナイター中継で全国のお茶の間の皆様にテレビという電子機器を通じて、テレビ中継するという目的だったと思います。
近代日本も、お茶の間に巨人戦のナイター中継を届けることを目標に、原子力発電所を建設し、沢山発電して、日本全国のお茶の間の皆さんに、巨人戦のナイター中継を届けてきたのだと思います。
その、近代化の代償のつけとして、原子力発電所は想定外の事故に見舞われてしまいました。
現在、東京で行われている、高速インターネットや、スマートフォンによる、高度情報化の便利さの代償が再び、やって来るかもしれないと感じているのは僕だけでしょうか?
日本は現在、再び、同じ過ちを繰り返そうとしているように見えて仕方がありません。
僕の考え過ぎでしょうか?
あれだけ大きな事故を起こしていながら、懲りずに電気製品のスマートフォン片手に、街を歩いている人間を見かけると、何か違和感を感じてしまいます。
果たして、スマートフォンとか、高速インターネットなどは、人間に幸福をもたらすのでしょうか?
かつて日本が行っていた、原子力発電所による、巨大な電力政策。「原子力発電」
その重要な電源は東日本大震災に伴う、大津波で壊滅的な事故に見舞われました。
想定外の事故に遭遇しながらも、東京では、電気製品であるパソコンやスマートフォンを利用しての、高度情報化社会に基づく、産業が盛んです。
僕の個人的見解ですが、この高速インターネット、高度情報化社会のつけが再びやって来るような気がして仕方ありません。
東京の街を歩いていると、日本が再び同じ過ちを繰り返そうとしているように見えて仕方がありません。
以上、「便利さの代償がやってくるかもしれない」
くだらない内容ですが、ブログに載せます。
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