「原発なくてもやっていけるんのじゃないか」 菅原文太さん
昨日、俳優の菅原文太さんの訃報が流れました。
僕は、テレビのニュースで見ていました。
今朝、地元のコンビニで東京新聞を購入したら、菅原文太さんについての記事がありました。
以下です。
全文、ワープロソフトで入力しました。
「原発なくてもやっていけるんじゃないの」
菅原文太さん死去
生前の思い出
「暮らし、自由、権利・・・立ち返らないと」
俳優としてアンチヒーローを演じてきた菅原文太さんは晩年、脱原発運動に熱心に取り組んだ。2011年11月には「こちら特報部」のインタビューに応じ、「原発がなくてもやっていけるんじゃないの」と語っていた。菅原さんの言葉にいま一度、耳を傾けたい。
「生活様式を変えなくても、みんなが使っていない電気を消すくらいで、原発がなくても十分やっていけるんじゃないの」
菅原さんがインタビューに応じたのは、山梨県北杜市の南アルプスを望む農園の事務所。09年、ここに農業生産法人「竜土自然おひさまの里」を設立し、若者たちと有機農業に取り組んでいた。
「原発には賛成でも反対でもなかった。どちらかというと無関心だった。でも福島の事故で変わった。やめたほうがいい、危険物は。科学によって作られたものが無謬であるはずない」
原発事故後、故郷の宮城県栗原市の農家が出荷した肉牛や稲わらから、放射性セシウムが検出されことに驚いたという。「なぜ原発でからあんなに遠い栗原で、と気になって聞いたら、風で運ばれたんだと。農業と同じで放射能も体内に入らないに越したことはない。でも、そもそもわらを作った人のせいじゃないんだよね」と被災者に寄り添った。
事故後も原発推進の姿勢を変えない財界を批判した。「企業はいろんなモノを作り、それが山のように積まれている。でも、みな人間の暮らしを左右するほど重要なファクター(要因)なんだろうか。国民は何でも買いまくるのはなく、必要のないものは買わないようにすればすればいい。ないないづくしの時代まで戻る必要はないけれど、ちょうどいいところってあるはずだよな」
「夏の節電時、街は薄暗くなったけれど、俺には心地よいくらいだった。二十四時間こうこうとってのは、まともじゃない。二十年くらい前までは家にはコンピューターもなかったし、その前は冷蔵庫やテレビもなかった。でも、それなりに暮らしていただろ?」
事故の直後、芸能界では原発に対する賛否を明らかにしない人が多かった。
「何で言いづらいんだろう。芸能人だろうが、農家だろうが、個人として言いたいことを言わなきゃ。憲法が定めてくれているじゃないか、言論の自由を」
菅原さんは積極的に意見を発した。国民運動グループ「いのちの党」を結成。12年の衆院選で反原発を掲げる候補を支援した。
小泉純一郎、細川護煕両首相が設立した脱原発をめざす「自然エネルギー推進会議」の発起人になった。十月の福島県知事選では脱原発を訴えた候補を応援した。
「原発のために途方もないカネがばらまかれ、いやも応もなくからめ捕られてしまう。戦後、日本はカネばかり追い求めてきた。敗戦から立ち上がるにはそれしかなかなく、頑張ってきたのは確かだけど、あまりに偏りすぎたんじゃないかのかな。
平和への思いも強く、集団的自衛権の行使容認や特定秘密保護法案にも反対していた。
インタビューの最後は、こう締めくくられた。
「ここらで立ち止まって、暮らしとか自由とか権利とか、そういうところへ立ち返らないとね」
以上が、今朝、2014年12月2日、東京新聞朝刊、26面 に掲載されている菅原文太さんに関する記事です。
記事中に、テレビ、冷蔵庫、コンピュターなどの家電製品のことが書かれます。
僕は、テレビも冷蔵庫もコンピューターも持っているので、この記事を読んで、少し頭が痛くなりました。
子供の頃から、冷蔵庫もテレビもあったし、パソコンの登場は、大学生の頃で、興味津々に使ってました。
自宅では節電を心がけていますが、東京電力から供給される電気は使っています。
僕はネオン街などとは無縁ですが、自宅には冷蔵庫もあればテレビもあるし、コンピュターもあります。
原発に反対するなら、ここまで、自分の生活も切り詰めなくてはいけないのかなと思ってしまいました。
ただ、家庭レベルでの電力消費量と、企業レベルでの電力消費量では比較にならないので、関係ないかもしれません。
以上、「原発なくてもやっていけるんのじゃないか」
でした。
ブログに載せてみます。
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