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2022年8月4日木曜日

「僕の両親はブルーベリーを食べて、ヨーグルトも自分で作って食べている」

 「僕の両親はブルーベリーを食べて、ヨーグルトも自分で作って食べている」

  僕の両親は高齢です。

  父は89歳です。母は85歳です。

  父、母ともに80歳を超えています。

  何が長寿の秘訣かと言ったら、僕は食べ物だと思っています。

  両親は、目に良いと言われるブルーベリーを食べています。

  また、ヨーグルトを自分で作って、ヨーグルトも食べています。

  ヨーグルトは薬代わりに食べている人も多いと思いますが、ヨーグルトを食べています。

  食べ物が長寿の秘訣のようです。

  運動に関しては、父は、以前は、文京区のラジオ体操に通っていました。

  母は、以前は、介護予防体操に通っていました。

  食事と運動が長寿の秘訣のようです。

  僕の両親がブルーベリーを食べて、ヨーグルトも自分で作って食べていることをブログに書いておきます。

  以上、「僕の両親はブルーベリーを食べて、ヨーグルトも自分で作って食べている」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

2020年1月18日土曜日

「おやじとおふくろが頑張っていた江戸川橋で僕も頑張って生きる」

「おやじとおふくろが頑張っていた江戸川橋で僕も頑張って生きる」

 僕のおやじとおふくろは、文京区の江戸川橋でラーメン屋を開業して、朝から晩まで頑張って働いていました。

 僕は子供の頃、おやじとおふくろの働く姿を見て育ちました。

 もし僕がおやじとおふくろの働く姿を見ないで育ったら、僕も早稲田大学まで行けたか分かりません。

 おやじとおふくろの働く姿を見て育ったから、僕も勉強を頑張り、早稲田大学まで行けました。

 僕のおやじとおふくろは江戸川橋で頑張って働いていました。

 僕も週に6日間、江戸川橋にあるうなぎ屋さんに通って仕事をしていて、今日は休みたいと思う日も多くありますが、おやじとおふくろが頑張っていた江戸川橋に赴き、僕もおやじとおふくろが頑張って働いていた姿を思い出して、僕もなんとか休まずに仕事に行っています。

 僕もおやじとおふくろが頑張っていった江戸川橋で頑張って生きようと思っています。

 僕がおやじとおふくろが頑張っていた江戸川橋で頑張って生きようと思っていることをブログに書いておきます。

 以上、「おやじとおふくろが頑張っていた江戸川橋で僕も頑張って生きる」

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2019年12月21日土曜日

「昨日は父に何故、文京区の江戸川橋にお店を開いたのかを聞いた」

「昨日は父に何故、文京区の江戸川橋にお店を開いたのかを聞いた」

 昨日、僕の家では、夕飯時に、僕が父に、何故、文京区の江戸川橋にお店(ラーメン屋さん)を開いたのかを聞きました。

 僕が文京区の江戸川橋で生まれ育ったから、文京区の学校の教育レベルが高く、僕も早稲田大学まで行けたと思っているので、父に何故、文京区の江戸川橋にお店を開いたのかを聞きました。

 父は、父の弟さんが、文京区の江戸川橋の神田川沿いの製本屋さんで、住み込みで働いていて、弟さんの紹介で、文京区の江戸川橋を紹介され、それまでいた、中央区の蛎殻町から移って来て文京区の江戸川橋にラーメン屋さんを開いたと言っていました。

 僕の父がラーメン屋さんを開く前は、ラーメン屋さんだった場所は飲み屋さんだったそうです。

 特別、文京区に思い入れがあり、文京区にお店を開いたわけではないようです。

 僕が、文京区の江戸川橋で生まれ育ったから早稲田大学まで行けたと思っていると父に言うと、僕の両親は、もし、東大の近所でお店をやっていたら、東大に行けたかもしれないねと笑って言っていました。

 生まれ育った場所でどこの大学に行くかとか決まるわけでもないと思いますが、僕は少なからず、自分の生まれ育った場所と自分の進む大学とか関係があるような気がしています。

 文京区の江戸川橋界隈と早稲田大学は地理的に近く、どちらかというと早稲田大学文化圏のような気がします。

 僕も父が文京区の江戸川橋にお店を開いたから早稲田大学に進んだと思っています。

 昨日は僕の家では何故、父が文京区の江戸川橋でお店をやったのかを聞いたことをブログに書いておきます。

 以上、「昨日は父に何故、文京区の江戸川橋にお店を開いたのかを聞いた」

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2019年12月11日水曜日

「母の血圧が170もあったようだ」

「母の血圧が170もあったようだ」

 昨日、僕の母が健康診断に行ってきたようです。

 母に聞くと、血圧が170もあったそうです。

 高血圧で、血圧を下げる薬を飲むことになるかもしれないと言っていました。

 僕は、血圧は上が110くらいなので、母の血圧、170には本当に驚きました。

 僕の母は介護予防体操にも通っていて、散歩も毎日しています。

 食生活も塩分控えめの食生活をしていると思うし、血圧が170というのは僕も本当に驚きました。

 何らかのストレスで血圧が上がっているような気がしてなりません。

 僕の母の血圧が170もあったのでブログを書いておきます。

 以上、「母の血圧が170もあったようだ」

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2019年9月12日木曜日

「厳父、慈母に育てられて」

「厳父、慈母に育てられて」

 僕の父はとても厳しい父です。

 僕が現役の時に早稲田大学の受験に失敗した際には、浪人生は家に置かないからと言って、僕は中央区にある東京新聞の新聞専売所に住み込みで働くことになりました。

浪人生が新聞専売所で住み込みで働くとは、ものすごい負担になることで、下手をすると、大学などに行けなくなってしまう可能性のあることです。

 僕も下手をしたら、大学などに行くこともなく、新聞専売所でずっと働くことになっていたかもしれません。

新聞配達に耐えながら受験勉強をしたから僕も早稲田大学まで進めたと思っています。

僕の母は慈しみのある母です。

口ではきついことも言いますが、口から言葉が出ればそれで終わりで、自分の言ったことをすっかり忘れています。

 美味しい料理を作って食べさせてくれます。

 慈しみにあふれた料理を食べることによって、僕も状態が良くなります。

 僕も厳父、慈母に育てられたから早稲田大学まで行けたのだと思っています。

 仮に僕に子供がいたとしたら、自分の子供を早稲田大学に進ませることは出来ないと思っています。

僕が厳父、慈母に育てられたから早稲田大学まで進めたと思っているのでブログを書いておきます。

以上、「厳父、慈母に育てられて」

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2019年8月6日火曜日

「本郷にベトナム料理屋さんがあった頃は家族でベトナム料理を食べに行き良かった」

「本郷にベトナム料理屋さんがあった頃は家族でベトナム料理を食べに行き良かった」

 昔、本郷にミュンというベトナム料理屋さんがありました。

 一度、家族でベトナム料理を食べに行きました。

 僕の両親は食べ物屋さんだったので、食べることは好きで、ベトナム料理も興味津々に食べていました。

 確か春巻きみたいな食べ物を食べたと思いますが、美味しかったと思います。

 僕の両親もベトナム料理は食べたことがなく、おもしろがっていました。

 昔、本郷にミュンというベトナム料理屋さんがあり、家族でベトナム料理を食べに行ったことがあり、懐かしくなったのでブログを書いておきます。

 以上、「本郷にベトナム料理屋さんがあった頃は家族でベトナム料理を食べに行き良かった」

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2019年7月31日水曜日

「うなぎ屋さんで働くようになってから、父と母から昔話を聞けるようになった」

「うなぎ屋さんで働くようになってから、父と母から昔話を聞けるようになった」

 僕が江戸川橋の鰻(うなぎ)屋さん、「はしもと」さんで働くようになってから、僕の父と母から、昔、中華料理屋さんをやっていた頃の話を聞けるようになりました。

 僕の父と母が結婚した頃は、お店は夜の8時から開店して、夜の3時頃まで営業していた話も聞けました。

 お店の近所にタクシー屋さんが多くあり、タクシーの運転手さんがごはんを食べに来るので、夜遅くに営業していたとのことらしいです。

 大学生の寮も小日向にあり、大学生の寮の方々もごはんを食べに来てくれたことも分かりました。

 お店にお客さんがついてくれたことも分かりました。

 良く来てくれる常連のお客さんがついてくれたので、お店がやっていけたことも分かりました。

 中華料理屋さんが、重い鍋を持ってチャーハンを作ったり、焼きそばを作ったりして、ものすごい重労働であることも分かりました。

 また、調理の際は火を使うので、夏などはとても暑かったらしいです。

 本当に大変な仕事を長い間、僕の父と母はしていたようです。

 僕がうなぎ屋さんで働くようになってから、父と母から昔話を聞けるようになったことをブログに書いておきます。

 以上、「うなぎ屋さんで働くようになってから、父と母から昔話を聞けるようになった」

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「僕の家では父も母も本は読まないので、僕は孤立している」

「僕の家では父も母も本は読まないので、僕は孤立している」

 僕の家では僕の父も母も本は読みません。

 テレビを見たり、新聞を読んだりはしますが、本は読みません。

 僕だけが本を読んでいるので、僕は家で孤立しています。

 僕が本を読んでも、読んだ本の話をする人も周りにおらずに、僕は孤立した状態になっています。

 僕は早稲田大学まで行っているので、本を読んでいますが、僕の周りに僕の読んでいる本を読んでいる人はいないようです。

 本を読むことが悪いことだとは思いませんが、本を読んでも読んだ本の話とかする人が周りにいないと本当につまらないと思います。

 僕の家では僕の父も母も本を読まず、僕だけが本を読んでいるので、僕が家で孤立していることをブログに書いておきます。

 以上、「僕の家では父も母も本は読まないので、僕は孤立している」

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2019年7月29日月曜日

「昨日はお墓の話をした」

「昨日はお墓の話をした」

 昨日、僕の家ではお墓の話をしました。

 僕の家ではお墓を守る人がいないので、僕の両親が亡くなってもお墓は作らずに、合同墓地に入ると親が言っていました。

 僕も死んだらお墓は作らずに合同墓地に入ることになるそうです。

 家でお墓の話をするのは何か死ぬことを考えてしまい、嫌ですが、僕の両親も高齢なので、死ぬこともきちんと考えているようです。

 僕はまだ51歳なので、死ぬことを真剣には考えてはいませんでしたが、僕は死ぬときは家族に看取らることもなく、一人で死んでいくと思っています。

 そろそろ僕も自分が死ぬことも考えながら生きていかなければいけないと思っています。

 僕がこれから先何年生きられるか、人生を逆算して生きていかないといけないと思っています。

 僕は精神障害者ですから健常者より寿命も短いと思うし、そう長くは生きられないと思っていますが、できるだけ、自分の好きなことをしてこれから先の人生を過ごしていこうと思っています。なるべく自分の人生に後悔がないようにこれから先の人生を過ごしていこうと思っています。

 昨日は僕の家ではお墓の話をしたので、僕が自分が死ぬことを意識したことをブログに書いておきます。

 以上、「昨日はお墓の話をした」

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2019年4月27日土曜日

「8050問題の話で昨日の食卓は盛り上がった」

「8050問題の話で昨日の食卓は盛り上がった」

 昨日、僕の家では夕飯時に、ひきこもりの話になり、80歳代の親と50代のひきこもりの子供の8050問題の話で盛り上がりました。

 僕の両親が、8050問題のことを報道しているテレビ番組を見たようで、

 「おまえと同じくらいの年の人間が、家に引きこもり、親が高齢にも関わらず、買い物に行って、50代の子供を食べさせている。甘やかされているんじゃないか?親がいなくなったら、ひきこもりの50代の子供は死んでしまうね」

 と言っていました。

 僕も50代で、8050問題の範疇に当てはまる人間なのかなと思いました。

 僕は万歩計で、一日8000歩以上歩いていて、引きこもりではありませんが、収入は少なく、親がいなかったら、本当に大変だと思っています。

 両親と8050問題の話をしていて、僕も8050問題の当事者なのではないかとふと思いました。

 昨日は僕の家では夕飯時に8050問題の話になり、食卓が盛り上がったことをブログに書いておきます。

 以上、「8050問題の話で昨日の食卓は盛り上がった」

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2019年3月16日土曜日

「今日は両親は笑点を見に行く」   

「今日は両親は笑点を見に行く」

 今日は僕の両親は、「笑点」を見に行きます。

 近所の方から、「笑点」の入場券をもらったそうで、「笑点」を今日、見に行きます。

 僕の両親は毎週、日曜日は「笑点」を見ているので、「笑点」ファンです。

 生で「笑点」を見るのは初めてだと思うので、楽しみにしていると思っています。

 良い気晴らしになれば良いと思っています。

 以上、「今日は両親は笑点を見に行く」

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2019年3月3日日曜日

「両親は昨日、水戸偕楽園に行ったようだが父が気持ち悪くなってしまったようだ」

「両親は昨日、水戸偕楽園に行ったようだが父が気持ち悪くなってしまったようだ」

 僕の両親は、昨日は、バス旅行で水戸の偕楽園に梅を見に行ったようです。

 僕は、昨日は家で留守番をしていました。

 夜の8時頃に家に帰ってきたので、

「どうだった」と聞くと、父が気持ち悪くなってしまい、お昼ご飯を食べられなかったようです。

父も高齢で薬を大量に飲んでいるので、すぐに体の具合が悪くなってしまうようです。

偕楽園の梅はきれいだったと言っていました。

昨日は僕の両親は水戸偕楽園に梅を見に行ったが、父が気持ち悪くなってしまったことをブログに書いておきます。

以上、「両親は昨日、水戸偕楽園に行ったようだが父が気持ち悪くなってしまったようだ」

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2019年2月20日水曜日

「吃音だと家でも両親とまともに会話が出来ない」

「吃音だと家でも両親とまともに会話が出来ない」

 僕は吃音です。

 家でもどもります。

 僕は高齢の両親と一緒に住んでいますが、家でも両親とまともに会話できません。

 僕が頑張って言葉を出しても、両親には僕の言葉はきちんと聞こえないようで、何度も何と言っているか聞き返されます。

 僕も言葉が出ないので、聞き返されても、言葉が出ずに、結局、会話になりません。

 両親も高齢で耳も遠くなっていると思うし、僕も吃音で、きちんとした言葉が出ずに、家で両親とまともに会話が出来ません。

 会話が出来ないので、コミュニケーションも出来ずに、お互いに何を考えているのかが分からずに生活しています。

 吃音とは家でもまともに会話が出来ない障害で、本当に苦しいです。

 僕が吃音で、家でも両親とまともに会話が出来ないことをブログに書いておきます。

 以上、「吃音だと家でも両親とまともに会話が出来ない」

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2019年1月21日月曜日

「僕の家で人気があるのは瀬戸内寂聴さん」

「僕の家で人気があるのは瀬戸内寂聴さん」

 僕の家では瀬戸内寂聴さんが人気があります。

 僕の両親より高齢にも関わらずに、文章を書いていてすごい人だと家族で話しています。

 年を取ると、脳の働きも落ちてきて文章などを書くのは大変だろうなと話しています。

 瀬戸内寂聴さんは96歳のようですが、いまだに文章を書いていて、本当にすごい人だと家族で話しています。

 僕も医者からは精神障害と診断されていますが、精神障害でも文章を書けることを証明したくて、僕も長くブログを書いています。

 親からは瀬戸内寂聴さんも文章を書けるのだからおまえも本でも書きなさいとも言われます。

 僕には本は書けませんが、ブログを書いています。

 精神障害、統合失調症になると、認知機能が落ち、文章などを書くのが困難になる方もいらっしゃると思いますが、僕にとってはブログ(=文章)を書くことがリハビリになるようです。

 頭の体操としてブログを書くことが僕にとっては良いことのようです。

 僕の家では96歳という高齢にも関わらずに文章を書いていらっしゃる瀬戸内寂聴さんが人気があり、僕も医者から精神障害と診断されているが、脳の働きが落ちないようにブログを書いていることを書いてみました。
 
 以上、「僕の家で人気があるのは瀬戸内寂聴さん」

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2018年12月24日月曜日

「幸い、父の病気の具合は大丈夫だった」

「幸い、父の病気の具合は大丈夫だった」

夜中に父が、病院に行きました。

 夜中でも父の通っている病院は、急患を受け入れていているようです。

 今日、お昼に父に、病院で何と言われたかと聞くと、

 「大丈夫です」

と言われたそうです。

今日も、父はずっと布団に入って寝ていますが、病院では

「大丈夫です」

と言われたようです。

取りあえず、病院では、「大丈夫です」と言われて、僕もホッとしています。

だた、高齢なので、ちょっとした負荷がかかると、どこか具合が悪くなってしまうようです。

夜中に父が病院に行ったが、幸い父の病気の具合は大丈夫だったようなので、ブログに書いておきます。

以上、「幸い、父の病気の具合は大丈夫だった」

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「父が夜中に病院に行ったようだ」

「父が夜中に病院に行ったようだ」

 昨晩、夜中の2時半頃、父が、体の具合が悪くなり、通っている病院に電話をして、夜中に病院に行ったようです。

 僕も目が覚めて、父の部屋に行き、

 「スマホでタクシーを呼ぶ?」

 をスマホを見せました。

父は、夜中、歩いて病院まで行ってきたようです。

母も、

「入院になったら大変だ」

と言って心配していました。

今朝、僕が仕事に行くために起きて朝食を食べているときも、父は寝たままで、まだ具合が悪そうでした。

病気が悪くなければ良いと思っていますが、年齢も年齢なので、いつ入院になってもおかしくないのだと思います。

僕も毎日のようにTwitterをやり、ブログも書いていますが、父が入院したら、Twitterも出来なくなると思います。

僕も真面目に自分の生活のあり方を考えないといけない時期になっているのだと思います。

以上、「父が夜中に病院に行ったようだ」

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2018年11月27日火曜日

「早く自立して家から出て行ってくれと母に言われた」               

「早く自立して家から出て行ってくれと母に言われた」

 昨日は、母から、
                                               
 「早く自立して家から出て行ってくれ」と言われました。

 僕は精神障害者です。自立したくても、お金が無くて自立した生活が出来るようには思えません。

 僕が健康な健常者で、バリバリ働けるような人間だったら、僕も経済的に自立して、家から出て、一人暮らしも出来るのだと思いますが、僕は精神障害者で、一日一時間程度の仕事をするのを精一杯という状態です。

 何か生活保護のような経済的支援を受けられれば家から出て、一人暮らしも出来るのだと思いますが、僕は生活保護を受給出来る要件に当たらない人間のようです。

 母の気持ちも分かりますが、現実をきちんと検討すると、僕が家から出て自立した生活をするのはとても難しいことです。

 障害者に自立してもらいたいと考える人も多くいると思いますが、現実には自立した生活をするためのハードルが多くあり、障害者がハードルを越えていくのはとても難しいようです。

 親心だと思いましたが、現実問題として、僕が自立するのはとても難しいことだと思いました。

 昨日は母から、

「早く自立して家から出て行ってくれ」と言われたので、僕の心境をブログに書いてみました。

以上、「早く自立して家から出て行ってくれと母に言われた」

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2018年11月26日月曜日

「生まれ故郷で死にたいとつぶやく母」

「生まれ故郷で死にたいとつぶやく母」

 先日、母と少し話をしました。

 母は部屋の窓から見える風景を見ながら、

「空が真っ青だ。まるで高萩の海みたいだ。生まれ故郷で死にたい」

とつぶやいていました。

僕の母は茨城県の高萩という町の出身です。

東京に出て来て、材木屋さんで家政婦をしていました。

その後、僕の父とお見合い結婚をしました。

僕の父も東京出身の人間ではなく、新潟県出身です。

両親とも本当は、自分の生まれ故郷で死にたいと思っているかもしれないと思いました。

東京に住んでいても、わずかな年金で生活をし、東京で見られる華やかな生活とは無縁の生活をしています。

東京に住んでいても、あまり良いこともないし、きれいな海とか山とかに囲まれて生活して死んでいきたいと考えるのは真っ当なことだと思います。

僕は東京で生まれましたから、東京で死んでも良いと思っていますが、母はやはり、生まれ故郷で死にたいようです。

母の願いを叶えられるだけの力が僕にはないので、母のつぶやきを聞き流していましたが、本音だと思いました。

僕は母のつぶやきを聞いても、母の願いを叶えることが出来ないので、少し辛くなりました。

先日、母と話をしていたら、

「生まれ故郷で死にたいと」

とつぶやいていたので、僕の気持ちをブログに書いてみました。

以上、「生まれ故郷で死にたいとつぶやく母」

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2018年11月12日月曜日

「両親は日光、いろは坂の紅葉を見に行っている」

「両親は日光、いろは坂の紅葉を見に行っている」

 今日は僕の両親は、日光に行っています。

 いろは坂の紅葉を見に行っているようです。

 今朝、起きたら雨が降っていたので、あいにくの天気だなと思いましたが、日光に紅葉を見に行っています。

 どこかのスーパーマーケットのツアーで、日光のいろは坂の紅葉狩りのツアーがあったようで、そのツアーに参加したようです。

 少しでも天気が良くなれば良いと思っています。

 今日は、僕の両親は日光、いろは坂の紅葉を見に行っていることをブログに書いてみました。

 以上、「両親は日光、いろは坂の紅葉を見に行っている」

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2018年8月24日金曜日

「実は昨年、父から金銭的な支援があった」

「実は昨年、父から金銭的な支援があった」

 先日はブログに、母から金銭的な支援があったことを書きましたが、実は昨年にも父からも金銭的な支援がありました。

 まとまったお金を(100万円)をいただきました。

 父からいただいたお金で、7年以上払っていなかった国民年金を支払いました。

 滞納していた国民年金額は100万円を超えていて、父からいただいたお金で国民年を支払うと昨年の家計簿は赤字になりました。

 父と母からの金銭的支援があり、僕もなんとか生活しているというのが本当のところです。

 僕の収入だけではとても普通の生活も出来るはずもなく、両親からの金銭的な支援があり、僕もなんとか生活しています。

 僕はおそらく将来は生活保護になると思います。

これから先、高収入の仕事に就くとか到底考えられず、なんらかの公的支援がないと生活していけなくなると思っています。

昨年、父から金銭的な支援があったことをブログに書いておきます。

以上、「実は昨年、父から金銭的な支援があった」

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