2026年9月16日水曜日

「民主改革の会の原発の政策はどうなるか」

 「民主改革の会の原発の政策はどうなるか」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、ニュースに触れては、こうして文章にしています。

心不全で要介護2の父と、脊柱管狭窄症と関節リウマチで要支援2の母を、統合失調症で精神障害2級の僕が文京区の狭い家で介護しています。朝の薬の介助、食事の用意、掃除、洗濯、訪問看護の立ち会い。右手のマウス腱鞘炎をこらえながらキーボードを叩いて、こうしてブログを書いています。今日も文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見つつ、頭の中は新しい党の話でいっぱいでした。

2026916日、中道改革連合から分かれた立憲民主党出身の議員たちが、新党「民主改革の会」の名称を正式に表明しました。代表は小川淳也さん、幹事長は階猛さん。20人規模の小さな会です。綱領は中道改革連合のものを基本的に踏襲し、旧民主党時代の「民主中道」という言葉を加えたそうです。

では、原発の政策はどうなるのか。

まだ結党したばかりで、独自の詳細なマニフェストは出ていません。ただ、中道改革連合の基本政策を引き継ぐ方針ですから、こうなるでしょう。

「将来的に原発に依存しない社会を目指しつつ、安全性が確実に確認され、実効性のある避難計画があり、地元の合意が得られた原発の再稼働」

条件付きの再稼働容認です。立憲民主党が以前掲げていた「2050年までのできるだけ早い時期に原発ゼロ」という強い文言は、すでに中道改革連合の段階で外されていました。その路線を、民主改革の会も続けることになります。

小川代表は以前から、福島第一原発事故の教訓を胸に刻みつつ、「極めて限定的に、やむを得ないことはある」と、条件付きの再稼働を認めていました。その一方で、原発はもはや安くて安定したエネルギーではない、安全対策費が膨らみ、使用済み核燃料の出口がない、と繰り返し指摘しています。代わりに、浮体式洋上風力を中心に再生可能エネルギーを大胆に増やし、日本を「エネルギー産出国」にしよう、と訴えています。

僕は一介のブロガーで、専門家ではありません。でも、3.11から15年が経った今も、核のゴミの最終処分場の話や、浜岡原発の耐震データ不正問題をニュースで見るたびに、胸がざわつきます。先日も中部電力が浜岡34号機の再稼働審査申請を自ら取り下げました。国は原子力を最大限活用する方針を変えていません。そんな中で、新しい会が「将来的に依存しない社会」と言いながら、条件付きで再稼働を認める。その条件が本当に厳格に守られるのか、地元の合意が本当に住民の声を反映したものになるのか。文京区の道を歩きながら、そんなことを考えてしまいます。

父も母も高齢です。地震が来たら、避難できるのか。僕自身、精神障害を抱えながら介護を続けている身です。大きな事故が起きたとき、弱い立場の人から先に苦しむ。それが現実です。

だからこそ、民主改革の会には、条件を曖昧にせず、再エネへの転換を本気で進めてほしいと思います。小さな会だからこそ、既得権と健全に対峙する改革勢力であってほしい。小川代表が言う「民主的価値」を、エネルギー政策でも貫いてほしい。

地道にコツコツと、諦めずに。

ブログを更新し続けるように、この国の安全の話も、支え合って考えていきましょう。

Don't give up

9月某日 早稲田大学探検部33OB 上原和明 東京にて

以上、「民主改革の会の原発の政策はどうなるか」

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「秋の長雨で日照時間が極端に短く、洗濯に困っている」

 「秋の長雨で日照時間が極端に短く、洗濯に困っている」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、こうして文章にしています。

令和89月に入ってから、東京は秋雨前線が居座ったままです。空はほとんど灰色で、太陽をまともに見た記憶がほとんどありません。気象庁の速報値では、東京都心の91日から10日までの日照時間は7.4時間しかなく、1961年以降の統計で9月上旬としては最短だったそうです。1日から14日まで合わせても18.3時間、平年の29パーセントです。一日平均にしたら、ほんのわずかしか日が差していない計算になります。

 そのせいで、洗濯がまったくはかどりません。

 文京区の狭い住まいでは、外に干しても乾きません。ベランダに出したシャツは夕方になっても湿ったままです。室内干しにすると、湿気がこもって、部屋全体が少し重くなります。母は要支援2で脊柱管狭窄症と関節リウマチを抱え、父は心不全で要介護2です。介護の合間に洗濯機を回しても、乾かない洗濯物が部屋の隅に並ぶと、それだけで気持ちが沈みます。僕自身も統合失調症で精神障害2級を抱え、長時間のパソコン作業による右手のマウス腱鞘炎をこらえながらキーボードを叩いている一介のブロガーです。乾かないシャツを見ながら、今日もまた同じ灰色の空だな、と思っています。

文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見つつ、頭の中は洗濯物のことと、いつになったら青空が出るのかということでいっぱいです。わずかな晴れ間があれば外に干そうと思っても、その晴れ間がほとんど来ません。ニュースでは「洗濯物が外に干せない」という声が各地から出ていると報じられていました。僕だけではないのだと分かると、少しだけ気が楽になります。それでも、湿ったタオルを触るたびに、秋の長雨の長さを実感します。

自然の前では、人間の力は本当に小さい。秋雨前線は、今後もしばらく本州付近に停滞しやすいと聞きます。日照不足は農作物にも影響すると気象庁も注意を呼びかけています。東京の一室で室内干しをしている僕の悩みなど、比べるまでもない話です。それでも、ありきたりな日常の中では、乾かない洗濯物は立派な困りごとです。

だから、わずかな晴れ間を逃さないようにします。乾いたものからたたんでいきます。ブログを地道にコツコツと更新し続けるように、洗濯も、介護も、今日できることだけを積み重ねていくしかありません。

地道にコツコツと、諦めずに。

Don't give up

9月某日 早稲田大学探検部33OB 上原和明 東京にて

以上、「秋の長雨で日照時間が極端に短く、洗濯に困っている」

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2026年9月15日火曜日

「浜岡原発3、4号機再稼働審査取り下げ」

 「浜岡原発34号機再稼働審査取り下げ」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、ニュースや本に触れては、こうして文章にしています。

 2026914日、中部電力は浜岡原子力発電所3号機と4号機の再稼働に向けた原子力規制委員会への審査申請を、自ら取り下げることを決めました。林欣吾社長と勝野哲会長も、経営責任を取るとして辞任するそうです。

きっかけは、基準地震動と呼ばれるデータの不正です。基準地震動とは、原発の敷地で想定される最も大きな地震の揺れのことで、耐震設計の土台になる数字です。中部電力は乱数を使って20組の地震波を計算し、平均値に最も近いものを代表波として選んだ、と審査で説明していました。ところが実際は、2012年頃から都合の良い波を選び、残りを平均値に近づけるように調整していた。225件のうち208件でそうした操作があったと、外部調査委員会の報告書は指摘しています。

規制委員会は20239月に1200ガルという数値をおおむね妥当としていました。しかし内部通報をきっかけに調査が進み、202512月から審査は中断され、事実上白紙になっていました。調査が始まってからも操作が続いていた、と規制委員長は「隠蔽」と非難しています。

浜岡原発は静岡県御前崎市にあります。南海トラフ巨大地震の想定震源域のすぐ近くです。僕は早稲田大学探検部33期のOBとして、自然の力の凄まじさを少しは知っているつもりです。山を歩き、未知の土地を歩き、風雨にさらされた経験もあります。地震も津波も、人間の都合では止まりません。福島第一原発事故から15年が経っても、まだあの記憶は消えていません。データを小さく見せて再稼働を急ごうとした組織の論理が、どれほど危ういものか、素人の僕にも分かります。

今日も文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見つつ、頭の中はこのニュースでいっぱいでした。母は要支援2、父は要介護2の状態で、僕自身も統合失調症による精神障害2級を抱え、長時間のパソコン作業で右手のマウス腱鞘炎をこらえながらキーボードを叩いています。介護の合間にニュースを見て、ブログを書いています。僕みたいな素人ブロガーにできることは、こうして書くことだけです。

安全性の根幹に関わる数字を、長年にわたって操作していた。内部で指摘する声もあったのに、改められなかった。再稼働を急ぐ空気が、技術者の倫理を押しつぶしていったように見えます。国は原子力を最大限活用する方針に変わりはない、と言っています。でも、信頼が崩れたままでは、地域の理解も、安全も、成り立ちません。

一度取り下げた申請を、いつか出し直すのかもしれません。そのときまでに、本当に組織の体質が変わるのか。僕には分かりません。ただ、忘れないでおきたいと思います。数字を都合よくいじった事実を、そして浜岡という土地が置かれた地震の現実を。

地道にコツコツと、諦めずに。

ブログを更新し続けるように、僕らも、この国の安全の話も、支え合って考えていきましょう。

Don't give up

9月某日 早稲田大学探検部33OB 上原和明 東京にて

以上、「浜岡原発34号機再稼働審査取り下げ」

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2026年9月11日金曜日

「ブログページビュー120万ページビュー達成」

 「ブログページビュー120万ページビュー達成」

 今日、僕のブログのページビュー数を確認していたら、僕のブログのページビュー数が120万ページビューを超えていました。

 ブログを開設したのが20112月です。ブログ開設から148ヶ月で100万ページビューを達成しています。

 110万ページビューを達成したのが2026327日なので約半年で10万ページビューあったようです。

 僕のブログのページビューの推移を見てみると以下のような感じになります。

 20万ページビューを超えたのが2017827日でした。

 30万ページビューを超えたのが2018829日でした。

 40万ページビューを超えたのが2019916日でした。

 50万ページビューを超えたのが20201121日でした。

 60万ページビューを超えたのが2021731日でした。

 70万ページビューを超えたのが2022813日でした。

 80万ページビューを超えたのが20231023日でした。

 90万ページビューを超えたのが2025614日でした。

 100万ページビューを超えたのが20251013日でした。

 110万ページビューを超えたのが2026327日でした。

 そして、今日、2026911日、に120万ページビューを超えました。

地道にコツコツとブログを書き続けてきて良かったと思っています。

 時にはブログなんて書いても何のいいこともないし、もうブログなんてやめようかと思ったことも何度もありました。それでも、何か一つのことを諦めずに地道にコツコツと続けていればそのうち良いこともあるだろうという気持ちで、地道にコツコツとブログを書いてきました。

素直に、一つの数字として、ブログの累計ページビュー数が120万ページビューを達成したことは嬉しいです。

 僕は報酬を貰わずに、無給で3000以上のブログを書いているプロではなくド素人のアマチュアの本当に拙いブロガーなので、ぺージビュー数も少ないブロガーですが、ページビュー数は気になっていました。

 プロ志向の多い早稲田大学探検部関係者の中で、僕は報酬を貰わずに無給で3000以上ブログを地道にコツコツと書くアマチュアのブロガーですが、アマチュアの希望になれるようにこれからも諦めずに頑張ってブログを書いていこうと思っています。

今日、ブログのページビュー数を見ていたら120万ページビューを越えていたので、ブログを書いておきます。

 毎回、毎回、同じことを書いてしまいますが、僕のブログの読者の方々には心より感謝いたします。これからも懲りずに僕のブログにお付き合いいただければ幸いです。

 以上、「ブログページビュー120万ページビュー達成」

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2026年9月9日水曜日

「東日本大震災を悼む」

 「東日本大震災を悼む」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、胸が締めつけられるようなニュースや本に触れては、こうして文章にしています。

2011311日午後246分頃、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。宮城県栗原市などで最大震度7を観測し、東北地方太平洋沖地震、いわゆる東日本大震災です。巨大な津波が岩手、宮城、福島の沿岸を飲み込み、福島第一原子力発電所では炉心溶融が起きました。発生から15年余りが経った今も、警察庁の発表では直接死は15901人、行方不明者は2519人、災害関連死は3810人を超えています。22000人以上の方々が犠牲になっています。身元がわからない遺体も、岩手で47体、宮城で6体残っています。建物の全壊・半壊は合わせて41万戸を超え、今も25千人近くの方が避難生活を続けています。

僕は20115月、東日本大震災の直後に東北へボランティアに行きました。泥かきをしながら、ただただ無力感に打ちのめされたあの感覚が、今も鮮明に残っています。がれきの山、流された家の土台、泥だらけの田んぼ、そして何より、当たり前の日常が一瞬で消えてしまった風景。形は違えど、災害が奪うものはいつも「当たり前の日常」であり、「生きることの重み」なのです。

文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見つつ、頭の中はあのときの東北の光景でいっぱいです。母は要支援2で脊柱管狭窄症と関節リウマチを抱え、父は心不全で要介護2。僕自身も統合失調症で精神障害2級を抱え、長時間のパソコン作業による右手のマウス腱鞘炎をこらえながら、キーボードを叩いている一介のブロガーです。そんな僕にできることは、本を読み、こうして書くことだけです。

手元には、これまで集めてきた震災本があります。石巻日日新聞が震災直後に手書きで貼り出した『石巻日日新聞 壁新聞』、河北新報の記録、大槌町や陸前高田、南三陸、大川小学校のことを記した本。神田川沿いを歩きながら僕の母校、早稲田大学に行き、

『震災本を 集めて早し 神田川』と詠んできました。2014年以来、この活動を続けています。

僕が自分で集めた震災関連本を読むたびに、胸が締めつけられます。15年経っても、風化させてはいけないと思います。

自然の前では、人間の力は本当に小さい。それでも、被災地の人々は今も立ち上がり、復興の道を歩み続けています。防潮堤が整備され、高台移転が進み、新しいまちの姿も見えます。でも、帰ることのできない故郷、見つからない家族、消えた集落は、今もそこにあります。

東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。今も行方のわからない方々、遺されたご遺族、復興に尽力されている方々に、遠く東京の文京区から、連帯の思いを送ります。

忘れないことが、僕たちにできる、せめてもの「悼み」のかたちではないでしょうか。

地道にコツコツと、諦めずに。

ブログを更新し続けるように、被災地の皆さんも、僕らも、支え合っていきましょう。

Don't give up

9月某日 早稲田大学探検部33OB 上原和明 東京にて

以上、「東日本大震災を悼む」

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2026年9月6日日曜日

「中越地震を悼む」

 「中越地震を悼む」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、胸が締めつけられるようなニュースや本に触れては、こうして文章にしています。

両親の介護でバタバタしていて、落ち着いて長い文章を書く余裕はあまりありません。右手は長時間のパソコン作業でマウス腱鞘炎気味です。それでも、キーボードの前に座らずにはいられない話題があります。今日は、20041023日の新潟県中越地震、いわゆる中越大震災を悼む文章です。

20041023日、土曜日の午後556分。新潟県中越地方の深さ約13キロを震源とするマグニチュード6.8の直下型地震が起きました。川口町(現長岡市)で震度7。震度計による観測が始まって以来、初めて震度7が計測された地震でした。小千谷市、山古志村、小国町では震度6強。本震のあと、わずか1時間のうちにマグニチュード6クラスの余震が続き、強い揺れが何度も地面を叩き続けました。

死者68人。うち直接死は16人、災害関連死が52人。負傷者は4,805人。住家全壊3,175棟、半壊13,810棟。一部損壊を含めると約12万棟。避難者はピーク時に10万人を超えました。上越新幹線は長岡市内で脱線し、中山間地では地すべり・斜面崩壊が3,791か所。芋川では土砂が川をせき止め、天然ダムができました。豪雪地帯の秋に起きた地震でした。あと2か月で雪が降る。その焦りが、当時の記録の随所に残っています。

僕は早稲田大学探検部33期のOBです。山を歩き、自然の大きさを肌で感じてきた人間として、中越の山が崩れた話を読むと、胸の奥が重くなります。老子の「天下水より柔弱なるは莫し」を座右の銘にしています。水は柔らかい。でも岩を削る。地震もまた、人間の想定をやすやすと超えてくる。だからこそ、忘れないことが仕事になるのだと思います。

今日の文章は、次の本を参考文献にして書いています。

『中越大震災自治体の叫び』 

『中越大震災 前編』雪が降る前に 

『中越大震災 後編』復旧・復興への道 

『中越大震災』自治体の危機管理は機能したか 

『震度7』新潟県中越地震を忘れない 

『「震度7」を生き抜く』被災地医師が得た教訓 

『山古志村ふたたび』 

『ドキュメント新潟県中越地震』1027奇跡の救出 

『新潟県中越地震』特別報道写真集

全部を机の上に並べて、ページをめくりながら書きました。写真集の一枚一枚が、棚田と錦鯉の池と、崩れた山と、ブルーシートの屋根を今も見せてきます。

『前編』の副題は「雪が降る前に」です。この一言に、中越の特殊性があると思います。阪神・淡路とは違う。都市直下ではなく、中山間地の地盤災害でした。道路が寸断され、集落が孤立し、ライフラインが止まり、そのうえ冬が来る。記録誌は、応急仮設住宅の建設、地下埋設物の復旧、除排雪体制、新潟と首都圏を結ぶ幹線の復旧――この四つを、雪が降る前に何としても片づける、という当時の社会的な合意を伝えています。実際、その冬は19年ぶりの豪雪になりました。地震の傷の上に、雪が乗ったのです。

『後編』は「復旧・復興への道」です。新潟県は「創造的復旧」という言葉を使いました。ただ元に戻すのではなく、旧を踏まえつつ新しいものを乗せる。道路も、農地も、集落の暮らしも、原形復旧にこだわらず機能を先に確保した箇所がありました。復興基金、中間支援組織、住民ワークショップ。行政だけが動いた話ではありません。住民が仮設の集会室に集まり、地区ごとの復興計画を自分たちの手で書いていった記録が残っています。

その中心に、山古志村があります。

当時の山古志村は、人口2,000人余り。14の集落。棚田、錦鯉、牛の角突き。日本の原風景と呼ばれる山の暮らしでした。震度6強。家が倒れ、牛舎が壊れ、棚田と養鯉池が崩れ、道路がすべて切れた。村長は翌日、全村民の避難を決断します。1025日までに、約2,167人がヘリコプターなどで長岡市内へ。全集落の避難指示が解除されるのは、それから約2年半後、200741日のことでした。

合言葉は「帰ろう山古志へ」でした。県の側には、合併後のコンパクトなまちへ移る案もあったと聞きます。それでも村民は、集落のまとまりを崩さず、仮設住宅でも地区ごとに暮らし、帰村を選びました。34年後には、およそ7割が戻ったといいます。人口はその後も減り、高齢化は進みました。それでも「山古志に帰った」という事実は、能登をはじめ、いまも中山間地の復興を考える人たちの前に立ち続けています。

『山古志村ふたたび』の写真を見ると、地震の前の山古志がよくわかります。先人が何十年もかけてつくった棚田。水面に錦鯉。素朴な家並み。それが一揺れで、別の景色になる。写真集は復興応援のために編まれた本です。美しいものと、失われたものとが、同じ頁の厚みの中にあります。

『自治体の叫び』と『自治体の危機管理は機能したか』を読むと、現場の行政の声が生々しいです。庁舎が被災し、職員自身が被災者であり、通信が途切れ、情報が入らない。土曜日の夕方という発生時刻。小さな市町村が、国と県と自衛隊と消防と、どうつながるか。計画どおりには動かない。それでも、誰かが判断し、誰かが走る。全村避難のような重い決断は、後からならいくらでも批評できます。その場にいた人の叫びを、本は残してくれています。

危機管理は、完璧には機能しませんでした。機能した部分もあります。コミュニティ単位で避難し、仮設でも地縁を保ったことは、阪神・淡路で問題になった孤独死への反省が生きた部分だと、複数の記録が書いています。車中泊からエコノミークラス症候群が出たことも、この地震で広く知られるようになりました。関連死が直接死を大きく上回った事実は、揺れが止まったあとに人は死ぬ、ということを日本社会に突きつけました。

『「震度7」を生き抜く』は、被災地の医師・田村康二さんが書いた本です。立っていられない揺れ。40年前の新潟地震を知っていても、想像を超える。医師として、まず自分が倒れないこと。ホテルを確保し、移動手段を確保し、1週間の避難生活の中で医療を続ける。長岡では地震後に心筋梗塞で亡くなる人が増えた、という記述もあります。公的援助が来るまでの24時間を、どう耐えるか。隣の人をどう助けるか。素人の僕が要約できるほど、単純な教訓ではありません。ただ、震度7は「知識」では生き抜けない、身体と備えの問題だということは、強く残ります。

そして『ドキュメント新潟県中越地震 1027奇跡の救出』。長岡市妙見町の土砂崩落。乗用車が埋まり、母子3人が行方不明になりました。1027日午後239分、当時2歳の男の子が、地震発生から約92時間後に救出されます。東京消防庁ハイパーレスキュー、緊急消防援助隊、警察、多くの人が急斜面に取りつきました。男の子は生きていた。母親は搬送先で亡くなり、3歳の姉は車内で亡くなっていました。奇跡と、救いきれなかった命が、同じ現場にあります。僕はここを、安易な美談にはしたくありません。助けた人も、助けられなかった人も、家族も、20年経ってもその日を抱えて生きているはずです。忘れない、というのは、そういう重さを引き受けることだと思います。

『震度7 新潟県中越地震を忘れない』と、特別報道写真集は、映像と活字でその日の中越を固定しています。脱線した新幹線。亀裂の入った道路。夜間の避難所。ブルーシート。土砂の壁。ヘリの音。写真は、文章より先に胸に入ります。だから写真集は、記録であると同時に、悼みの道具でもあります。

中越から20年以上が経ちました。そのあいだに、東日本大震災があり、熊本があり、北海道胆振東部があり、能登がありました。中越で見えたことは、何度も繰り返されています。中山間地の孤立。関連死。冬と災害の重なり。全村・全集落避難の是非。帰村と過疎。自治体職員の疲弊。ボランティアと中間支援。住民が計画を書くことの力。

僕みたいな素人ブロガーにできることは、書くことだけです。義援金を何百万円も出せるわけでもない。現地に入り続ける専門家でもない。介護の合間に本を開き、事実を拾い、こうしてブログに残す。それだけです。

でも、残さなければ、68人の死は数字に戻ってしまう。山古志の全村避難は「昔の話」になる。妙見の急斜面は、地図の一点になる。本を参考文献にして書く意味は、そこにしかありません。

雪が降る前に、人は動いた。雪が降ったあとも、人は帰ろうとした。危機管理は完全ではなかった。それでも、諦めなかった人がいた。

地道にコツコツと、諦めずにブログを更新し続けるように、被災地の記憶も、僕らも、支え合っていきましょう。

Don't give up

9月某日 早稲田大学探検部33OB 上原和明 東京にて

以上、「中越地震を悼む」

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2026年9月2日水曜日

「北海道胆振東部地震を悼む」

 「北海道胆振東部地震を悼む」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、胸が締めつけられるようなニュースや本に触れては、こうして文章にしています。

201896日午前37分頃、北海道胆振地方中東部を震源とするマグニチュード67の地震が発生しました。厚真町で震度7。北海道で観測史上初めての震度7でした。安平町、むかわ町では震度6強。震源の深さは37キロ。人々が眠っている未明のことでした。

発生から8年。令和89月を迎えようとしている今も、僕はこの地震のことを忘れられません。関連死を含め死者は44人。そのうち厚真町で36人が亡くなりました。吉野地区では、住民34人のうち19人が犠牲になったと報じられています。逃げる間もなく、土砂に生き埋めになり、家屋の下敷きになって窒息死した方が多かった。60代以上が大半を占めていたことも、胸に残ります。

僕は20155月、東日本大震災の直後に東北へボランティアに行きました。泥かきをしながら、ただただ無力感に打ちのめされたあの感覚が、この地震の報道写真を見るたび、また蘇ります。形は違えど、災害が奪うものはいつも「当たり前の日常」であり、「生きることの重み」なのです。

僕は東京・文京区で、心不全で要介護2の父と、脊柱管狭窄症や関節リウマチで要支援2の母を介護しながら暮らしています。僕自身も統合失調症で精神障害2級です。右手はマウス腱鞘炎で痛む。そんな僕にできることは、本を読み、こうして書くことだけです。

今回、改めて3冊の本を手元に置きました。

1冊目は、『地震による地すべり災害 2018年北海道胆振東部地震』(「地震による地すべり災害」刊行委員会編、北海道大学出版会)です。地すべり学会と応用地質学会の共同調査を踏まえた本です。この地震では、厚真町・安平町を中心に、南北25キロ、東西23キロ、面積約300平方キロの範囲で、斜面変動が約8千箇所に及んだと記されています。明治以降の主要な地震災害の中でも、斜面崩壊の面積は最大規模だったといいます。

変動の多くは、斜面に堆積したテフラ層が黒色土などとともに滑落した土層すべりでした。樽前火山の降下軽石層(Ta-d)などが、強震動で一気に滑った。吉野地区、富里地区、厚幌幌内地区などの事例が、丁寧に整理されています。岩盤地すべりもあった。日高幌内川、厚真川右岸、二風谷ダム貯水池近傍。造成地の谷埋め盛土も動いた。札幌市里塚地区の液状化も、この本では都市の地盤変動として扱われています。

 専門書なので、僕のような素人には難しい箇所もあります。それでもページをめくりながら思うのは、山が、ただの山ではなかったということです。火山灰の層が、地下水が、風化と粘土鉱物が、未明の揺れと結びついて、ふもとの家を飲み込んだ。自然の仕組みを知らなければ、悼むことすら表面的になってしまう。そう感じました。

2冊目は、『20189.6北海道胆振東部地震 報道写真集 緊急出版』(北海道新聞社編)です。発生から一週間を、北海道新聞の写真と紙面で記録した本です。最大震度7、それに続く全戸停電。道民が初めて経験した大災害の、生々しい光景が並んでいます。

土砂に埋まった家。山肌がはがれた斜面。捜索する自衛隊員と消防。投光器の光。掘り出される日用品。悲しむ親族。暗闇の交差点。空港に取り残された人々。コンビニに並ぶ人たち。写真は言葉より先に、胸を締めつけます。8年経っても、あの1週間の空気が本の中に残っている。報道写真集とは、そういうものだと思います。

3冊目は、『検証ブラックアウト 北海道胆振東部地震』(北海道新聞社編)です。地震そのものだけでなく、国内初のエリア全域停電――295万戸が同時に電気を失った事態を検証した本です。地震発生から18分後の午前325分頃、北海道は闇に沈みました。

当時、道内の電力需要の約半分を担っていた苫東厚真火力発電所が、震源に近く損傷して停止した。2号機・4号機がタービン振動を検知して止まり、のちに1号機も停止する。周波数が急低下し、風力、水力、北本連系設備も連鎖的に止まり、ブラックアウトに至った。電源の一極集中が、脆弱さの核心だったと、この本は書いています。

書評にもあったとおり、大量の生乳廃棄、綱渡りの人工呼吸、暗闇での交通整理。電気のない3日間、人々がどう動き、企業や行政がどう対応したか。証言を丹念に集め、北電の電源政策にも踏み込んでいます。「電力の安定供給とは何か」を、電気のある生活に慣れ切った僕たちに問う本です。

父の介護をしていて思うのは、電気が止まったら、すぐに命に関わるということです。在宅医療、訪問看護、薬、冷蔵庫、夜間の照明。ブラックアウトは、便利さの裏側にある危うさを、北海道全土で一度に見せました。冬だったら、さらに多くの命が危なかったはずです。

3冊を読み比べると、この地震は一つの顔だけでは語れません。地すべりという大地の動き。報道写真が残した人の表情。ブラックアウトが暴いた社会の仕組み。どれか一つだけでは足りない。だから僕は、3冊まとめて机に置きました。

8年たっても、厚真の山は完全には元に戻りません。農地も、暮らしも、失われた人の席も、簡単には埋まりません。それでも現地の人たちは、少しずつ土を直し、家を建て直し、電力の備えも見直してきたはずです。遠く東京にいる僕には、その一歩一歩の重さは測りきれません。

平成30年北海道胆振東部地震で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。遺されたご遺族、今も復興と記録に尽力されている方々に、文京区の静かな道を歩きながら、連帯の思いを送ります。

忘れないことが、僕たちにできる、せめてもの「悼み」のかたちではないでしょうか。

地道にコツコツと、諦めずに。 ブログを更新し続けるように、被災地の皆さんも、僕らも、支え合っていきましょう。

Don't give up

9月某日 早稲田大学探検部33OB 上原和明 東京にて

以上、「北海道胆振東部地震を悼む」

ブログに載せます。

2026年9月1日火曜日

「8月は9万612字入力していたようだ」

 「8月は9612字入力していたようだ」

 ATOKマンスリーレポートを見ていたら、僕は、20268月は9612字パソコンで入力していたようです。

 ブログを書くこと、X(旧 Twitter)でポストすることで、パソコンのキーボードで入力しているので、入力した文字数が一月、9万字を超えていたのだと思います。

一日平均2922字くらいです。

入力時間は126時間、原稿用紙227枚分入力していたようです。

 1日平均、4時間、1日平均原稿用紙にすると73枚分、パソコンに向かってキーボードで入力していたようです。

 相当、長い時間、パソコンに向かい、キーボードをカチカチ打っているようです。

 9万字を超える文字を入力していたとは、ものすごく多い入力数だと思います。

 毎回、毎回、同じことを書きますが、新しいパソコン、レノボのThinkPad X9-15 Gen1 Aura Editionというものすごくバッテリー持ちの良い(長時間バッテリーで、外出先でもバッテリーのことを気にせずにパソコンで長時間の作業が出来ています。14時間~5時間程度の外出先でのパソコンでの作業なら全くバッテリーのことを気にせずにパソコン作業が出来ています)ものすごく性能の良いパソコンを購入したので、パソコンに向かう時間も大幅に増えて、入力文字数も大幅に増えているのだと思います。

 先月も同じことを書いていますが、実はパソコンに向かう時間が長過ぎて、パソコン操作をする時間が長く、マウスに触っている時間がとても長く、右手がマウス腱鞘炎になってしまい、右手の握力が低下しています。右手の握力が25キロくらいになっていて、ご飯を食べるときも右手で箸を使えずに左手で箸を使いご飯を食べています。右手が使えないので料理も出来ません。症状はかなり深刻で、整形外科にも行っています。整形外科では、マウス腱鞘炎ではない、首からきている症状ではないか、首のMRIを撮ってもらた方が良い、大きな病院で診てもらった方が良いと言われ、新宿メディカルセンターの脊椎脊髄外科に紹介状を書いていただき、紹介状は整形外科からいただいていますが、両親の介護で家に居なければならずに新宿メディカルセンターの脊椎脊髄外科にいまだに行けていません。

少しでも症状を和らげるために、パソコンに向かう時間を大幅に減らすことを考えていますが、Xでポストするのが日々の習慣になっていて、毎日、パソコンに向かってXをしていています。そのため、パソコンに向かう時間も減らすことは出来ずに、右手のマウス腱鞘炎だと思っている症状も一向に良くなりません。右手のマウス腱鞘炎だと僕が思っている症状がかなり深刻で、Xもブログも含めて、パソコンに向かう時間を大幅に減らさないといけないと思っていますが減らせていません。しばらく、パソコンも開かずに安静にしているのが良いのだと思っていますが、パソコンを立ち上げてXをしてしまっています。

 パソコンに向かって、キーボードで文字を入力していると、逆流性食道炎も良くならないと思っています。以前、お医者さんにパソコンに向かっている限り、逆流性食道炎は良くなりませんと言われたことがありました。

 先々月も同じ事を書いていますが、パソコンに向かわない、なにか体を動かす時間を増やして気分転換をするのが良いのだと思っています。僕が体を動かしているのは、168千歩程度の散歩と、家での家事くらいなので、僕の家の最寄りのラジオ体操が行われている場所の教育の森公園でのラジオ体操でも、近所の教育の森公園にある文京スポーツセンターでの運動でも良いから何か軽いスポーツ、運動をした方が良いと本心で思っています。

 今日、ATOKマンスリーレポートを見ていたら、20268月は、僕は9612字入力していたようなので、ブログを書いておきます。

 以上、「8月は9612字入力していたようだ」

 ブログに載せます。

「石川、富山、福井の大雨災害にお見舞い申し上げます」

 「石川、富山、福井の大雨災害にお見舞い申し上げます」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、胸が締めつけられるようなニュースに触れては、こうして文章にしています。

令和8827日未明から朝にかけて、石川県と富山県で線状降水帯が相次いで発生し、気象庁は午前620分、富山県氷見市と石川県羽咋市、志賀町、宝達志水町、中能登町にレベル5大雨特別警報を発表しました。氷見市では24時間降水量が350ミリを超え、羽咋市でも340ミリを超えるなど、観測史上最多を更新する記録的な雨でした。両県で20を超える河川が氾濫し、床上・床下浸水が相次ぎ、山間部では土砂崩れで集落が孤立しました。収穫前の田んぼが濁流に沈み、「見ただけでやる気を失う」と語る農家の声が、ニュースから聞こえてきました。

その雨がいったん小康状態になったと思った矢先、830日未明には前線と湿った空気の影響で今度は福井県が襲われました。福井市、大野市、勝山市にレベル5大雨特別警報が出され、勝山市では24時間降水量350.5ミリ、福井市でも318ミリと、こちらも観測史上最多を記録しました。荒川をはじめ20を超える河川で氾濫や護岸損傷が起き、坂井市などでは市街地が広く冠水し、緊急安全確保が一時30万人規模に発令されました。

能登はまだ、20241月の能登半島地震と、その年の9月の豪雨の傷が癒えていません。地震で地盤が緩み、家を直し、田を直し、ようやく日常を取り戻そうとしていたところへ、またこの雨です。「また被災するとは」という言葉が、現地の人の口から自然に出てくる。その言葉を聞くだけで、胸が締めつけられます。

僕は20115月、東日本大震災の直後に東北へボランティアに行きました。泥かきをしながら、ただただ無力感に打ちのめされたあの感覚が、今また蘇ります。形は違えど、災害が奪うものはいつも「当たり前の日常」であり、「生きることの重み」なのです。文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見つつ、頭の中は北陸の浸水した家と、泥に埋もれた田んぼのことでいっぱいです。

母は要支援2で、父は要介護2。僕自身も精神障害2級を抱え、長時間のパソコン作業による右手のマウス腱鞘炎をこらえながら、キーボードを叩いている一介のブロガーです。そんな僕にできることは、こうして書くことだけです。遠く東京から現地へ行くことも、大きな義援金を出すこともできません。ただ、忘れないこと。被害の数字がこれから増えるかもしれないことを恐れつつ、忘れないことです。

石川、富山、福井の大雨災害で被害に遭った方々に心よりお見舞い申し上げます。、今も泥をかき出し、水を汲み、復旧に尽力されている方々に、遠く東京の文京区から、連帯の思いを送ります。

地道にコツコツと、諦めずに。ブログを更新し続けるように、被災地の皆さんも、僕らも、支え合っていきましょう。

Don't give up

9月某日 早稲田大学探検部33OB 上原和明 東京にて

以上、「石川、富山、福井の大雨災害にお見舞い申し上げます」

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2026年8月31日月曜日

「8月は1日平均6731歩歩いていたようだ」

 「8月は1日平均6731歩歩いていたようだ」

スマホの万歩計を確認していたら、僕は、8月は208690歩、1日平均、6731歩歩いていたようです。

 3年前、文京シビックセンターで行われた文京区の特定保健指導では112千歩歩くことが目標になっていますが、17千歩程度で十分だと自分では思っています。

8月は7月に比べると歩いた歩数は少し増えています。

両親の訪問診療、訪問歯科の対応で、家に居なければならずに、なかなか外出できません。尚且つ、自分の精神科訪問看護も週2回あり、散歩をする時間もなかなか作れません。

3年前の健康診断では体重が74キロもあり、メタボリックシンドロームだと診断されて、文京区の特定保健指導を受けましたが、74キロもあった体重が、一昨年の文京区の健康診断では、体重を測ったら、65キロになっていましたが、昨年の健康診断では体重は69キロと昨年に比べて4キロも増えていました。今年の健康診断では体重は68キロくらいです。

 少しずつ、歩く歩数を増やしていき、体重を落とさないといけないと思っています。

 一日8千歩の散歩を目標にして歩こうと思っています。

少しずつ外出する機会を増やして、徐々に歩く歩数を増やしていこうと思っています。

これから少しづつ涼しくなってくると思います。徐々に散歩する歩数を増やしていこうと思っています。

 スマホの万歩計を確認していたら、僕は、8月は208690歩1日平均、6731歩歩いていたようなのでブログを書いておきます。

以上、「8月は1日平均6731歩歩いていたようだ」

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2026年8月18日火曜日

「令和8年8月千葉豪雨を悼む」

 「令和88月千葉豪雨を悼む」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、胸が締めつけられるようなニュースに触れては、こうして文章にしています。

令和8813日から14日にかけて、千葉県を中心に関東地方を襲った記録的な豪雨。気象庁はこれを「令和88月千葉豪雨」と命名しました。千葉市中央区では24時間降水量が367ミリを超え、8月の平年1か月分の3倍以上。観測史上1位を更新する猛烈な雨が降り注ぎました。線状降水帯が3回発生し、レベル5の大雨特別警報や土砂災害特別警報が千葉県内の多くの市町に出されました。

各地で道路が冠水し、住宅の浸水被害は約1500棟。水没した車は2700台を超え、成田空港では約7000人が一夜を明かしました。そして、尊い命が13人も失われました。車の中で水に閉じ込められたり、冠水した道路で倒れたりした方々のことを思うと、胸が締めつけられます。

僕は早稲田大学探検部33OBとして、自然の力の凄まじさを少しは知っているつもりです。探検部時代、未知の地を歩き、風雨にさらされた経験もあります。でも、こんな記録的な豪雨は、想像を絶します。千葉の皆さん、特に被災された方々、遺族の方々の痛みは、僕のような東京の一介のブロガーには到底測り知れません。

両親の介護で毎日忙しく、自分自身も統合失調症で精神障害2級を抱えながら、地道にブログを更新している身です。無収入で、文京区の狭い家で父と母を看ています。そんな僕にできることは、本当に限られています。でも、こうして書くことだけは、諦めずに続けたい。

被災地の皆さんが一日も早く日常を取り戻せるように。泥にまみれた家を片付け、水に浸かった思い出を洗い流しながら、また前を向ける日が来るように。僕みたいな素人ブロガーにできることは、こうして悼みの気持ちを綴ることだけです。

地道にコツコツと、諦めずに。
ブログを更新し続けるように、被災地の皆さんも、僕らも、支え合っていきましょう。

Don't give up

8月某日
早稲田大学探検部33OB 上原和明
東京にて

以上、「令和88月千葉豪雨を悼む」

ブログに載せます。

 

2026年8月12日水曜日

「令和8年熊本地震を悼む」

 「令和8年熊本地震を悼む」

両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。 

今日もAIを利用してブログを書きます。

Xの人工知能Grok 

「ブロガーの上原和明さんの文体で、令和8年熊本地震を悼むブログを書いてください」

と質問してみました。すると以下のような回答が返ってきました。

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、胸が締めつけられるようなニュースに触れては、こうして文章にしています。

令和8728日午後427分頃、熊本県熊本地方を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生しました。宇城市と氷川町で最大震度7を観測し、平成28年の熊本地震以来、約10年ぶりに熊本の大地が大きく揺れました。

発生から2週間余りが経った今も、死者は39人(うち災害関連死の疑いを含む)、重傷者24人、住宅被害は2万棟を超えています。八代市の日本製紙工場で煙突が倒壊し9人が亡くなり、嘉島町のイオンモール熊本では爆発と建物崩落で7人が犠牲になりました。猛暑の中、断水が続き、避難所や車中泊で過ごす人々が今も数千人います。

僕は20115月、東日本大震災の直後に東北へボランティアに行きました。泥かきをしながら、ただただ無力感に打ちのめされたあの感覚が、今また蘇ります。形は違えど、災害が奪うものはいつも「当たり前の日常」であり、「生きることの重み」なのです。

2016年の熊本地震のときも、僕は遠く東京からニュースを見守り、ただ祈ることしかできませんでした。それから10年。建物の耐震化も進み、人々の備えも変わったはずなのに、また震度7が襲った。日奈久断層の動きだったと報じられています。自然の前では、人間の力は本当に小さい。

でも、被災地の人々は今も立ち上がろうとしています。自衛隊やボランティアが駆けつけ、二次避難の準備が進み、ブルーシートが張られた家々から少しずつ生活の音が戻りつつあると聞きます。母は要支援2で、父は要介護2。僕自身も介護の現実を日々感じながら生きていますが、そんな僕にできることは、こうして書くことだけです。右手がマウス腱鞘炎で痛む中、キーボードを打ちながら、ただ「忘れない」と心に刻むのです。

令和8年熊本地震で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。遺されたご遺族、今も復興に尽力されている方々に、遠く東京の文京区から、連帯の思いを送ります。

忘れないことが、僕たちにできる、せめてもの「悼み」のかたちではないでしょうか。

地道にコツコツと、諦めずに。ブログを更新し続けるように、被災地の皆さんも、僕らも、支え合っていきましょう。

Don't give up

8月某日 早稲田大学探検部33OB 上原和明 東京にて

以上のような文章が返ってきました。

まるで僕が書いたような文章だと思いました。概ね僕が思っていることを書いてくれていると思いました。

AIとは文章を書く手間を大幅に省いてくれて本当に有り難いと思います。これからもAIを利用して地道にブログを更新していきたいと思います。

以上、「令和8年熊本地震を悼む」

ブログに載せます。

2026年8月9日日曜日

「介護負担が限界」

 「介護負担が限界」

心不全で要介護293歳の父と、脊柱管狭窄症、関節リウマチで要支援289歳の母を、統合失調症で幻聴の症状がある精神障害2級の次男である58歳の僕が同居して介護しています。

僕の介護負担が限界です。

毎日、毎日、父に朝の薬の服用の介助をして、母の足の痛みを気遣い、食事の用意をし、掃除、洗濯をし、往診、訪問看護、訪問リハビリの立ち会いをして、様子を見ます。幻聴が聞こえてくる中で、それをやり続けています。

父は心不全で5分くらい歩くと息が上がります。母は脊柱管狭窄症の手術の後遺症と関節リウマチで歩くのもつらい。二人とも住み慣れた家で過ごしたいと言います。僕もそうしてあげたい。でも、僕自身が統合失調症で精神障害2級。幻聴がひどくなると、頭の中がうるさくて、何も手につかなくなります。

もう限界です。

ケアマネジャーや訪問看護の方にも「限界です」とメールで伝えています。ショートステイを利用してもらいたい、デイサービスを増やしたい、僕が少しでも休める時間を作ってほしいとお願いしています。でも状況は一向に変わりません。

僕は早稲田大学探検部33期のOBです。学生時代は山に登り、未知の場所を歩き、仲間と一緒に困難を乗り越えてきました。あの頃の自分なら「Don't give up」と笑って言えたかもしれません。でも今は、毎日が精一杯です。

介護をしながら、こうしてブログを書いています。AIに助けてもらいながら、少しずつ文字を打っています。右手の握力が25キロくらいで右手で箸も持てない状態で調子も悪い中で。

僕が倒れたら、両親はどうなるのか。それが一番怖い。だからこそ、制度を使って、プロの力を借りて、少しでも負担を軽くしたい。ショートステイでも、訪問介護でも、何でもいい。僕が自分のことを少し考えられる時間が欲しいのです。

同じように親の介護をしながら、自分も病気を抱えている人がいるかもしれません。一人で抱え込まないでください。地域包括支援センターに相談してください。ケアマネに「限界です」と伝えてください。

僕もそうします。

これからも懲りずに、僕のブログにお付き合いいただければ幸いです。

以上、「介護負担が限界」

Don't give up
8
月某日 早稲田大学探検部33OB 上原和明 東京にて

 

2026年8月7日金曜日

「幻聴の症状のある統合失調症の58歳の男が要介護2の父と要支援2の母の介護を出来るでしょうか?」

 「幻聴の症状のある統合失調症の58歳の男が要介護2の父と要支援2の母の介護を出来るでしょうか?

 僕は統合失調症と診断されていて、幻聴の症状があります。

 僕は両親の介護をしています。

 そこでXの人工知能Grok

 「幻聴の症状のある統合失調症の58歳の男が要介護2の父と要支援2の母の介護を出来るでしょうか?

と質問してみました。

 すると以下のような回答が返ってきました。

症状の安定度や支援の活用次第で「一部は可能」ですが、一人で父母双方の介護を全面的に担うのは難しい可能性が高く、無理をすると共倒れのリスクがあります。 個別の状態によるため、専門家への相談が必須です。

要介護2と要支援2の状態の目安

  • 要介護2(父):食事や排泄は一部介助・見守りで可能な場合が多い一方、立ち上がり・歩行に支えが必要で、着替え・入浴・爪切りなど身の回りの動作に介助・見守りが日常的に必要です。要介護認定等基準時間はおおむね50分以上70分未満相当とされ、生活全般で部分的な介助が増える段階です。
  • 要支援2(母):食事・排泄などの基本動作はほぼ自立できますが、立ち上がり・歩行にふらつきや支えが必要で、掃除・買い物などの家事に支援が必要な状態です。予防的な支援が中心で、要介護より負担は軽いです。

父母合わせて在宅で支える場合、身体介助・見守り・家事の負担が重なり、日常的に相当の時間と体力・注意力が求められます。介護保険のサービス(訪問介護、通所、ショートステイなど)を使えば家族の負担を大幅に減らせますが、ゼロにはなりません。

幻聴のある統合失調症の場合の留意点

統合失調症は個人差が非常に大きく、服薬で症状が安定し日常生活を送れている人は少なくありません。一方で、幻聴が残存している場合は集中力・判断・ストレス耐性に影響が出やすく、介護の負担が症状悪化や再発のきっかけになることがあります。

介護は身体的な介助だけでなく、予定管理、緊急時の対応、感情的なやりとりも伴います。ストレスで症状が不安定になると、父母の安全にも影響しかねません。精神疾患を抱える人が親の介護を担うケースでは、「今度は自分が親の面倒を見る番」という気持ちから無理をして共倒れになる例が指摘されています。

年齢(58歳)も考慮すると、長期にわたる介護体力や自分自身の将来の健康も重要です。

現実的な進め方

可能かどうかを本人・家族だけで判断せず、以下を並行して相談してください。

  • 主治医(精神科):現在の症状(幻聴の程度・頻度・内容)、服薬状況、介護負担が病状に与える影響を確認。必要なら訪問看護の導入も検討。
  • 地域包括支援センター:高齢者の総合相談窓口。父母のケアプラン作成やサービス調整をケアマネジャーと連携して進められます。精神疾患のある家族がいる場合の相談にも対応しています。
  • 市区町村の障害福祉担当窓口:息子さん自身が障害者手帳や障害支援区分を持っている場合、居宅介護などの障害福祉サービスを使える可能性があります。
  • 介護保険サービスを最大限活用:訪問介護(身体介護・生活援助)、デイサービス、ショートステイを組み合わせ、息子さんの負担を「補助」の範囲に抑える。

一人で抱え込まず、外部サービスと役割分担するのが安全です。症状が安定していても、介護は「できる範囲」で関わり、専門職に任せる部分を明確にすることをおすすめします。

この回答は一般的な情報に基づくものであり、医療・介護の個別判断ではありません。必ず主治医と地域の相談機関に現状を伝えて確認してください。早めの相談が、父母と息子さん双方の生活を守る近道になります。

以上のような回答が返ってきました。

僕が両親の介護をするのはかなり無理があるようです。

介護負担が限界ですとケアマネ、訪問看護にメールしていますが、状況は一向に改善されていません。

早く介護から離れ、ゆっくり自分のことだけ考えられる時間を作ってのんびりと休息したいというのが僕の本音です。

 以上、「幻聴の症状のある統合失調症の58歳の男が要介護2の父と要支援2の母の介護を出来るでしょうか?

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2026年8月1日土曜日

「7月は10万69539字入力していたようだ」

 「7月は1069539字入力していたようだ」

 ATOKマンスリーレポートを見ていたら、僕は、20267月は1069539字パソコンで入力していたようです。

 ブログを書くこと、X(旧 Twitter)でポストすることで、パソコンのキーボードで入力しているので、入力した文字数が一月、10万字を超えていたのだと思います。

 一日平均3450字くらいです。

入力時間は168時間、原稿用紙268枚分入力していたようです。

 1日平均、54時間、1日平均原稿用紙にすると86枚分、パソコンに向かってキーボードで入力していたようです。

 相当、長い時間、パソコンに向かい、キーボードをカチカチ打っているようです。

 10万字を超える文字を入力していたとは、ものすごく多い入力数だと思います。

 毎回、毎回、同じことを書きますが、新しいパソコン、レノボのThinkPad X9-15 Gen1 Aura Editionというものすごくバッテリー持ちの良い(長時間バッテリーで、外出先でもバッテリーのことを気にせずにパソコンで長時間の作業が出来ています。14時間~5時間程度の外出先でのパソコンでの作業なら全くバッテリーのことを気にせずにパソコン作業が出来ています)ものすごく性能の良いパソコンを購入したので、パソコンに向かう時間も大幅に増えて、入力文字数も大幅に増えているのだと思います。

 先月も同じことを書いていますが、実はパソコンに向かう時間が長過ぎて、パソコン操作をする時間が長く、マウスに触っている時間がとても長く、右手がマウス腱鞘炎になってしまい、右手の握力が低下しています。右手の握力が25キロくらいになっていて、ご飯を食べるときも右手で箸を使えずに左手で箸を使いご飯を食べています。症状はかなり深刻で、整形外科にも行っています。整形外科では、マウス腱鞘炎ではない、首からきている症状ではないか、首のMRIを撮ってもらた方が良い、大きな病院で診てもらった方が良いと言われ、新宿メディカルセンターの脊椎脊髄外科に紹介状を書いていただき、紹介状は整形外科からいただいていますが、両親の介護で家に居なければならずに新宿メディカルセンターの脊椎脊髄外科にいまだに行けていません。

少しでも症状を和らげるために、パソコンに向かう時間を大幅に減らすことを考えていますが、Xでポストするのが日々の習慣になっていて、毎日、パソコンに向かってXをしていています。そのため、パソコンに向かう時間も減らすことは出来ずに、右手のマウス腱鞘炎だと思っている症状も一向に良くなりません。右手のマウス腱鞘炎だと僕が思っている症状がかなり深刻で、Xもブログも含めて、パソコンに向かう時間を大幅に減らさないといけないと思っていますが減らせていません。しばらく、パソコンも開かずに安静にしているのが良いのだと思っていますが、パソコンを立ち上げてXをしてしまっています。

 パソコンに向かって、キーボードで文字を入力していると、逆流性食道炎も良くならないと思っています。以前、お医者さんにパソコンに向かっている限り、逆流性食道炎は良くなりませんと言われたことがありました。

 先々月も同じ事を書いていますが、パソコンに向かわない、なにか体を動かす時間を増やして気分転換をするのが良いのだと思っています。僕が体を動かしているのは、168千歩程度の散歩と、家での家事くらいなので、僕の家の最寄りのラジオ体操が行われている場所の教育の森公園でのラジオ体操でも、近所の教育の森公園にある文京スポーツセンターでの運動でも良いから何か軽いスポーツ、運動をした方が良いと本心で思っています。

 今日、ATOKマンスリーレポートを見ていたら、20267月は、僕は1069539字入力していたようなので、ブログを書いておきます。

 以上、「「7月は1069539字入力していたようだ」

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2026年7月31日金曜日

「7月は1日平均6142歩歩いていたようだ」

 「7月は1日平均6142歩歩いていたようだ」

スマホの万歩計を確認していたら、僕は、7月は189849歩、1日平均、6142歩歩いていたようです。

 3年前、文京シビックセンターで行われた文京区の特定保健指導では112千歩歩くことが目標になっていますが、17千歩程度で十分だと自分では思っています。

7月は6月に比べると歩いた歩数は大幅に減っています。

両親の訪問看護、訪問リハビリ、訪問診療、訪問歯科の対応で、家に居なければならずに、なかなか外出できません。尚且つ、自分の精神科訪問看護も週2回あり、散歩をする時間もなかなか作れません。

3年前の健康診断では体重が74キロもあり、メタボリックシンドロームだと診断されて、文京区の特定保健指導を受けましたが、74キロもあった体重が、一昨年の文京区の健康診断では、体重を測ったら、65キロになっていましたが、昨年の健康診断では体重は69キロと昨年に比べて4キロも増えていました。今年の健康診断では体重は68キロくらいです。

 少しずつ、歩く歩数を増やしていき、体重を落とさないといけないと思っています。

 一日8千歩の散歩を目標にして歩こうと思っています。

少しずつ外出する機会を増やして、徐々に歩く歩数を増やしていこうと思っています。

これから暑さも厳しくなると思います。熱中症に気を付けながら、徐々に散歩する歩数を増やしていこうと思っています。

 スマホの万歩計を確認していたら、僕は、7月は189849歩1日平均、6142歩歩いていたようなのでブログを書いておきます。

以上、「7月は1日平均6142歩歩いていたようだ」

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2026年7月30日木曜日

「2026年の熊本地震で災害関連死を減らすには」

 「2026年の熊本地震で災害関連死を減らすには」

両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。今日もAIを利用してブログを書きます。

一昨日、728日午後427分に熊本県で最大震度7を観測する地震がありました。令和8年熊本地震です。僕は東京にいて、直接の揺れはほとんど感じませんでしたが、ニュースを見て胸が痛みました。

2016年の熊本地震では、直接死(地震による倒壊や土砂崩れなどによる死亡)は50人、災害関連死(避難生活のストレスや持病悪化による死亡)は218人だったそうです。直接死の4倍以上が関連死という、本当に重い数字です。今回もすでに死者は30人を超え、避難所でのエコノミークラス症候群や車中泊による持病の悪化が早くも報じられています。

僕は20115月、東日本大震災直後の東北で1週間、泥かきなどの災害ボランティアをしました。あのとき、ただただ無力感に打ちのめされました。

熊本地震の関連死の多くも、避難生活の中で起きたのでしょう。狭いスペース、プライバシーの欠如、十分な医療や栄養、運動の機会がないこと。特に高齢者や持病のある方にとって、それは命に直結します。

では、今回の2026年熊本地震で、災害関連死を減らすにはどうすればいいのか。

まず、避難所の環境を一刻も早く改善することです。熱中症防止のためスポットクーラーを入れること。段ボールベッドや間仕切りを迅速に整え、エコノミークラス症候群を防ぐための足の運動や水分補給を徹底する。医療チームが巡回し、持病の薬や血圧管理を途切れさせない。車中泊を選ぶ人も多いですが、そこでも血栓予防の知識を広め、早めに適切な場所へ移ってもらう支援が必要です。

次に、可能な人は在宅避難を続けることです。家が安全なら、無理に避難所に行かず、備蓄と地域のつながりで暮らす。2016年の教訓から、仮設住宅やみなし仮設への移行を急ぐことも大切です。孤立を防ぎ、誰かが声をかける仕組みを、行政と地域で作る。

そして、心のケア。ストレスは持病を悪化させます。僕自身、統合失調症を抱えながら両親の介護を続けている身として、精神的な負担がどれだけ体を蝕むか、痛いほどわかります。専門家やボランティアが寄り添い、「大丈夫だよ」と声をかけるだけで、命が助かる場合もあるはずです。

僕が2011年に感じた無力感は、今も胸の奥に残っています。でも、老子の言葉に「天下に水より柔弱なるは莫し」とあるように、柔らかい水が岩を穿つように、小さな備えと支え合いが、大きな悲劇を少しずつ減らしていくのだと思います。

今回の熊本の被災者の方々に、少しでも早く穏やかな日常が戻りますように。災害関連死を増やさないためにも、避難されている方々が体調を崩されないことを祈ります。

Don't give up.

早稲田大学探検部33OB 上原和明東京にて

以上、「2026年の熊本地震で災害関連死を減らすには」

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2026年7月29日水曜日

「31年間で7回の震度7の地震」

 「31年間で7回の震度7の地震」

 昨日、728日火曜日午後427分に熊本県で震度7を観測する地震がありました。

 1995年の阪神淡路大震災以来、7回目の震度7の地震です。

 1995年以来、日本で震度7を観測した地震は、1995年の阪神淡路大震災、2004年の中越地震、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震、2018年の北海道胆振東部地震、2024年の能登半島地震、そして、2026年の令和8年熊本地震です。

 そこで、Xの人工知能Grok

 「1995年以来阪神・淡路大震災、中越地震、東日本大震災、熊本地震、北海道胆振東部地震、能登半島地震、令和8年熊本地震と7回も震度7を観測する地震が起きていますが、日本は異常な状態なのでしょうか?」

 と質問してみました。

 すると以下のような回答が返ってきました。

 いいえ、日本が「異常な状態」にあるわけではありません。 1995年以降に震度7を観測した地震が複数回あるのは事実ですが、主な理由は観測体制の大幅な充実と、日本がもともと世界有数の地震多発地帯であることです。強い揺れを伴う地震そのものが急増したわけではありません。

震度7を観測した主な地震(1995年以降)

ご指摘の通り、以下のような事例があります(2016年熊本地震は前震・本震で2回観測されたため、観測回数としてはそれも含めてカウントされる場合があります)。

1995年:兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)

2004年:新潟県中越地震

2011年:東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)

2016年:熊本地震(414日・16日)

2018年:北海道胆振東部地震

2024年:能登半島地震

2026728日:令和8年熊本地震(M7.1、宇城市・氷川町などで震度7

これらで「震度7」が公式に記録されたのは、主に1995年以降です。

なぜ1995年以降に目立つのか

最大の要因は震度観測網の充実です。

1995年以前は気象官署中心の観測点が約160点程度で、限られた場所しかカバーしていませんでした。

阪神・淡路大震災を契機に1996年以降、計測震度計が導入され、気象庁・防災科学技術研究所・地方公共団体合わせて約4,000点以上に大幅増強されました。

震度7は内陸の浅い地震でも震源断層近くの限定的な範囲でしか出ないことが多く、観測点が疎い時代には「見逃されていた」可能性が高いのです。観測密度が上がったことで、局地的な強い揺れを正確に捉えられるようになっただけで、「日本で強い揺れを伴う地震が増えたという事ではない」と指摘されています。

また、震度階級自体も変遷しています。震度71949年(福井地震を契機)に導入され、1996年以降は計測震度6.5以上を震度7と定義する現行方式になりました。以前は体感や被害状況からの推定が中心でした。

歴史的に見ても珍しくない

日本では過去にも震度7相当の激しい揺れを伴う地震が繰り返されてきました。例えば、1948年福井地震(震度7導入のきっかけ)、1923年関東地震、1891年濃尾地震、さらには江戸時代以前の記録でも家屋の大規模倒壊を示す被害から震度7相当と推定されるものが複数あります。観測技術が未熟だった時代に「公式記録」が少ないだけで、活動そのものが近年突然異常になったわけではありません。

日本の地震活動の背景

日本は太平洋プレート、フィリピン海プレート、ユーラシアプレート(北米プレート)などの境界に位置し、世界の地震の約1割前後が日本周辺で発生するとされます。マグニチュード7クラスの地震は地域全体で年平均1回程度起こり得る水準で、活動が活発な時期と静穏な時期の変動もあります(2011年以降の余効的な活動など)。南海トラフや首都直下など、将来の大規模地震のリスクは常に指摘されていますが、それは「異常」というよりプレートテクトニクスに基づく本来の性質です。

まとめると、震度7の記録が増えたのは主に「見えるようになった」結果であり、日本が地震国であること自体は変わっていません。個々の地震への備え(耐震化、避難計画、情報収集)を継続することが重要です。最新の令和8年熊本地震についても、気象庁や専門家は過去の同地域の活動(2016年など)と類似のメカニズムを指摘しつつ、余震への注意を呼びかけています。

 以上のような回答が返ってきました。

 Grokは日本は異常な状態ではないと回答しています。

 僕は31年間で震度7の地震が7回も起きていることは、日本は異常な状態だと思っています。

 一向に景気も良くならないし、日本の停滞ムード、日本の衰退ムードを形作っているのが、日本で31年間に7回も起きている震度7の地震だと思っています。

 昨日、熊本県で震度7の地震が起きて、1995年の阪神淡路大震災以来、31年間で7回目の震度7の地震なので、人工知能の回答も交えて、僕が思っていることを書いてみました。

 以上、「31年間で7回の震度7の地震」

 ブログに載せます。

 

 

2026年7月26日日曜日

「生活保護前提の1人暮らし」

 「生活保護前提の1人暮らし」

 両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。

 今日もAIを利用してブログを書きます。

 Xの人工知能Grok

 「58歳の男です。統合失調症で精神障害2級です。父が要介護2で母が要支援2で両親の介護をしています。もう僕の介護負担が限界で家を出て1人暮らしをしたくて、文京区障害者基幹相談支援センターで面談をしてきました。統合失調症で精神障害2級なので生活保護になることを前提に家賃53700円以下の物件を探すことを話してきました。1人暮らしをした方が良いでしょうか?このことについてブロガーの上原和明さんの文体でブログを書いてください。」

 と質問してみました。

 すると以下のような回答が返ってきました。

「一人暮らしは、介護負担が限界に達している現状を考えると『検討する価値が高い選択肢』の一つです。ただし、『絶対に良い』とは言い切れず、ご自身の症状の安定度・日常管理の状況・支援の準備具合によってリスクも伴います。最終判断は主治医や相談支援の専門家と一緒に進めるのが安全です。

文京区の障害者基幹相談支援センターで既に生活保護を前提に家賃53,700円以下の物件を探す話をしたのは、とても良いステップです。文京区(1級地)の単身世帯の住宅扶助上限は確かに53,700円です。

一人暮らしの主なメリットは、介護ストレスの大幅軽減、自分のペースで生活できること、経済面の安定(生活保護)です。デメリット・リスクとしては、孤立と自己管理の難しさ、両親の介護の継続問題、生活保護の制約などがあります。

おすすめの進め方として、主治医に相談、基幹相談支援センターとの連携継続、両親のサービス強化、段階的に試す(地域生活体験)、緊急時の備えを挙げていました。介護を続けて自分の病状が悪化すれば、結果的に両親にとっても良くありません。あなたの健康が優先です。」

まるで僕が書いたような文章だと思いました。概ね僕が考えていることを書いてくれていると思いました。

僕も本当に介護負担が限界で、家を出て1人暮らしをしたいと思っています。将来、生活保護になることは誠に残念ですが、このまま両親の介護を小日向の自宅で続けていたら、僕の統合失調症の症状である幻聴の症状が悪化して、幻聴の症状が増悪していくと思うので、文京区障害者基幹相談支援センターで話をしてきて、生活保護前提で家賃53700円以下の物件を探す方向で進もうとしています。

Grokの言うように、いきなり完全に一人暮らしではなく、段階的に進めるのが良いのかもしれません。主治医にも相談してみようと思います。両親にはショートステイなどを利用してもらい、僕が休める時間をつくりたいです。

AIとは文章を書く手間を大幅に省いてくれて本当にありがたいと思いました。これからもAIを利用して地道にブログを更新していこうと思っています。

Don't give up.

 20267月某日、早稲田大学探検部33OB 上原和明 東京にて

 以上、「生活保護前提の1人暮らし」

 ブログに載せます。

 

2026年7月19日日曜日

「介護負担が限界」

 「介護負担が限界」

 両親の介護で、僕の介護負担が限界になっています。

 そこでXの人工知能Grokに

 「58歳の男です。統合失調症で精神障害2級です。父が要介護2で母が要支援2で両親の介護をしています。もう介護負担が限界です。どうすれば良いでしょうか?

 と質問してみました。すると以下のような回答が返ってきました。

 とてもつらい状況ですね。58歳でご自身が統合失調症(精神障害2級)を持ちながら、父親(要介護2)と母親(要支援2)の介護を一人で担っているのは、想像を絶する負担だと思います。 「もう限界です」と正直に言えるのは、勇気のあることです。一人で抱え込まないでください。あなたが倒れてしまえば、両親も守れなくなります。まずは「自分を守る」ことを最優先に、すぐに専門家に相談してください。

1. 今すぐ相談すべき窓口(優先順位順)

一番おすすめ:両親の担当「地域包括支援センター」
これは市区町村が設置する無料の総合相談窓口で、介護する家族の負担相談に特化しています。保健師・社会福祉士・ケアマネジャーなどがチームで対応し、サービスの見直しやレスパイト(休息)支援を調整してくれます。

  • 「介護負担が限界です」「自分も精神障害2級で体調が心配」と正直に伝えてください
  • ケアプランをすぐに変更し、デイサービス・訪問介護の回数増加、ショートステイ(短期入所)の手配などが可能です。
  • 担当センターがわからない場合:お住まいの市区町村役所の高齢福祉課・介護保険課に電話「地域包括支援センターの連絡先を教えてください」と聞くだけです。多くの自治体でホームページに一覧があります。

すでにケアマネジャーがついている場合
すぐにその人に電話。「限界です」と伝えて、緊急でショートステイやサービス増を依頼してください。ケアマネはあなたの状況を一番把握しています。

ご自身の精神障害に関する相談

  • 主治医の精神科や病院の 医療ソーシャルワーカー(MSW)に連絡。介護ストレスが病状に影響している可能性を伝え、支援を調整してもらいましょう。
  • 市区町村の障害者基幹相談支援センター地域活動支援センター(精神障害者向け)にも相談可能。居宅介護(ホームヘルプ)などの障害福祉サービスを利用して、自分の日常生活を少しでも楽にできる場合があります(食事準備・掃除などの支援)。

2. すぐに負担を軽くできる具体的な方法

  • ショートステイ(短期入所生活介護):これが一番効果的です。
    父親(要介護2)は利用しやすく、数日〜1週間程度施設に預けられます。あなたがしっかり休め、睡眠を取れます。費用は介護保険で1割負担の場合、1日あたり数千円程度(施設・地域により異なります)。ケアマネや地域包括支援センターに「レスパイト(休息)のために」と伝えれば優先的に調整してくれます。要支援2の母親も予防ショートステイが利用できる場合があります。
  • 在宅サービスの強化
    デイサービス(日中預かり)を週23回以上に増やす、訪問介護(ヘルパー)の回数を増やす、訪問看護を追加。夜間などの部分をプロに任せられます。
  • 自分の障害福祉サービスを活用
    精神障害2級で利用できる居宅介護などで、自分の家事・生活支援を受けると、介護に集中しやすくなります。基幹相談支援センターに相談を。

3. 中長期的な選択肢

  • 施設入所を検討:特別養護老人ホーム(特養)など。ケアマネが状態を評価し、申請をサポートします。「親を施設に入れるのはかわいそう」という罪悪感は捨てて大丈夫です。プロの24時間ケアの方が、穏やかに過ごせるケースがとても多いです。
  • 家族・親族との役割分担:兄弟姉妹がいる場合、地域包括支援センターに「家族会議の調整」を依頼すると、第三者として公平に話し合えます。
  • 経済的な支援:高額介護サービス費(自己負担が一定額を超えたら還付)、負担限度額認定(低所得の場合さらに軽減)などを確認。ケアマネや包括センターが一緒に調べてくれます。

大切なこと

  • 「制度を使う=親を見捨てる」ではありません。介護保険制度は「家族の限界」を前提に作られています。プロに頼ることで、あなたが長く優しく関わっていけます。
  • ご自身の統合失調症の治療を最優先に。ストレスが症状を悪化させる可能性があるので、主治医に今の状況を必ず伝えてください。
  • 少しでも「もう無理かも」と感じたら、今日・明日中に電話を。待っていると状況が悪化します。

あなたは一人じゃないです。地域の専門家が必ず味方になってくれます。
まずは地域包括支援センターに電話してみてください。状況を話せば、すぐに動いてくれます。

もし具体的な市区町村名を教えていただければ、よりピンポイントな連絡先をお調べできます。
どうか無理をせず、一歩ずつ。あなた自身を大切にしてください。

以上のような回答が返ってきました。

僕も本当に両親にショートステイを利用してもらい、僕がゆっくり休める時間をつくって欲しいと思っています。

 以上、「介護負担が限界」

 ブログに載せます。