「銀杏企画三丁目の掲示板を読んでいて」
Twitterのフォローワーさんも200を超えて、この掲示板の書き込みが中身のある書き込みであることが証明されました。
新しいブログのページビュー数も5000ページビューを超えていて、少しは読んで下さる方々がいらっしゃるのだなと思っています。
僕も、この掲示板に書き込みをしていましたが、当時は一日8時間労働で働いていて、きちんとした文章を自分で考えて書くのは難しい状況でした。
ただ、ネットの中に心の病気の方々に参考になる情報もいろいろとあったので、ネット情報もコピペして書き込んでいました。
自分の書いた文章でないと評価されないのが世の常ですが、本当に仕事で忙しい時は、きんとした文章を書く時間がないことが多いと思います。
推敲した文章などは、ある程度時間的な余裕がないと書けないと思います。
ここ、3年位はきちんとした仕事に就いていないので自分の考えていることをブログ文章で書く余裕があります。
新聞もゆったりと読めるし、本も読む時間もあります。
ある程度、活字に触れていないと、文章もきちんとした文章は書けないと思います。
現代では、スマホもあり、ネットでニュース記事やブログなどは読めますが、僕が銀杏企画三丁目の掲示板に書き込みをしていた頃は、スマホはなくて、折りたたみ式の携帯電話で、imodeでネットに接続していました。
当時から、通勤中の電車の中などでも携帯で活字を読めましたが、僕は電車の中ではニュース記事ばかり読んでいたと思います。
仕事の休憩時間も、携帯でネットに接続して、ニュース記事を読んでいたと思います。
昔の掲示板の書き込みを読んでいると、心の病気でも、きちんとした文章を書ける方が多くいらしたということが分かりました。
文章を書いてみるということは、自分の考えていることをまとめることにもなるし、他人に上手く伝えたいと思うと、文章も上手くなるのかな思いました。
読み手のことも考えている文章は、文章の随所に書き手が気を遣って文章を書いていることが分かります。
読み手に対して、善意のある文章は、読み手にも伝わるし、読み手に対して悪意のある文章もやはり、読み手に伝わります。
自分のことだけ考えていて、読み手の側のことを考えていない文章は、いい加減な文章が多いということも分かりました。
文章一つ取っても、丁寧な文章、いい加減な文章があります。
僕は早稲田大学に通っていたので、早稲田大学の学生の間で好まれる文章は、反骨の文章でしたが、現在では国から認定された障害者なので、もう反骨の文章に共感するということはあまりありません。
相手のことを慮っている文章とか、気遣いのある文章を好みます。
「銀杏企画三丁目の掲示板」を読み返していると、心の病気の方々同士で、相手のことを慮る文章、気遣う文章が多く見られ、良いと思いました。
話題も仕事の話題が多いし、良い書き込みが多かったと思います。
以上「銀杏企画三丁目の掲示板を読んでいて」
ブログに載せます。
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