『津波と原発』と「被爆」
今年の6月から、文京区立図書館の「原発」事故関連の書籍をもう一つのブログで紹介してます。
僕が「原発」問題について調べる契機になった一冊の本があるので、このブログで紹介します。
本の題名は、佐野愼一 著 「津波と原発」(講談社)
2011年3月11日に起きた東日本大震災に際して、被災地に赴き、佐野眞一独特の視点で、「ロードムービー」のように被災地の風景を切り取ったルポルタージュです。
文章の各所に読み手を意識してか、小説や、映画の断片を入れてます。
「「原発銀座」には文化がない。福島県のチベットのようなところだ。」言い得て妙かと思います。
「庶民層に、有能な人が沢山いる。」佐野眞一の揺るぎない視点、読ませます。
あとがきは菅原文太さんです。東映でずっと「アウトロー」を演じ続けてきた俳優さん。
早稲田の人は佐野眞一さんなり、菅原文太さんなりのように、強きを挫き、弱きを助けるような人になって欲しいと思います。
僕は実は早稲田大学在学中に「探検部」というサークルに所属してました。大学2年生の時に同期の仲間で本当のチベットに行ったことがあります。
学生ゆえに準備も甘く、試行錯誤しながらの遠征でした。チベットに行く前には、中国の文化大革命による傷跡とかに僕は関心がありました。
でも、実際にチベットの地に赴いてみると、チベットの人にお世話になってばかりで、こちらから何も提供できず、自分が情けなかったです。
話は変わりますが、ツイッターの世界も弱きを助ける部分が多くあると思います。
社会の底に沈む人間が自分の言葉を発信する。そこに共感する人がいればフォローワーも増える。
本当に自分の言葉を持っているのは、支配層かそれとも、庶民層か?
特に僕の住んでいる文京区。
首長である区長のTwitterのアカウントにはほとんどフォローワーがついてません。
所詮、支配層なんて、自分の言葉を持っていない人が多い。
在野をさまよってきた人には、体に刻まれた自分の言葉がある。
学校の勉強だけしてきただけの人に本当に自分の言葉が宿るか?
今回の原発事故を見れば分かります。
理系でずっと原子力の研究をしてきた人の大きな「夢」原発。
昔、唐の詩人杜甫は
「国破れて 山河あり
城 春にして 草木深し」
と詠んでます。
今回は
「夢破れて 山河あり
避難地域 秋にして 草木深し」
と詠もうかとも思ってます。
東日本大震災が残した傷は余りにも大きい。
僕は原発問題よりも、津波で甚大な被害を受けた地域に関心がありました。
原発問題には近づかないようにしてました。
でも、この「津波と原発」という本を読んで原発問題にも目を向けなくてはならないのだと思いました。
昨日もブログに書きましたが、東日本大震災(福島原発事故)を理由に自殺にまで至った年配女性に対する裁判の結果がニュースで報道されていました。
裁判結果として、東京電力に対する慰謝料支払い(損害賠償)が認められました。
心が痛むニュースです。
被災地の方々を想うとともに現代文明の残した負の遺産「原発」、そしてそこから発生する「被爆」についても考えなけばいけないのかと少し思ってます。
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