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2025年12月5日金曜日

「明日、早大探検部の先輩と高田馬場で飲むことになりました」

 「明日、早大探検部の先輩と高田馬場で飲むことになりました」

 今週の火曜日に、早稲田大学探検部32OBの吉澤先輩(川崎重工勤務)よりメールが届きました。メールは早稲田大学探検部31OBの高野先輩(ノンフィクション作家)がNHK

「映像の世紀 バタフライエフェクト アメリカと中東 終わりなき流血」

に出演されていることのお知らせのメールでした。

 番組はNHK ONEで見られたので、パソコンで高野先輩出演の冒頭の部分は父と母と僕の3人で見ました。

 その後、吉澤先輩とメールのやり取りをしていたら、昨年の高田馬場チベット料理屋でのお話の続きの早稲田大学探検部30OBの中島先輩(NHK勤務)、早稲田大学探検部32OBの吉澤先輩との飲み会をやりましょうという話になり、明日126日土曜日、1600~、高田馬場MAYAという、インド・ネパール・チベット料理屋さんで昨年のお話の続きの飲み会をすることになりました。

 中島先輩も吉澤先輩も、僕らより先に1986年にチベットカイラスに行かれていて、僕らがチベットカイラスに行かれたのも、お二人の先輩がチベットカイラスに行かれていたので、僕らもチベットカイラスに行かれたのだと思っています。

 僕らがチベットカイラスに行った際(1988年)のメンバーの方々(早稲田大学探検部33期、桜井、倉島、中谷)にもご参加しませんかとメールで連絡をしましたが、急な連絡で予定があるようで、皆さん、明日の飲み会はご欠席のようです。

 僕も高齢の両親の世話をしなければならずに、両親以外の方と話をすることもあまりないので、明日の飲み会は、早稲田大学探検部、チベット、カイラスという共通の話題のある方との飲み会で、家で話すいつもの話とは違う、早稲田大学時代の話が出来ると思い、僕も楽しみにしています。

 明日は早稲田大学探検部30OBの中島先輩(NHK勤務)、早稲田大学探検部32OBの吉澤先輩(川崎重工勤務)と飲み会をすることになったのでブログを書いておきます。

 以上、「明日、早大探検部の先輩と高田馬場で飲むことになりました」

 ブログに載せます。

 

 

 

2025年9月21日日曜日

「2019年にチベットカイラス隊で飲み会をした際のメールのやり取り」

 「2019年にチベットカイラス隊で飲み会をした際のメールのやり取り」

 僕は2019323日土曜日に高田馬場の居酒屋で早稲田大学探検部チベットカイラス隊のメンバー、上原和明、桜井誠人、倉島孝行、中谷敏夫とチベットで会った近大探検部OB吉竹俊之、中国語の専門家、田中智秀と飲み会をしました。

 飲み会の前と後のメールのやり取りをブログに載せたいと思います。

 以下のようなメールのやり取りをしました。

 先ず、近大探検部OBの吉竹俊之より僕宛に以下のようなメールが届きました。

 上ドン 今 高田馬場の老人ホームで働いている。4月から夜間の専門学校に通う予定。時間のある3月中に一度会おう。黒澤明 隠し砦の三悪人を見よう。メールください。待ってるよ。

 吉竹さま

上原です。メールを下さりありがとうございます。

高田馬場で働いているのですか?

僕も3月なら大丈夫だと思うので、高田馬場で会いましょう。

吉竹が希望するなら、桜井とか倉島とか中谷とかにも連絡してみます。

しばらくメールでやり取りをしてみましょう。

上原

件名 「近大探検部OB、吉竹から連絡がありました」

桜井さま、倉島さま、中谷さま

お世話になっております。上原です。

昨日、チベットで会った近大探検部OBの吉竹から連絡がありました。

高田馬場の老人ホームで働いているそうです。

4月から忙しくなるので、3月中に会おうとのことです。

桜井、倉島、中谷にも連絡しますかとメールをしてみたら、皆で集まれたら嬉しいとのことです。

皆様のご都合がよろしければ何か会でもしますか?

返信をお待ちしております。

上原

上ドンへ

連絡ありがとうございます。

近大探検部吉竹懐かしいですね。

高田馬場の老人ホームで働いているとは奇遇です。

3月中、土曜日曜であれば集合できます。

和朗はどうしますか、連絡しますか?

よろしくお願いいたします。

桜井

桜井さま

上原です。メールを確認しました。

土曜日か日曜日なら大丈夫とのこと確認しました。

和郎は吉竹のこと知っているのでしょうか?

吉竹とチベットで会った早稲田大学探検部チベット隊のメンバーで集まるのが良いと僕は思っています。

3月中の土曜日か日曜日に集まりましょう。

倉島、中谷のご都合を伺えれば良いと思っています。

上原

上ドン

久しぶり。最近、心身の状態はどう?

私は下記日程、いずれもオーケーです。

適当に日時、場所、指定してください。

ただし、9pm過ぎると眠くなるので、早めだと助かります。

和郎は京都に戻っているらしいよ。一時は栃木にいたようだけど。

それと、この間、田中君(中国語の専門家)から足立に引っ越したというはがきが来た。

また、老人ホームだと、関口君も同じ仕事だね。

ただ、いずれにしても、誰に声掛けするとかは、上ドン次第で。

とりいそぎ。

倉島

PS: 吉竹って、「ロッキー」だよね? 

倉島さま

上原です。メールを確認しました。

土日なら大丈夫とのこと確認しました。

吉竹とは通称、ロッキーのことです。

ロッキーを知っている人間で集まるのが良いと思っています。

田中君も連絡先を知っているので、誘ってみましょうか?

僕の心身の状況は、心の病気の方は良くなっていますが、逆流性食道炎の具合が悪いです。

お心配りありがとうございます。

あとは、中谷ですが、メールは読んでいるのかな?

上原

桜井さま、倉島さま

上原です。中谷から返事が来ませんが、お二人の希望に合わせて、

323日(土)、高田馬場 にんじん屋 

https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130503/13010953/

夕方5~でいかがでしょうか?

4000円のコースがあるようです。

吉竹にもメールをしていますが、今日はまだ返事が来ていません。

ご検討ください。

上原

上どんへ

お店を探して頂きありがとうございます。

323日(土)17:00

高田馬場 にんじん へ行きます。

よろしくお願いします。

桜井

桜井さま、倉島さま、中谷さま

吉竹から3235時で大丈夫との連絡が来ました。今のところ、上原、桜井、吉竹の3人から大丈夫とのことです。倉島も多分、大丈夫だと思っています。その他、誘いたい方がいらしたら、お声掛けしてみて下さい。お店の予約をどなかしていただけないでしょうか?まだ、にんじん屋には予約の連絡はしていません。人数も分からないのでまだ予約していません。皆さま、お忙しいとは存じますが、どうぞよろしくお願いいたします。

上原

上原様 Cc. 田中様(ご無沙汰でいきなりすみません。下まで読んでいただけると幸いです)

分かった。予約はこっちでする。とりあえず上ドン希望の場所・日時で4千円飲み放題個室コースで聞いてみるが、

だめなら、馬場で同じような感じのところを探す。時期が時期なので、青龍あたりになるかもしれんが。

ロッキーと田中君のメールアドへも、このメールを転送してもらえますか。

あと、以後のやり取りでは、お二人のアドレスも入れていただけると助かります。

(もし田中君もオーケーならば)

吉竹(ロッキー)

倉島(身長1.9)デカ男です。20年ぐらい前になるかな、一度馬場の青龍で皆で飲んだような

それ以来かな。ご無沙汰。相変わらず、セクシーボイス?

この歳になっても、おかげ様で男には興味はないけど、渋い声だったよね。

楽しみにしてます。

ところで、上ドンが相変わらず電話は苦手そうなので、予約はこちらでやります。

以後、こちらの集合メールに直接ご返信ほか願えますと幸いです。

田中様

先日はお引っ越しのお知らせのはがき、どうもありがとうございました。

お知らせいただいたのに、返信もせず、どうもすみません。

ところで、上ドンのところに、学生時代、チベットで知り合いになった友人から

久しぶりに一献どうという話があり、下記のような感じで一杯やります。

田中君も、もしお時間があったら、ご一緒にどうですか。

中谷様

あいかわらず、超多忙かな。 その後、心臓の方は順調?

この時期の土曜なので、予約は明日してしまうと思うけど、

このまま、集合メール流し続けますので、時間がうまくできたら、頼みます。

倉島

倉島さま

朝早くから、メールをいただき、ありがとうございます。

𠮷竹にはメールを転送しておきました。

田中君にもメールを転送しようとしましたが、エラーが出て送れません。

とりあえず、このメールで𠮷竹君のアドレスを加えておきます。

にんじん屋が空いていたら、予約の方よろしくお願いします。

𠮷竹は、17:00だと都合が悪いそうで、18:00にしてくださいとのことです。

何か仕事を増やしてしまうようで申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

上原

上原様、皆様

6時からの件、了解。ただ、送別会の時期だから、取れないかもね。

そしたら、青龍あたりね。あるいは、新宿にするとかね。

田中君には、こっちからもメールしてみた。

自動返信もかえって来ないから、ついたかな?

それでは、予約、適当にやっておきます。

倉島

倉島さま

メールを確認しました。

田中君にはLINEで連絡をしてみたところ、参加したいとのことです。

場所が取るのは大変そうですが、よろしくお願いいたします。

上原

倉島さま

上原です。

今朝、Gmailを確認したら、昨日の倉島からの「予約完了」のメールが消えていました。

323日土曜日、1800~ 高田馬場にんじん屋で良いのでしょうか?

𠮷竹からは返事は来ているでしょうか?

確認のメールをしてみます。

上原

件名「23日はみんな参加のようです」

上原様、皆様

はい。ロッキーからも参加意向のメールもらっています。

ロッキー、田中君、隊長以下チベット隊計4名、合計6名です。

上原が下に書いている通りで、変更はありません。

ところで、いままた政治的には北京ともめているようだけど、

チベットも、激変しているのでしょうね。ラサとか。シガチェも。

まあ、いまの中国の状況も、1980年代末には全く予想もつかなかったけど。

というか、私が単にアホな学生だっただけかもしれないが。

それでは、当日。

倉島

件名「Re: 倉島: 23日予約完了」

田中様

返信ありがとうございます。

中谷のケースは同世代でもだいぶ特殊かもしれませんが、

(詳しくは氏に直接聞いてください)

身体に関してはまあいろいろ出てきますね。50になると。

ご自愛を。それではまた、当日。

倉島

皆様

お久しぶりです。

前回上どんから連絡もらった時はどうしても仕事の都合がつかなくて会えなかったのが残念です。

今回は調整していきますので、よろしく!

私も諸々あって当日は酒が飲めないのが残念なのですが、みんなに会えるのを楽しみにしています。

田中智秀

中谷さま

メールを確認しました。

お体の方は大丈夫ですか?

お体を労ってお過ごし下さい。

323日は僕も楽しみにしてます。

楽しい飲み会になると良いと思っています。

上原

倉島さま

上原です。このメールと、僕が送ったメールの返信を確認しました。

𠮷竹から返事が来ていること、323日、1800~高田馬場にんじん屋に集合とのこと確認しました。

田中君には僕のメールアドレスからはメールが送れなかったようです。

みんなで集まれて、楽しみにしています。

ラサとかシガチェとか懐かしいです。

チベットののんびりした雰囲気が懐かしいです。

では当日。

上原

件名「おーい ありがとさん」

皆様

本日は探検パワーを頂き感謝致します。

また第2弾やりましょう。カラオケも行きましょう。

私のFacebookにのせますが、お許し下さい。

今と昔 写真対比したいので、桜井さくちゃん チベット隊の集合写真ちょうだい。

メールで送っておくれ、これは作品ですよ。皆と出会えた、これは私の人生において一つの道標ですよ。

だからさくちゃん 昔のチベット隊の集合写真をお送り下さい

吉竹

皆様

今日は楽しい時間を過ごさせていたがきありがとうございました。

ロッキーではありませんが、今日の集合写真をFacebookTwitterに載せさていただきました。

そのうち、また集まりましょう。

上原

皆様

本日はありがとうございました。久々のメンバーで楽しかったです。とりあえず写真を送ります。

桜井

皆様

上どん今日は声をかけてくれてくれてありがとう。

倉ちゃん幹事お疲れさまでした。

なんか久しぶりの気がしなかったのですが、考えてみたら30年近く会っていなかったんですねぇ。

皆さん昔と変わらず、楽しい時間が過ごせました。

今後も集まる際には声をかけてください。

田中智秀

皆様

写真ありがとさんです!カッチョええなあ。やっぱり。押忍

吉竹

皆様、和郎さま

昨日は皆様、お疲れ様でした。

昨日飲み会にを来た方々の何人かから次回もやりましょうとの声が上がっています。

Facebookに飲み会の集合写真を載せたら、次回は松田和郎も誘ってくださいとのことです。

このメールで松田和郎も加えておきます。

適当な時期に次回の会も出来たら良いと思っています。

このメールの連絡網を頼りにやり取り出来れば良いと思っています。

それでは皆様お元気にお過ごし下さい。

上原

皆様

またやろうぜ。

やろうぜ。

中谷

以上のようなメールのやり取りを2019年に高田馬場の居酒屋で早稲田大学探検部チベットカイラス隊(上原、桜井、倉島、中谷)と近大探検部OB、吉竹、中国語の専門家、田中と飲み会をした際に行いました。

 以上、 「2019年にチベットカイラス隊で飲み会をした際のメールのやり取り」

 ブログに載せます。


2024年12月27日金曜日

「日経新聞文化欄のチベット関連記事」

 「日経新聞文化欄のチベット関連記事」

  1224日に早稲田大学探検部32OBの吉澤さんからメールが届きました。

  以下のようなメールが届きました。

  中島さん、上原さん

  おはようございます。毎日寒いですね。

  今日の日経新聞にチベットのことが載っていました。元気な美容師さんがいるものだと感心しました。ご参考まで。

  今年も残り1週間となりました。どうぞよいお年をお迎えください。

  吉澤

  中島さん、吉澤さん

   昨日は本当にありがとうございました。

   中島さん、近々集まる機会があるのでしたら、是非、お声かけください。

   何かお力になれることがありましたら協力させていただきます。

  チベット話の続きにも参加させていただきたいです。

  吉澤さんの当時の手帳にも興味があります。

  上原 和明

  このメールに僕は以下のような返信をしました。

  中島さん、吉澤さん

 おはようございます、上原です。寒さも厳しくなってきました。

   朝起きて、外に出ると、寒さが厳しくなっているのが分かります。

  さて、稲葉香さんについての日経新聞の記事を送っていただきありがとうございます。

  さっそく、添付されていた記事を読ませていただきました。

   稲葉香さんに影響を与えた河口慧海さんは、リウマチを抱えてのヒマラヤ行、カイラス行だったようで、僕も驚きました。

   実は僕の母も関節リウマチで痛みがあるようです。

   何かしていれば(読経も良いのかもしれません)痛みを紛らわすことが出来るのかもしれないと思いました。

  中島さん、吉澤さんにおかれましても良いお年をお迎えください。

  上原 和明

  以上のようなメールのやり取りをしました。

  吉澤さんのメールには1224日の日経新聞文化欄の記事が添付されていました。

   ヒマラヤのドルポで越冬して植村直己冒険賞を受賞された稲葉香さんについての記事でした。

 記事は以下のような記事です。

 


  僕も稲葉香さんも河口慧海さんもリウマチを抱えてのヒマラヤ行ということで本当に感心しました。

 チベットに行ったことのある人間からすると、本当に素晴らしい活動だと思い、僕も何か頑張らないといけないなという気持ちになりました。

 12月24日に早稲田大学探検部32期OBの吉澤さんからメールが届いたので、メールのやり取り、添付されていた記事をブログに載せます。

 以上、「日経新聞文化欄のチベット関連記事」

 ブログに載せます。

 

 


 

 

2024年12月14日土曜日

「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合でお話しした話 その2」

 「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合でお話しした話 その2

  先日、 1130日土曜日に高田馬場のインド・ネパール・チベット料理屋さんで早稲田大学探検部30OBの中島さんと早稲田大学探検部32OBの吉澤さんと会合をしました。

 会合ではもっぱらチベットのお話を2時間以上していました。

  先日はカイラスについてのお話をブログに書きましたが、今日は探検部らしいお話をブログに書きたいと思います。

  先ず、僕が1988年夏早稲田大学探検部チベット探査の際の報告書を中島さんにお見せすると、

  「よく大学2年でカイラスまで行けたな」

  と感心してくださいました。

  その後、チベットのお話をしていると、

 4人でチベットに行ってよく喧嘩にならなかったな」

 とも感心してくさいました。

 僕が五反田にあるチベット文化研究所に行ってお話を聞いたことがありますと言うと、

 中島さんもチベット文化研究所でチベット語を勉強されたそうで、

 「どの先生に会った」

 とも聞かれました。僕はどの方にお話を聞いたかはもう覚えていませんでした。

 僕から

 「中島さんと吉澤さんは中国語は出来たのですか?」

 とお聞きすると、中島さんも吉澤さんも早稲田大学で中国語を選択されていたということで、僕も中国語を選択していましたと言うと、中島さんが

 「探検部は中国語を選択している学生がよく入部する」とも仰っていて、

 吉澤さんも

 「普通の学生はフランス語かドイツ語だよね」

 とも仰っていました。

 僕はそのお話を聞いて、1988年夏早稲田大学探検部チベット探査に行った4人のうち、

 「僕(上原)、倉島、中谷は中国語を選択していました、桜井はドイツ語を選択していました。」

 とお伝えしました。

 僕の作成したチベットのスライドに関しては、吉澤さんが僕のブログを読んでくださっていたようで、行方不明、紛失してしまったこともご存じだったようですが

 「スライドはマウントしてある?」

  と訊かれたので、 

 「マウントしてあります」

 と答えました。

 中島さんが、

 「スライドが紛失したということはない。どこかにある。箱に入っているはずだ」

 とも仰っていました。

 1988年夏チベット探査計画書をお見せした際には、僕が、

 「探検部の審議にかけられて、書き直しもしました」

 と言うと、吉澤さんは、

 「そのようなことはしていなかったと思う、なんか会社みたいだな」

 と仰っていました。

  僕が1988年夏チベット探査計画書に関しては

 「カイラスまでのルートとか突っ込まれました」

 と言うと、

 中島さんが気を利かせてくださり、

 「ルートはどうする?」

 とも言ってくださいました。

 中島さんも吉澤さんも

 「この計画書、奥島先生も見ていると思うよ」

 とも仰っていました。

僕が中島さんに

「ドルマ・ラ峠が中島さんにとっての最高標高点ですか?」

「ドルマ・ラ峠が最高標高点」

と仰っていました。

吉澤さんもドルマ・ラ峠が最高標高点だと仰っていたので、先日のインド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合で集まった中島さんも吉澤さんも僕(上原)の3人とも人生における最高標高点はドルマ・ラ峠(5660m)のようです。

僕がチベットのラサで食べた記憶があるモモに関しては、中島さんがチベットに行った際には食べていないと仰っていて、1986年にはモモはラサで食べてないようでしたが、僕らがチベットに行った1988年にはモモを出すようになったのだろうかとも仰っていました。

 「上原がインドブラマプトラ川川下りに行ったのはいつだ?」

 とも尋ねられたので、

「大学4年の時です」

 と答えました。

その他にも、僕らが早稲田大学探検部1年生の時の新歓合宿の際に、当時大学4年生だった中島さんと椎木さんがいらしていたこともお話ししました。

僕が早稲田大学探検部1年生の時の参加した春合宿で中島さん、リーダー、吉澤さん、サブリーダーで南アルプス赤石岳に登る予定だったが、途中で雪渓があり、赤石岳登頂はあきらめたこともお話しし、

中島さんが、

「1年生は山の素人だったから」

と仰り、僕は

「あの合宿が、僕にとっては南アルプスは初めてでした」

と答えました。

すると、中島さんが、

「どのピークに登ったけ?」

と仰っり、僕は

「聖岳に登りました」

と答えました。

中島さんが、

「上原たちの代は部員は何人いたんだ?」

と尋ねたので、僕は

「15人いました」

と答えました。

「上原たちの代は、多彩な人材が揃っているね」

とも中島さんが仰っていたので、

「僕らの代くらいから、部員が増えました。僕らの代は15人で、僕らの下の代は20人くらい部員がいました」

と答えました。

早稲田大学探検部の現役についてのお話も少ししました。

現在の早稲田大学探検部の顧問の先生が元早稲田大学部員の方で初めての生え抜きの顧問の先生だと伺いました。

もう何年か前の現役の1000キロのヒマラヤ隊の話もして、早稲田大学探検部OBの庄司さんと一緒にヒマラヤに行ったことも伺いました。

僕は早稲田大学探検部OBの庄司さんのことは昔、NHKスペシャルの「ザンスカール 氷の回廊」という番組を拝見したことがあり、存じ上げていたので、

中島さんに、

「氷の回廊」

と言いました。

僕のTwitter(現X)が1000キロのヒマラヤ隊のTwitterにフォローされたこともお話ししました。

なにか1000キロのヒマラヤ隊は、Twitterを使ってクラウドファンディングでお金を集めたことも伺いました。

中島さんはSNS X(旧 Twitter)についてはあまり良い印象を持っていないようでした。

現在の早稲田大学探検部が他大の学生も受け入れていることについては、中島さんは反対のようで、中島さんは早稲田大学探検部は早稲田大学純血主義の方が良いと仰っていました。

中島さんはアフリカのナイル川源流の調査をしているというお話もして、早稲田大学探検部OBの小川さんの計画だよねというお話もしました。

僕は現在の早稲田大学探検部については早稲田大学探検部のXとかを見るくらいしか知らないので、何も言えませんでしたが、僕も現在の早稲田大学探検部のXとかを見ていると、何か早稲田大学探検部OBの方の過去の業績をなぞって活動をしているような気がしていたので、

「自分の物語を作るのが早稲田大学探検部ですよね」

というようなことを言いました。

もう僕は統合失調症の精神障害2級の障害者なので、偉そうなことは言えませんが、先日の会合では少し偉そうなことを言ってしまいました。

大学卒業後のお話も少ししました。僕が大学卒業後、テレビ業界に進んだのですが、現場に出ての取材は面白かったのですが、テレビ番組は編集の仕事があり、締め切りがあり、締め切り前は徹夜、徹夜で、大変で、自分でテレビ業界は向いていないと思い、テレビ業界は辞めましたとお話ししました。僕はテレビ業界が本当に向いていなかったので、

「マスコミには行かない方がいいですよ」

とも言いました。

高野秀行さんのお話もしました。高野さんの著作、「イラク水滸伝」を吉澤さんが会合の前に高田馬場の書店で見てきたそうで、「イラク水滸伝」のお話をしました。

吉澤さんが、

「高野さんが「イラク水滸伝」で植村直己冒険賞を受賞したようですね、本を見ましたが、相棒の山田高司さんのイラストもプロの作品だったよ」と仰っていました。

僕はその話を聞いて、

「ティグリス・ユーフラテス川ですね。山田さんは東京農業大学探検部出身の方ですね。実はインドブラマプトラ川の話も東京農業大学探検部に最初に話がいきました。山田さんは四万十川にいらしていたと思います」

と言いました。

すると中島さんがその話を聞いて、

「農大の探検部は長江全流をやろうとしていた。農大探検部はすごかった」

と仰っていました。

高野さんが植村直己冒険賞を受賞した「イラク水滸伝」についてこのようなお話をしました。

帰り際に、

「上原は集まるとしたらどこがいい?」

とも聞かれたので、

「早稲田か高田馬場がいいです」

と答えました。

早稲田大学のホームグラウンドとなるような早稲田か高田馬場なら、早稲田大学探検部の話も気兼ねなく出来ると思ったので、「早稲田か高田馬場がいいです」と答えました。

  本当に早稲田大学探検部の部室にいるような感じのお話が出来て、僕も本当に楽しかったです。

 普段は両親と3人で暮らしていて、チベットの話などするような人もいないので、僕の早稲田大学探検部時代の本当に僕にとって最高の思い出になっているようなチベットのお話を出来て本当に楽しかったです。

 以上、「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合でお話しした話 その2

 ブログに載せます。


2024年12月9日月曜日

「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合で拝見した日記」

 「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合で拝見した日記」

  先日、インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合で吉澤さんの日記を拝見しました。日記についてメールでやり取りをしました。早稲田大学探検部関係者にとっては参考になるメールのやり取りだと思うのでブログに載せたいと思います。

 上原さん

  土曜はありがとうございました。いろいろと話すことができ、中島さんも貴兄もよく覚えていて、とても楽しかったです。

   小生の手帳(日記)はたしかに自分が見返しても興味深いものです。まだ10代で、いつどこを訪れ、何を見て、どんなことに感動したかなど、我ながらよく記録していています。

吉澤さん

先日は本当にありがとうございました。

僕も本当に楽しい時間が過ごせました。

まるで早稲田大学探検部の部室にいるような気分になりました。

吉澤さんのチベットカイラス行の際の日記ですが、

「日本の探検家たち」(未知への挑戦) 西堀栄三郎記念 探検の殿堂 NHK出版

という本に、梅棹忠夫さんの書かれた探検についての文章に以下のようなことが書かれています。

49人の探検を選ぶにあたって」梅棹忠夫

「探検家は探検した地域について報告をおこなう義務がある。いくら未知の地域にわけいったとしても、報告がなければ、なにをしたのかを知るすべがない。ただし、ここにいう報告とは、かならずしも報告書という体裁をとったものでなくともよい。日記、写真、地図、紀行文など、どのようなかたちでもよいわけであるが、知的に考察されたもので、人類の知識の蓄積にくわえられるべき質のたかさをもつものでなければならない」

以上のようなことが書かれています。

吉澤さんはあれだけ、手帳にびっしりときちんとした字で日記を書かれていて、梅棹忠夫さんのおっしゃる探検の報告になるのではないかと僕は思いました。

実は僕がチベットに行った際には、僕はほとんどと言って良いほど、記録が出来ませんでした。

本来なら報告書作成のために、探検する現場に自分で赴き、記録を書かなければいけなかったのですが、僕はそれが出来ませんでした。

僕は吉澤さんの当時の手帳は探検の報告になっているような気がしたので、日記に興味がありますとメールに書きました。

来年、探検部の同世代で会うことがありましたら、僕も出来る限り参加させていただきたいと思っています。

なんとか都合をつけて参加させていただきたいと思っています

どうぞよろしくお願いいたします

上原 和明

上原さん

一昨日のメールありがとうございます。梅棹忠夫さんの言う探検の報告にあたるのではないかと貴兄に言っていただき、何とも面映ゆい思いがして恐縮してしまいました。10代の学生が素直かつ率直に記録はしていますが、知的な考察とはかけ離れていて、お恥ずかしい限りです。

あの部室も時代もよかったですし、モモも美味しかったですし、中島さんも当時から変わっていませんでしたね(小生も周りからよくそう言われます)。探検部出身者は持ち前の好奇心によるものか、気持ちが若いのだろうと思います。

このあいだのOB会がきっかけとなって、来年また僕らの世代で集まると思いますので、その際はお声がけします。明日あたりから本来のこの季節らしい寒さになるようですので、お互いに気を付けましょう。では、また。

吉澤さん

吉澤さんのチベットカイラス行の日記が探検の報告になるかについては、僕は探検の報告になると思います。

知的に考察されているかは、僕は日記を読んでいないので何とも言えませんが、

吉澤さんの書かれる文章は知的に考察された文章だと僕は思います。

僕の体調を慮っていただきありがとうございます。

これから寒さも厳しくなるかもしれません。

吉澤さんもお体に気をつけてお過ごしください。

来年の同世代の集まりの際にもお声かけいただければ、

なんとか参加させていただきたいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

上原 和明

以上のようなメールのやり取りをしました。

早稲田大学探検部について回る問題に探検をして、報告を残すというものがあります。僕は探検をして記録をすることが報告書の基本だと思っていますが、日記も報告になると思っています。

僕はチベットに行った際にはポジフフィルムで写真を撮って記録(報告 スライド)を残したつもりでしたが、スライドはどこかに紛失してしまったようです。残念に思っています。

僕は早稲田大学探検部時代に文章による記録はほとんど書けなかったので、その後も活字メディァには進まずに、映像関係のメディアに大学卒業後進みました。

早稲田大学探検部の現役時代に、探検をして、文章として記録を出来るかどうかは大学卒業後の人生でも大きな岐路になるような気がしています。

以上、「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合で拝見した日記」

ブログに載せます。


2024年12月8日日曜日

「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合でお話ししたカイラスについての話」

 「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合でお話ししたカイラスについての話」

   先日、高田馬場のインド・ネパール・チベット料理屋さんで早稲田大学探検部30OBの中島さんと早稲田大学探検部32OBの吉澤さんと会合をしました。

  会合ではもっぱらチベットの話を2時間以上していました。

  全てのお話をブログに書くのは大変なので、カイラスについてのお話をブログに書きたいと思います。

  中島さんと吉澤さん、僕(上原)が行ったことのあるチベット、カイラスについては、中島さんが、カイラスについては、ヤルツァンポ川沿いを護岸したので(僕らがチベットに行った頃はヤルツァンポ川沿いの道が、ヤルツァンポ川が氾濫していて通れなくて大きく北に迂回にしてカイラスに行きました)ヤルツァンポ川沿いの道を車で通って、現在では簡単にカイラスに行けるようになっていると仰っていました。また、カイラス巡礼の出発地点、タルチェン(大金)にはホテルも出来ていると仰っていました。

  僕はそのお話を聞いて、

 「それでは、カイラスは観光地になっているのですか?」

  と中島さんに尋ねると、中島さんは、

 「今でも巡礼地になっている」

  と仰っていました。

   カイラスについては、日本のお寺の地図記号にもなっている卍(まんじ)もカイラスが由来らしいと中島さんが仰っていたので、僕は「カイラス 卍」というキーワードでグーグルでネット検索してみました。

  すると、カイラスと卍についてのグーグルでのSearch Labs | AI による概要では

  お寺の地図記号は「卍(まんじ)」です。寺院で見られる「卍」をそのまま使用しており、国土地理院のホームページによると、有名な寺や目標になる寺を表す記号として使用されます。

   「卍」は、古代インドで用いられたサンスクリット語(梵語)に由来し、幸福を意味します。ヒンドゥー教や仏教では吉祥の印として用いられ、インドではビシュヌ神(ヒンドゥー教三神の一)の胸にある旋毛とされ、瑞兆の相といわれています。

  以上のような記述がありました。

   その他にもカイラスと卍(まんじ)について書かれたブログが見つかり、そのブログを読んでみました。ブログなので信用できるのか分かりませんが、興味深い記述があったので、何故、カイラスが卍の由来になっているかについてブログを引用して書いてみたいと思います。

  卍は本来、仏教のものではなかった。元々は、在る土地の地形に基づいた「吉祥」を意味するデザインである。何処に在る土地か? それは「シャンバラ」の土地にある。卍の文字の中心の二つの線が重なった部分が、チベットに在る聖山「カイラス山」の在る地点となる。そこが、古来から「天地を繋ぐ中心」とされてきた。それは今でも変わらない。これからも変わらない。カイラス山の形、四つの河の源流、そして、その相互の波動が不思議な力を感じさせるからだ。

 カイラス山を中心にして、四方に四つの河が、外向きに流れている。カイラス山の辺りが源流となっているのだ。四つの河とは、それぞれ、ブラマプトラ、サトレジ、ガンジス(ガンガー)、インダスである。全てはアジアを代表する大河である。卍は地図がそのまま文字になった好例、しかも、象形文字としてもかなり古い。

 という記述が、

https://shambhalacafe.blogspot.com/2006/12/blog-post_03.html

 というブログに載っていました。

 カイラスから、四つの河(ブラマプトラ、サトレジ、ガンジス(ガンガー)、インダス)、が外向きに四方に流れていることを表すのが卍(まんじ)のようです。

  僕の家にある「チベットの山 カイラス山とインド大河の源流を探る」 という本にも、カイラス山が卍(まんじ)の山、という記述があります。

  卍(まんじ)もカイラスが由来だとすると僕も本当にすごい場所に学生時代に行っていたのだと思いました。

  先日の先日、高田馬場のインド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合ではとても貴重なお話をお伺いできたので、ブログに書いても良いものか迷いましたが、カイラスについてのお話をブログに載せさせていただきます。

  以上、「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合でお話ししたカイラスについての話」

  ブログに載せます。

 

2024年12月3日火曜日

「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合後のメールのやり取り」

 「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合後のメールのやり取り」

  1130日土曜日の高田馬場チベット料理屋さんでの会合の後に会合に参加された中島さんと吉澤さんとメールでやり取りをしました。

  以下のようなメールのやり取りをしました。

 中島さん、吉澤さん

 今日は楽しい時間を過ごさせていただいてありがとうございました。

中島さんと吉澤さんのカイラス行のお話も伺えて、

カイラスでのお写真も見せていただきありがとうございました。

中島さんも吉澤さんもドルマ峠が最高標高点と伺い、私と同じだと思い親近感が湧きました。

私も懐かしい記憶が蘇りました。

拙い後輩で申し訳ありませんが、今後も何卒よろしくお願いいたします。

 上原 和明 拝

 上原様

 今、吉澤君と別れたところです。

本日はありがとうございました。

上原君の変わらぬお姿とチベット話で盛り上がれ

とてもハッピーな時を過ごせました。

それにしても2時間少々あっという間まだ話し足りない気がしています。

近々集まる機会があると思うので話の続きをその時にできればと期待しています。

 中島木祖也

 上原さん

 こちらこそありがとうございました。貴兄が呼びかけてくれたおかげで、とても貴重な会合を持つことができました。そうでもないと当時の手帳を掘り出すこともなかったですし、中島さんと貴兄の記憶力にも驚かされました。あの時代しかできないことをよくぞやれたと思います。親にも先輩にも社会にも感謝します。

 それでは、また。おやすみなさい。

 吉澤

 中島さん、吉澤さん

 昨日は本当にありがとうございました。

中島さん、近々集まる機会があるのでしたら、是非、お声かけください。

何かお力になれることがありましたら協力させていただきます。

チベット話の続きにも参加させていただきたいです。

吉澤さんの当時の手帳にも興味があります。

 上原 和明

 以上のようなメールのやり取りをしました。

 次回の早稲田大学探検部の同世代の集まりが来年のようなので、僕もなんとか体調を崩さないように気をつけて、早稲田大学探検部の同世代の集まりに参加出来るようにしたいと思っています。

  以上、「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合後のメールのやり取り」

  ブログに載せます。

 

2024年12月2日月曜日

「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合」

 「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合」

  先週の土曜日に、早稲田大学探検部30OBの中島木祖也さんと、早稲田大学探検部32OBの吉澤基勝さんと僕の3人で、高田馬場のインド・ネパール・チベット料理屋さんで会合をしました。

  5時前に、お店の近くを歩いていると、吉澤さんに

 「上原」

  と声をかけられ、吉澤さんと一緒に、お店を探して、僕が少し迷ってしまいましたが、何とかお店のある雑居ビルを見つけました。

  すると、中島さんもお店のある雑居ビルの前にいらしていて、3人でエレベーターに乗ました。僕はお店は4Fだと思っていて、4Fまで行ってしましたが、4Fにはお店はなく、吉澤さんが3Fではないだろうかと仰り、3人で階段を降りて、3Fのお店に到着しました。

  お店は3人以外にはお客さんはいなくて、中島さんをが上座に座られ、吉澤さんと僕が下座に座りました。

  僕は会社勤めはしていなくて、お店のご案内も席の座り方も知らない人間で、ここら辺から、僕はこの会合に参加して良い人間だったのだろうかと不安になり始めました。

  中島さんがメニューを見て、注文を始められたので、僕は「エベレスト」という名前のビールがあったと思い、メニューを見ましたが、「エベレスト」という名前のビールはなくて、店員さんに

  「エベレストいう名前のビールありませんでしたっけ」

  と聞いてしまいました。

  この辺りでも、僕の不手際を感じ始めていました。

  中島さんが、メニューを見て料理を注文され、ビールを注文して会は始まりました。

  会合では主に、チベットに関するお話を2時間以上ずっとしていました。

 僕も持参した、カイラスの写真集、1988年夏チベット探査計画書、報告書、当時の学生手帳などを先輩方にお見せしました。

  会はあっという間に2時間以上経ってしまって、午後7時になり、吉澤さんが僕に気を遣っていただいて、時計を見せてくださり、午後7時から少し時間が経ったときに、中島さんが、店員さんにお会計お願いしますとおっしゃり、中島さんが会の会計を持たれて、会は終了しました。

  僕の両親が高齢で、両親とも要介護1なので、帰宅が遅くなると、両親に悪いので、僕が午後7時くらいに帰れる会なら参加出来ますとメールに書いていたので、先輩方が気を遣って僕を帰してくださったのだと思います。

  会では懐かしいお話が出来て本当に楽しかったです。

  本当にありがたい場を設けていただき、ありがとうございましたという気持ちです。

  先週の土曜日に高田馬場のインド・ネパール・チベット料理屋さんで中島さんと吉澤さんと僕の3人で会合をしたので、ブログを書かせていただきました。

  以上、「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合」

  ブログに載せます。

 

 

2024年11月30日土曜日

「チベットに行った1988年のラグビー大学選手権」

 「チベットに行った1988年のラグビー大学選手権」

   僕がチベットに行った、1988年の日記には、1988110日の第24回ラグビー日本選手権をその後チベットに一緒に行くことになった早稲田大学探検部で同期の倉島孝行さんと観戦しに行ったことが書かれています。

  僕が早稲田大学に入学した1987年にはスーパー1年生と言われた堀越正巳選手、今泉清選手、藤掛三男選手が早稲田大学ラグビー部に入部され、1988110日のラグビー大学日本選手権で同志社大学と対戦して、1910で勝利を収め、優勝されました。

   その後、115日に行われたラグビー日本選手権でも社会人の東芝府中を2216で破り、なんと大学生が社会人を倒して、日本一になりました。社会人のチームに大学生が勝ったのは1988年の早稲田大学ラグビー部が最後のようです。

  1988年の日記には、110日の第24回ラグビー日本選手権を観戦して、かなり興奮して、日記が書かれていました。日記は創造というタイトルで、

 「人間が何かを創造するためには楽しいだけではできないと思う。

   何かを成し遂げようと思ったときからその人の苦しみは始まるのかも知れない。なぜなら成功することは、失敗の山の上にあるからであり、挫折の末にあるからである。」

 という文章が書かれていました。早稲田大学ラグビー部のストイックな姿勢に感動して、書かれた文章だと思います。

  僕が1988年にチベットに行ってもなんとか頑張れて、カイラスまで到達出来たのは、早稲田大学ラグビー部のストイックな姿勢に多くのことを学んで、なんとか頑張れたのだと思っています。

  僕が早稲田大学で良かったと思うのは、早稲田大学がスポーツが強くて、多くの勇気、元気をもらえたことも早稲田大学で良かったと思っています。

  明日はラグビーの早明戦があり、100回目の記念の早明戦になるようです。

  早稲田大学に関係している方々は、多くの勇気、元気をもらえると思っています。

  良い影響は自分にとっての養分になると思います。

  僕がチベットに行った1988年に一緒にチベットに行った倉島孝行さんとラグビー大学選手権を観戦していて、とても感動して日記を書いていたことをブログに書いておきます。

  以上、「チベットに行った1988年のラグビー大学選手権」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

2024年11月29日金曜日

「中国のアウトドア用品メーカーとしてのカイラス」

 「中国のアウトドア用品メーカーとしてのカイラス」

  僕は早稲田大学探検部2年生の時に中国のチベット自治区にある、チベットの聖山、カイラスに行き、カイラス巡礼をしました。

 そのカイラスの名前を冠した中国のアウトドア用品のメーカーがあることを何年か前に知りました。

 ネットで、「アウトドア用品メーカー、カイラス」と検索してみると、カイラスジャパンというサイトが見つかりました。

 カイラスジャパンのサイトを見てみると、カイラスというブランドは2003年にBaggio Zhong氏が創立されたアウトドア用品のブランドだそうで、中国国内での売り上げが90%を占めているそうです。

 日本ではカイラスジャパンという名前で楽天市場などでオンラインショップを運営しているようです。

 https://www.rakuten.co.jp/kailas/

 僕は、早稲田大学卒業後は仕事ばかりの人生になってしまって、アウトドアの活動も登山も川下りも全くしていません。

 今からでも遅くないので、学生時代を思い出して、僕にでも出来るようなアウトドアの活動をしてみようかとも思っています。

 カイラスジャパンという名前で楽天市場などのオンラインショップがあり、カイラスという名前のブランドでアウトドア用品を購入できるのなら、一度、カイラスジャパンというオンラインショップでアウトドア用品を購入して、学生時代を思い出して、アウトドアの活動を始めてみても良いとも思っています。

 アウトドアの活動を始める良いきっかけになる、カイラスという名前を冠したアウトドア用品のブランドの発見があったので、早稲田大学卒業後、全くアウトドアの活動をしていない自分を叱咤激励する意味でも、中国のアウトドア用品メーカーとしてのカイラスのことについてブログを書いてみました。

 1130日土曜日の高田馬場チベット料理屋さんでの中島さんと吉澤さんとの会合でもカイラスという名前を冠したアウトドア用品のブランドがあることのお話もしてみようと思っています。

 以上、「中国のアウトドア用品メーカーとしてのカイラス」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

2024年11月28日木曜日

「カイラスと日本人」

 「カイラスと日本人」

  僕は早稲田大学探検部2年生の時にチベットの聖山、カイラスに行きました。

  カイラスと日本人の歴史を調べてみると、日本人で初めてカイラスに行かれのは僧の河口慧海さんのようです。河口慧海さんは1900年に日本人として初めてカイラスに行かれたようです。

 


  カイラスを日本人として初めて写真撮影されたのは長谷川伝次郎さんのようです。長谷川伝次郎さんは1927年にカイラスを巡礼されて日本人として初めてカイラスを写真撮影されているようです。

 


   河口慧海さんも長谷川伝次郎さんも、滋賀県にある探検の殿堂が選んだ日本の探検家になっています。

   日本人の探検とカイラスがとても関係が深いことが分かります。

   僕らがカイラスに行った1988年では、カイラスに行っても探検と認めてもらえるか分かりませんが、僕にとっては探検でした。

   カイラスと日本人について簡潔ですがブログを書いてみました。

   1130日土曜日の高田馬場チベット料理屋での中島さんと吉澤さんとの会合ではカイラスと日本人についてもお話が出来れば良いなと思っています。

  以上、「カイラスと日本人」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

2024年11月27日水曜日

「ブラマプトラ川の源流としてのカイラス」

 「ブラマプトラ川の源流としてのカイラス」

  僕が早稲田大学探検部4年生の時に参加した日本ヒマラヤ協会のプロジェクト、「インド・ブラマプトラ川川下り」で下ったブラマプトラ川の源流は僕が早稲田大学探検部2年生の時に行ったカイラスの麓にあります。

  カイラスの麓にあるマナサロワール湖からブラマプトラ川は流れ出ているようです。チベットではブラマプトラ川はヤルツァンポ川と呼ばれ、チベット高原を1500キロ東進して、大ヒマラヤで大屈曲して南に流れを変えインド・ブラマプトラ川となります。

  僕の家にある「チベットの山 カイラス山とインド大河の源流を探る」という本を読んでみると、以下のような記述がありました。

  「創造主ブラフマンの息子たちはヒマチャラの北に赴き、カイラス山の上で苦行をした。そこでシヴァとパルパディに会い、十二年そこにいて苦行と祈りに専念した。当時そこにはほとんど雨が降らず、水もなく、困った一同はブラフマンのところに行ってお祈りをした。するとブラフマンは、お前たちの願いは何かと聞いた。賢人たちは「私たちはカイラスで勤行をしています。私たちに水浴する場所を作って下さい」と答えた。するとブラフマンが精神力でマナサという聖なる湖を作ったので、賢者たちは再びカイラス山で苦行と祈りに従事し、湖水の真ん中から浮かび上がった金色のタラを崇拝した」

  「マナサロワールの地にわが身を触れ、その湖水で沐浴する人は、誰でもブラフマンの天国に行く。また、その水を飲む人はシヴァの天国に行き、幾度も生まれ変わって得た罪から解放される。マナサロワールという名のついた獣でさえブラフマンの天国に行く。その湖水は真珠のようである」

  以上のような記述がありました。

  ブラマプトラ川のブラマとはブラフマー、ブラフマンのことです。プトラとは息子という意味です。

  この「チベットの山、カイラス山とインド大河の源流を探る」という本に書いてあるブラマプトラ川の源流としての、カイラスの麓にあるマナサロワール湖に関する創造神話を読んでみると、カイラスとブラマプトラ川の関係の重要性が分かると思います。

  地理的にもブラマプトラ川の源流はカイラスの麓ですし、カイラスの麓の湖(聖湖)マナサロワール湖から流れ出ているらしいです。

  僕は早稲田大学探検部1年生の時にミクロネシアヤップ島に行き、自分の持っている日本人の価値観に大きな疑問を持ちました。早稲田大学探検部2年生の時にはチベットカイラスに行き、カイラス巡礼をしてチベット仏教徒、ヒンドゥー教徒の方々の厚い信仰心を感じ取りました。早稲田大学探検部3年生の時にはカナダユーコン川川下りを経験して海外の大河川の川下りをしました。そして、早稲田大学探検部4年生の時に日本ヒマラヤ協会のプロジェクトであるインド・ブラマプトラ川川下りに参加してカイラスの麓に源流を持つ世界初のブラマプトラ川川下りをさせていただきました。

 僕にとっては、カイラスの麓に源流を持つインド・ブラマプトラ川川下りが僕にとっての早稲田大学探検部での活動で集大成だったようです。

 もう早稲田大学を卒業して30年以上経っていて、いつまでも昔のことばかりブログに書いているのかと言われるかもしれませんが、大学卒業後は仕事ばかりの人生になってしまって、全くと言っていいほど、アウトドアの活動や探検部らしい活動もしていないので、昔のことばかりブログに書いています。

 僕にとっては、チベットカイラス行とそのカイラスの麓に源流をもつインド・ブラマプトラ川川下りは切っても切り離せない僕にとって重要な早稲田大学探検部時代の活動だったと思っています。

 ブラマプトラ川川下りとは梵我一如の考えとも絡んでくる僕にとってとても大事で重要な活動だったようです。

 1130日土曜日の高田馬場チベット料理屋での中島さんと吉澤さんとの会合でも、僕にとって、とても大事で重要な活動だったブラマプトラ川川下りとブラマプトラ川の源流としてのカイラスのことについてもお話が出来れば良いなと思っています。

 ブラマプトラ川の源流としてのカイラスについてブログを書いておきます。

 以上、「ブラマプトラ川の源流としてのカイラス」

 ブログに載せます。


2024年11月26日火曜日

「チベットの聖山、カイラス」

 「チベットの聖山、カイラス」

   1988年夏チベット探査計画書を読んでいたら、チベットの聖山、カイラスについての記述がありました。計画書からカイラスについての記述を抜粋してみて、カイラスについて考えてみようと思います。

  カイラス

   カイラスとはチベット西部にある標高6656mの高山である。まわりには他にそれほど高い山はなく、又男根にも見える独特のかたちから、古来、見る人々の心に何かを喚起させてきた。このカイラス山はその神秘性ゆえに、チベット仏教(ラマ教)、ヒンドゥー教、ボン教(チベットの原始宗教)の3つの宗教の聖地とされている。これは世界的に見ても他にはエルサレムしかなく、いかに宗教的な地かがわかる。カイラスは巡礼地の定義のようにそれぞれの宗教の栄えている土地(チベット中部、西部、インド、ネパール)からは辺境の地にある。このカイラスには、毎年多数の巡礼者が訪れ、かれらの祈りを捧げてきた。

  カイラス巡礼について

  150km、一般にチベット人は一泊二日で廻る。(cf.NHK取材班34日)巡回礼者が多いのは3月~8月。内廻り(ナンギコル)、中間廻り(パルコル)、外廻り(チイコル)の3種があり、普通の人は外廻り。21回(13回?)廻ると、神か仏の廻る内廻りに行けると言われる。

  以上のような記述がカイラスについて計画書に載っていました。

  カイラスは3つの宗教の聖地と記述がありますが、実はジャイナ教でも聖地とされています。極めて宗教的な色彩の強い場所で、僕がカイラス巡礼をした際にも、何かトランス状態になっている方を見たことがあります。カイラス巡礼路の最高標高点はドルマラ峠という場所で標高5660mの峠で、僕もこのドルマラ峠がきつくて、重さ約20キロある100リトルザックを背負って、一人でドルマラ峠を通って、本当に地面に這いつくばるようにドルマラ峠を越えました。酸素も薄くて呼吸をするのも辛くて、僕が57年生きてきて、今までの人生の最高標高点が標高5660mのドルマラ峠です。本当にカイラスの周囲の巡礼路は苦行をするような道で、カイラス到達までの苦難の旅路の末に辿り着いた、カイラスで一番きつく、辛い体験を僕はしました。

  仏教の修行にも似ていると思いますが、本当に苦しく辛い経験をしました。まだ、年齢が20歳と若くて、気力、体力とも充実していて、何とか出来たカイラス巡礼だったと思っています。宗教を信じる信じないの良し悪しは僕には分かりませんが、精神的にも肉体的にも限界になるような苦難のカイラス到達の旅路、カイラスに到達してからの地面を這いつくばるようになんとか乗り越えたドルマラ峠と、カイラスとは、遊びに行くような場所ではなく、何か心の拠り所を求める人達が行く場所だと僕は思いました。

  チベットの方々はカイラス山に向かって本当に五体投地をして祈りを捧げていました。僕にとっても本当に大事なことを教わった場所がカイラスだったと思っています。

   11月30日土曜日の高田馬場チベット料理屋での中島さんと吉澤さんとの会合ではカイラスに行かれて、カイラス巡礼もされている中島さん、吉澤さんと会えるので、カイラスの思い出についてもお話が出来れば良いなと思っています。

  以上、「チベットの聖山、カイラス」

  ブログに載せます。


2024年11月25日月曜日

「チベットと原発」

 「チベットと原発」

  昨日は、チベットの水力発電、地熱発電の可能性についてブログを書きましたが、今日は「チベットと原発」というタイトルでブログを書きたいと思います。

   チベットに原子力発電所があるかどうかを知るために、Windows11にインストールされているCopilotを使って、

  「チベットに原子力発電所はありますか?」

  と質問してみました。

  すると以下のような回答が返ってきました。

  「いいえ、チベットには原子力発電所はありません。チベットは中国の自治区であり、中国の電力網に統合されています。チベットの電力は主に水力発電や他の再生可能エネルギー源から供給されています。」

  この回答からチベットに原子力発電所が存在しないことが分かりました。

  チベットの電力は主に水力発電や他の再生可能エネルギー源から供給されていますという回答でした。

  僕は長く、原発に反対する本をとても多く読んでいて、立場的には原発に反対の立場です。

  チベットと原発のことを考えると、チベットには原発は無くて、水力発電やその他の再生可能エネルギー源から供給されているということは、原子力発電所の存在が大きな問題になっている日本から見ても、チベットの電力供給源のことはとても興味深く、何か学べることが多くあるのではないかと思いました。

  僕がチベットに行った、1988年には、チベットではそれほど電気が通っていなかったという印象があります。

  夜になると真っ暗になり、夜空がとても綺麗で、星が落ちてくるような星空だったことがとても印象に残っています。

  1988年からすでに35年以上経っているので、現在のチベットでは電気もかなり普及していると思いますが、チベットには原子力発電所が存在しないということはとても興味深く、日本で長く原発のことを考えている方々が現在のチベットに行ってみても何か勉強になるのではないかと思います。

  小さな島国、日本では、至る所に原子力発電所を作ってしまって、2011年の福島原子力発電所の大事故以来、その原子力発電所の存在が日本各地で問われるようになりました。

  チベットと原発というと、何か勘違いしているとか言われるかもしれませんが、チベットの電力供給源が水力発電とその他の再生可能エネルギーだという事実は僕にとってはとても大きなインパクトを与える事実で、チベットと原発というテーマでもう一度チベットに行ってみたいなという気持ちになりました。

  早稲田大学探検部の大先輩方が、原発に反対する本を書かれたり、原発に反対する映画を撮られたりされていて、僕も長い間、原発のことを考えているので、「チベットと原発」というテーマでブログを書いてみました。

  1130日土曜日の高田馬場チベット料理屋での中島さんと吉澤さんとの会合の際にも、僕から「チベットと原発」というテーマでお話が出来れば良いなと思っています。

  以上、「チベットと原発」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

2024年11月24日日曜日

「チベットの水力発電、地熱発電」

 「チベットの水力発電、地熱発電」

  僕の部屋を探していたら、1988年夏チベット探査計画書が見つかりました。

  1988年夏チベット探査計画書の中から、「チベットの経済」という章をブログに載せたいと思います。とても興味深いこと、水力発電、地熱発電のことが書かれているので、「チベットの経済」という章をブログに載せます。

  「チベットの経済」

 チベットと言えばいつくかのイメージと共に牧畜という言葉が思い浮かぶ。地理的条件、厳しい気候等により農耕生産が極めて限定されてきたなかで、牧畜業は産業の中心であり、現在もその比率は大きい。このことは、牧畜業と結合した多角的な発展がチベットにおける農業政策の目標の一つであり、畜産品を原料とする軽工業生産を発展させる事が工業政策の目標の一つとなっていることがことからも明らかである。又、牧畜業の健全な発展が目標とされる一方で、近年、天然資源の開発が注目されている。中国の調査によりチベットでは莫大な量の天然資源が眠っていることが判明した。その天然資源埋蔵量の多さは中国の中でも上位に位置すると言われ、その開発が進めばチベットの経済に大きな影響を与えることは必至と思われる。そういった意味でチベットの経済は今後、大きく転換する可能性を大いに秘めていると言えよう。これから以下に記すことがらは中国政府発表の資料を参照したものでありいくらか政治的意図のもとに発表されたものであることを断っておく。

  農業

  チベット自治区は、地形から蔵北高原、アリ地区(西北ルドク地方)蔵南谷地(ツァンポ流域)、蔵東横断山脈渓谷地区の4つの自然区に分けることができる。蔵北地区、アリ地区は広大な天然の牧場がひろがり、チベットの最も広い牧畜業地帯となっており、主にヤク、羊毛、山羊、馬などが放牧されている。蔵南谷地は、チベットの農業地帯で、チンコー、小麦、アブラ菜、リラ、エンドウ、ソバなどが栽培されている。(1980年、チンコー56%、小麦24%、エンドウ等20%)。チンコーとは、ツァンパの原料、家畜の飼料となる物で、生育期間が短く高原での栽培に適しているため、その種面積は、チベット全区で50%以上にも及ぶ。又、蔵南谷地の林芝、米林の一部の地区と波密、墨脱、察隅の大部分の地区は、平均標高が3000m以下で、気候は比較的温和であるため土地は肥えており、森林が繁茂していて、亜熱帯作物も耕作することができる。墨脱、察隅では、茶、稲の栽培が行われている。

  鉱物資源

  チベットの地下資源は非常に豊富である。その種類はホウ砂、クロム、銅、鉄、石炭、雲母、天然硫黄、鉛、亜鉛、コバルト、モリブデン、重晶石、塩など約40種にも及ぶ。とりわけホウ砂、コバルト、銅の埋蔵量においては、中国でも上位に位置する。

  水資源

  チベットの河川は流れが急で降雨量も他の地区と比べ比較的多く水資源は極めて豊かであると言える。中国の調査によると、全自治区の水力発電包蔵量のほぼ293%をも占める。又、水資源以外にも豊かな地熱資源も有している。

  森林

  チベットでは310万ヘクタールにも及ぶ森林資源があり、天然林蓄積量は61億平方メートルにも達する。森林には様々な植物が生育し、その種類は4500種をこえ、世界でも珍しい常緑雲松、雲杉(spruce)、鉄杉(hemlock)などが自生する。

  工業

  解放後、近代工業、手工業とも発展の経過をたどる。近代工業部門では、電力、コバルト鉱、石炭、化学工業、建築材料、機械森林化学工業、毛紡、マッチ、製紙、印刷、皮革、食品加工、などの業種が創設され工業産品は52種に及ぶ。又、民族手工業も復活し、1980年末には、集団手工業の数も30を越えている。(人民日報‘80125)。主な製品は、クッション、チベットじゅうたん、チベット布団、チベット風の前掛け、チベット靴、チベット刀、木碗、スーユー桶などで、総生産額もかなりの額が発表されている。

  以上が「チベットの経済」という章に書かれている文書です。

   僕がこの文書の中で興味深いと思ったのは、水資源に関する記述です。水力発電包蔵量のほぼ293%をも占めるという部分がとても興味深いと思いました。

  豊かな地熱資源も有しているという記述もあります。

   日本の大きな問題になっている、原発、原子力発電に代わるエネルギー源として、水力発電も地熱発電もチベットでは大きな可能性があることがこの水資源という記述を読むと分かります。

   チベットのことを考える際にどうしても普通の人たちはチベット仏教の盛んな地域で、仏教のことを考える方が多いと思いますが、原発、原子力発電に代わるエネルギー源としての水力発電、地熱発電の可能性のある地域だという観点からチベットのことを考えてみても面白い視点になってくると僕は思います。

 11月30日土曜日の高田馬場チベット料理屋さんでの中島さんと吉澤さんとの会合では原発に代わるエネルギー源としてのチベットの水力発電、地熱発電のことについてもお話が出来れば良いなと思っています。

  1988年夏チベット探査計画書の「チベットの経済」という章を読んでいたらとても興味深い記述があったので、ブログに載せたいと思います。

  以上、「チベットの水力発電、地熱発電」

  ブログに載せます。

 

2024年11月23日土曜日

「チベットで食べたモモ」

 「チベットで食べたモモ」

  1130日土曜日の高田馬場チベット料理屋での中島さんと吉澤さんとの3人で会合は、インド・ネパール・チベット料理屋さんで会合をします。

  そのお店ではモモという餃子のようなものを食べられます。

   モモはチベットに行った際に、ラサで宿泊したヤクホテルというホテルで食べたものでした。

  ラサのヤクホテルで僕らは初めて、モモという食べ物を食べました。

   当時は珍しい食べ物で、興味津々にモモを食べたことが思い出に残っています。

   チベットではツァンパというきなこのようなものが主食でしたが、ラサでヤクホテルに宿泊した際には、モモを食べました。

   モモはとても懐かしい食べ物で、1130日土曜日の高田馬場チベット料理屋さんでの会合の際もチベットに行ったときのことを思い出すために是非、食べたいと思っているものです。

  懐かしの味を思い出せることが今から楽しみです。

  以上、「チベットで食べたモモ」

  ブログに載せます。

 

 

2024年11月22日金曜日

「チベットのお土産、マニ車」

 「チベットのお土産、マニ車」

  僕は早稲田大学探検部2年生の時にチベットに行きました。

  チベットとは中国のチベット自治区のことですが、チベットでは仏教、チベット仏教が盛んな地域で、チベット仏教の信徒の方が多くいらっしゃる地域です。

  チベットでは、ラサに滞在した際に、ポタラ宮にも行きました。ポタラ宮は壮観な建物で、学生ながら、立派な建物に行ったと思っています。

  セラ寺にも拝観に行きました。

  チベットではマニ車をお土産に買いました。1988年当時、チベットで買ったお土産のマニ車は今でも僕の部屋にあります。

 


  マニ車とはウィキペディアによると、

 「マニ車は円筒形で、側面にはマントラが刻まれており、内部にはロール状の経文、真言や、大型のものでは1秩がそのまま納められている。」

  というものです。

  マニ車は僕の部屋の引き出しに入っているので、チベットのことを思い出したときに引き出しから取り出して、マニ車を回しています。

  僕は特別に仏教を信仰しているわけではありませんが、仏教には良い感情を持っていて、お正月には七福神巡りをしてお寺で手を合わしています。

  学生時代にチベット仏教の盛んな土地であるチベットに行ったので、チベットのお土産としてマニ車が僕の部屋の引き出しに入っていることをブログに書いておきます。

  1130日土曜日の高田馬場チベット料理屋での中島さんと吉澤さんとの会合の際にもチベットのお土産のマニ車を持っていこうと思っています。

  以上、「チベットのお土産、マニ車」

  ブログに載せます。


2024年11月21日木曜日

「チベット勉強会」

 「チベット勉強会」

  僕らは早稲田大学探検部2年生の時に、同期の仲間(上原、桜井、倉島、中谷)4人と隊を組んで、1988年夏チベット探査計画を立ち上げました。

  夏のチベット遠征の前には、4人でチベット勉強会を何度も開催して(当時の学生手帳を見てみると、週に23回、チベット勉強会を開催していたようです)、チベットに関する勉強をしていました。

  今でも僕の家には1988年のチベット勉強会のファイルが残っています。

  チベットの宗教、チベットの歴史、チベットの政治、チベットの地理、チベットの風俗・習慣、チベットの経済、などについて、各自、レポート用紙に調べたことを書いて、4人でチベットのことについて勉強しました。

  チベットに関する書籍もリストアップして、本を読んでチベットに関する勉強をしました。

  事前の準備期間は少し短かったと思いますが、それでも、4人とも忙しい中、4人集まってチベット勉強会を開催していました。

  早稲田大学探検部では現場のフィールドに赴くことが最も重視されますが、事前の勉強もとても大事だと僕は思っています。

  実際に現場のフィールドに赴いた際に、事前の勉強をしておかないと、見えてこないことも多くあると思います。

  勉強したことと、現場のフィールドに赴いて見たこと感じたことが違うなと思うこともあると思いますが、事前の勉強はとても大事だと僕は思っています。

  僕らはチベット語に関しては、ほとんど勉強できずにチベットに行ってしまいましたが、簡単な挨拶、こんにちは(タシデレ)、良い(ヤップドゥ)くらいは言えるように勉強していました。

  語学力不足だったことは否めませんが、チベットというフィールドを前に最低限の知識の勉強はしていました。

 チベット勉強会で勉強したことは、実際にチベットというフィールドに赴いた際にも役に立ったし、チベットの方々の考えていることを理解するためにもチベット勉強会はとても大事だったと今でも思っています。

  何か新しい計画を立ち上げる際には、きちんと赴くフィールドに関しての勉強をしておかないといけないと僕は思っています。

  赴くフィールドで、自分たちの持っている価値観を押しつけるのではなく、赴いたフィールドの方々から何か学ぶ姿勢がとても大事になってくると思います。

  とかく日本人は、自分の国が先進国で、自分たちの価値観が良いものであって、赴いたフィールドに住んでいる方々の価値観と合わないと思ってしまう方も多くいると思います。

  事前に赴くフィールドについてきちんと勉強して、どのような背景で、現地の方々はこのような価値観を持っているのだろうかとか、何故、チベット仏教を信仰しているのだろうかとか、勉強しておくことはとても大事なことになってくると僕は思っています。

  現場のフィールドに赴けば戸惑うことも多々あると思います。現場のフィールドに赴いて、なるべく戸惑わないように、赴くフィールドについて勉強をしておくことはとても大事なことだと僕は思います。

  1988年夏チベット探査計画の現場のフィールドに赴く前には、4人で集まって、チベット勉強会を開催してチベットに関する勉強をしていたので、現場のフィールドに赴いてもなんとかやっていけたのだと思います。

  僕ら1988年夏チベット探査隊が事前にチベット勉強会を開いてチベットに関して勉強していたことをブログに書いておきます。

  1130日土曜日の高田馬場チベット料理屋の中島さん、吉澤さんとの会合では、きちんとチベット勉強会のファイルも持参して、僕らが事前にチベットに関する勉強をしていたこともお伝えしようと思っています。

  以上、「チベット勉強会」

  ブログに載せます。

 

2024年11月20日水曜日

「早稲田大学探検部とチベット」

 「早稲田大学探検部とチベット」

  先日、自分の部屋を掃除していたら、「第6次チベット高原民族探査隊 1990年夏」という計画書が見つかりました。早稲田大学探検部34OBの沢田石君が作成された計画書だと思います。僕はこの第6次チベット高原民族探査隊 1990年夏の在日連絡を務めたので、僕の部屋に「第6次チベット高原民族探査隊 1990年夏」という計画書が保管されていたのだと思います。

  この「第6次チベット高原民族探査隊 1990年夏」という計画書に早稲田大学探検部とチベットのことがかなり分かり易く書かれていました。早稲田大学探検部とチベットのことについて書かれている部分をブログに載せます。

  [探検部とチベット]

   チベット高原民族探査隊は1986年夏、当時の幹事長、中島木祖也氏により創設された。氏は当初よりチベット隊が継続して送り出されるべきであると主張し、10カ年計画を提唱されたが、その主旨は次のように解される。

 即ち、チベット文化圏が広大であり、その文化がそれぞれの地域において独自性を持つからである。代表的な地を列挙すると、チベット自治区の東部と西部、雲南省北部、四川省西北部、青海省南部、ビルマ北部、シッキム地方、ラダック地方、パキスタンのバルチスタン地方、ネパールの亡命地、インドにおける亡命地(ラダック、アッサム、ダラムサラ周辺、南インドなど)、さらにはイギリス、アメリカ、スイスなどにも多くのチベット人が居住している。

 これらの地の独自性、及びチベット文化圏、チベット民族に共通する普遍性を明らかにするには、一人の力、数度の探検のみでは力量不足であることは明白である。

 チベットに関する多くの地を探検しても一度のみの訪問では検証が浅く、内容も片寄ったものになる可能性が大きい。現代世界の流動は激しく、チベットについてもその例外ではない。ある地域における活動をそれぞれの世代が何度もフォローし、その内容を深化させると共に、それぞれの世代おけるチベット民族とチベット文化の証人となり、チベット史を築き上げていく。つまり、早稲田大学探検部があるかぎり、チベット高原民族探査隊が続けられていく、それが早大探検部とチベットなのである。

 [過去のチベット隊]

 (第一次隊)

1) 中島、吉沢隊 ~1986

文化人類学的な調査をチベット自治区にて展開する。

2) 木村、坂下隊 ~1987

東チベット、チベット自治区、ネパール、ダラムサラの難民を訪問し、チベット民族の現状を把握。チベット問題を直視する。奇襲1号参照

 (第二次隊)

中島、後藤、斎藤隊 ~1987

 第一次隊に続き、文化人類学的調査をチベット自治区にて展開し、内容を深化させる。遊牧民のキャンプに住み込み、ヤクとチベット人の関係、一妻多夫制を家系図により証明すると共に、大草原での遊牧生活とそれに根ざす文化のすばらしさを紹介し、以後の活動の根幹を築く。

 (第三次隊)

1) 斎藤、松田隊 ~1988

2) 上原、桜井、倉島、中谷隊 1988

この遠征によりチベット自治区の開放地、未開地の相当分を網羅する。スライド等の資料を多数持ち帰る。

(第四次隊)

高橋、斎藤隊 ~1989冬、春

 冬の遊牧民の生活を調査。「彼らは冬の間遊牧しない(高橋)」などの調査結果を出す。厳冬期のヒマラヤを徒歩でネパールに抜ける。

 (第五次隊)

1) 中谷、岸田隊 ~1990

ネパールのチベット難民居住区を訪問。チベット難民がネパール人のカースト制度の人で下層のカーストに位置付けられ、ボテと呼ばれ、ある意味では虐げられている姿をリポートする。彼らもまたそのボテとしての地位に不満を示す様子はない。仮に独立を果たしてもだだっ広い高原に文明生活のない事を理由に、帰るかどうか迷う人間の姿に感動する。

2) 沢田石、前田隊 ~1990

インドのダラムサラ、ラダック地方を訪問。198938日以来、チベット自治区に戒厳令が敷かれたためチベット自治区訪問を断念。当初は漢民族によるチベット人虐殺、不妊手術などの人権侵害に取り組む予定であったが、訪問地をインドに変更し、難民の文化、またチベット人よりチベット的と呼ばれるラダックの文化を調査した。と同時にチベット問題、ラダック問題についても調査し、かなりの部分をフォローした。

(第六次隊)

沢田石、遠藤、桑田隊

以上のような早稲田大学探検部とチベットに関する記述がありました。

早稲田大学探検部とチベットの関係が分かり易く書かれていると思いました。早稲田大学探検部のチベットの計画が早稲田大学探検部30OBの中島木祖也氏により創設され、その後、数次の隊が早稲田大学探検部からチベットに送り出されて、なんらかの成果があったことが分かります。

僕がチベットに行った1988年夏の隊は第3次隊になるようです。成果としては、「この遠征によりチベット自治区の開放地、未開地の相当分を網羅する。スライド等の資料を多数持ち帰る。」という記述がありました。

僕が作成したチベットのスライドも重要な成果の一つだったようですが、僕は重要な成果であるチベットのスライドを紛失してしまったようです。残念です。

1130日土曜日に高田馬場でのインド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合では早稲田大学探検部でチベットの計画を創設された中島木祖也さんにもお会いします。

早稲田大学探検部のチベット話を盛り上げていこうと思っています。

先日、自分の部屋を掃除していたら、「第6次チベット高原民族探査隊 1990年夏」という計画書が見つかったので、早稲田大学探検部とチベットのことに書かれている部分をブログに載せます。

以上、「早稲田大学探検部とチベット」

ブログに載せます。