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2024年6月15日土曜日

「紫藤クリニック カウンセリング ミクロネシア・ヤップ島・農業のアルバイト」

「紫藤クリニック カウンセリング ミクロネシア・ヤップ島・農業のアルバイト」

  昨年、自分の部屋の大掃除をしていたら、僕が統合失調症と診断されてから、僕が通院し始めた紫藤クリニックでのカウンセリングの際の書類が見つかりました。

  僕が30歳の頃に書いていた文書です。

  書類には紫藤クリニックでのカウンセリングの際に、女性の心理士の先生にカウンセリングの際の参考になるように僕が書いた書類がありました。

  僕の書いた書類を女性の心理士の先生に読んでいただき、カウンセリングを受けたようです。

  かなり、恥ずかしいことも書かれていますが、心の病気の診療に参考になると思うのでブログに載せていきたいと思います。

  紫藤クリ二ックでのカウンセリングの際書類、その7、書類のタイトルは「大学時代(19才~22才)(サークル・バイト編)」というタイトルでした。

 以下のようなことが書かれていました。

 サークルは何か面白いことをしたいと思っていましたし、又、子供の頃、「十五少年漂流記」という小説が大好きで、小学校の時の卒業時の夢が探検家になることだったので、小さな夢でも叶えようと探検部というサークルに入りました。部室に行ってみると外国に行った先輩が多くいて、話を聞いていてすごいところだなと思いました。

 探検部の私たちの代は15人ぐらいいました。全員、男子でした。

 山での合宿や、川下りの練習など初めての体験も多く、かなりきついサークルでした。

  『初の海外体験、ミクロネシア・ヤップ島』

  とにかく自分から何かやらなければ取り残されるようなサークルだったので、1年の夏休みに4月から7月まで夜に焼肉屋でバイトをしたお金でミクロネシアのヤップ島というところに1ヶ月の予定で行くことになりました。

 一般教養で取っていた人類学の先生(板橋作美先生)に紹介状を書いてもらい、島の酋長さんの家にお金を払って住み込ませてもらい、フィールドワークもどきを行いました。

 しかし、言葉があまり通じず、きちんとした人類学的バックボーンも身に付けておらず、1ヶ月の滞在できちんとした報告書を書けるような活動は出来ませんでした。

 海のきれいな島でしたが、太平洋上のアメリカ軍の軍事的要衝の一つであって、アメリカ人が支配階層で島の人たちはコップレックスがあるのかアメリカ人は嫌いだという人たちが多くいました

 第二次大戦までは日本軍が占領した島ということで、日本人は嫌われているかなとも思い行きましたが、年輩の人は、「サクラサクラ」など覚えていて、外交辞令かもしれませんが、顔つきが似ていると言うことで、アメリカ人より日本人の方が好きだという人が多くいました。

 本を読んで調べてみると、若者の自殺が多いということで、こんなのんびりした島でなぜかなとも思いました。

 この時の単独行で学問的基礎の無さと一人で何かをやることに限界を感じ、以後、探検部の活動は一人で行うことはなくなりました。

 ヤップでの写真はこちら

 


  



 『長野、野辺山で農業のアルバイト』

  8月の下旬に帰国してからは、今度は長野の野辺山の農家でレタスやキャベツなどの高原野菜の収穫のアルバイトを始めることになりました。

 農業には、高校の頃から興味があり、屋根裏部屋に寝かされ、暑くてあまり眠れずかなりきつかったですが、1ヶ月バイトをしました。

  以上が、紫藤クリニックでのカウンセリングの際に女性の心理士の先生に読んでいただいた書類です。

 僕が早稲田大学に進み、早稲田大学探検部に入部したことが書かれています。

 ジュール・ヴェルヌの「十五少年漂流記」が大好きだったこと、小学校の頃の夢が探検家になることだったので、早稲田大学探検部に入部したことが書かれています。

 探検部に入部した動機としてはまともな動機だと思いました。

 早稲田大学探検部1年生の時にミクロネシアのヤップ島に行ったことも書かれています。

 現地でフィールドワークのようなことをして、報告書のようなものを書きたかったことが分かります。

 探検部1年生としては、真面目に探検しようとしていたことが分かりました。

 真面目に探検部の活動に取り組もうとしていたことが分かる文書だと思いました。 

以上、「紫藤クリニック カウンセリング  ミクロネシア・ヤップ島・農業のアルバイト」

 ブログに載せます。

 僕がミクロネシア、ヤップ島について書いているブログはこちらです

 「ヤップ島で出会ったデービスという若者へのインタビュー」

  「ヤップ島の子供たち」

 「ヤップ島の女たち」

 「ヤップでの生活 ある1日 漁」

   「ヤップ島で出会った清水正巳さんからの手紙」

   「ヤップ島で出会った清水正巳さんからの手紙 その2」

    「ヤップの歴史」

     「ヤップの戦後の状況」

     「ウルシー環礁に行ったことを思い出す」

    「ミクロネシアに行ったときのことを何か書いたらどうだと父に言われているが書くことがない」

   「ヤップ島で出会った、原発に反対していたおじさん」

  「ヤップ島滞在中の思い出、東大海洋研究所の船」 

    「焼肉の思い出」

   「ヤップ島ホームステイ」と「Top of the World

   

2023年5月25日木曜日

「ヤップ島で出会ったデービスという若者へのインタビュー」

 「ヤップ島で出会ったデービスという若者へのインタビュー」

  先日、部屋の掃除をしていたら、僕が早稲田大学探検部1年生の時に行ったミクロネシア、ヤップ島について書いた文書が見つかりました。

   文書では、ヤップ島で出会ったデービスという25才の若者へのインタビューのような内容が書かれている文書が見つかりました。

  ヤップ島で出会ったデービスという25才の若者へのインタビューのような文書には以下のようなことが書かれていました。

  デービス

 本名 David Chineg(25)

    1982年 ハイスクール卒業

    2年間 ポナペの大学で教育学専攻

    小学校の教師を志すが、教師過剰のため失業中

  Q:一般にヤップの若者は現状に満足しているか?

 A:ハッキリと一般化することは出来ない。

   私の意見は外国の影響のもと、伝統文化にしがみついている訳にはいかないだろう。

   (質問を理解できなかったらしい)

   QF.S.MFederated States of Micronesia ミクロネシア連邦)についてどう思うか?

 A15年後に完全にアメリカから独立するが、果たして本当に独立できるかは分からない。

   Q:アメリカなしでやっているか?

 A:それは分からない。しかし、独立することは素晴らしい

   Q:自然の恵みが多くあるのでは?

 A:自然資源を利用するのも、アメリカの援助が必要だ。

  Q:アメリカに行きたいか?

 A:イエス。勉強のため。

  Q:将来はやはり先生になりたいか?

 A:それしかないだろう。だが、好きなのは政治学だ。

   Q:ソ連は知っているか?

 A:知っているが、きらいだ。なぜなら、社会主義に民主主義は無いからだ。

   Q:革命という言葉は知っているか?

 A:知らない。

  Q:ヤップの伝統文化が消えていくことはどう思うか?

 A:外国の影響のもと、生活様式は変わっていく。

   おそらく近いうちに伝統文化は形骸化するであろう。

    もう一歩、進んだ見地から見ると、アメリカの一部となるのではないだろうか。

    例えば、1970年代には机も椅子も服も伝統的なものだった。

    しかし、現在、1987年では、村の中でも西洋風のものはかなり目に付くようになった。

    10年後にはとても多くの家で、そのような生活用品を使うようになるだろう。

 Q:今、一番何が欲しいか?

 A:腕時計。とにかく仕事が欲しい。

   以上のようなヤップ島で出会ったデービスという25才の若者へのインタビューのような内容の文書が見つかりました。

  僕がヤップ島に行ったのは、早稲田大学探検部1年生の時で、まだ20才にもなっていない19才の時でしたが、自分より年上の25才の若者へインタビューしていたようです。

  僕には吃音(どもり)がありますが、どうやってインタビューしたのかは僕も覚えていません。

  インタビューでは、アメリカ統治下のミクロネシア連邦のことについて質問していました。

  アメリカの統治下のもと、ヤップ島の伝統文化が消えてしまうのではないかという意のことも質問していました。

  「革命」という言葉は知っているか?という意のことも質問していました。

  19才の早稲田大学探検部1年生の質問としては、かなりしっかりしたことを質問していたと思いました。

  以上、「ヤップ島で出会ったデービスという若者へのインタビュー」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

  

   

2023年5月12日金曜日

「ヤップ島の子供たち」

 「ヤップ島の子供たち」

  先日、部屋の掃除をしていたら、僕が早稲田大学探検部1年生の時に行ったミクロネシア、ヤップ島での生活について書いた文書が見つかりました。

  文書では、ヤップ島の子供たちのことについて書いている文書が見つかりました。

 ヤップ島の子供たちのことを書いている文書には以下のようなことが書かれていました。 

 俺がヤップ島に行った時はちょうど夏休みだったので、子供たちは一日中家にいた。

 とにかく向こうの子供たちは、よく遊び元気である。

 俺のような奴のところにも近づいてきて、笑っては逃げていくのであった。

 みんな学校が大好きだと言っていた。

 どんな遊びがあるかと聞いてみると、バスケットボール、バレーボール、フットボール、野球と期待にそむく返事が返ってきた。

 彼らはアメリカ軍人にかなりあこがれているようだった。

 又、彼らはとてもよく家の仕事をする。

 親は子供に対しては厳しいようだった。

 (例 7才の少年が海(リーフ)で泳ぎ出してしまったとき、ボートから降ろして、そのまま先に行ってしまった。もう夕暮れであった。その後どうなったかは分からない)

  以上のような短い文書でしたが、ヤップ島の子供たちという文書がありました。

   ヤップ島の子供たちは元気でよく遊ぶことが書かれていました。

  以上、「ヤップ島の子供たち」

   ブログに載せます。

2023年5月7日日曜日

「ヤップ島の女たち」

 「ヤップ島の女たち」

  先日、部屋の掃除をしていたら、僕が早稲田大学探検部1年生の時に行ったミクロネシア、ヤップでの生活について書いた文書が見つかりました。

  文書では、ヤップ島の女性たちのことについて書いている文書が見つかりました。

 ヤップの女たちのことを書いている文書には以下のようなことが書かれていました。

ヤップの女たち

女たちは、ふだんは何をしているかというと、日本同様家事である

 家のそうじ、食事の用意、ハンドバックを編んだりしている。

 ヤップ島の女性の編んだハンドバックはこちら

 


 それが一段落すると、昼間でも昼寝をして、おしゃべりをしたりしている。

 何かたわいもないことで、笑っているようである。

 又、若い女は、恋にあこがれており、日本同様、いい男を探すことが一番の目的らしい。

 彼女たちは、外国人に対してシャイであり、あまり話をしたがらなかった。

 やはり、思春期というものは万国共通のものだろうか?

  以上のような短い文書でしたが、ヤップ島の女たちという文書がありました。

  万国共通で、思春期の若い女たちは、いい男を探すことが一番の目的らしいと僕が思っていることがこの文書を読むと分かります。

  以上、「ヤップ島の女たち」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

2023年5月5日金曜日

「ヤップでの生活 ある1日 漁」

 「ヤップでの生活 ある1日 漁」

  先日、部屋の掃除をしていたら、僕が早稲田大学探検部1年生の時に行ったミクロネシア、ヤップでの生活について書いた文書が見つかりました。

  文書では、ヤップ島での生活のある1日のことを書いてありました。

 漁に行ったことを書いている文書でした。

 ヤップでの生活 ある1日 漁

 朝7時半起床。タロイモとバナナとココナッツの朝食を摂る。

 9時にビットマップとともに漁に出かける。

 船は長さ34mくらいの船で日本製のエンジンをつけている。

 ゆっくりと20分ぐらい、進んだあと、深さ50㎝ぐらいのところで降りる。

 そこに網を100メートル以上にわたって仕掛ける。

 潮の満ち干きを利用して魚を捕るそうである。

 網をかけ終わったのが、だいたい1030分頃。

 とにかく、仕事をするのが遅い。

 これから何をするのかと思うと、網の長さが足りないところから魚が逃げないように、何度も往復している。

 人間が泳ぐことによって魚が近づかないそうである。

 俺は何もすることがないので、海に入り泳ぐ。

 12時頃、家から持ってきたパンを食べさせてもらう。

 陸から捕ってきたココナッツを飲む。

 潮がかなり干き始め、魚が少しかかり始めた。

 一匹、一匹、やすでさして、捕っている。

 魚は30㎝~50㎝ぐらいで、大して大きくない。

 太陽がSUN SUNと照りつけ、まことに暑い。

 午後3時頃、暑さに耐えきれずに陸に上がり、木陰で昼寝をする。

 彼らは、まだ飽きずに魚を捕っている。

 午後4時半頃、完全に潮が干き、網をとる。

 今日の魚の収穫は50匹程度だ。

 午後5時半頃、ピットマックの家へ帰り、今捕ってきた魚を油で揚げて食べる。

 なかなかうまい。

 その後、ドラム缶の水で体を洗い、寝床に入ったのが午後9時半頃である。

 蚊に攻め立てられ、眠れない。

 暑くて汗が出てきて、眠れない。

 とても地上の楽園とは思えない。

 以上のような文書がありました。

 ヤップ島での漁について行ったことを書いていたようです。

 日本から見ると、ミクロネシアなどの南洋諸島とかは地上の楽園のように言われることあるようですが、実際に現地に行った人間(僕)からすると、とにかく暑くて、蚊も多く出て、寝苦しい地だったようです。

 ヤップ島に関して書いていた文書が見つかったのでブログに載せます。

 以上、「ヤップでの生活 ある1日 漁」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年5月4日木曜日

「ヤップ島で出会った清水正巳さんからの手紙 その2」

  「ヤップ島で出会った清水正巳さんからの手紙 その2」

  先日、部屋の掃除をしていたら、僕が早稲田大学探検部1年生の時に行ったミクロネシア、ヤップ島で出会った清水正巳さんからの手紙が見つかりました。

  僕がカナダユーコン川川下りに行き、カナダから清水さんに絵葉書を出した際の返事に下さった手紙が見つかりました。

  清水水正巳さんとは世田谷区深沢に住んでいらした方です。

  清水正巳さんからの手紙には以下のようなことが書かれていました。

 上原君

 カナダからの絵葉書ありがとう。

 34日前には受け取りました。

 チベットに行ったきり、どうしていたかと心配していました。

 まあ、カナダの川下りを楽しんでいたのだから安心しました。

 私は、昨年、ヤップに行き、今年3月末にシンガポールとジョホールに行って来ました。

 この方はさっぱり成果なし。

 ただ、シンガポールは東洋では珍しく、多民族の国で驚きました。

 此処も、じっくりと良いガイドと一緒に歩いたら面白いと思います。

 720日から8日間、ミクロネシアのポナペ(ポンペイ)に行ってきました。

 日本のエージェントの人もポナペのことは良く知らない人ですし、一般の旅行者相手の知識くらいですので、事前の準備がゼロで行ったものですから見事に失敗しました。

 終わり頃に偶然のことから、日本にいて自動車の修理を習ったことのある青年と知り合い、(彼は兄貴と村で自動車の修理工場をしていた)、彼に案内してもらい、島を1周しました。

 これでポナペの概要はつかめました。

 エージェントのすすめてくれたホテル、ザヴィレッジ(米人経営)に泊まりました。

 ポナペはミクロネシアのキャピタルですが、長い間、外国人支配者の根拠地でもあったので、ホテルは何軒もあり、米人経営のコテージ風の立派なホテルにもあります。

 ザヴィレッジには殆ど日本人は泊まりません。

 主に米国人です。

 ポナペには日本人の経営するホテルもあります。(日本人は皆、此処に泊まる)

 私は、日本人と会うのが嫌だったので、ザヴィレッジに3泊。

 3泊はコロニアルのレインボーホテルに泊まりました。

 レインボーホテルは2流くらいで日本のビジネスホテル級、此処は米国人、中国人、マレー人など、多彩でした。日本人は私のみ。

 本で勉強した英語はさっぱり通用せず苦労しました。

 ポナペはヤップよりは文明度は進んでいました。

 それだけ貧富の差が大きく、これから問題が起きると思います。

 島の人口は23000人、島の表と裏では文明度に格段の差がありました。

 人口は表側に集中しており、裏側の人たちはなんらかの形でコロニアルと関係があるようです。

 表側は自動車が多くびっくりしました。

 コロニアルには流しのタクシーもあれば、タクシーは皆、無線でやっています。

 市内は1ドルくらい。

 ヤップのコロニアルとは大違いで、一応街並みの形はしています。

 それと驚くべきことに洋品店の多いことです。

 立派な店があります。

 ポナペはナマンドールがありますので、観光客も来ています。

 私は1日、村の中心人物(酋長ではない)の家で朝から夕方まで過ごし、彼らの生活ぶりを見てきました。

 彼はマヌエルと言い、教会の牧師も兼ねています。

 その村では上流の上の方ですので、一般の人の生活とは言えないようです。

 主食はパンの実です。

 朝は勤めに行く人以外は食べないようでした。

 昼食かどうか判らないが、昼中には焼きバナナ、油揚げバナナなどを食べていました。

 夜はパンの実と豚肉の石焼きでした。

 それとシヤカオ。シヤカオ(ビンロウジュのこと 上原註)は木の根を石でたたきつぶし、その汁を水で薄めて飲むもので、アルコール分はなし、にごったどろどろしたものです。

 決してうまいものではない。

 これには神経を麻痺させる作用があり、それを楽しんでいるようです。

 55歳以上の人は日本語を話しますが、話すと言うだけで、こみいったことは駄目。

 ヤップの老人の方が日本語は上手い。

 今回はそんな訳で、写真の方は失敗。

 こちらの欲しい写真は殆どありません。

 結局、ホテルの外人さんと一緒のツアーで踊りを見に行ったり、ナマンドールの巨石を見に行ったり、サンゴ礁を見に行ったりで終わってしまいました。

 来年はヤップの方に行きたいし、今度は20日間位休んでウルシーに行ってきたいと計画しています。

 ミクロネシア一本でとりついているとますます面白くなっていくようです。

 とにかく元気で何よりです。

 遊びに来て下さい。(土日で一泊で来ること)

 今年はヤップから九州の博覧会にピットマップやガチヤパルの人達が来ましたし、ガアヤンも8月の初めごろ来ていたようです。

 私の方には連絡が無く、会えませんでした。

 そんなわけで、君のチベットの話を聞きたいと思っています。

 ご両親によろしく。

 釈さんには会っていません。

 彼の事務所は大森の海岸通りの方のようです。

 殆ど、ホームステイの専門になってしまったようです。

 9月13日 清水正巳

 以上のような文面の手紙をいただきました。

 僕が早稲田大学探検部でミクロネシアヤップ島に行ってから、大学2年の時にチベットに行き、大学3年の時にカナダユーコン川川下りをしてカナダから清水さんに絵葉書を送った返事にいただいた手紙のようです。

 僕もこの手紙を下さった清水さんとは話が合い、何度も連絡を取り合い、世田谷区深沢にある清水さんの家で、いろいろと語り合いました。

 僕にとっては懐かしい思い出の手紙なのでブログに載せます。

 以上、「ヤップ島で出会った清水正巳さんからの手紙 その2」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

2023年5月3日水曜日

「ヤップ島で出会った清水正巳さんからの手紙」

 「ヤップ島で出会った清水正巳さんからの手紙」

  先日、部屋の掃除をしていたら、僕が早稲田大学探検部1年生の時に行ったミクロネシア、ヤップ島で出会った清水正巳さんからの手紙が見つかりました。

  僕が急性肝炎で東京厚生年金病院に入院したときに清水正巳さんが僕に送って下さった手紙が見つかりました。

 清水正巳さんとは世田谷区深沢に住んでいらした方です。

 清水正巳さんからの手紙には以下のようなことが書かれていました。

 上原君 

  君が病気だなんて信じられないよ。

 病気になってもおかしくない若者がうようよいるのに、君のように清潔な青年が病気になるなんて。

 神様も信じられなくなった。

 日本のこれからは大変な時代を迎えるので、君のような青年が必要なんだ。

 元気になってください。

 お見舞いに行きたいのだが、お母さんに病院を聞き損なってしまった。

 (それ程、お母さんは気落ちしておられるようだった)

 ヤップの話もしたいし、又、日本のことも話したい。

 早く元気になってほしい。

 ピットマップ氏が私に世田谷に住む大橋さんに渡してくれと頼まれたフィルムが1本あって、私のとついでに処理したら、あっと驚いた。

 君が一番目に出てきた。

 どのようないきさつのフィルムか判りませんが、踊りも出てきた。

一部、   同封しました。

 私は南部のギリマン地区、西部海岸、マップ島、タマウ氏、ガギルビットマブ氏、ガヤン氏を訪れています。

 ヤップの写真は200枚以上あります。

 11枚について君と語りたい。

 三日間、ガイドはギリさんでした。

 彼はアルコールの臭いはいけませんが、良いガイドでした。

 日本語も通り一辺ではなく、心情を話すことも出来ましたので、三日間でヤップの認識は深まりました。

 (1925日まで7日間、島にいました)

 もう一度行きたいのは、南部のギリマン地区、ファブ村長の村です。

 ここでは何人かの主婦と顔なじみになっています。

 とにかく早く元気になって下さい。 

 すべてはそれから。

 女嫁からは早く見舞いに行けと叱られています。

 大橋さんはまだ訪れていません。

 大橋さんに会っていませんが、お父さんが昔、ヤップ島の先生をしていて、大橋さんはヤップで生まれ育った人とのこと。

 君が元気なら、一緒に2人で訪問しようと思っていました。

 とにかく元気になってよ。

 何か必要な物があったら、電話してください。

 届けます。

  1015日 清水正巳

  上原和明様

  以上のような文面の手紙をいただきました。

  字が達筆でした。

   僕のことも褒めていてくれて、手紙を読み直していて、僕にもこんな時代があったんだなと思いました。

   僕がTwitterに載せているヤップ島の写真も全て、僕がミクロネシアヤップ島で出会った清水正巳さんが撮影された写真です。

  もう30年以上前のものですが、ミクロネシアヤップ島で出会った清水正巳さんからの手紙が見つかったので、手紙の文面をブログに載せます。

 以上、「ヤップ島で出会った清水正巳さんからの手紙」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月26日水曜日

「ヤップの歴史」

 「ヤップの歴史」

 先日、部屋の掃除をしていたら、「ヤップに関する書類」という箱が見つかりました。

  「ヤップに関する書類」という箱には、僕がミクロネシア、ヤップ島に関して書いていた書類、ヤップ島での写真などが入っていました。

  昨日は、「ヤップの戦後の状況」という書類をブログに載せましたが、今日は、「ヤップの歴史」という書類をブログに載せたいと思います。

   以下、僕が早稲田大学1年生の時に書いていた、「ヤップの歴史」という文章です。

  「ヤップの歴史」

 1.スペイン統治時代

  1526年にポルトガルにより発見される。その後、スペインの領土となり、カトリック教宣教師による布教活動が行われる。産業開発はなし。

 2.ドイツ統治時代

  1885年以来ドイツ海軍の進出。1898年米西戦争に乗じて、スペイからカロリン諸島買収。ドイツ領となる。農業。鉱山開発が盛んに行われる。住民不在の産業開発に終始。

 3.日本統治時代

 1914年、第一次世界大戦に乗じてドイツ領ミクロネシアを占領。日本では南洋諸島の名で呼ばれる。1920年、国際連盟から委任統治領として承認。皇民教育がしかれる。経済開発が盛んに行われる。

 4.アメリカ時代

 戦争(太平洋戦争=第二次世界大戦)末期にアメリカ軍が占領。その後、国連から信託統治領として認められる。多額の経済援助、平和部隊(ピースコープ)の送り込み。軍事戦力上の拠点として意義は重大。

 1986年、ミクロネシア連邦(Federated States of Micronesia)として独立。15年後にはアメリカの経済援助が途絶える。

  以上が僕が早稲田大学1年生の時に書いていた「ヤップの歴史」という書類です。

  以上、「ヤップの歴史」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月25日火曜日

「ヤップの戦後の状況」

 「ヤップの戦後の状況」

 先日、部屋の掃除をしていたら、「ヤップに関する書類」という箱が見つかりました。

 「ヤップに関する書類」という箱には、僕がミクロネシア、ヤップ島に関して書いていた書類、ヤップ島での写真などが入っていました。

  昨日は、「ヤップに行く経緯」という書類をブログに載せましたが、今日は、「ヤップの戦後の状況」という書類をブログに載せたいと思います。

  以下、僕が早稲田大学1年生の時に書いていた、「ヤップの戦後の状況」という文章です。

 「ヤップの戦後の状況」

  戦後、ヤップは太平洋戦争の勝者アメリカの占領下に置かれた。1947年には国連からアメリカの信託統治領として指定され、昨年まで名称は変わっても実質的には以前と同様に外国の統治のもとに置かれることになった。

 ところで、この耳慣れない信託統治との内容は次のように要約されている。「信託統治とは住民の政治的、経済的、社会的なおよび教育的な発達を促進し、住民の意志に応じて自治または独立の方向に漸進的に発展するよう指導する。この内容を戦後アメリカの政策に当てはめてみる。そして、戦後アメリカの政策とそれによるヤップの変化、また自身で見聞した事実をもとにヤップの政治・経済・社会の状況を考察していきたいと思っている。

  以上が僕が早稲田大学1年生の時に書いていた「ヤップの戦後の状況」という文章です。

  僕が太平洋戦争後のアメリカの政策に翻弄されるヤップの状況を現地におもむき調べたいと思っていた事が分かります。

  僕が早稲田大学1年生の時に書いていた「ヤップの戦後の状況」という文章をブログに載せます。

  以上、「ヤップの戦後の状況」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年2月4日火曜日

「ウルシー環礁に行ったことを思い出す」

「ウルシー環礁に行ったことを思い出す」

 僕は早稲田大学1年生の時に、一人でミクロネシアのヤップ島という島に赴きました。

 ヤップ島には1ヶ月くらい滞在しました。

 ヤップ島のウィキペディアはこちら→ヤップ島

 ヤップ島に行った際に、僕はウルシー環礁と言われる、島にも行きました。

 ウルシー環礁のウィキペディアはこちら→ウルシー環礁

 ウルシー環礁はとてもきれいで美しい場所で、地上の楽園のような場所でした。

 僕が今までに見た海の中でもウルシー環礁の海ほどきれいな海はありませんでした。

 夜中に寝ていると波音が聞こえてきて、独特の雰囲気のある場所で、僕の人生の中で行った場所の中でもっともきれいで美しい場所だったと思っています。

 心の病気が見ている風景と関係があることをを考えると、きれいで美しい風景を見ることが心の病気にとって大事なことが分かります。

 僕は一人でヤップ島にも行ったし、ウルシー環礁にも行ったし、早稲田大学探検部で隊を組んで行った、チベットとか、ユーコンとかとは違い、僕の実力で行ったのがウルシー環礁です。

 僕の実力で行ったウルシー環礁に行ったことを思い出して、自分の出来ることをしていこうと僕は思っています。

 以上「ウルシー環礁に行ったことを思い出す」

 ブログに載せます。




 

 

 

 

 

2019年5月8日水曜日

「ミクロネシアに行ったときのことを何か書いたらどうだと父に言われているが書くことがない」

「ミクロネシアに行ったときのことを何か書いたらどうだと父に言われているが書くことがない」

 先日、夕飯時に、父にミクロネシアに行ったときのことを何か書けば良いのではないかと言われました。

 僕はミクロネシアにも行ったことがあるので、父もそう言ったのだと思います。

 ただ、ミクロネシアに行った時のことで以前、ブログに書いたことの他に何か書くこともないというのが本当のところです。

 僕はミクロネシアには一人で行ったので日記のようなものを書いていました、大学1年生の頃にミクロネシアに行ったので文章も稚拙だし、今、ミクロネシアに行ったときの日記を読み返しても恥ずかしくなるような内容が書かれています。

 僕が大学1年生の時にミクロネシアに行っていて、父から何か書いたらどうだと言われているが、書くようなことがないことをブログに書いておきます。

 以上、「ミクロネシアに行ったときのことを何か書いたらどうだと父に言われているが書くことがない」

 ブログに載せます。




  


 

2017年8月10日木曜日

「ヤップ島で出会った、原発に反対していたおじさん」

「ヤップ島で出会った、原発に反対していたおじさん」

 僕は早稲田大学一年生の時に、ミクロネシアのヤップ島という島に行きました。

 ヤップ島には1か月間くらい滞在しました。

 ヤップ島で出会った方の中には、当時から原発に反対していた方もいらしました。

 世田谷区に住んでいらしたおじさんで、ヤップ島で出会った方の中では、手紙のやり取りもしていた方でした。

 家に遊びに行ったこともありました。

 家に遊びに行ってみると、当時から原発に反対していることが分かりました。

 原発に反対する、張り紙があったからです。

 僕は、ヤップ島に行った際に、他にも、広島県の三次市から来ている方にも出会い、その方から、

「もう、卒論は書けますね。」

とも言われました。

僕が大学一年生にも関わらず、一人で、ミクロネシアのヤップ島に1か月滞在したことから、ヤップ島で出会った方から、かなり期待されていたことも分かります。

 リュックサック一つで、ミクロネシアに一人で赴き、1か月、ヤップ島に滞在したことで、普通の大学生とは少し違う大学生に思えたのかもしれません。

 普通の大学生なら、夏休みは、池袋とか、新宿とか、渋谷で遊ぶ大学生もいるかと思いますが、僕は夏休みを利用して、ミクロネシアに行きました。

 ミクロネシアのヤップ島では、酋長さんの家に、お金を払って、泊まらせていただきました。

 ヤップ島では、それほど活発な活動はしませんでしたが、現地の方々と同じような生活を体験しました。

 日本に帰国してから、急性肝炎になっていて、入院しました。

 ヤップ島で生魚を食べて、免疫が無い僕はウィルスに感染し、急性肝炎(A型肝炎)に罹りました。

 肝炎の入院中には、早稲田大学探検部の322にあたる方もお見舞いに来てくださいました。

今でも、お見舞いに来てくださったことには感謝しています。

ミクロネシアのヤップ島に行く前は、「原発」に反対しているおじさんに出会うとは思っていませんでしたが、1980年代から「原発」に反対している方は僕の身近にいました。

大学一年生の時から、外国に行き、現地で「原発」に反対している方に出会うと、僕も大きな影響を受けていたと思います。

僕が、大学3年生の時に、青森県の六ヶ所村に行ったのも、「原発」のことに関心があり、六ケ所村に行きました。

大学1年生の時の経験が大きかったのだと思います。

僕は早稲田大学時代は、明確に「原発」には反対していませんでしたが、「原発」の問題には関心を持っていたことは確かです。

僕が大学1年生の時に、ミクロネシアのヤップ島に行き、現地で、「原発」に反対しているおじさんに出会っていたことについてブログを書いてみました。

以上、「ヤップ島で出会った、原発に反対していたおじさん」

ブログに載せます。









2017年7月5日水曜日

「ヤップ島滞在中の思い出、東大海洋研究所の船」

「ヤップ島滞在中の思い出、東大海洋研究所の船」

 僕が、早稲田大学探検部1年生の時に、ミクロネシアのヤップ島という島に1ケ月のホームステイに行きました。

 早稲田大学探検部で承認された活動ではなく、自分で考えて、早稲田大学探検部の活動としてではなく、自分の活動としてミクロネシアのヤップ島に行きました。

 僕がヤップ島に滞在している時に、ヤップ島に船がやって来ました。

 船は、東京大学海洋研究所の船でした。

 僕は船に入船させてもらいました。

 東大海洋研究所の方々と何を話したか覚えていませんが、僕はリュックサック一つ背負って、ミクロネシアのヤップ島にホームステイ、一方東大海洋研究所は、船舶を利用してのヤップ島来航だったようです。

 僕は、ヤップ島で東大海洋研究所の船と出会って、東京大学の傲慢さを少し感じました。

 来訪した地域の方々とも、現地の方々の生活に合わせて交流するわけでもなく、ただ、船を島につけて、ヤップ島周辺を調査しているようでした。

 アカデミックと呼ばれているところに、人間が介在していないと感じました。

 その後、僕は、新宿の戸山町の家賃28千円のアパートで独り暮らしをしていましたが、ノンフィクションライターの藤尾潔さんという方が、NHKの取材で、僕の住んでいたアパートを使わせてくれないかとの依頼があり、NHKの取材班の車が僕の住んでいたアパートにやって来ました。

 NHKの取材班は、僕のアパートの部屋での藤尾さんのインタビューを終えると、本来のアパートの住人の僕に、

 「わがよき友よ」みたいな生活をしていますね。

 と言ってから、取材班の車を出発させていきました。

その時に、僕の脳裏に浮かんだのが、ヤップ島で出会った、東大海洋研究所の船でした。

NHKの取材班の車と、ヤップ島で出会った、東大海洋研究所の船が僕の頭の中でダブりました。

早稲田大学探検部時代の活動の仕方と、東京大学海洋研究所の活動、NHKなどの取材の仕方が大きく異なると思いました。

リュックサック一つで、現地に赴き、泊まり込んで、現地の方々と同じような生活をしてみる早稲田大学探検部の活動の仕方と、東京大学海洋研究所のように、大きな船を島に着けて、現場には赴かずに、船の中で生活する活動する仕方では活動の仕方が異なると思いました。

どちらが良いのかは僕には分かりませんが、東大海洋研究所のやり方もNHKの取材の仕方も、人間が介在していないと思いました。

リュックサック一つで、人との交流を図る早稲田大学探検部の活動の仕方の方が、より、人間同士の交流が図れると思います。

 ヤップ島滞在中の東大海洋研究所とNHKの姿がダブって見えたのでブログを書いてみました。

以上、「ヤップ島滞在中の思い出、東大海洋研究所の船」

ブログに載せます。


















2016年1月16日土曜日

「焼肉の思い出」

「焼肉の思い出」

 僕は学生時時代に焼肉屋さんでアルバイトをしていました。

 千代田区麹町にある、結構、有名な焼肉屋さんでした。

 そこで、アルバイトをしていた方がおもしろい方が多く、明治大学出身で登山をしている方もいました。立教大学出身で、焼肉屋さんでアルバイトをして、イギリスのロンドンに音楽を学ぶための資金をためている方もいました。

 確か、夕方、4時から夜の10時までのアルバイトでしたが、皿洗いを中心に、楽しく仕事をさせていただきました。

 夕食も出て、クッパが多かったと思います。

 時にはカルビクッパも出ることもありました。

 僕は、当時は焼肉など自分でお金を出して食べるほど、お金が無かったので、焼肉屋さんで、美味しいお肉を食べられることは嬉しかったです。

 焼肉屋さんの厨房で働いている方も、顔は怖かったですが、優しい方が多かったです。

 皆さん、家族がいて、家族のために働いている方が多かったです。

 焼肉屋さんのアルバイトをして貯めたお金で、ミクロネシアのヤップ島という島に行きました。

 早稲田大学探検部では、自分から行動を起こさないと、何も出来ないサークルだったので、僕も、当時学部の一般教養で選択していた人類学の先生に紹介状を書いていただいて、ヤップ島に赴きました。

 焼肉屋さんで、働いたお金で、貴重なミクロネシアのヤップ島ホームステイが出来ました。

 その後、焼肉屋さんには、長野県の農家でアルバイトして頂いた、白菜をお礼に差し入れしました。

 焼肉屋さんには、ミクロネシアのヤップ島に行く資金を稼がせていただいたので、きちんとお礼をしました。

以上、「焼肉の思い出」

ブログに載せます。



 
 

2014年9月12日金曜日

「ヤップ島ホームステイ」と「Top of the World」

「ヤップ島ホームステイ」と「Top of the World

僕は早稲田大学在学中に早稲田大学の名門サーサクル「早稲田大学探検部」に所属していました。サークルに所属していた頃には、1年生の時に、アメリカ領、ミクロネシアのヤップ島にホームステイに1ヶ月、行きました。
普通の大学生なら、アメリカのニューヨークとか、サンフランシスコにホームステイに行くことはよくある事か思いますが、僕はミクロネシアのヤップ島にホームステイに行きました。
ヤップ島とは、グアム島の南にある小さな島で、そこでは結構、原始的な生活が行われてました。紙幣もありましたが、そもそも、市場経済があまり浸透していないので、紙幣はそんなに必要とされないのです。
ではどうやって生活しているかというと、畑でヤム芋を作ったり、海で、魚を採ったりして食物を得てます。
畑や海で得た食べ物を村人同士で、分け合います。

僕は日本の東京に住んでいて、食べるものは近所のスーパーなどで紙幣を介して、購入してます。
東京では完全な市場経済を基に日々の生活が営まれてます。
ですから、日本の東京で必要とされるスキルは、紙幣を如何に得るかの能力であり、紙幣を得られる人間ほど、能力があるとされます。

しかし、僕が大学1年生の時にホームステイに行ったミクロネシアのヤップ島では、紙幣を得る能力はあまり、重要ではありませんでした。
必要とされる生活のためのスキルは、タロ芋を栽培する能力だったり、海で魚を採る能力でした。

僕はまだ、大学生だったので、実社会で、紙幣を得るスキルは余りありませんでした。
ヤップ島にホームステイに行って、紙幣を得る能力で評価されない文化圏にホームステイに行ったことは僕にとってはとても貴重な経験でした。

しかし、大学を卒業してから20年以上経ってますが、現在でも相変わらず、紙幣を得る能力はあまり発達していません。

最近は、アメリカのIT企業グーグルの機能の優秀さに驚くばかりですが、アメリカでは紙幣を得る能力より、情報を収集・解析する能力の方が大事なスキルになってきているのでしょうか?

でも、海の向こうの人の向こうの人のストレスもすごいんじゃないのかなーと想像してます。

海の向こうの人たちは毎日毎日、パソコンやスマートフォンとのにらめっこのストレスを解消するためにロッキー山脈や、アラスカ、はたまた、カナダのアルバータ州の森の中の大自然で、気分転換しているのでしょうか?

僕は大学在学中にカナダ北西部とアラスカを流れるユーコン川に川下りに行きましたが、ユーコン川には、休暇をのんびりと楽しめない勤勉なドイツ人のパーティーも来てました。

川下り終了後、アメリカ人の車に乗せてもらい、アラスカの大自然を満喫出来ました。

その風景は僕にとってはカーペンターズの名曲「Top of the World」の世界でした。


アメリカのIT企業の方たちも、僕の想像では非常に勤勉な方たちだと思います。

アメリカのIT企業の方たちも、最終的には北米の雄大な大自然に回帰するのかなと勝手に想像してます。

GoogleとかAppleに勤めている人がいたら、カーペンターズの「Top of the World」を勧めたいと思ってます。

以上、「ヤップ島ホームステイ」と「Top of the World」

くだらない内容ですが、ブログに載せてみます。