「土曜の夜はこれを借りろ」② (ブリキの太鼓)
フォローワーさん1992人到達記念、1992年に書いていた文章
Twitterのフォローワーさんが1992人になったので、僕が1992年に書いていた文章を公開しています。
先日は、スペイン映画「アタメ」という映画を題材にした映画コラムでしたが、今回はドイツの作家ギュンター=グラス氏の著作「ブリキの太鼓」を原作にしている映画を題材にした映画評論コラムを公開します。
「ブリキの太鼓」
オスカルの母親が生のニシンをひたすら食い続け、やがて死に果てるシーンはこの映画をよく表しているよ。
とにかくドイツという国の人々の考えていることはよくわからん。何がそこまで訳をわからなくしているかと言えば、やっぱりその厳しい倫理観だということになるんだろうな。厳しい倫理観という虚構の中に存在するあのイヤラシさを又、ドイツ人は笑い飛ばして表現できないから、こんな歪んだ名作が作られることが可能になるんだ。
大体、オスカルは生まれた時からドイツ人の裏側を知っているんだよ。あんな美人の母親の腹に宿っちゃって、しかも三島みたいな早熟な天才だったオスカルは母親の子宮にいたときから記憶があるときやがる。それじゃ、あの厳しい倫理観の裏側のイヤラシさをこの世に出てくる前から知っちまっていたということになるもんな。だからオスカルは何があっても感情を出さない。そして、どうにもならいときに伝家の宝刀ブリキの太鼓を持ち出してやりきれない叫びを上げるんだ。
まぁ、こんな映画を見て物知り顔に解説しているような奴とはドイツ人でないかぎり友達になりたくないね。何しろ、突然、生のニシンが欲しいと言われたら恐ろしいからね。
以上が、「an」(デイリーアン=日刊アルバイトニュース)に掲載された僕の文章です。
何度も書きますが、当時の学生は、普通にアルバイトをしていました。
僕も良く、アルバイトをしていました。
アルバイトニュースには大変お世話になったので、アルバイトニュースに僕の文章が掲載されたことは嬉しかったです。
アルバイトをせざるを得ない貧乏学生たちに良質な映画を見てもらい、日々のアルバイトの疲れを週末にレンタルビデオでも見て、精神的疲れを解消してもらいたいと思い、良質な映画の映画評をおもしろおかしく書いていました。
この映画、「ブリキの太鼓」の原作はドイツの偉大な作家、ギュンターグラス氏で、ニュージャーマン=シネマの一つとして撮られた映画だったと思います。
僕らが学生時代を過ごした1980年代後半は、映画など流行っていました。僕も、劇場でも沢山映画を見ましたし、レンタルビデオ屋さんで映画ビデオを借りて、良く見ていました。
この「ブリキの太鼓」は劇場で観たものではなくレンタルビデオで借りて自宅で観た映画だったと思います。
レンタルビデオ屋さんに、名作が沢山置かれていた時代だったので、「an」に僕の「ブリキの太鼓」の紹介映画批評コラムが掲載されたことは嬉しかったです。
以上、「土曜の夜はこれを借りろ」② (ブリキの太鼓)
フォローワーさん1992人到達記念、1992年に書いていた文章
くだらない内容ですがブログに載せます。
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