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2021年4月25日日曜日

「神田川生活をしていた松田和郎は文京区関口の聖カテドラル教会で結婚式を挙げられていた」

 「神田川生活をしていた松田和郎は文京区関口の聖カテドラル教会で結婚式を挙げられていた」

  昔、神田川生活をしていた早稲田大学探検部33期の同期の松田和朗(現在では医師になっています)は神田川生活を経て、お付き合いしていた女性とご結婚をされ、文京区関口にある聖カテドラル教会で結婚式を挙げられていました。

  神田川生活をしていた松田和郎は、学生時代に、早稲田大学の大隈講堂のすぐそばの、日の当たらない、オンボロアパートに住んでいました。

  僕も神田川生活をしていた松田和朗さんの日の当たらない、貧乏生活を見るのが面白かったので、何度か松田和郎の住んでいたアパートに遊びに行きました。

  松田和郎とは、早稲田大学探検部だけではなく能のサークルにも入っていました。

  お付き合いしていた女性も、能のサークルで出会った女性でした。

  松田和郎の日の当たらない貧乏アパートに遊びに行くと、能のサークルで出会った女性も一緒に居ることも多くて、僕も幾度か話をしたことがあります。

  才媛で、松田和郎もいい人を探したなと思っていました。

  松田和郎とは早稲田大学在学中は人間科学部に在籍していましたが、早稲田大学人間科学部に嫌気がさしたのか、早稲田大学人間科学部を中退して、筑波大学医学部に入り直して、医師の資格を得て、医師になった方です。

  松田和朗郎が難関の医学部に入学し、医師になったのも、能のサークルで出会った女性のおかげだと僕は思っています。

  現在も松田和郎とはFacebookで交流していますが、主に自分の親御さんや、自分のご兄弟、自分のご家族に関する記事をたくさん書いてFacebookに投稿しています。

  本当に良い女性を探して、文京区関口の聖カテドラル教会で結婚式を挙げられ、その後も医師になり、幸せな家庭を築いて記事をたくさん書かれているので、僕から見ると同じ神田川生活をしていた者としての面目躍如といったところだと思っています。

  僕も出来ることなら同じように神田川生活をしていた松田和朗を見倣いたいと思っていますが、僕には松田和朗のような知力も行動力も才能もないようです。

  僕から見ると、同じように神田川生活をしていた松田和朗は見倣うべき対象ですが、僕には松田和郎のような知力も行動力も才能もないようです。

  僕と同じように神田川生活をしていた松田和郎が極貧の日の当たらない神田川生活を経てからお付き合いしていた女性と文京区の聖カテドラル教会で結婚式を挙げられていたことをブログに書いておきます。

  以上、 「神田川生活をしていた松田和郎は文京区関口の聖カテドラル教会で結婚式を挙げられていた」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年8月6日火曜日

「一人暮らしをしている頃は、部屋にクーラーは無かったが熱中症にならなかった」

「一人暮らしをしている頃は、部屋にクーラーは無かったが熱中症にならなかった」

 昔、僕が一人暮らしをしていた頃は部屋にクーラーがありませんでした。

 僕が一人暮らしをしていた頃も夏は暑かったと思いますが、クーラーが無くても熱中症になりませんでした。

 今の暑さが、昔の暑さよりもより酷い暑さになっているのだと思います。

 今の時代に部屋にクーラーが無かったら、熱中症で死んでしまうかもしれないと思っています。

 今の暑さが異常な暑さなのだと僕は思っています。

 連日の猛暑日で35度越えの日々です。

 夜も暑いし、クーラーが部屋に無かったら、暑くて眠れずに本当に大変だと思っています。

 僕が昔一人暮らしをしていた頃は、部屋にクーラーが無くても熱中症にならなかったが、今の時代の暑さは昔の暑さとは違う暑さで、異常な暑さだと僕が思っていることをブログに書いておきます。

 以上、「一人暮らしをしている頃は、部屋にクーラーは無かったが熱中症にならなかった」

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2019年7月27日土曜日

「一人暮らしをしていた頃は月収15万円くらいだったが、全く貯金が出来なかった」

「一人暮らしをしていた頃は月収15万円くらいだったが、全く貯金が出来なかった」

 僕が一人暮らしをしていた頃は、月収は15万円くらいでした。

 二つ仕事をして、一日、8時間くらい働いていたと思いますが、月収は15万円くらいだったと思います。

 家賃は2万8千円でしたが、食費、光熱費、その他の費用で、全く貯金が出来なかったと思います。

 老後2000万円必要の問題以来、関連する記事を読んだりしていますが、家賃を支払って一人暮らしをしている人は、僕はほとんど貯金が出来ないのではないかと思っています。

 一人暮らしをしていると、掃除、洗濯などの家事も自分でやらなければならないし、食事も僕は御飯を炊いておかずを買ってきたりして食事をしていました。

 一人暮らしで、アパートを借りるなどして生活している人で、老後までに2000万円を貯金できる人は日本にどれだけいるのかなとも思っています。

 僕が一人暮らしをしている頃、1日8時間くらい働いて月収15万円くらいだったが、全く貯金できなかったことをブログに書いておきます。

 以上、「一人暮らしをしていた頃は月収15万円くらいだったが、全く貯金が出来なかった」

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2017年9月10日日曜日

「神田川生活時代のNHKエンタープライズ」

「神田川生活時代のNHKエンタープライズ」

 僕が神田川生活をしていた頃、友人から、NHKエンタープライズを紹介されて、渋谷の社屋に赴いたことがありました。

 藤尾さんと一緒に作った本を持っていて、NHKエンタープライズの方に、本を見せて、こういう本を作りましたと言いました。

 すると、NHKエンタープライズの方は、

「装丁が・・・・」

 と言っていました。

 本の装丁が気に入らなかったのだと思います。

 上手くいけば、NHKエンタープライズで仕事をもらえたのかもしれませんが、本の装丁でNHKエンタープライズから仕事をもらうことが出来ませんでした。

 マスコミ関係の方は、作った本の装丁とかもとても気にするのだと思いました。

 もう、昔のように、NHKエンタープライズの社屋に行くこともないと思います。

 急に昔、神田川生活をしていた頃に、渋谷のNHKエンタープライズの社屋に行ったこと思い出したのでブログを書いてみました

 以上、「神田川生活時代のNHKエンタープライズ」

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2017年9月2日土曜日

「藤尾さんを信じるか、僕を信じるか?」

「藤尾さんを信じるか、僕を信じるか?」

 僕が一人暮らしをしていた頃の僕の生活を藤尾潔さんというライターが本に書いています。

 深刻な貧乏として書いています。

 僕は一人暮らしをしている頃は、マッキントッシュのノートパソコンで、探検冒険関連新聞記事データベースを作っていました。

 深刻な貧乏人が、マッキントッシュの最新のノートパソコンを購入して、探検棒関連の新聞記事のデータベースなど作れるでしょうか?

 本を書く基準がどのようなものか分かりませんが、本になったというだけで、僕の一人暮らしの生活のイメージが出来上がってしまいます。

 僕は書かれることは仕方ないと思っていますが、藤尾さんは僕の生活をきちんと取材していないし、事実誤認も多くある内容だと思っています。

 藤尾さんが、僕が住んでいたアパートを訪問したことは事実ですが、藤尾さん程度の訪問で、僕の生活を書けるのかなと疑問に思います。

 本に掲載されたというだけで、藤尾さんの本の内容を信じてしまうか、僕を信じるかは自由ですが、他人に書かれると、イメージが出来上がってしまうので、僕は他人に書かれるなら、自分でブログを書いていようと思っています。

 藤尾さんの本の内容を信じるか、僕のブログを信じるかは、個々人の判断です。

 以上、「藤尾さんを信じるか、僕を信じるか?」

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2017年8月19日土曜日

「神田川生活時代の闖入者11 近大探検部の訪問」

「神田川生活時代の闖入者11 近大探検部の訪問」

 僕が神田川生活(一人暮らし)をしていた頃に、チベットで出会った近畿大学探検部の連中2人、吉竹俊之、小林が僕のアパートを訪問したことがありました。

 早稲田大学の大隈講堂の前で待ち合わせしました。

 大隈講堂の前で、近大探検部の連中と会って、その後、僕の実家のある文京区の小石川植物園に行って、小石川植物園の散策をしたと思います。

 その後、僕の住んでいたアパートにやって来て、レンタルビデオ屋さんで、ビデオを借りて、ビデオ鑑賞をしたと思います。

 今から思うと、近大探検部の連中もせっかく、東京まで来たのだから、銀座とか新宿で飲んだりして遊びたかったのかなと思っています。

 僕は当時も現在も、銀座とか新宿とかに疎いので、近大探検部の連中を案内するところも、小石川植物園だったりしました。

 せっかく東京に来たのだから、もう少し、しゃれた場所を案内出来ていればよかったと思っています。

 ライブハウスとかを僕が知っていれば、音楽でも聴きながら酒を飲んだりすることも出来たのだと思いますが、僕は東京で遊ぶ場所を知りませんでした。

 僕の力量の無さで、仕方ありませんが、近大探検部の方々を東京でもてなすには、僕は力不足だったようです。

 現在も僕は、近大探検部の連中をもてなすだけの能力も無いので、近大探検部の連中と会うこともありません。

 急に、神田川生活(一人暮らし)していた頃に、近大探検部の連中が僕の住んでいたアパートに訪問したことを思い出したので、ブログを書いてみました。

 以上、「神田川生活時代の闖入者 近大探検部の訪問」

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2017年8月2日水曜日

「神田川生活時代の高校時代のバスケ部の後輩の訪問」

「神田川生活時代の高校時代のバスケ部の後輩の訪問」

 僕が、早稲田大学界隈に家賃2万8千円の4畳半一間のアパートを借りて神田川生活(一人暮らし)をしていた頃に、僕の高校時代のバスケットボール部の後輩、長沢君と、早稲田大学界隈の道で偶然で出くわし、長沢君が僕のアパートを訪問したことがありました。

 長沢君は大学は早稲田大学理工学部で応用物理を専攻していたようです。

 高校時代の後輩、長沢君は僕のアパートを訪問すると、早稲田大学時代に一緒にマージャンをしていた方が、僕のアパートに出入りしていて、後輩が訪問した際も、一緒にマージャンをしていた方、秋山英樹さんが、僕のアパートにいました。

 秋山英樹さんとは早稲田大学政治経済学部中退の方でしたが、サングラスをかけていたので、高校時代の後輩、長沢君もビビっていたようです。

 小石川高校時代の後輩、長沢君は、僕に、

 「あの人、誰ですか?」

 と訊いてきました。

 不審な人物に見えたのだと思います。

 僕は、高校時代は、バスケットボール部で真面目だったので、真面目な先輩の住んでいるアパートに、サングラスをかけた、怪しい人物が出入りしているとは夢にも思っていなかったのだと思います。

 アパートに出入りしていた方は、「雀聖」と呼ばれるほど、マージャンの強い方で、ヤクザな部分もあった方のようにも思われます。

 僕の高校時代の後輩、長沢君がビビっていたのも普通の反応だったと思います。

 僕の住んでいるアパートに、サングラスをかけたヤクザっぽい方が出入りしていて、僕の高校時代のバスケットボール部の後輩、長沢君がビビっていました。

 ただ、僕の住んでいたアパートに出入りしていたサングラスをかけていた秋山英樹さんもお父様が京都大学医学部ご出身のお医者さんの方だと聞いていました。

 長沢君のご両親は東京大学ご出身の方だと存じ上げていたので、長沢君には、僕と早稲田大学探検部33期同期だった桜井誠人さんをご紹介させていただきました。

 桜井誠人さんもお父様が東京大学医学部ご出身のお医者さんで、学部も長沢君と同じ理工学部で専攻は応用化学で同じ理工学部で応用物理を専攻されていた長沢君と話が合うと思い、早稲田大学理工学部の桜井誠人さんの在籍されていた研究室に行って、桜井誠人さんに長沢君をご紹介させていただきました。

 僕の知っている限りでは、長沢君はジャパンエナジーという会社にご就職されたと聞いていますが、もう何年も前に聞いた話なのでもしかしたら間違っているかもしれません。

 長沢君も小学校は小日向台町小学校で、高校時代のバスケ部の練習が終わってからの帰り道が同じだったので、 福田君、長沢君と一緒に自転車で帰っていました。

 今では、何をしているのだろうかとも思っています。

 以上、「神田川生活時代の高校時代のバスケ部の後輩の訪問」

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2017年6月1日木曜日

「神田川生活時代の中学校時代の友人の来訪」

「神田川生活時代の中学校時代の友人の来訪」

 僕が神田川生活(一人暮らし)をしていた頃に、僕の家に中学時代の友人、松尾省吾がアパートに遊びに来たことがありました。

 松尾省吾は、車で遊びに来て、サングラスをかけて遊びに行きました。

 松尾省吾は茗台中学時代は同じバスケットボール部で、一緒に練習をしたりした仲の人間でした。

 昔の友人は、僕の住んでいるアパートに入ると、その貧乏ぶりに、驚いたような表情をしていましたが、僕がお茶を出すと、お茶を飲んでいました。

 少し、話をして、友人は車で、帰ったと思います。

 中学時代の友人まで、僕の住んでいたアパートに来てくれるのは嬉しかったです。

 早稲田大学時代のことを引きずって、早稲田大学の近所にアパートを借りて住んでいましたが、今から思うと、極貧の生活だったようです。

 中学時代の友人、松尾省吾も、僕の極貧生活をおもしろがって、僕の住んでいたアパートを来訪したのだと思います。

 急に、神田川生活(一人暮らし)している時の中学時代の友人、松尾省吾の来訪を思い出したので、ブログを書いてみました。

 以上、「神田川生活時代の中学校時代の友人の来訪」

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2017年5月9日火曜日

「神田川生活後の、皆川さん、有村の来訪」

「神田川生活後の、皆川さん、有村の来訪」

 僕が、神田川生活(一人暮らし)をしていて、幻覚妄想状態になり、実家に戻ってから、僕の早稲田大学探検部時代の同期の倉島孝行の知り合いの、皆川さん、有村が、僕の住んでいる文京区の実家の近所に車で来たことがありました。

 皆川さん、有村は、近所まで車で来ると、僕の家に電話をしてきて、

 「今、近所まで来ているから、出てこないか?」

との旨の連絡をくれました。

 僕は、当時はとても状態が悪くて、誰かと話がしたかったので、近所まで出て行き、皆川さん、有村の乗っている車に乗車して、3人で、新宿まで行きました。

 新宿区の「まねき通り」という通りを通ったことを覚えています。

 有村の住んでいるマンションに入り、皆川さん、有村、有村の彼女、僕の4人で、飲み会をしました。

 有村は、何か引きこもりぽっくって、髪の毛が伸び放題でした。

 皆川さんと有村は、二人で何か議論をし出して、酒を飲みながら、言い合いをしていました。

 僕は、あまり、酒を飲むこともなく、二人の議論を聞いていました。

 二人は、必死に議論していたのだと思いますが、僕から見ると、おもしろかったです。

 その後、皆川さんが、吐いてしまって、議論は終了しました。

 有村の彼女が、二人の飲みを嫌がっていたのが印象に残っています。

 有村さんは、当時、僕に、

「オレも幻覚を見たことがある」

 と言っていたことを今でも覚えています。

僕は、当時は、幻覚妄想状態のショックで、精神的に落ち込んでいたので、有村には親近感が悠きました。

所謂、「幻覚」を見る人は思いのほか多くて、僕だけが、特別に、「幻覚」を見ているわけではないと思い、少し安心しました。

有村には、僕が神田川生活をしていた頃に仕事を紹介してもらったことがあり、お世話になった方でした。

有村も、神楽坂近辺で一人暮らしをしたことがあり、貧乏な一人暮らしのことはどのような生活になるか分かっていたのだと思います。

飲み会の後に、一緒に飲んだ、皆川さんから、皆川さんの住んでいる、田舎(群馬県嬬恋村)に遊びに来ないかとの誘いもあり、僕は浅間山山登りも兼ねて、皆川さんの家に遊びに行きました。

皆川さんも、東京での生活が嫌いだった方のようで、雄大な山の見える、田舎の生活を楽しんでいらしたようでした。

皆川さんの家では、すき焼きをごちそうになり、登山も出来て、本当に楽しい時が過ごせました。

皆川さんは篤志家で、心の病気の方々が集まる施設でも活動をしていたようで、この人は人間が違うなと正直に思いました。

僕が、その後、文京区の精神障害者の作業所、本郷の森、銀杏企画に入所し、作業所を退所し、外で働くようになってからも、本郷の森、銀杏企画運営のネット掲示板、「銀杏企画三丁目の掲示板」に書き込みをすることになったのも、皆川さんの影響が大きかったのだと思います。

僕の人生に大きな影響を与えている、皆川さん、有村とはもう、何年も会っていませんが、元気で生活していると良いなと思っています。

急に、僕の発病後に、僕の住んでいる近所に、皆川さん、有村がやって来たことを思い出したので、ブログを書いてみました。

以上、「神田川生活後の、Mさん、Aさんの来訪」

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2017年4月11日火曜日

「神田川生活の諸葛孔明」

「神田川生活の諸葛孔明」

 僕が一人暮らし(神田川生活)をしていた頃に、同じ早稲田界隈に早稲田大学探検部の僕の二つ上の高野秀行さんが住んでいらました。

 早稲田大学在学中に同じサークルだったということで、遊びに行ったことがありました。

 一度、遊びに行ったときに、僕は高野さんが、

「諸葛孔明が現れないな」とか言っていたのを覚えています。

 三国志に出てくる諸葛孔明のことを知っている人は多いと思います。

劉備玄徳に仕えた諸葛孔明は優れた参謀であり、知謀でもあったと思われます。

高野秀行さんからすると、ご自身が劉備玄徳で、諸葛孔明のような優れた参謀、知謀が欲しかったのだと思います。

高野秀行さんが、アフリカのコンゴに恐竜を探しに行った隊の隊長を務められた経験から何でも物事を考えてしまう傾向のある方であることは以前にもブログに書いていました。

なんでも自分中心主義の方なので、本の世界の「三国志」の中でも、ご自分が劉備玄徳だと思って、参謀・知謀である「諸葛孔明が現れない」とか言っていたのだと思います。

僕は早稲田大学在学中に早稲田大学探検部に所属していましたが、特別、高野秀行さんのために活動していたわけでもないし、自分のために活動していました。

僕は、中学校の頃は生徒会長、高校でもバスケットボール部の責任者をしていて、学校とかクラブをまとめるとはどういうことかは、授業ではなく自分の役割として学んでいました。

僕から見ると、早稲田大学探検部の僕の二つ上だった高野秀行さんは、人の上に立つタイプの方とは思っていませんでした。

文章を書くことは出来る人ですが、学校とかクラブをまとめるタイプの人の上にタイプの人ではないと思っていました。

高野秀行さんの「諸葛孔明が現れないな」

という言葉を聞いて、この人は本当に本の世界でしか、物事を考えられない人だと思いました。

僕が神田川生活(一人暮らし)をしていた頃の高野秀行さんの言葉に違和感を感じていたのでブログに書いてみました。

以上、「神田川生活の諸葛孔明」

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2017年3月31日金曜日

「昔の神田川生活時代の発病当時の様子、私の病状報告」

「昔の神田川生活時代の発病当時の様子、私の病状報告」

 先日、部屋を掃除していたら、僕が神田川生活(一人暮らし)をしていた頃に、統合失調症(当時は精神分裂病)を発病した当時の状況が書かれている文書が見つかりました。

 病気を発病している時に書かれた文書としてはきちんとした文書だと思ったのでブログに載せてみます。

 タイトルは、「私の病状報告」というタイトルです。

 以下のような文書でした。

 先日はメールありがとう。ドイツでの楽しい生活を知らせてくれて私のうつ気分も少しほぐれました。私の病状を報告することは何かSさんの幸せそうな生活を邪魔するようではばかれるのですが、心配してくれているようなので、正直に報告します。
 2月にSさんが帰国した際に私の家に立ち寄った時の私の状態は最悪でした。精神医学的には一種の幻覚妄想状態のようです。現実と妄想の区別が曖昧になり意識が混迷する状態です。私の場合は何か訳の分からない世界の蟻地獄に落ち、もがいてもそこから出られず、又、もがけばもがくほど妄想が大きくなるような感じでした。実はこのような症状は1月の下旬くらいからありました。その後、何とか生活していましたが219日に本屋さんでバイトをしていた時にお店の人から様子が変だから帰った方がいいと言われ、私も気分が悪かったので実家に帰りました。実家に戻るとほっとしたのか妄想はますますひどくなり、完全な幻覚妄想状態になりました。全ての現象や目に見えるものが妄想と関係しているようでなにかすべてが仕組まれているような感じです。現実的にものを見ることが非常に苦しくなり、仕方なく横になって妄想に精神を委ねました。横になると時間の感覚が変化し過去が圧縮され意識にはっきりといろいろなイメージとして出てきました、そのほとんどが悪いイメージです、また、未来という時間はなく自分の人生とこの一瞬が重なるような感じでこのまま地獄に落ちて死ぬのかと思いました。人生が一瞬、いやこのいやな過去のイメージが凝縮された苦しい一瞬が一生よりも長いような感覚です。とにかく苦しかったので平家物語の冒頭の部分を頭の中でそらんじながら手の脈を計ってまだ生きていることを確認していました。幻覚妄想の内容は長くなるので省きますが、きわめて非現実的なものでした。行動も幻覚妄想に左右されますので奇妙な行動もあり親も発狂したと思ったようでした。両親はこの状態では家に置いておけないと言って医者に行くとメジャートランキライザー(抗精神病薬)を処方されこれを飲んで様子を見てくださいと言われました。コントミンとセレネースという薬で精神分裂病などの急性症状を抑える薬のようです。この薬を飲み始めてから徐々に幻覚妄想は消え回復していきました。
 薬を飲み始めると症状が良くなってきたので36日からパソコンのアルバイトを再開しましたが、書店のバイトはやめることになりました。
 幻覚妄想がおさまってからは非常に気分が落ち込んだ状態で、仕事以外はほとんど家に引きこもり、無気力な状態が続きました。そんな時にSさんのお父さんより電話を頂き、箱根の温泉に連れて行ってもらい、いい気分転換になりました。又、お父さんの研究室で英語の翻訳の仕事をしないかと言われましたが、私にはちょっと難しく、またうつ状態で思考能力が低下していたので、2、3日研究室に通って仕事は断りました。
 また、両親と相談し、アパートを引き払って実家で生活することにしました。実家で生活するようになってから不眠症は徐々に改善されて眠れるようになり、自然に治るだろうと思い、3月下旬ぐらいから薬は全部やめてみました。しかし、これが悪かったのか4月になっても頭痛や無気力感、思考力の低下などのうつ状態はあり、良くならないので5月に入って再び医者に行きました。医者に症状を説明すると今度は前に飲んでいたものとは違う抗うつ薬を処方されました。ルボックスという商品名でフルボキサミンという薬です。通称SSRIといって昨年の5月に厚生省の認可が下りた薬で、新世代抗うつ薬として期待されている薬のようです。その薬を飲むようになってから、以前から続いていた肩凝りや首筋の痛みなどが緩和されるようになりました。又、不安感が軽減され、精神的に余裕が出てきました。精神病の本を読んでみると、うつ症状というのは脳内の物質と深く関係しているようです。脳の神経から神経に信号を送るセロトニンという物質が不足すると、うつ症状は出てくるようで、今回処方されたSSRIはセロトニンを増やす働きがあるようです。ちなみにSSRIとはSelective Serotonin Reputake Inhibitation の訳で日本語では「選択的セロトニン再取り込み阻害薬」というそうです。ただし完全に治るわけではないようです。
 SSRIを飲み始めて症状がだんだん良くなってきたので、516日から清掃のアルバイトを始めました。朝の8時から12時までの仕事です。朝にやっていたパソコンのバイトは午後からにしてもらいました。ですから、朝の7時ごろに家を出て、帰ってくるのは3時といったところです。清掃のバイトを始めてからまた不眠の症状が出て来たので睡眠薬を飲み始めました。
 最初に書いたような幻覚妄想症状は生まれて初めてだったので非常に不安になり精神医学の本を読み漁りました。精神医学の本を読んでみるとこのような症状は精神分裂病の症状のようで、処方された薬も精神分裂病の治療に使われる薬だったので医者に聞いてみましたが、医者はあなたは客観的な病識もあり一過性の精神分裂病の症状ではないかと答えていました。それでもやはり精神分裂病ではないかと不安になりいろいろと精神医学に関する本を読んでみて最近は病状の短い精神分裂病がみられることや病識のある患者もいることなど書いてあったのでロールシャッハテストという心理テストをしたカウンセラーに聞いてみますと(精神分裂病はロールシャッハテストで診断できると本に書いてあったので質問してみました)上原さんは精神分裂病ではないと言っていました。Sさんと電話で話した時はうつ病だと言いましたが正確には抑うつ状態という、うつの状態ということで精神状態を指しているようです。病名については医者はまだ診断出来ていないのか病名を言うと治療に差し障りがあるのかはっきりしたことは言わないようです。
 しかし、以前に比べると病気の自覚も出てきて、読書も出来るようになり精神的には楽な状態になりました。又、心理的な面とも関係しているようなのでカウンセリングも受け始めました。カウンセラーに聞いてみますと幼児期の問題や吃音の問題などが原因で我慢する癖がついていて、かなり無理をしながら生きてきたようなのでストレスや不安、悩みが多くありそんなに急には良くならないとのことです。私も幻覚妄想状態になり、いろいろ本を読んだりして今の状態は完全に病気なのだと自覚出来ましたので無理をせずに気長に治療していこうと思っています。以上が支離滅裂ですが私の病状報告といったところです。
 Sさんにはいつもいつも心配ばかりかけていて、私も、うちの両親も非常に感謝しています。Sさんが帰国する頃には少しでも症状が改善されるよう努力するつもりです。又、Sさんも良い仕事が見つかるよう家族3人協力しながら頑張って下さい。何か楽しい話でもあったらメールでも下されば幸いです。

522日 東京にて 上原 和明

以上が、「私の病状報告」という文書です。2800文字程度の文書でした。

A4で2枚にまとまっていて、僕から見ても、良く考えながら書いている文書だと思いました。

薬のことを書いている部分は、きちんと本を読んで、自分の飲んでいる薬について調べていると思いました。

当時、医者が、僕に、「あなたは精神分裂病です」と言わなかったのは、今から思うと、病名告知による、ショックによる自傷行為の危険性があり、病名を告げなかったのだと思います。

現在の、主治医の診断書には、きちんと、「統合失調症(精神分裂病)」と病名が書かれています。

その後、自分の病気と向き合い、自分の病気を認めることが出来るようになりましたが、当時は本当にショックでした。

何とか、この年まで生きていますが、自分の考えていることを「銀杏企画三丁目の掲示板」に書き込んだり、2010年からは、Twitterを開設したり、2014年からは、ブログを本格的に書き始めたりして、自分の内面に溜まっているよどみのようなもの(妄想かもしれません)を書き綴っています。

書くことによって、妄想を吐き出すことが出来ているのだと思います。

心の病気と言われる病気になった方々は、自分の考えていること(妄想かもしれません)を文章にしてみる習慣を身に着けるのは良いことだと僕は思っています。

文章にしてみることで、自分の考えもまとまるし、のちのち、自分の文章を読んでみることによって、客観的に自分を見直すことが出来ます。

文学でも、映画でも、絵画でも、音楽でも、写真でも、創作活動の原点になっているものは、自分の内面に存在する妄想のようなものから、偉大な芸術作品と言われる作品が生まれるのだと思います。逆に言ってみれば、妄想無きところに、創作活動は生まれないとも言えるのかもしれません。

自分の妄想を、文字にでも、映画にでも、絵画にでも、音楽にでも、写真にでも託してみることは、自分の内面にある、妄想を吐き出すことになり得ると思います。

自分の妄想を表現する術を持っていない方は、とても苦しむような気がします。

僕は、映画を撮るほどのスキルもないし、絵を描くほどのスキルもないし、音楽を作詞作曲するほどのスキルもないし、一眼レフのカメラで写真を撮影するほどのスキルもありません。

ただ、文章は書いていたことがあったので、文章という形で、自分の内面にある妄想を表現するスキルは少なからずあったようです。

10代の頃から、小説とか読んでいたし、中学校の頃も作文を書いていたし、高校でもバスケットボール部で練習ノートという形で文章を書いていたし、10代の頃から、文章には親しんでいたので、自分の妄想を文章にすることは出来る人間だったのだと思います。

人それぞれ、自分の妄想を、何か形にして表現する術を得れば、心の病気と言われる方々も、精神医学的には妄想観念と言われているものを芸術作品と言われるものにまで昇華させることが出来るかもしれません。

ネットで公開するとパッシングを受けるような表現活動(政治的批判表現活動も含む)、は、身の安全確保のために公開するのは控えた方が良いかもしれませんが、そのような表現活動はネットに公開しなければ良いのだと思います。

以前、心の病気の方々が集まる、本郷の森、銀杏企画三丁目の掲示板で、天皇制に対しての痛烈な批判をしている書き込みがあり、もし、暴力的な右翼勢力が、「銀杏企画三丁目の掲示板」を読んでいたら、何が起きるかと心配に思ったことがありました。

ネットの特性も良く考えて、公開しても大丈夫な、表現行為かを良く考えながら、創作活動をしていけば自分の内面にある、妄想を芸術作品にまで昇華させることが出来ると思うし、自分の内面の妄想を吐き出すことも出来ると思います。

自分の書いた文章なりを読み返してみれば、自分が何を考えているかも分かるし、客観的に自分の妄想を見つめ直すことも出来るかもしれません。

僕がもう、20年近く前に書いていた文章(文書?)をブログに掲載するとともに、文章を書くことによって、心の病気の方々が、自分の病気(妄想)を客観的に見つめ直せることについても書いてみました。

以上、「昔の神田川生活時代の発病当時の様子、私の病状報告」

ブログに載せます。