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2024年12月10日火曜日

「病跡学について教えてください。心の病気(精神障害)と文化作品には関係があるのですか?」

 「病跡学について教えてください。心の病気(精神障害)と文化作品には関係があるのですか?」

  実は僕は本当は心の病気(精神障害)と文化(文化とは文学、音楽、絵画、映画、写真、など)というテーマでブログを書こうと思っていました。

  僕自身が統合失調症と診断されていて、精神障害者手帳も持っているので、自分のテーマになると思い、心の病気(精神障害)と文化(文化とは文学、音楽、絵画、映画、写真など)というテーマでブログを書こうと思っていました。

  以前、Windows11にインストールされているCopilotで少し調べたことがあるので、簡単なブログになってしまいますが、簡潔にブログを書いてみたいと思います。

  先ず、Copilotに「病跡学について教えてください。心の病気(精神障害)と文化作品には関係があるのですか?」と質問してみました。すると以下のような回答が返ってきました。

  もちろんです!病跡学は、精神医学の一分野で、傑出した人物について精神医学的に考察する学問です。具体的には、精神疾患を持った作者の芸術作品について、その精神疾患がどのように影響したかを調査します¹。

 病跡学は、以下の観点から興味深いです。

 1. **文学と精神疾患の関連**:

    - 夏目漱石や芥川龍之介、大江健三郎などの作家は、精神障害者に共感的な作品を書いた直後に病跡学的な作品を発表しています。このことから、病跡学的な認識は、精神障害者に対する寛容で共感的な態度と密接に関係している可能性があります¹

 2. **健康生成的な視点**:

    - 病跡学は、病気を持った人々の成長や寛容にも焦点を当てています。当事者の側の寛容や成長(PPG; postpsychotic growth)も重要な視点です¹

  病跡学は、芸術作品と精神疾患の相互関係を探求する興味深い分野であり、文化作品と心の病気の関連について深く理解する手がかりを提供しています。

. 次に「夏目漱石は統合失調症だったのですか?」と質問してみました。すると以下のような回答が返ってきました。

  はい、夏目漱石は統合失調症の症状を示すことがありました。彼は幻聴や幻覚、被害妄想、追跡妄想、そして病気の自覚の欠如などの精神病的な兆候を示していました。ただし、統合失調症は人生のある時期だけ発症し、自然に治るケースもあるとされています。漱石もロンドン留学中に奇行を起こし、緊急帰国する出来事がありました。天才作家には統合失調症の傾向が多いことも指摘されています¹。²

  次に「芥川龍之介は精神障害者だったのですか?」と質問してみました。すると以下のような回答が返ってきました。

  はい、芥川龍之介は精神的な苦悩を抱えていました。彼の晩年は苦悶に満ちており、意識の哲学的側面にも興味深い要素があります。彼の実母は統合失調症(旧名:精神分裂病)の患者であり、芥川自身も母親からの遺伝を恐れ、精神病発症を常に危惧していました。彼の晩年の作品には自己の病的体験が描かれており、統合失調症の幻覚や妄想状態を思わせるものもあります。しかし、精密な分析によれば、彼の病態は典型的な統合失調症とは異なっていたことが分かります。彼の晩年は「神経衰弱」であり、内因性精神病ではなく、統合失調症ではないとされています。¹²

  次に「大江健三郎の万延元年のフットボールと精神障害者には何か関係がありますか?」と質問してみました。すると以下のような回答が返ってきました。

  『万延元年のフットボール』は、大江健三郎の中期の長編小説であり、一般的には彼の代表作とされています。この作品には、障害児や安保闘争など、大江の重要なモチーフがいくつも登場します。舞台は大江の故郷である四国の山奥です¹。物語は、英語の専任講師である根所蜜三郎と妻の菜採子の間に生まれた障害を持つ子供を中心に展開されます。彼らは蜜三郎の弟である鷹四とともに、谷間の村で新しい生活を始めます。鷹四は万延元年の一揆の指導者であった曽祖父の弟に憧れており、村全体を巻き込む暴動の指導者となりますが、その後の出来事が彼らの運命を変えていきます。物語は、家族の絆や歴史的な出来事、個人の葛藤を描いています³。²

  次に「大江健三郎は「万延元年のフットボール」でノーベル文学賞を受賞したのですか?」と質問してみました。すると以下のような回答が返ってきました。

  はい、大江健三郎は「万延元年のフットボール」でノーベル文学賞を受賞しました³。この作品は、1967年に連載され、同年に講談社から刊行された長編小説であり、第3回谷崎潤一郎賞も受賞しています。物語は、英語の専任講師である根所蜜三郎と妻の菜採子の間に生まれた障害を持つ子供を中心に展開され、安保闘争や日本の近代化の始まる直前の時代背景を描いています。

  次に「夏目漱石、芥川龍之介、大江健三郎は東京大学文学部の方なのですか?」と質問してみました。すると以下のような回答が返ってきました。

はい、それぞれの作家には東京大学文学部との関連があります。

 夏目漱石は東京大学英文科の学生だった頃に、芥川龍之介に励ましの手紙を送っています。彼は芥川を「先生」と尊敬し、その後も交流を続けました。

 芥川龍之介は、東京大学文学部に在籍していました。彼は漱石との関係を通じて文学の道を歩み、後に自身の作品で名声を得ました。

 大江健三郎は、東京大学文学部を卒業し、作家として活躍しています。彼は1994年にノーベル文学賞を受賞し、その作品は国内外で高く評価されています。

これらの作家は、東京大学文学部とのつながりを持ち、文学の世界で重要な役割を果たしています。

 以上のようなことをCopilotで調べました。

 実は僕は早稲田大学法学部出身ですが、東京大学文学部出身の作家の方の文学作品も読んでいたことがあり、夏目漱石も芥川龍之介も大江健三郎も読んでいます。

 このブログでは日本の文学作家のことしか調べられませんでしたが、画家のゴッホも精神病だったようですし、音楽家のシューマンも精神病だったようです。

 実は僕が東京大学から逃げるように、江戸川公園を通って、関口芭蕉庵に行ったのは、明治以降の文学作品が近代文学になり、海外(特に西洋、ヨーロッパ)の文学作品の影響をものすごく受けて、精神病と診断されている作家の方も多くいらっしゃることから、江戸時代に実際に東北を歩いて書かれた「奥の細道」の作者である松尾芭蕉の住んでいた関口芭蕉庵に行きました。

 今回は病跡学についての本を読んだりする時間も無くて、Copilotで調べただけの簡潔なブログになってしまいますが、ブログの自己紹介にも載せている、心の病気(精神障害)と文化(文化とは文学、音楽、絵画、映画、写真など)というテーマで簡単にブログを書いてみました。

 以上、「病跡学について教えてください。心の病気(精神障害)と文化作品には関係があるのですか?」

 ブログに載せます。

 

2021年12月5日日曜日

「茗台中学時代のバスケットボール部の同期生のこと」

 「茗台中学時代のバスケットボール部の同期生のこと」

   僕は、中学校は文京区の文京区立茗台中学校という中学校に通っていました。

   僕は、中学時代はバスケットボール部に所属していました。

   中学時代のバスケットボール部の同期生に、茗台中学校から都立青山高校に進み、大学は信州大学に行った山口貴士君という人がいます。

  僕は都立小石川高校から早稲田大学に進み、早稲田大学では探検部で登山とかもしていたので、長野県松本市にある信州大学に遊びに行ったことがあります。

  中学校のバスケットボール部の同期生は、信州大学から三菱製紙に就職して、紙を作る仕事に就いたようです。

  実は、僕の母は、江戸川橋にあるラーメン屋さんをやめてから湯島にあった三菱製紙の研修の寮の清掃の仕事をしていて、三菱製紙の研修の寮での清掃の話を家でしていましが、その際に、僕の中学時代の同期生で三菱製紙に就職された山口貴士君の話を盛んにしていました。

三菱製紙に就職された方が研修のために来ることはないのかなと言って、盛んに話をしていました。

三菱製紙に就職された方とは、東京外語大学の文化祭を一緒に見に行ったこともありました。

もう何十年も会っていませんが、中学校時代の同期生のことを思い出したのでブログを書いておきます。

以上、「中学時代のバスケットボール部の同期生のこと」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年5月24日日曜日

「コロナ禍の閉塞した状況を打破するには探検・冒険文化活動が大事になってくる」

「コロナ禍の閉塞した状況を打破するには探検・冒険文化活動が大事になってくる」

 コロナ禍で世界全体、日本全体が閉塞した状況になっていると僕は思っています。

 人々は家に閉じこもり、テレビを毎日見たりする生活をしているようです。

 コロナ禍の閉塞した状況を打破するには僕は探検冒険文化活動が大事になってくると思っています。

 海外に探検に行ったり、登山をしたりすることは出来なくても、普段は探検冒険活動をしている方々が日々の何気ない日常を文章なりにすることによって、探検冒険文化活動は出来ます。

 コロナ禍での自分の気持ちを文章に託してみたりすることによっても探検冒険文化活動は出来ると僕は思っています。

 医学を専攻していなくても、新型コロナウィルスのことについて何か書いたり、探検冒険活動のための日々のトレーニングが、免疫力アップにつながるとか、役に立つことはいくらでも書けると僕は思っています。

 探検冒険文化活動こそ、コロナ禍の閉塞した状況を打破するためには大事な事で、何かを書くという行為がこれほど大事な事になっている機会もめったにないと僕は思っています。

 人々は家に閉じこもり、毎日、毎日、不安な日々を過ごしています。

 家に閉じこもっている人々にとって、探検冒険活動をしている方々の書く文章を読むことによって、精神的に救われた、心が安定したという方々ももしかしたらいるかもしれません。

 僕は心の病気(精神障害)と探検冒険文化という視点でアプローチして、ブログを書いているので、こういう有事の時にこそ、探検冒険文化活動が心の病気(精神障害)に効き目があるのではないかとも思っています。

 探検冒険活動で育まれた、強い精神力、強い心を持った方々の書く文章を読むことによって、コロナ禍という窮状を幾分かでも、和らげてくれるような事が可能になってくるかもしれません。

 探検冒険文化活動をしている方々は、プロの作家とか新聞記者とかをしている方々が多いようなので、お金にならない無料で読めるブログなどは書かないとは思いますが、コロナ禍のような有事の時にこそ、ボランティア精神を発揮して、奉仕の気持ちを持って、何か探検冒険文化活動をしていただきたいと僕は思っています。

 僕がコロナ禍の閉塞した状況を打破するには、探検冒険文化活動が大事になってくると思っていることをブログに書いておきます。

 以上、「コロナ禍の閉塞した状況を打破するには探検・冒険文化活動が大事になってくる」

 ブログに載せます。

 


 

 
 

 

 

 

 

 

 

 



2019年1月23日水曜日

「理系に進まなくて良かった」

「理系に進まなくて良かった」

 僕は高校時代に、理系の科目で落ちこぼれて、文系に進みました。

 文系に進んで良かったと思っています。

 僕がブログをこれだけ書けるのも、僕が文系に進んで、文系の本を多く読んでいたからだと思います。

 理系に進んでいたら僕にはこれだけブログを書けなかったと思います。

 文系に進み、文系の本などを多く読んでいたから僕もこれだけブログを書けるのだと思います。

 現在の世の中はパソコン、スマートフォン全盛の時代で、デジタル化された理系の時代とも言えますが、理系の方には僕くらい多くのブログは書けないと思います。

 僕が文系で多くの文系の本を読んでいたから僕も多くのブログを書けるのだと思います。

 僕の知っている理系の方々は、作品に少しでも政治的なメッセージが込められていると嫌悪感を示す方とかもいて、理系の方々の器の小ささというか、作品鑑賞能力の無さを感じています。

 僕は作品に政治的なメッセージが込められていても、作者の意図をなるべく理解しようとします。

 文系の方々の作品には、政治的なメッセージも込められている作品も多くあり、作品を通じて、何か抵抗しようとしていたりしていて、そのような抵抗の精神に共感したりして、文系の方々が作った作品を鑑賞します。

 僕は高校時代に理系の科目で落ちこぼれて文系に進んだからこそ、これだけブログを書けるのだと思っているので理系に進まなくて良かったと思っています。

 以上、「理系に進まなくて良かった」

ブログに載せます。


 

 

 
 

 


 

 



 



 

 

2017年12月28日木曜日

「人間には文化的な娯楽も必要だと思う」

「人間には文化的な娯楽も必要だと思う」

 ネットを見ていると、生活保護費の引き下げに関する記事が流れています。

 記事は、経済的な困窮を訴えている記事が多いです。

 食べることはもちろん、暑さ寒さをしのぐ、冷暖房なども必要だと思いますが、やはり人間には何らかの文化的な娯楽も必要だと思います。

 うつ状態などの気持ちが滅入っている時に文化的な娯楽に出会い、気持ちが上向いたりすることもあると思います。

 何故か、生活保護費の引き下げに関する議論になると、お金の問題ばかりがクローズアップされているように思えてなりません。

 文化的な娯楽に接するにもお金は必要かもしれませんが、例えばツタヤでは今では100円でDVDを借りられます。

 映画館で映画を観られなくても、100円あればDVDをレンタル出来ます。

 図書館でも無料で本を借りられます。

 一本の映画が映画を観た人の人生を変えることもあると思うし、一つの文学作品が本を読んだ人の人生を変えることもあると思います。

 何かお金の問題以外にも、文化的な娯楽などで心の状態を改善出来ないのかなとも思います。

 経済的な格差の問題、相対的貧困の問題、政治的な問題のような気がしてなりません。

 憲法25条では、健康で文化的な生活を保障しています。

 何か、うつ状態人向けの、文化作品とか紹介してみるとかしてみても良いような気もします。

 東日本大震災の時の映像とかをネットで流さずに、何か心が和むような文化作品を紹介するとかしてみても良いような気もしています。

 何か文化的な娯楽も困っている方々には必要な気がするのでブログを書いてみました。

 以上、「人間には文化的な娯楽も必要だと思う」

ブログに載せます。






 





 

 




2017年12月15日金曜日

「健康で文化的な生活」

「健康で文化的な生活」

 生活保護費の削減のこと問題になっているようです。

 僕は、収入が生活保護費より低いので、僕にも何らのかの金銭的な支援をしていただきたいというのが本心です。

 家にいるだけなら、お金はそれほどかかりません。

 僕もここ何年かほとんど地下鉄にも乗っていません。

 都営バスは無料パスがあるので、都営バスには乗っていますが、地下鉄にはほとんど乗っていません。

 僕も節約して節約して、生活をしています。

 僕はタバコを吸っているので、ある人からすると、タバコもやめろと言われると思います。

 お酒は全く飲んでいません。

 月給2万5千円程度で、健康で文化的な生活な生活を送れるのかなとも思っています。

 生活保護を受給する方々も生活は苦しいと思いますが、僕も生活が苦しいです。

 低所得者にも何らかの金銭的な支援がいただけるような仕組みを是非、作って欲しいと思っています。

 以上、「健康で文化的な生活」

ブログに載せます。


 

  
 


2017年11月29日水曜日

「地道に規則正しい文化活動を行うことが、心の病気の改善につながるような気がする」

「地道に規則正しい文化活動を行うことが、心の病気の改善につながるような気がする」

 僕は現在の仕事が2年以上続いています。

 毎朝、文京区の神田川沿いに赴き、神田川沿いの様子を定点観測して、

 「震災本を 集めて早し 神田川」

 と詠んでいます。

 毎朝、同じ時間に規則正しく起きて、仕事に規則正しく行き、規則正しく、

 「震災本を 集めて早し 神田川」

 と詠んでいます。

 地道に規則正しい文化活動を、2年以上行っています。

 おかげさまで、夜もぐっすり眠れるようになっているし、朝もほぼ同じ時間に起きています。

 睡眠障害はほとんどなくなったと言っても良い状態になりました。

 僕は、地道に規則正しい文化活動をすることが、心の病気の改善にもつながるような気がしています。

 奇をてらった文化活動には、無理して文化活動を行っているようなところもあり、文化活動をしている人が心の病気になることもあるのかなとも思っています。

 地道に、規則正しく、自分の出来る文化活動を行うことが、心の病気を改善させていくような気がしてなりません。

 奇をてらった文化活動には、僕は関心がないし、自分で奇をてらった文化活動をしようとも思っていません。

 僕はもともと奇をてらった人間でもないし、普通の人間です。

 普通の人間なので、奇をてらった文化活動は僕には出来ないと思っています。

 地道に規則正しい文化活動を行うことによって、僕も規則正しい生活が出来るようになり、睡眠障害もほぼ無くなっているので、心の病気の方々には奇をてらった文化活動ではなく、地道で規則正しい文化活動を行ってみることをおススメします。

 以上、「地道に規則正しい文化活動を行うことが、心の病気の改善につながるような気がする」

 ブログに載せます。



 



 

 
 





2017年11月23日木曜日

「新聞記事は文化作品にまで昇華されていないような気がする」

「新聞記事は文化作品にまで昇華されていないような気がする」

 毎日、読む新聞記事。

 実に多くの記事がありますが、新聞記事の多くは文化作品にまで昇華されていないような気がします。

 文字を扱う新聞記事ですから、文化の香りの漂う新聞記事があっても良いような気がしますが、新聞記事とは、事実を如何に正確に伝えるかに重きが置かれ、文化作品としての香りの漂う記事は少ないようです。

 新聞社に勤務されている方々も頭が良いのだと思いますが、人の心を癒すような文章を書いたりする能力には欠けるようです。

 事実を伝えようとするあまりに、読み手の側を考えていないような記事も多いようです。

 新聞記事を読むことによって、救われるような方も少ないような気もします。

 世知辛い世の中だからこそ、文化作品に、助けを求めることもあるかと思いますが、毎日読んでいる新聞記事は、事実を正確に伝えようとするあまりに、文化作品にまで昇華されておらず、記事を読んでも、心が癒されることがあまりないようです。

 政治問題、社会問題ばかりを提起しても、読み手の側も政治家のような人ばかりではないし、記事を読んでも、疲れるだけだと思います。

 世の中で起きている事件などを伝えている新聞記事ですが、新聞記事を読んでも、心が癒されたりすることも少ないと思います。

 新聞記事を読んでいても、何か心の状態が一向に良くならないので、新聞記事とは文化作品にまで昇華されていないと思い、ブログを書いてみました。

 以上、「新聞記事は文化作品にまで昇華されていないような気がする」

ブログに載せます。
 
 



 

 


 

2017年11月16日木曜日

「今年はもう500ブログも書いていた。」

「今年はもう500ブログも書いていた。」

 このブログで、今年書いたブログ数が500になります。

 夏場から、ペースを上げてブログを書いていて、いつの間にか500ブログも書いていました。

 1000文字に達してなくても、ブログにアップしているので、中身はないかもしれませんが、思いついたことを書き綴っています。

ブログを書いていると、自分の考えていることを文字に出来るので、良いのではないかとも思っています。

僕が早稲田大学時代に所属していたサークル、探検部のことに関しては、悪くも書いているので、僕のブログを良く思っていない方もいるかと思いますが、ブログで自分の考えていることを書けば、僕が早稲田大学探検部に対してどのような気持ちを持っているかも分かるかと思います。

ブログでは、なるべく、心の病気(精神障害)と文化のことについて書いていこうと思っていますが、なかなか心の病気(精神障害)と文化のことに関しては書けていません。

僕は、家族で見たりするテレビ番組、朝読む新聞、一人で読む本、寂しい時に聴く音楽などを含めて、文化作品には、心の病気を改善させていく効果があると思っています。

もちろん、適度な運動は必要だと思いますが、文化作品には、心を癒す可能性があると思っています。

病気は治らないかもしれませんが、文化作品には、良い空気を出している文化作品も多くあり、心を癒してくれるものだと僕は思っています。

心の病気になると、精神薬といって、薬を飲むことになりますが、薬以上に、文化作品が効くこともあると思っています。

僕は、何故か病院に行っても、全く心の状態が良くなりませんが、良質な文化作品に触れると、カタルシスというか、心の状態が良くなることがあります。

医者の言葉よりも、文化作品の言葉の方が、心に効くことが多くあります。

稲田大学探検部関係者も文化作品を作っている方もいらっしゃるようですが、おもしろければ良いとか、人の死を描いていたりして、僕の心にとってはあまり良い効用をもたらさないようです。

 文化作品にも多くの文化作品があります。

 豪快な文化作品もあれば、繊細な文化作品もあると思います。

 人それぞれ、自分にあった文化作品があると思います。

 心の状態を良く考えて文化作品に触れていくことが大事だと僕は思っています。

 辛い時に、多くの方が亡くなった出来事に関する文化作品とかに触れると、気持ちも滅入るし、落ち込むと思います。

 辛い時に、現実の厳しさばかりを強調している文化作品に触れると、自分はダメだとか思い込むようになるかもしれません。

 心の状態に見合った文化作品に触れることがとても大事なのではないかと思います。

 このブログで、今年書いた、ブログが500ブログになったので、このブログの本来のテーマである、心の病気(精神障害)と文化のことについてブログを書いてみました。

 以上、「今年はもう500ブログも書いていた。」

ブログに載せます。




 










 
 


                   

2017年11月3日金曜日

「50歳を迎えて」

50歳を迎えて」

 僕は、今日、113日で、50歳になりました。

 月日の時が流れるのは本当に早く、いつの間にか50歳になっていました。

 人生50年と言われていた時代もあったようですが、現代では医療も進歩して、人間の寿命も長くなっています。

 僕が何歳まで生きられるかは分かりませんが、自分の出来ることをして人生を過ごしたいと思っています。

 幸いにも、ブログという、創作活動も行っていて、生きがいになるようなこともしています。

ブログで政治的なことに言及し始めると、キリがないし、時間も無駄なので、なるべく政治的なことには言及せずにブログを書いていきたいと思っています。

 より良いブログを書けるようになるためにも、良い文章を読んだり、良い映像作品を鑑賞したり、良い音楽を聴いたり、良い絵画を観たりしていきたいと思っています。

 ネットを見ていても、良いブログは書けないような気がするので、ネットにはない、より良い文化作品に触れていこうと思っています。

 50歳を迎えて、より良いブログが書けるようにしていきたと思っています。

以上、「50歳を迎えて」

ブログに載せます。



 

 


2017年8月24日木曜日

「文化としての反原発」

「文化としての反原発」

 文化活動上では、盛んに反原発を訴える文化作品も作られています。

 早稲田大学探検部の関係者の方々も盛んに反原発、脱原発の文化作品を作っています。

 本でも映画でも、表現行為は自由ですから、僕は表現作品については何も言いませんが、作品を鑑賞する側が、あまりにも政治的なメッセージ性が凄すぎると、一歩引いて鑑賞してしまうこともあるかと思います。

 例えば、「生きものの記録」を撮った、黒澤明が生きていたら、福島原発事故に際して、どのような作品を作るかなとか想像することもあります。

 御用文化活動だけが文化活動ではなく、権力に逆らうような抵抗文化活動も文化だと思います。

 ただ、権力に逆らうような抵抗文化活動も、御用文化活動と同じように、組織に支えらながら活動をしているようです。

 端的に言ってしまえば、現在の政権に反対する政治勢力などがバックについていることもあるようです。

 そのようなことを考えると、抵抗文化活動が、一個人の文化活動ではなく、組織にも支えられているような文化活動であることが分かります。

 本当に一個人で、文化活動を行っている人が、徹底的な抵抗文化活動を行えるのかと不審に思うこともあります。

 何か文化作品をつくるためには一個人の力では限界があると思うし、支えてくれるバックについてくれるような組織があった方が良いようです。

 文化活動を支えるバックについている組織が御用組織か、反権力組織かにより、作られる文化作品も変化してくるのだと思います。

 本当に一個人で文化活動を行っている方が、徹底的な、抵抗文化活動を行えるのか多いに疑問に感じています。

 早稲田大学探検部関係者の文化活動作品も一個人の作品ではなく、何か政治的な勢力がバックについているような気がして仕方ありません。

 僕が、文化としての、「反原発」を訴える作品に対して、一歩引いてしまうことから、権力に逆らうような文化活動にも、反権力勢力がバックについているような気がしているので、ブログを書いてみました。

 以上、「文化としての反原発」

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2017年8月8日火曜日

「文化を判断するのも個人の責任」

「文化を判断するのも個人の責任」

 僕は、早稲田大学に通っていました。

 早稲田大学とは、大隈重信が作った大学で、大隈重信とは九州出身の方です。

 早稲田大学には早稲田大学の文化があると思います。

 僕は早稲田大学在学中に早稲田大学探検部時代というサークルに所属していました、早稲田大学探検部関係者の方々も表現行為、文化活動をしている方々が多いようです。

 「表現の自由」と言われるくらいですから、文化活動とは自由な活動で、自分の好きな文化を判断するのも、個人の裁量に委ねられます。

 文化を判断するのも個人の責任です。

 僕がブログで良く取り上げている文化は、東北を旅して、俳句を詠んだ松尾芭蕉とか、東北の文学者、宮沢賢治です。

 松尾芭蕉も、宮沢賢治も早稲田大学出身の人間ではありませんが、あえて、東北の方々が、自分たちの郷土を誇れるような文化を取り上げています。

 早稲田大学探検部の方々がどのような文化を好むのかは個人の責任だと思います。

 個人の判断で、ご自分の好きな文化を選べば良いと思います。

以上、「文化を判断するのも個人の責任」

ブログに載せます。




 




 

2017年8月6日日曜日

「僕が渋谷の文化村に行かないわけ」

「僕が渋谷の文化村に行かないわけ」

 僕の誕生日は、113日、文化の日です。

 誕生日が文化の日なので、文化のことには少なからず関心があります。

 東京には文化施設も多く、渋谷にも「文化村」という施設があります。

 渋谷の「文化村」にも行っても良いのだと思いますが、僕は渋谷の「文化村」に行っていません。

 何故、渋谷の「文化村」に行かないのかと言うと、一度、渋谷に行ったときに、「文化村」の周辺を歩いていて、障害者が一人で歩くには、あまり良い地域とは思えなかったからです。

 派手な格好をしたおねえちゃんとかも歩いていていたし、水着の大きな写真もありました。

 障害者にとっては過激な刺激のある街だと思い、一度、渋谷の「文化村」の周辺を偵察して、障害者が一人で歩くには、良い地域ではないと僕が判断したからです。

 というわけで、僕は、渋谷の「文化村」周辺には行っていません。

 地元、文京区の神田川沿いの様子を詠むことによって、僕の文化活動を行っています。

 神田川沿いには、松尾芭蕉が住んでいた、関口芭蕉庵もあるし、十分、文化活動を行うには良い地域です。

 人それぞれ、自分の文化活動があると思います。

 渋谷の「文化村」で行われているような文化活動が好きな方もいれば、芭蕉庵のような文化施設が好きな方もいると思います。

 僕は渋谷の「文化村」で行われているような文化活動を鑑賞しているほど、時間の余裕がない人間なので、地元の芭蕉庵のような文化施設を見て、思いついた文化活動を行っています。

 自分の身の丈にあったことをすれば、安全も確保出来ると思います。

 僕は一度、渋谷の「文化村」周辺を歩いた時に、少し危険な地域だと思ったので、渋谷の「文化村」に行っていないことについてブログを書いてみました。

以上、「僕が渋谷の文化村に行かないわけ」

ブログに載せます。