2026年9月2日水曜日

「北海道胆振東部地震を悼む」

 「北海道胆振東部地震を悼む」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、胸が締めつけられるようなニュースや本に触れては、こうして文章にしています。

201896日午前37分頃、北海道胆振地方中東部を震源とするマグニチュード67の地震が発生しました。厚真町で震度7。北海道で観測史上初めての震度7でした。安平町、むかわ町では震度6強。震源の深さは37キロ。人々が眠っている未明のことでした。

発生から8年。令和89月を迎えようとしている今も、僕はこの地震のことを忘れられません。関連死を含め死者は44人。そのうち厚真町で36人が亡くなりました。吉野地区では、住民34人のうち19人が犠牲になったと報じられています。逃げる間もなく、土砂に生き埋めになり、家屋の下敷きになって窒息死した方が多かった。60代以上が大半を占めていたことも、胸に残ります。

僕は20155月、東日本大震災の直後に東北へボランティアに行きました。泥かきをしながら、ただただ無力感に打ちのめされたあの感覚が、この地震の報道写真を見るたび、また蘇ります。形は違えど、災害が奪うものはいつも「当たり前の日常」であり、「生きることの重み」なのです。

僕は東京・文京区で、心不全で要介護2の父と、脊柱管狭窄症や関節リウマチで要支援2の母を介護しながら暮らしています。僕自身も統合失調症で精神障害2級です。右手はマウス腱鞘炎で痛む。そんな僕にできることは、本を読み、こうして書くことだけです。

今回、改めて3冊の本を手元に置きました。

1冊目は、『地震による地すべり災害 2018年北海道胆振東部地震』(「地震による地すべり災害」刊行委員会編、北海道大学出版会)です。地すべり学会と応用地質学会の共同調査を踏まえた本です。この地震では、厚真町・安平町を中心に、南北25キロ、東西23キロ、面積約300平方キロの範囲で、斜面変動が約8千箇所に及んだと記されています。明治以降の主要な地震災害の中でも、斜面崩壊の面積は最大規模だったといいます。

変動の多くは、斜面に堆積したテフラ層が黒色土などとともに滑落した土層すべりでした。樽前火山の降下軽石層(Ta-d)などが、強震動で一気に滑った。吉野地区、富里地区、厚幌幌内地区などの事例が、丁寧に整理されています。岩盤地すべりもあった。日高幌内川、厚真川右岸、二風谷ダム貯水池近傍。造成地の谷埋め盛土も動いた。札幌市里塚地区の液状化も、この本では都市の地盤変動として扱われています。

 専門書なので、僕のような素人には難しい箇所もあります。それでもページをめくりながら思うのは、山が、ただの山ではなかったということです。火山灰の層が、地下水が、風化と粘土鉱物が、未明の揺れと結びついて、ふもとの家を飲み込んだ。自然の仕組みを知らなければ、悼むことすら表面的になってしまう。そう感じました。

2冊目は、『20189.6北海道胆振東部地震 報道写真集 緊急出版』(北海道新聞社編)です。発生から一週間を、北海道新聞の写真と紙面で記録した本です。最大震度7、それに続く全戸停電。道民が初めて経験した大災害の、生々しい光景が並んでいます。

土砂に埋まった家。山肌がはがれた斜面。捜索する自衛隊員と消防。投光器の光。掘り出される日用品。悲しむ親族。暗闇の交差点。空港に取り残された人々。コンビニに並ぶ人たち。写真は言葉より先に、胸を締めつけます。8年経っても、あの1週間の空気が本の中に残っている。報道写真集とは、そういうものだと思います。

3冊目は、『検証ブラックアウト 北海道胆振東部地震』(北海道新聞社編)です。地震そのものだけでなく、国内初のエリア全域停電――295万戸が同時に電気を失った事態を検証した本です。地震発生から18分後の午前325分頃、北海道は闇に沈みました。

当時、道内の電力需要の約半分を担っていた苫東厚真火力発電所が、震源に近く損傷して停止した。2号機・4号機がタービン振動を検知して止まり、のちに1号機も停止する。周波数が急低下し、風力、水力、北本連系設備も連鎖的に止まり、ブラックアウトに至った。電源の一極集中が、脆弱さの核心だったと、この本は書いています。

書評にもあったとおり、大量の生乳廃棄、綱渡りの人工呼吸、暗闇での交通整理。電気のない3日間、人々がどう動き、企業や行政がどう対応したか。証言を丹念に集め、北電の電源政策にも踏み込んでいます。「電力の安定供給とは何か」を、電気のある生活に慣れ切った僕たちに問う本です。

父の介護をしていて思うのは、電気が止まったら、すぐに命に関わるということです。在宅医療、訪問看護、薬、冷蔵庫、夜間の照明。ブラックアウトは、便利さの裏側にある危うさを、北海道全土で一度に見せました。冬だったら、さらに多くの命が危なかったはずです。

3冊を読み比べると、この地震は一つの顔だけでは語れません。地すべりという大地の動き。報道写真が残した人の表情。ブラックアウトが暴いた社会の仕組み。どれか一つだけでは足りない。だから僕は、3冊まとめて机に置きました。

8年たっても、厚真の山は完全には元に戻りません。農地も、暮らしも、失われた人の席も、簡単には埋まりません。それでも現地の人たちは、少しずつ土を直し、家を建て直し、電力の備えも見直してきたはずです。遠く東京にいる僕には、その一歩一歩の重さは測りきれません。

平成30年北海道胆振東部地震で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。遺されたご遺族、今も復興と記録に尽力されている方々に、文京区の静かな道を歩きながら、連帯の思いを送ります。

忘れないことが、僕たちにできる、せめてもの「悼み」のかたちではないでしょうか。

地道にコツコツと、諦めずに。 ブログを更新し続けるように、被災地の皆さんも、僕らも、支え合っていきましょう。

Don't give up

9月某日 早稲田大学探検部33OB 上原和明 東京にて

以上、「北海道胆振東部地震を悼む」

ブログに載せます。

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