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2017年5月15日月曜日

「豊洲の思い出」

「豊洲の思い出」

 僕は、医者から精神病と診断されてから、江東区の豊洲のビルで清掃のアルバイトをしていました。

 豊洲でのアルバイト先には、おもしろいおじさんがいました。

 僕が早稲田大学出身で、映画が好きだったと話していると、映画の話になり、自分で作った、世界の名作映画を紹介する冊子を僕にくれました。

 今でも、部屋にありますが、世界の名画を紹介している冊子で、読み応えのある冊子です。

 そうじのおじさんは、若い頃、フォントの会社に勤務されていたそうで、文化的なことに関心のある方だったのだと思います。

 僕の豊洲の思い出は、アルバイト先の清掃の職場での、おもしろいおじさんとの出会いでした。

 大学も東京六大学と言われている大学(法政大学)を出ていて、高校も都立高校(都立小山台高校出身で、僕と境遇が似ていました。

 同じような道を歩いてきた方とは、偶然でも巡り合うものだと思いました。

 話をしていても、高校の頃の部活動の練習の思い出とかになりました。

 映画が好きなことも僕と似ていたし、話をしていても、全く違和感がありませんでした。

 清掃の仕事はきちんとこなすし、仕事もきちんと出来て、趣味も合ったので、話も合いました。

 急に豊洲でのアルバイト先でのおもしろいおじさんとのことを思い出したのでブログを書いてみました。

 以上、「豊洲の思い出」

ブログに載せます。



2017年3月29日水曜日

「DIS(Daily Information Service デイリーインフォメーションサービス)時代」

DISDaily Information Service デイリーインフォメーションサービス)時代」

 僕は、神田川生活(一人暮らし)をしていた頃、麹町にある会社に勤務していました。

 ビルのメインテナンスの会社(ビルの清掃をしたり、保守管理をする会社です)に勤務していました。

 僕は勤務していた会社で、コンピュータと向き合って、DISDaily Information Service)というものを作っていました。

 毎朝、朝の7時前に会社に出社して、コンピュータからデータベースにアクセスして新聞記事を収集して、切り貼りして、A44枚の形にまとめて、会社内に配っていました。

 僕が配っていた、A4枚の名前は、DISDaily Information Serviceというものでした。

日本語に訳すと、「毎日の情報の提供」とでも訳すのでしょうか?

DISを作っていた経験から、僕は、新聞記事データベースにおける、情報の取得の仕方について覚えました。

DISDaily Information Service)というくらいですから、情報の塊です。

会社に役に立つような情報を集めて、A44枚にまとめていました。

DISDaily Information Service)を作っていた経験から、新聞記事を始めとする、データベースなどの情報収集のスキルを得ました。

月曜日から土曜日まで、週6で、麹町の会社に通い、コンピュータによるデータベースの検索の仕事をしていました。

日本テレビの前にある会社で、朝は、タレントさんとかが、日本テレビの前を歩いていることもありました。

僕の勤務していた会社は、日本テレビとは対照的にビル清掃の会社で地味な会社でしたが、僕は週6で通っていました。

DISDaily Information Service)の作成の仕事は計7年か8年くらいしていたと思います。

7年間か8年間、ほぼ、休まずに、日曜日以外は、麹町の会社に通ってDISDaily Information Service)を作っていました。

DISDaily Information Service)を作っていた経験から、僕もTwitterから様々な情報を流すことが出来ているのだと思います。

その甲斐もあり、僕の開設しているTwitterにも2000人以上のフォロワーさんがいらします。

地味な仕事をしていても、地味な仕事のスキルを生かせば、これだけ多くのフォロワーさんがついて下さります。

テレビとかの派手な業界で仕事をしなくても、地味な仕事をしていても、仕事のスキルは身に付きます。

多くの方々は、目立つマスコミ業界とかに進み、スポーツ選手とか、芸能人とかタレントさんに会ってみたいとかの動機でマスコミ業界に進む方もいるかと思います。

地味な仕事をしている方々は、地味な会社で、スポーツ選手とも会わずに、芸能人とも会わずに、タレントさんとも会わずに、地味な仕事を地道にしています。

しかしながら、僕のような毎日、毎日、コンピュータと向き合う地味な仕事を長くしていても、これだけ開設しているTwitterにフォロワーさんがついてくださるので、地味な仕事についている方々も、あきらめずに、地味な仕事をこつこつとこなしていかれれば良いと内心思っています。

以上、「DISDaily Information Service デイリーインフォメーションサービス)時代」

ブログに載せます。























2017年3月9日木曜日

「ヤマト運輸の宅急便の仕分け業務の辛さ」

「ヤマト運輸の宅急便の仕分け業務の辛さ」

 先日、ニュースを見ていたら、宅配便大手のヤマト運輸がAmazonの配送物を扱い過ぎて、現場が疲弊しているとの記事がありました。

アマゾン宅配急増、ヤマトに集中 「今の荷物量、無理」


という記事です。

 この記事を読んでみて、僕が昔、一人暮らしをしていた頃に、ヤマト運輸の宅急便の仕分け業務のアルバイトをしていた頃のことを思い出しました。

確か、大田区だったと思いますが、ヤマト運輸の宅急便の仕分けのセンターがありました。

夕方4時頃から夜の10時頃までの仕事を僕はしていました。

大きな、宅急便の仕分けのセンターに入り、タイムカードを切って、出勤の記録をつけます。

その後、コンベアーでの仕分けの業務に入ります。

トラックから降ろされた荷物が、ベルトコンベアーに次々に流されてきます。

「流し」という仕事があり、荷物をコンベアーに流していく仕事でした。

「流し」の仕事に入ると、とてもきつく、コンベアに荷物を次から次に載せていかないといけないので、流しの仕事はとてもきつかったです。

仕分けの仕事は、コンベアに流れてきた、荷物を、荷札によって仕分けして、カゴに入れていく仕事でした。

(荷札に、配送先が書いてあるので、配送先によって荷物を仕分けしていきます)

カゴというのは、四角いコンテナのような、鉄で出来たカゴで、カゴに、仕分けした荷物を、工夫して入れていきます。

上手くカゴに入れないと、荷崩れするので、上手く荷崩れしないようにパズルのように荷物を入れていくコツが必要な仕事でした。

この「流し」と「仕分け」の仕事が、ヤマト運輸での、僕の宅急便の仕分けのアルバイトでの仕事でしたが、正直言ってきつい仕事でした。

黙々と、ひたすら、荷物を流したり、荷物を仕分けしたりします。

体格の良い若い男がやるような仕事で、もやしっ子のような男には務まらない仕事です。

アルバイトの給料が支給されると、アルバイト仲間で、焼肉を食べに行ったりして、スタミナ補給している人もいました。

僕は休憩時間に、自宅から持参した水筒に入れたお茶を飲んでいましたが、職場の人から、

「酒を飲んでいるのか?」

と言われていました。

夜の10時頃に仕事が終わり、退勤のタイムカードを切り、確か大田区の蒲田だったと思いますが、駅から京浜東北線に乗り、品川まで出て、品川から山手線に乗り、高田馬場で降りて、戸山町にあるアパートに帰宅していたと思います。

ヘトヘトになって働いていたのを覚えています。

現在のヤマト運輸のことは分かりませんが、現場の仕事のきつさは変わっていないと思います。

Amazonの配送物を扱い過ぎて、現場が疲弊しているというのは本当だと思いました。

ネット通販の普及で、配送物が増えて、物流、運輸などの仕事が大変になっているのだと思います。

現場の疲弊で、ドライバーさんも少なく、宅配便関連の業務も本当に大変だと思います。

Amazonの配送物を扱い過ぎて、現場が疲弊しているというのは、困ったものだと思います。

先日のニュースを見ていたら、ヤマト運輸がAmazonの配送物を扱い過ぎて、現場が疲弊しているという記事があったので、僕のヤマト運輸でのアルバイトの経験の話をブログに書いてみました。

以上、「ヤマト運輸の宅急便の仕分け業務の辛さ」

ブログに載せます。



















2014年11月23日日曜日

「江東区 有明でのアルバイトと東京オリンピック」

「江東区 有明でのアルバイトと東京オリンピック」

僕は、30代前半の頃、東京都江東区の有明の倉庫街で働いていました。

有明コロシアムの近所で、当時から東京にオリンピックを誘致することは話題になっていて、僕が働いていた周辺も、選手村が建設される予定地の一つになっていました。

2020年に予定されいている東京オリンピックは、東日本大震災からの復興の証として、又、平和の祭典として多大な経済効果と希望をもたらすものだと思います。

地方から、東京に出てきて、オリンピック特需を狙って、働きに来る人も多くいると思います。

東京湾岸沿いには、様々なオリンピック用の施設が建設されるようです。

当時、江東区有明の倉庫街で働いていた頃の様子。

仕事の忙しいときは夜中の1時半まで、残業し、電車も無く、ビジネスホテルに泊まり、次の日朝の8時からまた働いていました。

東京オリンピックの選手村を建設する予定地の近所ということで、開発が盛んで、朝から晩まで働いていました。

2020年の開催まで、オリンピック関連施設の建設ラッシュが続くと思います。

オリンピック関連産業に就く人は、僕のような労働経験をする人が増えると思います。

以上、「江東区 有明でのアルバイトと東京オリンピック」 

くだらない内容ですが、ブログに載せます。




















2014年11月22日土曜日

「神田川生活時代の書店のアルバイトと「五体不満足」」

「神田川生活時代の書店のアルバイトと「五体不満足」」

書店のアルバイトと「五体不満足」
先日もブログに書きましたが、僕は、20代後半の頃、新宿区の明治通り沿いの街の書店で書店員として、働いていました。
通りの向かいには、戸山の東京都心身障害者福祉センターがあり、センターから僕の働いている書店に本を読みに来る人も沢山いました。
もう15年以上前の話ですが、1998年に、空前のベストセラーになった「五体不満足」の著者、乙武洋匡さんも東京都心身障害者福祉センターに出入りしていて、僕も著者の乙武洋匡さんを取材するテレビ局のカメラクルーを目撃したことがありました。

書店でも、「五体不満足」は一番目立つ棚に平積みにされていて、あっという間に売り切れになっていました。

書店で働く、一書店員からしても、「五体不満足」は良く売れる本で、ありがたい本でした。

テレビでも取材されて、書店でも本が売り切れになって、本当にすごい人だなと素直に思いました。

残念ながら、僕は乙武洋匡さんの「五体不満足」は読んでいませんが、本を出して以来、メディアで活躍する姿には正直、驚きます。

以上、書店のアルバイトと「乙武洋匡さんの五体不満足」

くだらない内容ですがブログ載せます。
















2014年11月18日火曜日

「神田川生活時代の書店のアルバイトと障害者が住みやすい街作り」

「神田川生活時代の書店のアルバイトと障害者が住みやすい街作り」

 僕は、20代後半の頃、新宿区の明治通り沿いの街の書店で働いていました。
通りの向かいには、戸山の東京都心身障害者福祉センターがあり、センターから僕の働いている書店に本を読みに来る人も沢山いました。
車椅子で買い物に来るお客さんもいました。
障害を持っている人でも、興味を持つ本は健常者とほとんど変わりませんでした。
若い男子障害者なら、エロティックなグラビアの載っている本に興味を持つ人もいます。
そのあたりは、健常者と何ら変わりはありませんでした。
以前もブログに書きましたが、純文学系の小説などはあまり売れませんでした。
コミックなどは、子供たちが書店の中で立ち読みをするので、ビニールをかけて立ち読みできないようにしていました。
そもそも、書店はかなり自由な空間で、お年寄りから、障害者、子供たちまで、気軽に入れる空間でした。僕は最近、近所を散歩していて、気軽に入れる空間があまりありません。
公立図書館などは、気軽に入れますが、ガランとしています。

コンビニに行くと、昼時など、超満員ですが何か、買い物をしなくてはなりません。
カフェに行くと、お客さんが沢山いますが、200円~300円くらい払って飲み物を注文しなくてなりません。
カフェではパソコン、スマホ、携帯などを見ているお客さんが多いです。
お年寄りも、カフェでのんびりと読書している人もいます。
車椅子に乗った人も入ってきます。

街の小さな書店のような役割を担う空間として、カフェなどは重宝されると思います。

介護の仕事をしている人がカフェで、書類の仕事をしている光景も良く目にします。
オフィスより、カフェの方が仕事をするには自由な空間なのかもしれません。

今朝の朝日新聞に、「街の書店が消える」という記事がありましたが、非常に甘い記事でした。

僕は15年以上前に街の小さな書店で働いていましたが、当時からPOSレジは導入されていたし、TSUTAYAやブックオフの進出は、街の書店の脅威になっていました。

取次の日販やトーハンがなければ街の書店は生きていけませんでした。

街の中に書店のような、お年寄りから、障害者、子供まで気軽に入れる空間がないと息苦しいと思うのは東京などの経済中心の大都市で生活する人なら普通に感じることだと思います。

近所のコンビニなどに行くと、予想以上に愛想の良い店員さんとかいます。

安いカフェに行っても、カウンターの店員さんとか、愛想がいいです。

障害者が住みやすい街作りの一つに、年齢、性別、障害の有無に関わらず、誰でも気軽に出入りできる空間があることが大事なのかなと思います。


以上、「書店のアルバイトと障害者が住みやすい街作り

くだらない内容ですが、ブログに載せます。









2014年10月4日土曜日

コープ(生協)でのアルバイト

「コープ(生協)でのアルバイト」

昨日、近所を散歩していたら、コープのトラックに出くわしました。
荷台で作業をしているCO-PEの方が、一所懸命働いていました。
CO-PEの荷台には「つながろうCO-OPアクション 東日本大震災復興支援」のロゴがありました。
このロゴを見て、昔、CO-OPで働いていたことを思い出しました。
品川区の京浜島の倉庫街で、CO-OPの冷凍食品の倉庫で、品出しの作業を行っていたことを思い出しました。
品川まで出て、京浜急行に乗り換え、青物横丁で下車、送迎バスで、京浜島にあるCO-OPの倉庫まで出勤します。
職場には、中国の青島から稼ぎに来ている人も沢山いて、一緒に仲良く働いてました。
冷凍倉庫での品出しの仕事は氷点下の冷凍庫の中で仕事をするので、体の調子が悪くなりますが、時給が当時としては、1,100円と良かったので、品川区の京浜島まで、働きに行ってました。
倉庫街の風景は東京都とは思えない風景で、地道に働くのが好きな僕にとっては働きやすい職場でした。
職場には、様々な人種の人が働いていましたが、給料をもらうという共通の目的で働いていたので、氷点下でのきつい冷凍倉庫での仕事もダジャレを言いながら、なんとかやってました。
毎朝、氷点下の冷凍庫の中で、防寒着を着用して、冷凍食品のピッキング作業がありました。ピッキング作業は反射神経が大事で、モニターに表示された冷凍食品を、ピッキングして、発泡スチロールの箱に詰めていきます。
東京の各家庭に、僕らがピッキングした冷凍食品が配達されてました。
昨日、偶然、CO-OPのトラックを見かけ、「つながろうCO-PEアクション」 東日本大震災復興支援のロゴマークを付けていたので、急に昔、CO-PEで働いていたことを思い出しました。
でも、もう、年齢も年齢なので、冷凍倉庫の中での仕事は出来ないと思います。

以上、「コープ(生協)でのアルバイト」

くだらない内容ですが、ブログに載せます。