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2025年8月9日土曜日

「長崎原爆の日に想う」

 「長崎原爆の日に想う」

 今日、89日は長崎原爆の日です。

 長崎に原爆が投下されたのは194589日で、今日で80年になるようです。

 僕と長崎の原爆の関係は実はとても古くて、僕の出身小学校、小日向台町小学校の時の456年生の時の担任の先生が長崎出身の被爆者の方でした。

 小学校の頃に長崎出身の被爆者の方だった先生に原爆の怖さのことは聞かされていました。

 僕が20代の頃に行われた小日向台町小学校の同窓会(クラス会)では先生は来てくださいましたが、原爆症と思われる症状がありました。

 先日の広島原爆の日に書いたブログで、僕が長く震災関連、原発関連の本を読んでいて原爆と原発が核分裂反応を利用した同じ原理のものだと本を読んで知り、僕が原爆、原発、核兵器、核に反対で、反戦、反核を訴えていこうと想っていることを書きましたが、今日89日長崎原爆の日も僕の心境は同じで、本当に日本が戦争をしないように、僕の誕生日113日と縁のある(1946年、昭和21年、113日に公布された、施行は1947年、昭和22年、53日)平和憲法、日本国憲法がこれから先、少しでも長く維持されて、戦争をしない国であり続けられるように僕が生きているうちは、反戦、反核を訴えていこうと想っています。

 今日89日は長崎原爆の日なので、長崎原爆の日に想うことを書いておきます。

 以上、「長崎原爆の日に想う」

 ブログに載せます。

 

2024年11月17日日曜日

「土屋健さん」

 「土屋健さん」

  先日、早稲田大学探検部32OBの吉澤さんから奥島先生を偲ぶ会の様子の写真がメールで送られてきました。僕はそのメールに対する返信で、僕の聖徳幼稚園、小日向台町小学校時代の友達で、吉澤さんと早稲田中学高校で同期生の友達の土屋健さんのことについてメールをさせていただきました。

 以下のようなメールのやり取りをしました。

 吉澤さん

  こんにちは上原です。

度々、メールをしてしまい申し訳ありません。

探検部とは関係がないのですが、

吉澤さんが早稲田中学高校で同期生だった土屋健さんとは連絡を取っていらっしゃるでしょうか?

実は僕が早大探検部に入部したのは、

僕の小日向台町小学校時代の友達だった土屋健さんの紹介でした。

土屋健さんは何をしていらっしゃるだろうとふと思ったので、

失礼かもしれませんがメールをさせていただきます。

 上原

上原さん

   おはようございます。返信が遅くなってしまいましたが、土屋健くんとは今もつながっています。今年2月の中学高校の同期会にも一緒に出席し、その前は舞踏家になった同期の公演会を彼(中高時代から皆でケンズと言っています)と恩師と3人で見に行ったこともありました。彼はフジテレビのドラマのプロデューサーになり、Dr.コトーが代表的な作品だろうと思います。その映画の制作にも携わったと言っていました。今もその類の仕事を続けているようです。

   貴兄がケンズと小学校の友人であることは僕もよく覚えていて、そのことをケンズと話したこともあり、今でも貴兄のことを話せば、彼もよく覚えていることはまちがいありません。プロデューサーとして芸能人と付き合うことも普通でしょうが、彼は全然変わっておらず、皆の人気者です。サッカー部の同期会参加率がダントツなのはケンズのおかげだと思っています。

  それでは、また。

  吉澤

 吉澤さん

 おはようございます、上原です。

土屋健さんのことについてメールを下さりありがとうございます。

土屋健さんは小日向台町小学校時代から人気者でした。

早稲田中学高校時代はサッカー部だったということも僕も土屋健さんから聞いておりました。

早稲田大学時代はスキー関連のサークルに所属していらしたと聞いております。

今でも吉澤さんが土屋健さんと連絡を取り合っていらっしゃることが分かりました。

ありがとうございます。

土屋健さんが僕のことも覚えてくれていることも書いてくださり、僕も嬉しいです。

これからも何かあればメールをさせていただくかもしれません。

どうぞよろしくお願いいたします。

 上原

吉澤さん

土屋健さんのことでのメールです。

実は僕は土屋健さんとは幼稚園も同じで、小日向台町小学校時代も友達で仲が良くて、

子供の頃はよく土屋健さんの家に遊びに行っていました。

僕が高校卒業後、一年間の新聞配達をしながらの浪人生活を送り、

なんとか早稲田大学法学部に合格した際に、

僕は嬉しくて、土屋健さんの家に報告に行きました。

(当時は土屋健さんは、早稲田中学高校から現役で早稲田大学に進まれていたので報告に行きました)

土屋健さんのお母様も喜んでくださり、お寿司をとっていただき僕もご馳走になりました。

その際に、僕は土屋健さんに早稲田大学探検部というサークルがあるからと探検部を紹介されました。

僕はその後、探検部の部室を探して、早稲田大学探検部に入部しました。

一つお聞きしたいことがあるのですが、

土屋健さんは僕が統合失調症という精神疾患を患っていて精神障害2級の精神障害者になっていることをご存じでしょうか?

もしかしたら、吉澤さんから土屋健さんにお伝えしているでしょうか?

僕の病気のことについて土屋健さんはご存じか知りたいのでメールをさせていだきます。

上原

上原さん

  今日はひどい雨ですが、明日明後日は秋晴れになるみたいですね。

  お尋ねの件、土屋君は貴兄の病気のことは詳しく知らないものの、心の病でずっと苦しんでいることは知っていると思います。もうかなり前ですが、そのように彼と話したことがあったと思います。精神障害2級というのは、貴兄のこのメールで僕も初めて知りました。

   土屋君のメールアドレスを知っていますか。もし必要なら、まず僕が彼にメールして、貴兄にアドレスを伝えることを連絡します。幼稚園からの友達とはいいですね。2人ともナイスガイです!

 吉澤

 吉澤さん

 今日はお仕事はお休みだと思いますが、会社のアドレスが良いと書かれていたので、

メールをしました。お休みのところメールをしてしまい申し訳ありません。

心の病、統合失調症に関しては精神科で精神障害2級と診断されています。

精神障害者手帳も持っています。

土屋健さんのメールアドレスに関しては、

もう長い間、会っていないし、連絡も取っていないし、

土屋健さんもお忙しいと思うので、土屋健さんのメールアドレスに関しては

教えていただかなくて大丈夫です。

土屋健さんとは、聖徳幼稚園という聖徳太子の聖徳の名のついている

名前のすごい幼稚園で、ご一緒させていただきました。

土屋健さんは本当にナイスガイだと思います。

僕に関しては、心を病んでしまい、昔の面影はないと思います。

メールではきちんとしたことを書けるので、

精神障害者に思えないということも言われたこともあります。

吉澤さんは今日はお休みだったと思いますが、メールをしてしまい失礼しました。

明日は晴れの特異日、文化の日です。

連休を楽しまれてください。

 上原

 以上のようなメールのやり取りを吉澤さんとしました。

 このメールで話題になっている土屋健さんには僕は本当に感謝していて、僕に早稲田大学探検部を教えて下さり、僕も早稲田大学探検部に入部することが出来て、良い学生時代を過ごせたと本当に感謝しています。僕に沢木耕太郎さんというノンフィクション作家の方のことを教えてくれたのも土屋健さんでした。インドブラマプトラ川川下りの番組が出来上がり、番組をフジテレビに見に行った際にも土屋健さんと偶然会いました。

 僕の父と母も土屋健さんのことは良く覚えていて、

 「子供の頃、よく健ちゃんの家に遊びに行ったね」

 と言っていました。

  今では、有名なテレビのプロデューサーになられているようですと父と母に話すと立派だねと褒め称えていました。

  ただ、土屋健さんも僕が心の病気に罹っていることは吉澤さんから聞いているということで、昔のような上原君でないことも分かっていると思います。

  吉澤さんを通じて、吉澤さんと僕の共通の友達である土屋健さんのことについてメールでやり取りをしていたのでメールのやり取りをブログに載せます。

  以上、「土屋健さん」

  ブログに載せます。

 

 

 

2023年8月11日金曜日

「山の日に思う、小学校の頃の山登りの思い出」

 「山の日に思う、小学校の頃の山登りの思い出」

  今日は811日、山の日です。

  僕は小学校の頃から山登りを始めました。

   僕の小学校の頃の友達に角希代隆君という人がいて、角君のお父さんが小学校の子供たちを山登りに連れて行ってくれて、僕も角君のお父さんに連れられて、奥多摩の山や千葉県の山などの山登りを始めました。

  奥多摩の大岳山や、千葉県の鋸山などの山登りをしたことを覚えています。

  山登りとともに、日原鍾乳洞などにも行っていました。

   山登り用の帽子を買って、帽子を被って、山登りをして、山頂に登頂すると、記念の登山バッジを買って、帽子に登山バッジをつけていました。

   帽子に登山バッジが増えていくと、それだけ多くの山に登頂したんだなと思い、子供心に嬉しかったです。

   僕が、山が好きになったのも、角君のお父さんに山登りに連れて行ってもらい、登山用の   帽子に登山バッジが増えていくのが楽しくて、山が好きになったのだと思います。

   僕が小学校の頃に山登りに連れて行ってくれた角君のお父さんの息子さん、希代隆君は、小日向台町小学校から私立御三家と言われる武蔵中学に進学され、大学は一橋大学に進み、JR東日本に就職されたと聞いています。

  小学校時代の友達は、本当にいい友達が多く、一緒に山登りに行ったりしていました。

  今日は811日、山の日なので、僕が山登りを始めた小学校の頃のことを書いておきます。

   以上、「山の日に思う、小学校の頃の山登りの思い出」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年12月27日火曜日

「小日向台町小学校の卒業文集、個人文集、『チョモランマ』」

 「小日向台町小学校の卒業文集、個人文集、『チョモランマ』」

  僕の部屋の掃除をしていたら、僕の文京区立小日向台町小学校時代の卒業文集が見つかりました。

  タイトルは、個人文集『チョモランマ』というタイトルでした。

 表紙はこんな感じです。

     ↓


 読んでみたら、おもしろかったので、ブログに載せたいと思います。

 個人文集「チョモランマ」には以下のようなことが書かれていました。

  1,初めに

  この3月に、ぼくたちは小学校生活を終えます。そこで、卒業を記念して文集を作ります。題は「チョモランマ」

 一度聞いても、わからないと思いますが、実は、この「チョモランマ」とはエベレストのことを、中国では、チョモランマというそうで、ぼくは、その世界一高い山、チョモランマのように、でっかくなるようにと、題を「チョモランマ」としてみました。

 この文集の内容は、1年生から6年生までの思い出や、将来の希望など、いろいろなことを書きます。

  2,低学年のころの思い出

  昭和49年、ぼくは、学校の門をくぐった。

 ぼくの担任の先生は、福良先生であった。ぼくたちは、みんなと仲よく遊んだ。その中でも、クリスマス会は、印象深い。

 先生がクリスマスツリーのかわりに、ゴムの木を持ってきて、いろいろかざって、また、いろんなゲームして遊んだ。

 昭和50年、ぼくは、また福良先生になりたいとなあと思っていたが、吉川先生になった。しかし、吉川先生は、おもしろくて授業も楽しかった。そしていろんな友だちもできた。

 昭和51年、ぼくは、今度は、組替えがあるので、期待と、不安が一つになっていた。

 しかし、組替えは、まあまあで、今度の担当の先生は、細川先生だった。

3,高学年のころの思い出

  昭和52年、ぼくは、4年生になっていた。この中でなんといっても、覚えていることは、初めての柏学園にみんなで行ったことである。ぼくのむねの中は、期待に満ちていた。期待どおり、柏での生活は、楽しく、昼は、広大なグラウンドでソフトボールをし、夜は、広い部屋でみんなとまくら戦争をした。

 昭和52年、ぼくは、2回目の組替えをひかえていた。ぼくは、またも1回目に続き、心の中が、期待と不安でごっちゃになっていた。そういえば、書くのを忘れていたが、4年生の時の担任の先生は、竹中先生だった。組替えは、まあまあよかった。また、担任の先生も竹中先生変わらずとなっていた。

 また5年になって初めて八ヶ岳林間学校に行った。そこは空気もおいしく、宿舎もきれいで、とてもよかった。

 昭和54年、ぼくたちは、最高学年の6年になった。担任の先生も変わらず、竹中先生だった。6年になるとやたらに仕事が多い。まず、しいく、校章旗上げ、朝のあいさつといろいろあった。また、ぼくは、6年になると運がよく、陸上記録会と水上記録会に出場できた。成績はともかく、出場できただけでうれしかった。そしてもうぼくたちは、卒業である。

  4,中学になったら

  昭和554月に、ぼくたちは、中学の門をくぐることになる。中学になったら、何をしようか、と言っても中学にならなければわからない。できればスポーツのクラブに入りたいが、なかなかいいのがうかんでこない。それから勉強の方も、英語があるので不安である。まあなんとかやっていけるとは思うが‥‥

  5、ぼくの将来

  ぼくは、将来は、高校を卒業してから、大学は、夜学に行って、昼は働き、夜は勉強にはげみ、世界旅行の資金をためようと思う。

 そして、お金がたまったら、日本を出発してから、ソ連2年、アジア4年、オセアニアやいろいろな島々3年、南アメリカ3年、北アメリカ2年、ぐらいの間に、石油に代わるエネルギー資源を発見し、ノーベル物理学賞をもらい、また、その間のいろいろな出来事を本にまとめて、それで、ノーベル文学賞をもらい、小日向の英雄、文京区の英雄、東京の英雄、日本の英雄、アジアの英雄、世界の英雄、宇宙の英雄になろうと思う。

  以上のようなことを文京区立小日向台町小学校の卒業文集に書いていたようです。

  最後の、「ぼくの将来」の部分がとても具体的で本当におもしろいことが書かれていると思いました。

  高校を卒業したら、大学は夜学に行って、昼は働き、夜は勉強にはげみ、世界旅行の資金をためようと思うとか、とても具体的なことが書かれていると思いました。

  世界旅行をしている間に、石油に代わるエネルギー資源を発見し、という部分はすでに小学校の卒業の時点で世界のエネルギー問題に関心を持っていたことが分かります。

  世界旅行の間の出来事を本にまとめようと思っていたことも書かれています。

 僕が早稲田大学に進んでからも、早稲田大学探検部に入部したのは小学校の頃の卒業文集の力が大きかったのだと思います。

  小日向台町小学校卒業からもうすでに、40年以上経っていますが、今、読み返してみてもおもしろいことが書かれていると思いました。

  今の時代の小学生にも読んでいただきたいものなのでブログに載せたいと思います。

  以上、「小日向台町小学校の卒業文集、個人文集、『チョモランマ』」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年10月19日土曜日

「台風19号で、40年ぶりくらいに出身小学校に入った」

「台風19号で、40年ぶりくらいに出身小学校に入った」

 台風19号が日本に上陸してから1週間のようです。

 甚大な被害が出ていて、僕もニュースを見ていても辛いです。 

 台風19号被災地の方々には心よりお見舞い申し上げます。

僕は先週の土曜日に近所の小日向台町小学校に避難しました。

小日向台町小学校は僕の出身小学校で、40年ぶりくらいに僕の出身小学校に入りました。

小学生の頃は小学校が大きいと思っていましたが、40年ぶりくらいに出身小学校に入ると小日向台町小学校は小さな小学校だと感じました。

僕も小学生の頃からもう40年くらい経っていて、僕が成長したのか、小日向台町小学校は小さく感じました。

小学校の体育館には校歌の歌詞が書かれていて、校歌を読んでいると懐かしくなりました。

僕も小学生の頃は小日向台町小学校の校歌を歌っていました。

台風19号で僕の出身小学校に40年ぶりくらいに入って、小学生の頃が懐かしくなりました。

小学生の頃は、周りの人間が、勉強が良く出来る人間が多かったので、僕も勉強をするようになり、早稲田大学まで進むことが出来ました。

僕も小日向台町小学校に通っていなければ、早稲田大学まで行けたか分かりません。

小日向台町小学校は独特の雰囲気のある小学校で、小学生ながら深く考える子供を育てる小学校だったと思っています。

僕も小日向台町小学校に通っていたから深く考える人間になったのだと思います。

僕の小日向台町小学校卒業時の卒業文集には、将来の夢は探検家になりたいと書いていて、僕が早稲田大学で早稲田大学探検部に入部したのも小学校時代に自分の書いた人生のシナリオを実現するために早稲田大学探検部に入部したのだと思います。

台風19号で出身小学校に避難して、40年ぶりくらいに出身小学校に入ったので、出身小学校に入っての感想をブログに書いておきます。

以上、「台風19号で、40年ぶりくらいに出身小学校に入った」

 ブログに載せます。





 

 




 







 

 



 

2019年8月10日土曜日

「小学校の頃は、夏は八ヶ岳山麓の林間学校とかあり良かった」

「小学校の頃は、夏は八ヶ岳山麓の林間学校とかあり良かった」

 僕が小学校に通っていた頃は、夏休みには八ヶ岳山麓での林間学校とかがありました。

 高原地帯で、避暑を出来たと思っています。

 大人になると、避暑地に行くこともなく、暑い暑い夏も東京で仕事をする生活をしています。

 子どもの頃の方が、避暑地に行く良い生活をしていたと思います。

 小学校の頃の八ヶ岳山麓の林間学校では、八ヶ岳が見える山麓をハイキングしたりしました。

 八ヶ岳に登っている人がいると聞くと、子供心で、世の中にはすごい人がいるなと思っていました。

 僕も早稲田大学探検部時代は登山もしていましたが、今では登山をすることもなくなりました。

 暑い暑い東京の夏の日々も、仕事をして過ごす日々で、本当につまらない生活をしています。

 僕が小学校の頃は、八ヶ岳山麓の林間学校があり、高原地帯で避暑が出来て良かったと思っていることをブログに書いておきます。

 以上、「小学校の頃は、夏は八ヶ岳山麓の林間学校とかあり良かった」

 ブログに載せます。




 

 

 



 

 

 

 

 

 

2019年5月5日日曜日

「中学校、高校で、こどもの心が壊されていくような気がする」

「中学校、高校で、こどもの心が壊されていくような気がする」

 今日はこどもの日です。

 僕にとってのこども時代とは小学校の頃だと思います。

 小学校の頃は、良く遊んだし、僕の小学校時代の夢も探検家になることだったりして、小学校の頃は僕も楽しいこども時代を過ごしたと思います。

 それが中学校、高校に行くと、小学校の頃の夢を壊すような人間に多く出会います。

 教師とかによって、僕の夢が壊されていったと思っています。

 僕は中学校、高校でバスケットボールをしていましたが、僕は探検家になるための体力作りとしてバスケットボールをしていましたが、部活のコーチとかによって、理不尽なしごきとかに遇い、僕も楽しくバスケットボールを出来ませんでした。

 僕はこどもの頃の心を中学校、高校で壊されていくと僕は思っています。

 僕は幸いに、中学校、高校で、僕の小学校時代の心を壊されても、一年間、浪人して新聞配達をして受験勉強をして、早稲田大学に合格し、早稲田大学探検部に入部し、僕の小学校時代の心を早稲田大学時代に生かすことが出来ましたが、多くの人は、小学校時代のこどもの心を中学校、高校で壊されていくと思います。

 僕の人生経験で、小学校時代のこどもの心を中学校、高校で壊されていくような気がしているのでブログを書いておきます。

 以上、「中学校、高校で、こどもの心が壊されていくような気がする」

ブログに載せます。



 

 



 

2018年2月15日木曜日

「小学校、中学校の頃の活動範囲にいれば病気にならないような気がする」

「小学校、中学校の頃の活動範囲にいれば病気にならないような気がする」
 
 僕は高校時代に胃潰瘍になりました。

 早稲田大学の近所の住んでいる頃には統合失調症に罹りました。

 おそらく、高校時代、大学時代が、僕にとって大きなストレスのかかる環境だったのだと思います。

 小学校の頃とか中学校の頃は、ほとんど大きな病気になることもありませんでした。

 僕が考えるに、僕が小学校時代、中学校時代に活動していたあたりを僕の活動範囲にしていれば、僕は病気にならないような気もしています。

 胃潰瘍も、統合失調症もストレスから、病気になるようです。

 高校時代や、大学時代のようなストレスのかかる環境に身を置かずに、僕が小学校時代、中学校時代に活動した環境を僕の活動範囲にすれば、僕も病気にならないような気もしています。

 以上、「小学校、中学校の頃の活動範囲にいれば病気にならないような気がする」

ブログに載せます。



2015年11月29日日曜日

「出身小学校の前で」

「出身小学校の前で」

先日は、近所を散歩してきました。
僕の出身小学校の近所を散歩してきました。
30代ぐらいの女性の方が、白人さんのおじさんをフォローしながら、一所懸命英語で会話してました。
僕の考えですが、もはや、日本の女性は、日本人の男性をフォローするつもりはないのではないでしょうか?
文京区には日本の最高峰の大学、「東京大学」があります。
にも関わらず、文京区界隈を散歩していると、外国の大学の話を良く耳にします。
特にアメリカの大学の話をしている人が多いです。

おそらく、東京大学の方々は、もの凄い、プッレッシャーを受けながら、勉強なり、仕事をしているのではないでしょうか?

目が肥えているというか、近所に東京大学があるので、東大生の私生活とか、会話とか知っているのでしょう。

極端な東大崇拝は賛成しませんが、曲りなりも、難しい国のセンター試験を突破してきた学生の方々です。

東大生の方々の話に耳を傾けるのは良いのではないかと僕は個人的には考えています。

以上、「出身小学校の前で」

ブログに載せます。

2015年4月29日水曜日

1976年(昭和の頃)に見ていた風景(建物=学校)

1976年(昭和の頃)に見ていた風景(建物=学校)
GW(ゴールデンウィークの課題)学校の建物=学校の写真を撮影する。

開設しているTwitterのフォローワーさんの人数が、1976人になりました。
実は、フォローワーさんの人数は1992人に到達していたのですが、フォローしてくださっている方のTwitterアカウントを全てフォローしようとすると、鍵がかかっていて、フォロー出来ないアカウントが沢山ありました。
鍵が掛かっている全てのアカウントにフォローリクエストを送りましたが、20日以上経っても、フォローを承認してくれない、アカウントが多くありました。
昨日、フォローを承認していただけない、アカウントを全てブロックして、僕のTwitterアカウントをフォローするのを解除しました。
昨日の段階で、僕のTwitterのアカウントをフォローしてくださっていて、僕からのフォローも承認していただいている、アカウントの数は1976でした。
せっかく、フォローワーさんの人数が1992人に到達したので、僕が学校を卒業した1992年に書いていた文章を公開していましたが、現在のフォローワーさんの人数では、公開出来ません。
仕方ないので、1976年、昭和の時代に僕が見ていた風景=建物(学校)の現在の建物をスマートフォンで撮影するととも、説明文のようなものをブログに書いていきたいと思っています。
今日、(昭和の日)から始まるゴールデンウィーク中に、小学校、中学校、高等学校、大学、1992年まで、僕が見ていた風景=学校が現在ではどのような建物になっているか、その風景を写真に収めたいと思っています。
写真が撮影出来れば、説明文のようなブログも書けると思います。

僕個人としては、徐々にフォローワーさんが増えて、早く学校を卒業した1992年に書いていた文章を公開できるといいと思っています。

ちょうど、今日は「昭和の日」なので、僕が「昭和」の頃見ていた風景が現在、どのような風景になっているかを再確認するには良いと思います。

以上、1976年(昭和の頃)に見ていた風景(建物=学校)
GW(ゴールデンウィークの課題)学校の建物=学校の写真を撮影する。



早速、僕が通っていた小学校の風景を外からスマートフォンで撮影してきました。

まずは、校門です。

この門から小学校の中に入りました。

玄関で上履きに履き替えます。






次ぎに、学校の外から見た鉄棒です。

小学生用なので低い鉄棒ですが、この鉄棒で僕も逆上がりの練習とかしていました。



次に、学校の外から見た、校庭です。
僕の頃はコンクリートの校庭で、転んで頭を打ち付けると大きな怪我につながることがありました。
現在では、校庭の素材は少しクッションのあるものになっているようです。





次に学校の外から見た学校の建物の様子です。
僕の通っていた小学校は、踊り場の建築様式が特徴的な建物で、外観も非常に優れていました。



僕の通っていた小学校では高学年になると夏休みに長野県の八ヶ岳山麓での林間学校があり、小学生ながら、雄大な八ヶ岳を見られるはとても嬉しかったです。空気もきれいで、景色も良く、子供にとっては貴重な体験をさせていただいたと今でも思っています。

東京都心の学校に通っている子どもたちは、雄大な自然の風景とかを目の当たりにすると心から嬉しそうな顔をしていました。


以上、1976年(昭和の頃)に見ていた風景(建物=学校)

くだらない内容ですがブログに載せます。