「長時間労働に思う、江東区有明での商品管理のバイト」
先日、東京オリンピックの業務に携わっていた方が長時間労働で亡くなってしまったとのニュースがありました。
東京五輪会場の建設会社員が自殺、遺族が労災申請
僕は、障害者と認定されてからも、雇用された職場で長時間労働をしていたことがあったので、僕の障害者になってからの長時間労働の経験を書いてみたいと思います。
僕は、一時期、江東区有明の有明コロシアムのそばの、倉庫会社でアルバイトをしていました。
1年半くらい勤務していました。
僕は、その倉庫で、洋服関係の商品管理の仕事をしていましたが、僕の以前の職場である、新浦安での職場より職場環境は劣悪で、朝日新聞でも怖くて取材出来ないような職場だったように思われます。
僕が精神障害者であることを知っているにも関わらず、平気で、朝8時頃から、終電がなくなるまで働かせます。
朝の仕事で、入荷という仕事があり、商品である、洋服類を積み込んだトラックがやって来て、そのトラックから、商品である、洋服がびっしり詰め込まれている一箱5キロくらいある段ボールの箱を何十箱も、荷受けします。
段ボール一箱がものすごく重くて、入荷の作業だけで、とても疲れてしまう仕事でした。
荷受けは中国の方と一緒に荷受けの仕事をしていました。
その後、朝の朝礼があり、一日の仕事について会社の方が説明していました。
仕事が始まると、段ボールに詰め込まれている、洋服類をピッキングしていき、出荷出来ように、新しい段ボールに詰めていきます。
出荷出来るように、段ボールが出来たら、トラックに段ボールを積み込んで出荷します。
障害者にとっては、とてもきつい仕事で、帰宅が夜の11時とか12時の時も多かったです。
時にはビジネスホテルに泊まりこむこともありました。
時給は確か1000円だったと思いますが、月給にすると、多い時は20万円を超えていました。
一労働者としては、良い給料でしたが、仕事のきつさを考えたら、やはり割に合わない仕事だったと思います。
朝日新聞が潜入取材していた、家電量販店のバックヤードである物流センターの仕事より仕事自体がよほどきつかったし、職場環境も劣悪でした。
多くの方=健常者の方が、入社しては辞めていきました。
アルバイトの方と一緒に、冷めた仕出し弁当を食べている時も、「おしん」の話とかしていたし、NHKの連続ドラマ小説、「おしん」を思い出しながら、きつい仕事をしていました。
パートのおばちゃん方の力が強くて、僕にとっては怖かった社長さんとかを、上手く操っていました。
きつい仕事のための服装も、派手なヒョウ柄のパンツ(ズボン)とか履いて職場に来ていらしたし、怖い社長さんも、ヒョウ柄のパンツ(ズボン)を履いた女豹のようなおばちゃんを前にすると、厳しいことは言えずに、パートのおばちゃんたちは夕方の5時になると、定時で会社を退勤していましたが、僕のように早稲田大学探検部の活動の際に履くようなダサいズボン(チノパンのようなズボン)を履いて職場に通っていった僕に対して、厳しいことは言いやすかったようで、夜中まで残業をさせられていました。僕は、いいように社長さんにこき使われていました。
本当に仕事が忙しいときは、倉庫の近所の駅のそばのビジネスホテルに泊まり込んでいたし、とても、精神障害者がするような仕事ではありませんでした。
僕は、あまりの仕事のきつさのために、飯田橋のハローワークに行き、職場のことを相談しました。
「このままでは、潰れてしまいます」
と相談したところ、ハローワークの方が、職場に一度、見学に来てくださいました。
その後、
「あの職場は辞めた方が良い」とのアドバイスを受けて、
会社を退職しました。
朝日新聞が潜入取材していた家電量販店の職場よりよほど、職場環境が劣悪で、労働基準法に反するような過重労働を精神障害者にさせていた悪質な会社でした。
以上、「長時間労働に思う、江東区有明での商品管理のバイト」
ブログに載せます。
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