「東日本大震災を悼む」
毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、胸が締めつけられるようなニュースや本に触れては、こうして文章にしています。
2011年3月11日午後2時46分頃、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。宮城県栗原市などで最大震度7を観測し、東北地方太平洋沖地震、いわゆる東日本大震災です。巨大な津波が岩手、宮城、福島の沿岸を飲み込み、福島第一原子力発電所では炉心溶融が起きました。発生から15年余りが経った今も、警察庁の発表では直接死は1万5901人、行方不明者は2519人、災害関連死は3810人を超えています。身元がわからない遺体も、岩手で47体、宮城で6体残っています。建物の全壊・半壊は合わせて41万戸を超え、今も2万5千人近くの方が避難生活を続けています。
僕は2011年5月、東日本大震災の直後に東北へボランティアに行きました。泥かきをしながら、ただただ無力感に打ちのめされたあの感覚が、今も鮮明に残っています。がれきの山、流された家の土台、泥だらけの田んぼ、そして何より、当たり前の日常が一瞬で消えてしまった風景。形は違えど、災害が奪うものはいつも「当たり前の日常」であり、「生きることの重み」なのです。
文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見つつ、頭の中はあのときの東北の光景でいっぱいです。母は要支援2で脊柱管狭窄症と関節リウマチを抱え、父は心不全で要介護2。僕自身も統合失調症で精神障害2級を抱え、長時間のパソコン作業による右手のマウス腱鞘炎をこらえながら、キーボードを叩いている一介のブロガーです。そんな僕にできることは、本を読み、こうして書くことだけです。
手元には、これまで集めてきた震災本があります。石巻日日新聞が震災直後に手書きで貼り出した『石巻日日新聞
壁新聞』、河北新報の記録、大槌町や陸前高田、南三陸、大川小学校のことを記した本。神田川沿いを歩きながら僕の母校、早稲田大学に行き、
『震災本を 集めて早し 神田川』と詠んできました。2014年以来、この活動を続けています。
僕が自分で集めた震災関連本を読むたびに、胸が締めつけられます。15年経っても、風化させてはいけないと思います。
自然の前では、人間の力は本当に小さい。それでも、被災地の人々は今も立ち上がり、復興の道を歩み続けています。防潮堤が整備され、高台移転が進み、新しいまちの姿も見えます。でも、帰ることのできない故郷、見つからない家族、消えた集落は、今もそこにあります。
東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。今も行方のわからない方々、遺されたご遺族、復興に尽力されている方々に、遠く東京の文京区から、連帯の思いを送ります。
忘れないことが、僕たちにできる、せめてもの「悼み」のかたちではないでしょうか。
地道にコツコツと、諦めずに。
ブログを更新し続けるように、被災地の皆さんも、僕らも、支え合っていきましょう。
Don't give up
9月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて
以上、「東日本大震災を悼む」
ブログに載せます。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。