2022年9月11日日曜日

「チベットカイラス隊では僕だけマナサロワール湖に行っていない」

 「チベットカイラス隊では僕だけマナサロワール湖に行っていない」

  実はチベットカイラス隊では、隊長だった僕だけチベットの聖湖とされるマナサロワール湖という湖に行っていません。

  チベットカイラス隊では、僕の記憶ではカイラスに向かう途中のシーチャンホー(獅泉河)という町で、倉島孝行か中谷敏夫のどちらかが体調を崩して、シーチャンホー(獅泉河)で僕ら4人のチベットカイラス隊は、二つに分かれました。

  カイラス到達を目指す上原和明、桜井誠人の先発隊のグループと、シーチャンホー(獅泉河)で少し休養してから後発隊として、カイラス到達を目指す倉島孝行、中谷敏夫のグールプに分かれました。

  僕と桜井は先発隊としてカイラス到達を目指し、カイラスに到達し、カイラスの巡礼路を重さ20㌔ある100リットルザックを背負って2人で歩き始めました。

  カイラス巡礼路では桜井誠人の体力がすごくて、桜井が巡礼路を先頭に立ち歩いて、僕が桜井の後ろをついていくといった感じでした。

  僕はカイラス巡礼路での桜井の歩くスピードについていけませんでした。

  僕は仕方なく自分のペースで歩いていました。

  カイラス巡礼路では桜井が先にカイラス北壁に着き、僕があとからカイラス北壁に着いたと思います。

  カイラス北壁で、僕は隊長として、後発隊の倉島、中谷を待つことを桜井に提案しました。

  桜井も僕の意を汲んでくれて、カイラス北壁に一泊して、桜井はドルマラ峠のひかえる残りの巡礼路を1人で歩き始めました。

  僕はカイラス北壁で倉島、中谷の後続隊を34日待っていましたが、倉島、中谷は現れなかったので、1人でカイラス北壁を出発して、ドルマラ峠がひかえる残りの巡礼路を歩きました。本当に苦しかったです。

  巡礼路を歩ききり、タルチェンというカイラス巡礼の出発到着点になる場所に到着して、タルチェンの宿泊施設で休養してから、僕は一人でマナサロワール湖に赴こうとしました。

  タルチェンという場所がカイラス巡礼の出発到着点なので、タルチェンに到着してタルチェンの宿泊施設に滞在し、そこから、一人でチベットの聖湖マナサロワール湖に赴こうとしました。

 タルチェンでトラックをヒッチハイクして、マナサロワール湖まで行こうとしましたが、僕のヒッチハイクしたトラックが途中でスタック(立ち往生)してしまい、僕は一人で歩いてマナサロワール湖まで行こうとしました。

  僕が一人でマナサロワール湖に歩いて行こうとしていると、僕の眼前にトラックが見えて、そのトラックにカイラス後発隊の倉島、中谷が乗っていて、僕は倉島、中谷にトラックに乗るように言われて、トラックに乗りました。

 すでに倉島、中谷はマナサロワール湖に赴き、マナサロワール湖の周りの巡礼路を歩いてきたようでした。

 僕のヒッチハイクしたトラックがスタックして立ち往生している間に、倉島、中谷のグループは、二人でマナサロワール湖に赴き、マナサロワール湖の周りの巡礼路を歩いてきたようです。

 僕は一人で、マナサロワール湖まで歩いて行こうとしましたが、重さ20キロもある100リットルザックを背負って、チベットの高地を歩くのは大変で、僕はマナサロワール湖に到達するのをあきらめて、倉島、中谷の乗っているトラックに乗せてもらい、日本への帰路につきました。

 実はチベットカイラス隊で、隊長であった僕だけ、チベットの聖湖とされる、マナサロワール湖に行っていないのでブログに書いておきます。

 以上、「チベットカイラス隊では僕だけマナサロワール湖に行っていない」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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