「全国レベルだった早稲田大学」
僕は、東京都立小石川高校卒業後、一年間の浪人生活を経て、早稲田大学に進みました。
早稲田大学に入学してみると、やはり学生のレベルは全国レベルの方々がいらしたと思います。
それぞれの分野で、全国レベルの方々が集っていたと思います。
スポーツ一つとっても、早稲田大学のレベルは全国レベルだったと思います。
勉強の分野でも、僕の知り合いは、国立大学に進み、博士号を取得している方とかいらして、勉強の分野でも全国レベルの大学だったと思います。
高校までは、東京都の学区の中での勉強が出来る方々が集う学校でしたが、その質は全国レベルには達していなかったようです。
僕も、早稲田大学まで行って、全国レベルを体感することになりました。
早稲田大学が甲子園に例えられるのは、やはり、全国レベルの大学なのだと思います。
それなりの方々が集まっているのが早稲田大学なのだと思います。
全国レベルの早稲田大学で僕も揉まれて、現在の僕があるのだと思います。
僕の家庭は、父は中卒、母は高校中退、兄は高卒ですから、学歴とは無縁の家庭ですが、僕一人だけ、全国レベルの大学まで進みました。
早稲田大学に進んでみると、血統の良いサラブレッドのような学生の方もいらしたし、僕とはかなり違う方々が多くいらしました。
僕も早稲田大学まで進み、「人間には格がある」というか、血統書付きの人間の方が世の中にはいらっしゃると分かりました。
僕のような、地道に日々の雑感を書き綴っている一介のブロガーとは格が違う方々がいらっしゃることが早稲田大学まで進んで分かりました。
早稲田大学まで進んで、僕も社会勉強をさせていただきました。
僕が障害者になったのも、早稲田大学まで進んだから障害者になったのだと思います。
無言の圧力というか、世の中が、早稲田大学の学生さんのような物凄い能力を持った方がいらして、世の中が回っているから、僕が早稲田大学の名前を出す時、僕が早稲田大学探検部の名前を出す時に、大きな圧力がかかり、普通の市井の人とは違う、大きなプレッシャーを感じることになるのだと思います。
僕がもし、早稲田大学まで進んでいなければ、多分、僕は障害者になっていなかったと思います。
良かれと思い、早稲田大学まで進みましたが、やはり僕は、全国レベルの早稲田大学のプレッシャーに耐えられるだけの人間ではなかったのだと思います。
地元で、地道に生きていれば良かったのだと現在では思っています。
この齢になり、僕もようやく、僕のいた環境が全国レベルの環境に身を置いていたことが分かるようになりました。
これからも、謙虚に、地道に生きていきたいと思っています。
早稲田大学時代を振り返って、やはり早稲田大学とは全国レベルの大学と思うに至ったので、早稲田大学に対する僕の思いをブログに書いてみました。
以上、「全国レベルだった早稲田大学」
ブログに載せます。
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