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2024年6月17日月曜日

「天下水より柔弱なるは莫し」

 天下水より柔弱なるは莫し」

僕が心に留めている言葉があります。

中国の古代の哲学者、老子の言葉。

「天下水より柔弱なるは莫し」

という言葉です。

この言葉は、僕が浪人時代に受験勉強の合間に読んでいた、「老子」という書物に出てきた言葉です。

 僕は高校時代に大学受験に失敗して、新聞配達をしながらの浪人生活を送ることになりました。

浪人時代に、ある書物に出会います。

 「老子」です。

浪人時代に、受験勉強の合間に「老子」を良く読んでいました。

 「老子」に出てくる一節に、

 「天下水より柔弱なるは莫し」

が、あります。

 意味のわかならない方は、ネットでも図書館でも良いから、この一節の意味を調べていただきたいと思います。

 僕が浪人時代に心に留めた言葉がこの老子の一節です。

「天下水より柔弱なるは莫し」

(水は低きに流れる。)

「国中の汚濁を自分の身にひきうける、それを国家の君主という。国中の災厄を自分の身にひきうける、それを天下の王者という」

現代の政(まつりごと)を司る方々も、肝に銘じておいた良い言葉だと思います。

この言葉で、僕がどれだけ救われたか分かりません。

以上、「天下水より柔弱なるは莫し」

ブログに載せます。

 

 

2024年3月28日木曜日

「浪人時代に小石川高校バスケットボール部の顧問の先生だった高橋清士先生からいただいた絵葉書」

 「浪人時代に小石川高校バスケットボール部の顧問の先生だった高橋清士先生からいただいた絵葉書」

  先日、部屋の掃除をしていたら、僕の浪人時代に小石川高校バスケットボール部の顧問の先生だった高橋清士先生からいただいた絵葉書が見つかりました。

   絵葉書の文面は以下のようなものでした。

  東京都中央区人形町227 東京新聞営業所 上原和明様

  前略

  元気で頑張っている事と思います。

 上原君のことだから日々、全力で努力致している事でしょう。

 今、猪苗代でバスケの合宿中です。

 現役の選手時代を想い出すことでしょう。

 体に気を付けて目的に向かって頑張って下さい。

  小石川高校バスケットボール部顧問  高橋清士

   


  以上のような文面の絵葉書を、僕が大学受験に失敗して、中央区人形町の東京新聞専売所で新聞配達をしながら受験勉強をしていた時に小石川高校バスケットボール部の顧問の先生だった高橋清士先生からいただきました。

  小石川高校バスケットボール部の顧問の先生だった高橋清士先生も早稲田大学出身の先生でした。

  浪人時代は、本当に苦しい時代で、新聞配達をしながら受験勉強をして、新聞配達をしながら、全力を尽くして受験勉強をしていました。

  その甲斐もあり、僕の目的であった早稲田大学に進むことが実現して、早稲田大学法学部に合格しました。

  新聞配達をしているときは、高校時代のバスケットボール部の練習を想い出しながら、朝刊の配達は朝練、夕刊の配達は午後練のような気持ちで、新聞配達をしていました。

  本当に浪人時代は全力で努力して受験勉強をしていました。

  今から思い返しても、自分でもよく頑張って勉強をしていたと思います。

  この絵葉書を読み返して、僕も浪人時代を想い出して何か全力で取り組めるようなことを探そうと思いました。

  先日、 先日、部屋の掃除をしていたら、僕の浪人時代に小石川高校バスケットボール部の顧問の先生だった高橋清士先生からいただいた絵葉書が見つかったので急に浪人時代が懐かしくしなったので絵葉書の文面をブログに載せます。

  以上、「浪人時代に小石川高校バスケットボール部の顧問の先生だった高橋清士先生からいただいた絵葉書」

  ブログに載せます。


2021年10月23日土曜日

「浪人時代には隅田川を見ていた」

 「浪人時代には隅田川を見ていた」

  僕の人生には川が良く登場します。

  僕は子どもの頃は神田川の畔のアパートに住んでいました。神田川の流れを見ながら育ちました。

  僕は浪人時代には、中央区の浜町のアパートに住んで受験勉強をしていましたが、僕の住んでいたアパートから浜町公園という公園まですぐで、良く受験勉強の合間に浜町公園に行って隅田川を見ていました。

  川の水の流れを見ているととても落ち着き、僕の人生も川の流れのようなものだろうなと思っていました。

  川の流れのように、時間が過ぎていくのだろうなと思っていました。

  僕ももうすでに53歳で、今年の11月で54歳になります。

  川の流れのように、止まることなく時間は過ぎていき、僕も齢を重ねています。

  川の水の流れのように、絶え間なく時間は過ぎていき、僕も今年で54歳になります。

  川の水の流れは止めることは出来ないように、僕の人生の時間も止めることは出来ずに、月日は経っていきます。

  僕の人生も川の流れのようなものだと僕は思っています。

  僕が浪人時代に隅田川を見ていて、僕の人生も川の流れのようなものだと僕が思っていることをブログに書いておきます。

  以上、「浪人時代には隅田川を見ていた」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年1月30日木曜日

「本郷の塾に通っていた頃の事を思い出す」

「本郷の塾に通っていた頃の事を思い出す」

 僕は中学生の時と浪人中に本郷にある塾に通っていました。

 塾の先生は早稲田大学教育学部出身の先生で、その先生の下で勉強を教わり、僕もどんどん学校の成績が良くなり、早稲田大学法学部にも合格することが出来ました。

 塾は本郷にあり、東大文化圏にある塾で、塾の先生が早稲田大学出身だからと言って、早稲田、早稲田していない塾で、東大出身の作家の話とかよく出る塾でした。

 僕も本郷の塾に通っていた頃に、僕の精神的基盤が出来たと思っています。

 塾に通い、早稲田大学法学部に合格し早稲田大学に通い早稲田大学の講義も受けましたが、早稲田大学の講義はつまらなくて退屈な講義が多かったです。

 本郷の塾に通っていた頃の方が、僕の知的好奇心を刺激する話が多くあったし、おもしろかったです。

 早稲田大学とはスポーツが好きな人間がいる大学で、大学で真面目に勉強すると言うより、箱根駅伝で早稲田大学が何位だったとか、ラグビーで早稲田大学はどうだったとか、野球で早稲田大学がどうだったとか、スポーツの好きな人間が多くいる大学です。

 早稲田大学で真面目に勉強するというより、いかに大学生活をエンジョイするかという大学だったと思います。

 僕は早稲田大学に通っていた頃より、本郷の塾に通っていた頃の方が真面目に勉強していたし、多くのことを学びました。

 本郷の塾に通っていた頃のことを思い出して、僕も真面目に何か勉強しようと思っています。

 以上、「本郷の塾に通っていた頃の事を思い出す」

 ブログに載せます。




 

 
 



 

2019年9月8日日曜日

「自己流でも文章を書ける」

「自己流でも文章を書ける」

 僕は誰かから文章について教わったことがありません。

 僕の文章は自己流です。

 世には誰かに師事して文章を学んだりする人も多くいるようですが、僕の文章は自己流です。

 若い頃に本を読んでいたことなどから文章が書けるのだと思いますが、僕は誰かに文章を教わったこともありません。

 僕は自己流でも文章を書けると思っています。

 僕は中学生の頃から塾に通い、成績もどんどん良くなり、学区内で一番勉強の出来る都立高校に進みました。

 浪人時代も中学校の頃に通っていた塾に通わせていただき、早稲田大学に進むことが出来ました。

 僕の勉強の恩師はおそらく、中学時代、浪人時代に通っていた塾の先生だと思います。

 ただ、僕は塾の先生に文章の書き方を教わりませんでした。

 僕の通っていた塾の先生がいなかったら僕も早稲田大学まで行けなかったと思いますが、塾の先生には文章の書き方は教わりませんでした。

 僕は自己流でも文章は書けると思っています。

 特別に誰かに師事しなくても僕は、文章は書けると思っています。

 僕の文章が自己流の文章で、僕が自己流でも文章を書けると思っていることをブログに書いておきます。

 以上、「自己流でも文章を書ける」

ブログに載せます。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年7月30日火曜日

「浪人時代は夏でも図書館で本を読んで勉強していたので本当に頑張っていたと思う」

「浪人時代は夏でも図書館で本を読んで勉強していたので本当に頑張っていたと思う」

 僕は浪人時代に、夏でも図書館に行き本を読んで勉強していました。

 夏でも図書館で本を読んで勉強していました。

 今では、図書館に行っても閲覧室で本を読んで勉強する気持ちになりません。

 図書館に行っても、新聞とか雑誌とか読んで気晴らしをしていて、真面目に図書館で本を読んで勉強しようと気持ちになりません。

 僕の受験勉強の方法は、「世界の歴史」を読むという勉強方法だったので、夏でも図書館で本を読んでいました。

 本当に浪人時代は頑張って勉強をしていたと思います。

 今では浪人時代のように勉強は出来ないと思っています。

 僕が浪人時代に夏でも図書館に行き本を読んで頑張って勉強をしていたが今では昔のように勉強できないことをブログに書いておきます。

 以上、「浪人時代は夏でも図書館で本を読んで勉強していたので本当に頑張っていたと思う」

 ブログに載せます。



 

 

 

 

 

 

 

 

2019年7月6日土曜日

「馬喰町(ばくろちょう)の思い出」

「馬喰町(ばくろちょう)の思い出」

 何度かブログに書いていますが、僕は早稲田大学受験のための浪人時代に中央区の人形町の東京新聞の専売所で新聞配達をしながら、受験勉強をしていました。

 僕が住んでいたのは、中央区の浜町という町でしたが、自転車があったので、良く中央区をサイクリングしていました。

 馬喰町という町に、服屋さんがあったので、服を見に良く馬喰町に行っていました。

 馬喰町というくらいですから、なにかを暴露するようなことも想起させます。

 僕にも、暴露するようなことはいろいろとあったのだと思いますが、当時はネットもなく、ブログとかもなかったので、自分の中で暴露したいことを書くことはありませんでした。

 ただ、馬喰町に行くと、「暴露」という言葉が良く思い浮かんでいたので、当時から僕には、ジャーナリステックな傾向があったのだと思います。

 真実、事実を調べて、「暴露」する。

 そのようなことを当時からしたかったのだと思います。

 早稲田大学に進んだのも、早稲田大学出身の方々が、ジャーナリズムの世界で多くの方々が活躍されていたので、僕も早稲田大学に進学したかったのだと思います。

 「暴露」という言葉は、良い意味ばかりでは使われませんが、「真実」「事実」を詳しく調べて、一冊の本にまとめるとかの作業も、「暴露」行為になると思います。

 何かを調べる作業をしたくて早稲田大学に僕も進んだのだと思います。

 調べた結果、出来た本が、「暴露」行為になるのかもしれませんが、市民に真実、事実を公開することは、ジャーナリストの責務だと思います。

 中央区に住んで受験勉をして時には馬喰町にもサイクリングに行き、「暴露」的な要素を持ったジャーナリスティックな早稲田大学に進めて良かったと思っています。

強引ですが、ブログを書いてみました。

以上、「馬喰町(ばくろちょう)の思い出」

ブログに載せます。





2017年5月11日木曜日

「春日での飲みでの何新聞を配達していたのかの質問」

「春日での飲みでの何新聞を配達していたのかの質問」

 僕は3年くらい前に、早稲田大学時代に在籍していたサークル早稲田大学探検部の同期の人間、倉島孝行と文京区の春日で飲みました。

 早稲田大学探検部の同期の人間、倉島孝行は、僕に、

「お前、浪人時代に何新聞を配達していたのか?」

と尋ねてきます。

僕は、大学受験の浪人時代は、東京新聞を配達していたので、

「東京新聞を配達していた」

と答えました。

 僕は、日刊アルバイトニュースで、東京新聞専売所での住み込みのアルバイトを募集していた広告を見て、東京新聞を配達することになりました。

 特別に、東京新聞を支持していて配達していたわけではありません。

 まだ、10代だったので、新聞社の論調も良く分からなかったし、東京新聞を特別に支持していたわけではありません。

 ただ、東京新聞を配達しながら東京新聞から奨学金も貰えて、受験勉強を出来ると思ったので、東京新聞を配達していました。

 新聞配達をしながら東京新聞を読んだりしていましたが、僕は特別に東京新聞を支持していませんでした。

 多くの方が、大学とかに行きたくて、アルバイトをすると思います。

 僕は特別、東京新聞を支持していて、東京新聞の専売所で働いていたわけではありません。

 大学に行くための勉強をする時間もお金も確保できるアルバイトとして、東京新聞での新聞配達のアルバイトをしていました。

 東京新聞も、ヒモ付きの支援をするような会社ではないと思うので、僕は現在では東京新聞に義理も感じていません。

 東京新聞専売所に住み込みで働いている時には、同じ専売所の人間にお金を騙し取られたし、あまり良い思い出が東京新聞配達中にありません。

 早稲田大学探検部の同期の人間、倉島孝行と僕の住んでいる文京区の春日で飲んだ時に、盛んに、

「何新聞を配っていたか?」

と質問されたので、僕が、                                                          

「東京新聞」を配っていたこと、「東京新聞」を特別支持していて「東京新聞」を配達していたわけではないこと、「東京新聞」の新聞配達のアルバイト時代にあまり良い思い出がなかったことについてもブログを書いてみました。

以上、「春日での飲みでの何新聞を配達していたのかの質問」

ブログに載せます。










2017年1月13日金曜日

「大学受験の浪人時代の新聞配達をしていた時に読んでいた新聞」

「大学受験の浪人時代の新聞配達をしていた時に読んでいた新聞」

 僕は浪人時代に東京新聞の専売所に住み込んで、新聞配達をしながら受験勉強をしていました。

 新聞配達では主に東京新聞を配達していました。

 新聞配達中も、配っている新聞を読めるので、新聞を読むことも勉強になると思い、新聞を読んでいました。

 マンションのエレベターに乗った際などに新聞の活字を読んでいました。

 僕が新聞配達中に読んでいた新聞は、東京中日スポーツです。

 東京新聞も配達していましたが、東京新聞を配達中に読むと、難しいことを考え始めてしまうので、新聞配達中は東京新聞はあまり読みませんでした。

 新聞配達も、ジョギングとかランニングとかと同じように、スポーツ的な要素もあります。

 今日は昨日より、配達するのに時間が短縮出来たとか、配達時間の更新が出来たとか考えながら新聞配達をしていると、新聞配達も楽しくなります。

新聞配達中に難しいことを考え始めると、誤配とか、配達忘れとかも起きます。

誤配とか配達忘れが起きると、専売所に迷惑をかけることになります。

新聞配達中も難しいことを考えて、何とか、自分の考えている難しいことの答えを導き出そうとか考えていると、新聞配達業務に支障をきたします。

何か難しいことの答えを導き出したいなら、図書館とか部屋とかに閉じこもって、難しいことの答えを探していた方が良いと思います。

僕は新聞配達中は配っていた東京中日スポーツの、野球の記事とかラグビーの記事を読みながら新聞配達をしていました。

ラグビーの記事では、早稲田大学ラグビー部の黄金時代の、宿沢選手がいた頃の早稲田大学ラグビー部の話が連載されていました。

早稲田大学ラグビー部の黄金時代のラグビーの記事を読むと、時には苦しい新聞配達も上手くこなせたこともありました。

仕事中に難しいことを考えてしまうと疲れてしまうと思います。

僕は受験勉強はほとんど、図書館で受験勉強をしていていました。

僕が受験した、早稲田大学政治経済学部、早稲田大学法学部、上智大学国際関係法学部、明治大学政治経済学部は、英語、国語、社会が受験科目でした。

上智の国際関係法学部は英語がとても難しく、早稲田大学法学部は国語がとても難しく、早稲田大学政治経済学部は世界史がとても難しかったです。

私大でもものすごく難しい大学(偏差値の高い大学)を受験したので、受験勉強も大変でしたが、勉強をするのことは本を読むことと並行して行っていたので、難しい受験勉強も時には楽しいこともありました。

新聞配達中は、難しいことを考えない時間として、高校の頃の部活のような感じで新聞配達をしていました。

図書館での受験勉強で、体が運動をすることを欲していたので、新聞配達は適度な運動にもなりました。

新聞配達をすれば生活も規則正しくなるし、体も疲れて、夜もしっかり眠れます。

特に新聞配達中に読んでいた、東京中日スポーツの記事には早稲田大学ラグビー部の宿沢選手がいた頃の黄金時代の早稲田大学ラグビー部の話が連載されていて苦しい時もある新聞配達を乗り越えられるような良い記事がありました。

難解なことに挑戦することも良いことだと思いますが、一日中、難解なことを考えていると脳も疲れてしまうと思います。

ウォーキングでもなんでも、スポーツでもして難しいことを考えない時間も必要な気がします。

以上、「大学受験の浪人時代の新聞配達をしていた時に読んでいた新聞」

ブログに載せます。
















2016年11月29日火曜日

「茗荷谷での探検部になんか入るかよ発言」

「茗荷谷での探検部になんか入るかよ発言」

 昨日もブログに書きましたが、昨年、何故か、地元の神田川沿いで、東日本大震災に際してボランティアに行った際に泊めさせていただいた福島県いわき市に実家がある山田博英と遭遇しました。

 仕方なく、茗荷谷に連れて行き、お茶をして雑談をしました。

 お茶をしていた際に、僕は山田博英に、

「新聞配達をしていなければ、探検部なんて入るかよ。」
 
 と発言しました。

 僕は、2010年に、早稲田探検部の後輩の不幸があり、それを契機にTwitterを開設して、最初の頃は、自分の愚痴とかを呟いていました。

 それが、2011311日に東日本大震災が起きてしまい、僕は、開設していたTwitterを、東日本大震災関連の情報を発信するツールとして活用することになりました。

 僕の小石川高校時代の同級生が、早稲田大学の卒業生の会の、稲門会の会員だったので、その方の参加している、稲門会の東日本大震災復興支援のイベントに合わせるように、20121021日まで、大学受験勉強をしていた頃の、東京新聞の新聞配達を思い出して、死に物狂いで、ツイートをし続けました。

 僕にとって、2011311日からの20121021日までのTwitterは、早稲田大学受験の頃の新聞配達をしていた頃のような状態でツイートをし続けました。

 僕の開設している、Twitterにこれだけフォローワーさんがついていただいているのも、早稲田大学受験のために、新聞配達をしていた頃を思い出して、ツイートをし続けたからだと思います。

 僕が、山田博英に茗荷谷でお茶をした際に、

「新聞配達をしていなければ、探検部なんて入るかよ」

と発言したのは、ある意味、僕の本音です。

 浪人時代に、大学受験日以外は、一日も休まずに、新聞配達をしていたので、体力はものすごくあったし、大学に行っても、何か大きなことをしたいと思っていました。

 新聞配達をしていて、自分に自信がついたし、授業料の高い予備校とかに行って受験勉強をして早稲田大学に入学するような連中を見返してやりたかったという気持ちもあったと思います。(僕は、予備校に通う、お金がなかったので、仕方なく新聞配達をして奨学金をもらっていました)

 そのような気持ちもあったので、僕の小学校の頃の友達に紹介していただいた、早稲田大学探検部に入部しました。

 茗荷谷で、山田博英とお茶をしていると、山田博英は、僕が新聞配達をしていた頃の話を知っていて、

5万円を貸して、夜逃げされた」

 話を持ち出してきました。

 僕が、東京都中央区の人形町にある東京新聞の専売所で新聞配達をしていた頃に、同じ専売所で働いていた人間が、僕の住み込み先の、浜町のアパートにやって来て、土下座をされて、

「お金がないから、5万円を貸してください」と頼まれたことがありました。

 僕は、当時は、東京新聞の奨学生で、月の月給は7万円くらいだったと思います。

 僕は、朝夕に新聞配達、新聞配達の合間に、中央区立日本橋図書館で、早稲田大学受験のための受験勉強、夕刊を配達してから、文京区本郷にある、僕が中学生の頃に通っていた塾に週2回くらい、勉強をしに通っていました。

 そんな生活をしていたので、月7万円の給料でも、アパートの家賃は、東京新聞が出してくれるので、家賃はかからなかったので、貯金は少しはありました

 貯金が少しあったので、同じ専売所で働く人間が

 「お金がないから、5万円を貸してください」と土下座して頼んでくると、僕も断り切れずに、少しあった貯金から5万円を引き出して、5万円を貸してしまいました。

 すると、僕がお金を貸した人間は、次の日には、東京新聞の専売所からいなくなっていました。

 夜逃げされたのです。

 茗荷谷で山田博英とお茶をした際も、そんな話になりました。

 僕は、東京新聞配達時代に、そんな、人間関係を経験しているので、その後の人生も、損な人生になったようです。

 そんな話ばかり、茗荷谷で山田博英とお茶をしながらしていたので、僕もつい、

「新聞配達をしていなければ、探検部なんて入るかよ。」

 と発言したのだと思います。

以上、「茗荷谷での探検部になんか入るかよ発言」

ブログに載せます。





































2015年8月15日土曜日

「新聞配達の思い出2 浜町体育館」

「新聞配達の思い出2 浜町体育館」

 以前もブログに書きましたが、僕は浪人時代に中央区の東京新聞専売所で新聞配達をしていました。

 新聞配達員の生活はどうでもいいですが、新聞配達をしていると、大きな出来事と関係することに出くわすことがあります。
 
僕が新聞配達したのは1986年ですが、1986年に伊豆七島の一つ大島で三原山が噴火しました。

 三原山は伊豆七島の一つ、伊豆大島にありますが、伊豆大島は全島避難になり、伊豆大島の方々は東京にも避難してきました。

 僕が新聞を配達していた、中央区の浜町体育館にも避難してきた方々がいらしゃいました。

 僕の所属していた、専売所でも、避難してきている方々のために浜町体育館に東京新聞を大量に配達し始めました。

 浜町体育館に避難している方々も東京新聞を読んで、情報収集していたようです。

 新聞メディアは、現在では、ネットのメディア(特にスマートフォンのメディア)に押されて、あまり価値のあるものではなくなっていますが、僕が新聞配達をしていた1986年当時は新聞メディアは、東京でも、貴重な情報源でした。

 伊豆大島から避難している方々も、新聞メディアから多くのものを得ていたと思います。

 NHKなどのテレビメディアも、重要な情報源だと思いますが、新聞メディアもある程度信用の出来る貴重な情報源だと思います。

 僕の見聞した限り、現在ではスマートフォンという端末が一番、情報収集する際に適した端末になっているようです。

 僕も、スマートフォンを持っていますが、スマートフォンによるネットからの情報は、あまりに多過ぎて、情報を取捨選択するのに時間がかかり過ぎると思います。

 特にTwitterからの情報は、裏を取っていない情報も多いし、政治的なプロパガンダ的な発信も多いです。

 情報によって、特定の方向に誘導しようとしている情報も多いです。

 本当の意味での良き情報とは、危機に差し迫った時に役に立つ情報なのではないでしょうか?

 本当に、情報を欲しい人は、どうでもいい情報まで読まなくてはならないのは時間が無駄だと思います。

 東京では、IT関連の情報産業が盛んです。

 端末を増やして、情報の蛇口を増やしてるのでしょうが、人間は、本当に危機に直面したとき、正確な情報を求めます。

 かなり、正確な情報を提供している、新聞メディアなどの既存メディアの存在感が薄れてきているようで、今の若い人は大丈夫かなと少し心配になってしまいます。

 以上、「新聞配達の思い出、浜町体育館」

くだらない内容ですが、ブログに載せます。

2015年7月22日水曜日

新聞配達の思い出「江戸家猫八さん」

新聞配達の思い出「江戸家猫八さん」

僕が、中央区の下町で新聞配達をしていた時に自分の新聞を配達していた区域に芸人さんの江戸家猫八さんの家がありました。
 確か、浜町だったと思います。
 毎日、朝と夕に東京新聞を江戸家猫八さんの家に配達していました。
 江戸家猫八さんは、東京新聞もとってくださっていたのです。
 江戸家猫八さんの家の近所には、どら焼き屋さんがあって、僕も良くどら焼きを買って食べていました。
 
 僕の働いていた東京新聞の専売所では、東京新聞本紙の他に、東京スポーツ、日刊ゲンダイなども扱っていましたが、江戸家猫八さんの家では、東京新聞を選んでくださっていました。
 集金の際も毎月、きちんと支払いをしてくださっていました。
 新聞を配達している区域に有名人がいると、新聞を配るもの楽しくなると思います。

 僕が20代の頃に住んでいた新宿区の戸山町にも、三笑亭可楽さんの家がありました。

 僕が一人暮らしをしていると、落語家さんや芸人さんと縁があるようです。

以上、「新聞配達の思い出、江戸家猫八さん」

くだらない内容ですが、ブログに載せます