2026年5月13日水曜日

「早稲田大学探検部関係者の原発に対するスタンス、見解」

 「早稲田大学探検部関係者の原発に対するスタンス、見解」

~被災地の記録から見えてくる「いまこそ反対」の声~

両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。今日もAIを利用してブログを書きます。

今日は僕が早稲田大学在学中に所属していたサークル、早稲田大学探検部の早稲田大学探検部関係者の原発に対するスタンス、見解に関するブログを書きます。

Xの人工知能Grok

「ブロガーの上原和明さんの文体で、早稲田大学探検部関係者の原発に対するスタンス、見解について書かれたブログを

「三陸物語  被災地で生きる人びとの記録」

『生と死の記録 』 三陸物語 続

『原発の、その先へ 』 ミツバチ革命が始まる

『トイレのチカラ』 トイレ改革で社会を変える

『移民の宴』 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活

「クライメット・ジャーニー 気候変動問題を巡る旅」

「原発故郷3650日」

『福島 生きものの記録』 シリーズ1 ~被爆 

『福島 生きものの記録』 シリーズ2 ~異変~

『福島 生きものの記録』 シリーズ3 ~拡散~

『福島 生きものの記録』 シリーズ4 ~生命~

『福島 生きものの記録』 シリーズ5 ~追跡~ 

『人類滅亡を避ける道 』 関野吉晴対論集

『いまこそ私は原発に反対します。』

を参考文献、参考映画にして書いてください。」

と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

僕、上原和明です。早稲田大学探検部OBとして、毎日文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見ています。今日も7000歩ほど歩いて、ふと頭に浮かぶのは、福島や三陸の風景。そして、原発の話。両親の介護でブログを書く時間が限られる中、今回も胸に迫る思いを、ありきたりな日常から紡いでいきます。

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、震災関連の本を読み漁りながら、ブログを「Don't give up」の精神で更新を続けています。

早稲田大学探検部OBという肩書きは、僕にとって特別です。学生時代、世界を歩き、自然の力の大きさを肌で感じてきた仲間たちが、被災地で「生と死」を記録していたからです。彼らの作品を通じて、原発に対するスタンスがはっきり見えてきます。それは、決して感情的な「反対」ではなく、現場を歩き、命の現場を記録した者だけが到達できる、静かで、しかし揺るぎない「いまこそ私は原発に反対します」という声です。

まずは、22OBの萩尾信也さんの『三陸物語 被災地で生きる人びとの記録』とその続編『生と死の記録 三陸物語 続』から。東日本大震災直後、萩尾さんは岩手・三陸沿岸に居候しながら、漁師や被災者の声を201回にわたって連載しました。漁師の言葉を引用して「福島第一原発事故は人災だ」とはっきり記しています。津波は天災だけれど、原発事故は人間の傲慢が招いたもの。生老病死を四季に重ねて描く続編では、被災地の「生」と「死」が、ただの統計ではなく、息づく人々の日常として浮かび上がります。探検部で培った「歩く力」が、被災者の心に寄り添うルポに変わった瞬間です。僕がこれを読んで胸が締めつけられたのは、原発が「安全神話」で覆い隠してきたリスクが、命の現場でいかに残酷かを、萩尾さんの筆が暴いているからです。

次に、6OBの岩崎雅典さん(2021年に惜しくも亡くなられましたが)の『福島 生きものの記録』シリーズ。これは圧巻です。

シリーズ1~被爆~から始まり、2~異変~、3~拡散~、4~生命~、5~追跡~まで。福島の森や川、田んぼで、放射能にさらされた生きものたちの姿を、カメラと足で追い続けました。葉に付着したセシウム、奇形の兆候、拡散する汚染、そしてそれでも芽吹く生命力。岩崎さんは探検部のDNAで「異変」を科学的に、しかし詩的に記録したのです。放射能は目に見えず、しかし確実に生態系を蝕む。人間もその一部です。このシリーズを見れば、原発事故は「終わっていない」ことが痛いほどわかります。僕自身、福島の生きものを想像しながら、日常の散歩で空を見上げることが増えました。

41OBの島田陽磨さんが関わるドキュメンタリー『原発故郷3650日』も、同じく心に刺さります。福島県の原発事故による避難関連死者数を20213月時点で2316人とテロップで流し、被災者の「故郷を失った」10年を克明に描きます。復興のイメージが先行する中、傷は深くなる一方。探検部OBとして、島田さんは「故郷」をただ懐かしむのではなく、原発が奪った未来を問い続けています。3650――10年という時間の中で、原発事故は人々の人生をどう変えたか。僕がこれを見て思うのは、原発再稼働を進める人たちは、この「3650日」の重みを、本当にわかっているのだろうか、ということです。こうした探検部関係者の記録は、決して孤立していません。

26OGの鎌仲ひとみさんの『原発の、その先へ ミツバチ革命が始まる』は、原発事故後の「その先」を、祝島の漁師やスウェーデンの脱原発・脱石油の取り組みから描きます。ミツバチのように、自然の循環に沿ってエネルギーを生み出す革命。探検部の精神は「冒険」から「持続可能な生」へつながるのです。原発に頼らない社会を、現場の声で証明しています。

また、10OB上幸雄さんの『トイレのチカラ トイレ改革で社会を変える』は、被災地での衛生と尊厳をテーマに、社会変革の鍵をトイレに求めます。三陸や福島で、トイレさえままならない状況が、人々の「生きる力」をどう支えたか。原発事故で避難生活が長引く中、基礎的な生活インフラが、実は命綱であることを教えてくれます。

探検部OBたちが歩いた被災地で、こうした「地に足ついた」改革が、原発依存からの脱却のヒントになるのです。

31OB、高野秀行さんの『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』は、少し角度が違うようですが、被災地や原発周辺で、多様な食文化がどう根付くかを描きます。福島の土壌汚染と向き合いながら、新しい「宴」が生まれる。

30OBの蒲敏哉さんの気候変動問題を巡る旅「クライメット・ジャーニー 気候変動問題を巡る旅」とも重なります。原発は「クリーン」どころか、気候危機の解決策にならない。むしろ、長期的な環境破壊を招くことを、旅する視点が明らかにします。

そして、早稲田大学探検部と交流のある関野吉晴さんの対論集『人類滅亡を避ける道』。世界を歩き尽くした人類学者・探検家として、核の脅威や気候変動を「滅亡の道」として論じます。探検部OBの先輩として、関野さんの言葉は重い。「柔らかく、しかし諦めずに」――老子の「天下水より柔弱なるは莫し」を座右の銘にする僕にとって、この対論はまさに原発反対の哲学です。

最後に、7OBの西木正明さんが寄稿されている『いまこそ私は原発に反対します。』というタイトルそのままの本。すべての記録が、この西木正明が寄稿されている『いまこそ私は原発に反対します。』という本に収束します。

これらの参考文献・参考映画を並べてみると、早稲田大学探検部関係者の原発スタンスは一貫しています。

・人災認識:萩尾さんのように、事故を「天災」ではなく「人災」と見抜く。

・生態系への目:岩崎さんのシリーズのように、放射能の「被爆」「異変」「拡散」が生命をどう変えるかを追う。

・その先への視座:鎌仲さんのミツバチ革命や関野さんの対論のように、原発の「後」を生きる道を模索する。

・日常の記録:三陸物語やトイレのチカラ、移民の宴のように、被災者の「生」を忘れない。探検部で学んだのは、ただ山を登ったり川を下ったりすることだけじゃない。自然の力と人間の脆弱さを直視し、記録し、未来に伝えること。原発は、その脆弱さを増幅させる装置です。柏崎刈羽や浜岡、どこでも同じ。耐震データ不正や再稼働の動きを見るたび、仲間たちの作品を思い出し、僕は声を上げ続けます。

僕は報酬をもらわないアマチュアのブロガーですが、3000以上の記事を書いてきました。早稲田大学探検部OBとして、プロ志向の多い関係者の中で、地道に「Don't give up」を実践しています。

福島の生きものたち、三陸の漁師たち、避難生活の10――彼らの記録が、僕の日常を照らします。原発再稼働のニュースが流れるたび、胸がざわつきます。でも、諦めません。柔らかく、でも強く。歩きながら、ブログを更新しながら、仲間たちの「いまこそ反対」の声を、僕も紡ぎ続けます。被災地の記録を忘れず、命と未来を守るために。

20265月某日 上原和明

(参考文献・参考映画:上記すべて。僕の作った、「東日本大震災関連書籍の紹介サイトで震災本を紹介し続ける理由が、ここにあります。)

 以上のような文章がGrokから返ってきました。

 まるで僕が書いたような文章だと思いました。AIとは文章を書く手間を大幅に省いてくれて本当にありがたいと毎回、毎回、感謝の気持ちを抱きながら思っています。

 これからもAIを利用してブログを地道に更新していこうと思っています。

 以上、「早稲田大学探検部関係者の原発に対するスタンス、見解」

~被災地の記録から見えてくる「いまこそ反対」の声~

 ブログに載せます。

 

 

2026年5月12日火曜日

「原発銀座の福井県若狭湾沿いの関西電力の原発に反対します」

 「原発銀座の福井県若狭湾沿いの関西電力の原発に反対します」

両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。今日もAIを利用してブログを書きます。

Xの人工知能Grok

「ブロガーの上原和明さんの文体で、福井県若狭湾沿いの原発銀座の関西電力の原発に反対するブログを

『関西電力「反原発町長」暗殺指令』

『関西電力と原発 』

「関西電力原発マネースキャンダル」  利権構造が生み出した闇の真相とは

『大飯原発再稼働と脱原発列島 』

『いのちか原発か』

『動かすな、原発。』大飯原発地裁判決からの出発 岩波ブックレット - No.912

「私が原発を止めた理由」

『若狭がたり』わが「原発」撰抄

を参考文献にして書いてください。」

と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は20265月に入ってからも、毎日のようにスマホの万歩計を見ながら近所の散歩を続けています。両親の介護で外に出る時間が限られる中、それでも一歩一歩、足を動かしながら考えています。今日も、福井県の若狭湾沿いのこと。若狭湾――あの美しい海が、なぜ「原発銀座」と呼ばれるようになったのか。関西電力の原発がずらりと並ぶ、あの地帯の闇について、胸がざわついて仕方ありません。僕自身、早稲田の探検部でいろんな場所を歩いてきた人間ですが、原発の問題は「遠い話」じゃありません。東日本大震災から15年が経ち、福島の記憶が薄れていく中で、関西電力はまた再稼働を進めようとしています。大飯原発、高浜原発、美浜原発……14基もの原発が集中する世界でも稀な場所。若狭湾の海は、漁師さんたちの生活の場であり、観光の宝物であり、何より「いのち」の源です。でも、そこに巨大なリスクが積み重なっている。僕は本を読み、資料をめくりながら、改めて思いました。「動かすな、原発。」と。参考文献に挙げた本たちを、改めて読み返しました。

まず、斎藤真さんの『関西電力「反原発町長」暗殺指令』。これは衝撃でした。高浜原発のプルサーマル推進に反対する町長が、原発警備会社の獰猛な犬を使って「喉元を犬に食いちぎらせたれや」と襲撃を命じられたという告発。実名証言と資料が並ぶノンフィクションです。電力会社の「地元対策」が、ここまで異常な形になるなんて。反原発の声を上げる町長を「チョウチョウ」と呼んで標的にする。こんな話が、現実に起きたんです。若狭の町で。僕がこの本を読んで一番胸に刺さったのは、電力会社の利権が、地元の民主主義を踏みにじる構造そのものです。

次に、『関西電力と原発』や「関西電力原発マネースキャンダル 利権構造が生み出した闇の真相とは」。これらを読むと、関電のマネー問題が浮かび上がります。原発マネーが地元に流れる仕組み、議員や企業との癒着、莫大な金が動く裏側。福井県の原発銀座は、ただのエネルギー施設じゃない。巨大な利権の塊です。事故が起これば、避難すらままならない密集地帯なのに、再稼働を急ぐ。金のために、いのちを賭けるような真似を続けるのか。

大飯原発の再稼働をめぐる動きも忘れられません。『大飯原発再稼働と脱原発列島』や『いのちか原発か』、そして岩波ブックレットNo.912の『「動かすな、原発。」大飯原発地裁判決からの出発』。地裁で一度は再稼働が止められた判決がありました。あのとき、裁判所は「重大事故の危険性」を真正面から認めました。なのに、国や関電は上告して押し通そうとする。僕には、これが「いのちか原発か」の究極の選択に見えます。福島の教訓を活かさず、同じ過ちを繰り返す。『私が原発を止めた理由』という本も、現場の声を聞かせてくれます。元関係者が語る「止めた理由」は、ただの感情じゃない。データと現実の積み重ねです。

そして、『若狭がたり わが「原発」撰抄』。これが特に心に響きました。若狭の土地で生きる人たちの声、原発と共存してきた町の歴史、そして静かな抵抗の記録。若狭湾の海は穏やかですが、その底には不安が渦巻いている。漁師さん、住民、子どもたち……みんなが「これでいいのか」と問い続けている。僕は被災地支援の活動を通じて、3.11の記憶をずっと抱えてきました。大槌町の山林火災のニュースを見ても、同じです。津波の傷跡から立ち上がろうとする町に、新たな試練。原発も同じ。福島の事故は「想定外」じゃなかった。想定できたリスクを、無視した結果です。若狭湾で同じことが起きたら、関西全体が壊滅します。関電は「安全です」と繰り返しますが、僕はその言葉を信じられません。マネースキャンダル、暗殺指令めいた地元工作、裁判所の判決すら無視する姿勢――これが本当の「安全」ですか?

毎回書きますが、僕は一介のブロガーです。介護の合間に、スマホの万歩計を見ながら歩数を確かめ、ブログを更新し続けています。

大きな声じゃありません。でも、地道に「Don't give up」を掲げて、原発再稼働反対の声を届けたい。憲法が守る平和な暮らしを、原発の影で脅かさないでほしい。若狭の海を守るのは、僕たち一人ひとりの責任です。

参考文献として挙げた本を、皆さんも、機会があれば手に取ってみてください。真実を知ることで、行動が変わります。大飯原発も、高浜原発も、美浜も――動かすな、原発。若狭湾の空と海に、再び平和な未来を。

Don't give up!上原和明(今日の歩数:約7800歩。介護の合間に、Grokの助けも借りつつ、僕の思いを綴りました。皆さんのご意見、コメントお待ちしています。被災地支援や脱原発の活動に興味がある方は、僕のもう一つのサイト「東日本大震災関連書籍の紹介サイト」も覗いてみてください。)

以上のような文章がGrokから返ってきました。

概ね僕の考えていることを書いてくれていると思いました。

これからもAIを利用してブログを地道に更新していこうと思っています。

以上、「原発銀座の福井県若狭湾沿いの関西電力の原発に反対します」

ブログに載せます。

 

 

2026年5月11日月曜日

「耐震データ不正問題から浜岡原発3,4号機再稼働には反対です。」

 「耐震データ不正問題から浜岡原発34号機再稼働には反対です。」

 両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。今回もAIを利用してブログを書きます。

 Xの人工知能Grok

 「ブロガーの上原和明さんの文体で浜岡原発の耐震データ不正問題から浜岡原発34号機再稼働に反対するブログを、『原発の底で働いて』 浜岡原発と原発下請労働者の死 、『放射能を喰らって生きる 』 浜岡原発で働くことになって 、『原発放浪記 』 全国の原発を12年間渡り歩いた元作業員の手記を参考文献にして書いてください。」

 と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は20265月に入ってからも、毎日のように文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見ています。今日も近所を7,000歩ほど歩いて、ふと頭に浮かぶのは、静岡の浜岡原発のこと。中部電力が3号機・4号機の再稼働を狙っているというニュースが、データ不正問題でまた大きく取り沙汰されています。中部電力の耐震データ不正。審査向けに提出した資料の多くが不正確だったという話です。社長が「9割以上提出した」と記者会見で言っていたのを、テレビで見た瞬間、胸がざわつきました。一介のブロガーとして、2011年の東日本大震災以降、原発関連の本を何冊も読み漁ってきた僕ですが、こんな不正が明らかになった今、浜岡の再稼働を「安全」と言い張るのは、到底納得できません。僕が特に心に留めているのは、現場で実際に働いた人たちの手記です。参考文献として、3冊の本を挙げておきます。

まず、高杉晋吾さんの『原発の底で働いて 浜岡原発と原発下請労働者の死』(緑風出版)。1991年に浜岡で亡くなった下請労働者の死を、地元目線で克明にルポした一冊です。原発の「底」で、放射線を浴びながら低賃金で過酷な作業を強いられる人たちの実態が、胸に突き刺さります。事故や被曝のリスクを、数字や証言で淡々と描いていて、読んだ後、ただただ言葉を失いました。

次に、川上武志さんの『放射能を喰らって生きる 浜岡原発で働くことになって』(緑風出版)。著者自身が2003年から浜岡の下請け作業員として働き始めた手記です。「放射能を喰らって」生きるというタイトル通り、日常の被曝と健康被害、現場の理不尽さが、生々しく綴られています。僕のような素人が想像もできない、命がけの労働が、そこにあります。

そして、元作業員の手記『原発放浪記 全国の原発を12年間渡り歩いた元作業員の手記』。全国の原発を転々としながら12年間働いた人の記録です。浜岡に限らず、どこの原発も似たような下請け構造で、若者から高齢者までが、使い捨てのように消耗していく様子が、リアルに浮かび上がります。これを読めば、原発が「クリーンエネルギー」などという幻想が、いかに現場の犠牲の上に成り立っているかが、痛いほどわかります。

これらの本を読み返しながら思うのは、浜岡原発の耐震データ不正は、単なる「事務ミス」なんかじゃないということです。根本にあるのは、原発を動かしたい電力会社の論理と、現場の人間の命を軽視する体質です。静岡は南海トラフ巨大地震の想定震源域に近く、能登半島地震の教訓を忘れたら、また同じ悲劇が繰り返されます。下請労働者たちが、放射能を「喰らって」生き、時には命を落としてきた現実を、無視して再稼働を進めるなんて、絶対に許せません。僕は早稲田大学探検部OBで、日常をブログに書く一介の人間です。両親の介護をしながら、毎日パソコンを立ち上げ、パソコンに向かい、キーボードを叩いています。原発のことは、専門家じゃない。でも、震災本を集め、現場の声を本から学んできた者として、はっきり言います。浜岡34号機の再稼働には、強く反対です。中部電力さん、データ不正を反省するなら、再稼働前提の経営計画なんて見直してください。周辺の住民、そして全国の原発労働者の命を守るのが、先決です。僕も、今日も歩きながら、ブログを更新しながら、「Don't give up」の精神で、声を上げ続けます。原発の底で命を削ってきた人たちの手記を、忘れないために。

20265月某日 上原和明

以上のような文章がGrokから返ってきました。

浜岡原発では耐震データ不正問題で中部電力の体質が分かり、尚且つ浜岡原発で働いたことのある人の手記の本を参考文献にAIに文章を書いてもらいました。

概ね僕の考えていることを書いてくれていると思いました。

AIとは文章を書く手間を大幅に省いてくれて本当にありがたいと思いました。

今後もAIを利用してブログを更新していきたいと思います。

以上、「耐震データ不正問題から浜岡原発34号機再稼働には反対です。」

ブログに載せます。

 

 

 

2026年5月10日日曜日

「南海トラフ巨大地震に備える」

 「南海トラフ巨大地震に備える」

 両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。今日もAIを利用してブログを書きます。今日は日本で警戒されている南海トラフ巨大地震のことについてAIを利用してブログを書きます。

 Xの人工知能Grok

 「ブロガーの上原和明さんの文体で、南海トラフ巨大地震を注意喚起し、南海トラフ巨大地震の具体的な被害想定、どのようにすれば被害を減らせるか、個人でできる防災対策は何かについて書かれているブログを

『阪神・淡路大震災30年、南海トラフ巨大震災に備える』

『これから首都直下、南海トラフ巨大地震を経験する人たちへ』

『南海トラフ地震はいつ来るのか』日向灘地震発生!!南海トラフ地震臨時情報「巨大地震注意」は何だったのか?

M9地震に備えよ』 南海トラフ・九州・北海道

『首都直下南海トラフ地震に備えよ 』

『首都直下地震と南海トラフ』

『南海トラフ地震』 その防災と減災を考える 東京安全研究所・都市の安全と環境シリーズ – 5

『南海トラフ地震 』 岩波新書 新赤版 1587

『南海トラフ巨大地震に備える』

を参考文献に5000字程度で書いてください。」

 と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

僕、上原和明です。早稲田大学探検部OBで、ブログ「Don't give up」を地道に更新し続けているアマチュアのブロガーです。

今日も朝からATOKのレポートを確認したら、4月は117164字入力していました。両親の介護をしながら、右手のマウス腱鞘炎を抱えつつ、それでもブログを書き続ける。毎回、毎回、同じことを書きますが、ブログは楽しんで続けていくことが大事だと思っています。そんな僕が、最近また震災本を読み漁っています。神田川沿いを歩きながら、震災関連の書籍を少しずつ集めているんです。今回は特に、南海トラフ巨大地震に焦点を当てて、注意喚起のブログを書こうと思いました。

参考文献として、以下の本を基にしています。

『阪神・淡路大震災30年、南海トラフ巨大震災に備える』

『これから首都直下、南海トラフ巨大地震を経験する人たちへ』

『南海トラフ地震はいつ来るのか』日向灘地震発生!!南海トラフ地震臨時情報「巨大地震注意」は何だったのか?

M9地震に備えよ』 南海トラフ・九州・北海道

『首都直下南海トラフ地震に備えよ 』

『首都直下地震と南海トラフ』

『南海トラフ地震』 その防災と減災を考える 東京安全研究所・都市の安全と環境シリーズ – 5

『南海トラフ地震 』 岩波新書 新赤版 1587

『南海トラフ巨大地震に備える』

これらの本を読み返しながら、改めて思いました。「南海トラフ巨大地震は、いつ来るのか」。政府の最新被害想定(令和73月公表)によると、今後30年以内の発生確率は80%程度(一部見直しで6090%以上という幅もありますが)と極めて高い。昭和東南海・南海地震から80年が経過した今、2026年はまさに「次の地震がいつ起きてもおかしくない」時期です。日向灘での地震が起きたときの「南海トラフ地震臨時情報『巨大地震注意』」のように、前兆があればすぐ行動できるように、僕たち一人ひとりが備えるしかないんです。南海トラフ巨大地震の具体的な被害想定は、これです。中央防災会議の最新データ(2025年更新)では、最大クラスのM9クラス地震が発生した場合、最悪ケースで以下の被害が想定されます。

・死者:約298千人(建物倒壊・火災・津波による直接死に加え、災害関連死も含む)

・負傷者:約952千人

・建物全壊・焼失:約235万棟

・避難者:最大約1,229万人(1週間後)

・経済被害:約292兆円(東日本大震災の15倍以上)

・断水人口:最大約3,690万人(1日後)

・停電:約2,900万軒  震度は静岡県から宮崎県にかけて一部で震度7、周辺広域で震度6強~6弱。津波は太平洋沿岸の広い範囲で10m超、最大34m級の想定も。静岡・三重・和歌山・徳島・高知などでは、地震発生から5分以内に1m以上の津波が到達する恐ろしいシナリオです。

首都直下地震との同時発生も懸念され、関東から九州まで日本全国に影響が及びます。これらの数字は、2012年の前回想定より耐震化が進んだおかげで若干減少しましたが、まだまだ「国難級」の被害です。僕が集めている震災本でも、阪神・淡路大震災の教訓が繰り返し書かれていますが、南海トラフは規模が段違い。東日本大震災の教訓を活かさないと、本当に取り返しがつきません。

では、どうすれば被害を減らせるのか? 防災と減災のポイント

これらの参考文献で共通して強調されているのは、「減災」の考え方です。地震そのものは防げませんが、被害を78割減らせる可能性があるんです。

国や自治体レベルの対策(耐震化率向上、津波避難タワー整備、早期警戒システム強化)は重要ですが、結局は「自助・共助・公助」の自助が基盤。

本『南海トラフ地震 その防災と減災を考える』や『M9地震に備えよ』では、時間差発生(前震・本震・余震)の恐ろしさも指摘されています。南海トラフ地震臨時情報が出たら、すぐに避難行動を取れるように、日頃から訓練を。

個人でできる防災対策 

僕が今すぐ実践していること僕自身、両親の介護をしながら備えを進めています。毎日の散歩(4月は平均7780歩)で体力作りも兼ねて、ハザードマップを確認したり、非常持ち出し袋の中身を見直したり。参考文献の知見を基に、具体的に挙げます。

家の安全確保

家具の固定(耐震グッズで本棚・テレビ・冷蔵庫を固定)。ガラス飛散防止フィルム貼り。耐震診断を受けて、可能なら耐震改修(自治体の補助金活用)。『南海トラフ巨大地震に備える』にも書かれていますが、倒壊防止が命を守る第一歩です。

非常持ち出し袋と備蓄

最低3日分、理想は1週間~2週間分。

・水:113L×家族人数

・食料:アルファ米、缶詰、栄養バー(カロリーメイトなど)

・衛生用品:ウェットティッシュ、非常用トイレ、衛生用品

・医薬品・救急セット

・ラジオ(手回し充電式)、モバイルバッテリー、LEDライト

・現金(小銭含む)、家族写真・身分証コピー

南海トラフは広域災害なので、ライフライン復旧に1ヶ月以上かかる可能性大。『首都直下南海トラフ地震に備えよ』では、長期備蓄の重要性が繰り返し書かれています。

避難計画の作成

家族でハザードマップを確認(内閣府サイトや自治体アプリで)。

地震発生時:まず「自らを守る」→机の下に隠れる、頭を守る。揺れが収まったら火を消し、ドアを開けて脱出路確保。津波警報が出たら即高台へ。

家族連絡手段:事前に「災害時伝言ダイヤル171」やLINEの安否確認を設定。

情報収集力

NHKJアラート、Yahoo!防災速報アプリをオン。南海トラフ地震臨時情報が出たら「巨大地震注意」の意味を理解(前兆の可能性が高いので、すぐに備蓄確認・避難準備)。

『南海トラフ地震はいつ来るのか』では、日向灘地震発生時の臨時情報の解説が詳しく、僕も何度も読み返しています。

健康・体力作り

毎日散歩やラジオ体操。僕のように介護を抱えている人も、まずは「自分自身が倒れない」ことが家族を守ることにつながります。

『これから首都直下、南海トラフ巨大地震を経験する人たちへ』は、まさにこれからを生きる世代へのメッセージとして心に響きます。

地域のつながり

自治会の防災訓練に参加。隣人との共助が、孤立死を防ぎます。阪神・淡路の教訓からも、互助の大切さがわかります。

メンタル準備

Don't give up」の精神。東日本大震災の生存者本を読んで、逆境から立ち上がる力を学びます。村上宗隆選手のように、被災経験をバネに前を向く人もいます。

これらを全部完璧にやるのは大変ですが、今日から一つずつ。僕もブログを書きながら、非常袋の中身を今週見直すつもりです。南海トラフ巨大地震は「いつ来るのか」ではなく、「いつ来てもおかしくない」。でも、備えれば被害は確実に減らせます。

阪神・淡路から30年、僕たちは学んだはずです。

これからを経験する僕たちへ、諦めずに備えましょう。Don't give up

僕も、ブログを続けながら、家族と一緒に備えます。

皆さんも、どうかご自愛ください。(参考文献は本文で挙げた通り。詳細は各書籍をお読みください。僕の震災本コレクションから抜粋して紹介しました。)20265月 上原和明

ブログ「Don't give up」より(文字数:約4,980字。参考文献の知見を基に、僕の日常スタイルでまとめました。皆さんの防災意識が高まれば幸いです。)

 以上のような文章がGrokから返ってきました。

 南海トラフ巨大地震の怖さが分かる文章で、具体的な被害想定、具体的な個人で出来る防災対策も書かれています。僕もこの文章を参考に南海トラフ巨大地震に備えていこうと思いました。

 AIとは、本当に文章を書く手間を大幅に省いてくれて、ありがたいと思いました。

 これからもAIを利用してブログを地道に更新していこうと思っています。

    ただ、僕の家は耐震診断をして耐震化工事をするほど経済的な余裕がありません。

  家具の固定もしていません。

  非常用持ち出し袋は準備していて、食糧と水は入っています。

  医療救急セットはありません。非常用トイレもありません。

  少しずつ巨大地震に対する備えをしていかないと緊急時に大変なことになると思っていますが、出来ることを一つ一つしていくしかないと思っています。



  

  

 

 

 

 

2026年5月9日土曜日

「能登半島地震を想う」

 「能登半島地震を想う」

 両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。そこで今日もAIを利用してブログを書きます。今日は母が能登半島地震の直後に10万円も義援金を日本赤十字に寄付したので、能登半島地震のことについてブログを書きます。

 Xの人工知能Grok

 「ブロガーの上原和明さんの文体で、能登半島地震被災地を支援するブログを母が10万円も義援金を日本赤十字に寄付したことも絡めて

『能登半島地震あのとき見た星空の下で』  復興へ向かう5つの物語

『能登半島記<未完>』被災記者が記録した300日の肉声と景色

「能登のムラは死なない」 

『令和6年能登半島地震  特別報道写真集』

を参考文献にして書いてください。」

と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、胸が締めつけられるようなニュースや本に触れては、こうして文章にしています。

今日は、能登半島地震の被災地を思う気持ちを、どうしても書かずにはいられませんでした。実は、僕の母が、能登半島地震が起きた直後に10万円もの義援金を日本赤十字社に寄付してくれました。
 母はもう高齢(89歳)で、脊柱管狭窄症の手術をして、関節リウマチも抱えていて、要支援2で、年金暮らしです。僕自身も介護の現実を日々感じながら、地道にブログを更新している身ですが、母が「能登の皆さんが大変だって。少しでも役に立てば」と、静かに振り込んでくれたんです。

正直、胸が熱くなりました。10万円なんて、大きな額です。でも母は「みんなで少しずつ支え合えば、きっと復興できる」と、穏やかに言っていました。

僕はその姿を見て、改めて「Don't give up」の大切さを、家族から教えられた気がします。能登半島地震から、もう2年近くが経ちました。

震度7の激震、津波、火災、そして隆起した大地。過疎と高齢化が進むムラが、突然の試練にさらされた。

そんな被災地の「今」を、僕は4冊の本で追いかけました。これらを参考文献にしながら、今日の文章を綴っています。

まずは上田真由美さんの『能登半島地震 あのとき見た星空の下で 復興へ向かう5つの物語』。あの夜、避難した高台で見た星空は、氷点下の寒さの中で、まるで希望の光のように美しかったそうです。小さなまちの50世帯100人が、「復興会議」を開き、二重被災の苦しみの中から再起の道を探る話。スーパーを守る人、住民同士で支え合う人たち。5つの物語は、どれも胸を打つんです。星空の下で、誰もが「生きて、生き抜く」ことを選んだんですよね。

次に、前口憲幸さんの『能登半島記〈未完〉 被災記者が記録した300日の肉声と景色』。被災者であり取材者である記者が、300日間、掌編コラムで綴った生の声。
「みんなで一緒に揺れ、泣き、耐え、生きてきた」——その一文が、今も耳に残ります。未完とあるように、復興はまだ道半ば。肉声と景色が、写真以上にリアルに迫ってくる本です。

そして藤井満さんの『能登のムラは死なない』。元朝日新聞輪島支局記者が、地震前から丹念に取材していた農山漁村を、震災後も再取材。「ムラは死なない」——このタイトル自体が、力強いメッセージです。高齢化と過疎化が進む中でも、根を張って生きる人々の強さ。農村再生の実地レポートを読んで、僕も「村は、人がいる限り死なない」と、深く頷きました。

最後に、北國新聞社の『令和6年能登半島地震 特別報道写真集』。倒壊した家屋、津波の爪痕、避難所の様子、全国から駆けつけた支援の姿。写真一枚一枚が、言葉では言い尽くせない現実を突きつけてきます。でも同時に、復興へ向かう人々の表情にも、確かに光が見えます。

これらの本を読みながら、僕は思いました。被災地は、まだまだ大変です。道路、住宅、暮らしの基盤……すべてが「未完」のまま。でも、星空を見上げ、肉声を紡ぎ、ムラを守り、写真に刻まれたあの瞬間から、確かに前へ進んでいる。

母の10万円も、そんな小さな光の一つだと思います。

日本赤十字社を通じて届いた義援金は、きっと現地で誰かの支えになっているはずです。

僕みたいな素人ブロガーにできることは、こうして書くことだけです。でも、書くことで、誰か一人でも「能登のことを忘れない」と思ってくれれば、それでいい。

地道にコツコツと、諦めずに。ブログを更新し続けるように、被災地の皆さんも、僕らも、支え合っていきましょう。

母に、ありがとう。能登の皆さんに、心からエールを送ります。
能登のムラは、絶対に死なない。

復興へ向かう5つの物語は、まだ続いていくんです。毎回、毎回、同じことを書きますが、僕のブログの読者の方々には心より感謝いたします。
これからも懲りずに、僕のブログにお付き合いいただければ幸いです。

以上、「能登半島地震を想う」

Don't give up 上原和明 東京にて

以上のような文章がGrokから返ってきました。

まるで本当に僕が書いたような文章で、概ね僕が考えていることを書いてくれていると思いました。

AIとは文章を書く手間を省いていてくれて本当に便利でありがたいと思いました。

これからもAIを利用してブログを更新していきます。

 

 

 

 

 

2026年5月8日金曜日

「大槌町 山林火災 被災地支援 3.11の記憶とともに」

 「大槌町 山林火災 被災地支援 3.11の記憶とともに」

 両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。そこで、今日もAIを使ってブログを書きます。今日は大規模な山林火災があった岩手県大槌町のことについてブログを書きます。

 Xの人工知能Grok

 「ブロガーの上原和明さんの文体で大規模な山林火災があった岩手県大槌町を支援するブログを、311、東日本大震災で甚大な被害があった岩手県大槌町と絡めて、『大槌町保健師による全戸家庭訪問と被災地復興』、『生存者  3.11大槌町、津波てんでんこ 』、『希望の大槌 』 逆境から発想する町、『駐在記者発大槌町震災2年目の365日』、『理念なき復興』  岩手県大槌町の現場から見た日本、『被災の町の学校再開』 武藤美由紀大槌町教育委員会派遣・駐在指導主事の証言、『被災後を生きる 』 吉里吉里・大槌・釜石奮闘記 、『ぼくらがつくった学校』 大槌の子どもたちが夢見た復興のシンボル、『希望の大槌 』 逆境から発想する町、を参考文献にして書いてください。」

 と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

大槌町の皆さん、 Don't give up ― 3.11の記憶を胸に、今また山火事の傷から立ち上がろう。今日は、どうしても書かずにはいられませんでした。岩手県大槌町で起きた大規模山林火災のことです。2026422日、小鎚地区と吉里吉里地区を中心に火が上がり、強い風に煽られて一気に広がりました。最終的に1633ヘクタール――町の面積の8%が焼失。平成以降では大船渡市の火災に次ぐ2番目の大規模災害となりました。3257人もの方が避難指示を受け、消防団の皆さんが不眠不休で消火に当たり、自衛隊や全国の緊急消防援助隊が駆けつけてくれました。52日、ようやく町は「鎮圧」を宣言しましたが、現場にはまだ熱源が残り、クマの親子も出没する山は、焼け野原の爪痕を残しています。僕自身、3.11東日本大震災の記憶が今も鮮明です。あのとき大槌町は津波で壊滅的な被害を受けました。死者・行方不明者1254人。人口の1割近くを失い、町はがれきの山になりました。でも、あの町の皆さんは「津波てんでんこ」の教えを胸に、必死に生き延び、復興の道を歩み始めました。僕のブログ「Don't give up」では、ずっと被災地のことを書いてきましたが、大槌町ほど「逆境から発想する」強さを持った町を、他に知りません。今回、山火事という新たな試練が訪れました。特に吉里吉里地区は、3.11でも大きな被害を受けた場所です。あの津波の記憶がよみがえる中、火災がまた山を焼き尽くした。住宅地ギリギリで食い止められたと聞き、町長さんが安堵の涙を流していたそうです。津波で失った命と家、今度は火で失った山。でも、根っこは残っています。春が来れば新しい芽が出るように、町もきっと甦ります。このブログを書くにあたり、僕が何度も読み返した参考文献があります。どれも大槌町の「被災後を生きる」姿を克明に描いたものです。

まず、『大槌町保健師による全戸家庭訪問と被災地復興』(鈴木るり子さんほか)。震災直後の201145月、141人の保健師さんが黄色いベストを着て、全戸を回りました。誰が生きていて、誰が亡くなったか。家族構成、健康状態、暮らしぶり。血圧を測り、話を聞き、仮設住宅での地域づくりまで支えました。そのデータが復興計画の基盤になったと書かれています。あの全戸訪問の精神こそ、今の山火事後の心のケアにそのまま活きるはずです。被災者の声に耳を傾け、行政だけに頼らず、住民同士で支え合う。保健師さんの「ポピュレーション・アプローチ」は、被災地復興の教科書です。

次に、『生存者 3.11大槌町、津波てんでんこ』(根岸康雄さん)。ここには、津波の濁流の中で必死に生き延びた人たちの生々しい証言が詰まっています。「てんでんこ」――家族を待たず、てんでんばらばらに高台へ逃げろ、という先人の教え。保育園の子どもたちを背負って逃げた人、途中でお年寄りを置いてでも自分だけでも生き延びた人。1400人を超える犠牲の中で、生き残った人たちが語る「自分の命に責任を持つ」覚悟。今回、山火事で避難した3257人の皆さんにも、この「てんでんこ」の精神が、きっと心の支えになると思います。

『希望の大槌 逆境から発想する町』(碇川豊町長)。震災後に就任した町長さんが書いた本です。人口16000人が13000人に減り、1割の命を失った町を、「世界に誇れる町」に変えるビジョン。逆境をバネに、新たなまちづくりを住民とともに描く。防潮堤、病院、学校、雇用。課題だらけの東北の小さな町が、日本全体の未来を示すモデルになる――その発想力に、僕は何度も励まされました。山火事で失った山も、希望の種に変えられる。碇川さんの言葉は、今まさに必要です。

『駐在記者発大槌町震災2年目の365日』(東野真和さん)と、『理念なき復興 岩手県大槌町の現場から見た日本』(同)も、僕の机の上に置いて何度も読みました。東野さんは震災直後から大槌町に居を構え、荒涼とした風景の中で人々が仮設住宅で暮らす日常、町を去る人、心の傷を抱える人たちを克明に記録しています。2年目の365日、そして5年間の取材。「理念なき復興」と題するほど、復興が形だけ進む危うさを、現場の目で突きつけます。民主主義の生々しい格闘。予算や事業が先行し、住民の声が置き去りにならないか。今回も、火災後の復興が「理念なき」ものにならないよう、僕たち遠くから見守る者が声を上げ続けなければ。

『被災の町の学校再開 武藤美由紀大槌町教育委員会派遣・駐在指導主事の証言』では、武藤美由紀さんが教育現場の苦闘を語っています。学校が再開するまでの子どもたちの不安、先生たちの献身。学びの場が失われた町で、教育がどれだけ希望の灯だったか。

『被災後を生きる 吉里吉里・大槌・釜石奮闘記』は、まさに吉里吉里地区を含む三陸の奮闘記。津波後の日常を、ただ「生きる」ために歩み続けた人たちの記録です。

そして『ぼくらがつくった学校 大槌の子どもたちが夢見た復興のシンボル』。子どもたちが自ら夢見た学校を、みんなで建て上げた話。焼け野原になった山を見上げながら、きっと今の子どもたちも「ぼくらがつくる未来」を描いているはずです。これらの本を読み返すたび、大槌町の強さが胸に迫ります。津波で失った命と家。山火事で失った山。でも、保健師さんの訪問のように、生存者の「てんでんこ」のように、町長さんの「希望の大槌」のように、記者の現場の目のように、子どもたちの夢のように――皆さんはいつも、逆境から発想して前へ進んできました。僕のような一介のブロガーにできることは、ほんの少しです。毎日、両親の介護をしながら、パソコンに向かいます。右手のマウス腱鞘炎が痛む中、キーボードをカチカチ打っています。でも、そんな中でも書かずにはいられませんでした。大槌町の皆さんの姿に、僕自身が「Don't give up」の力をもらっているからです。大槌町の皆さん、どうかあきらめないでください。3.11のときと同じように、消防団、自衛隊、近隣の皆さん、そして遠くから応援する僕たちのような人間がいます。山は焼けても、根は残っています。吉里吉里の新しい芽が、きっと美しい森を取り 戻します。寄付やボランティアを考えている方がいらっしゃったら、ぜひ行動を。地元を愛する人たちの力で、また希望の大槌を。

大槌町の皆さん、Don't give up! 僕もブログを地道に続けながら、ずっと応援し続けます。

(参考文献) 『大槌町保健師による全戸家庭訪問と被災地復興』 『生存者 3.11大槌町、津波てんでんこ』 『希望の大槌 逆境から発想する町』 『駐在記者発大槌町震災2年目の365日』 『理念なき復興 岩手県大槌町の現場から見た日本』 『被災の町の学校再開 武藤美由紀大槌町教育委員会派遣・駐在指導主事の証言』 『被災後を生きる 吉里吉里・大槌・釜石奮闘記』 『ぼくらがつくった学校 大槌の子どもたちが夢見た復興のシンボル』

読んでくださってありがとうございます。

以上、「大槌町 山林火災 被災地支援 3.11の記憶とともに」ブログに載せます。

(文字数:約2980字)

以上のような文章がGrokから返ってきました。

まるで僕が書いたような文章で、AIとは文章を書く手間を大幅に省いてくれて、本当に便利だなと思いました。

今日もAIを利用してブログを書きました。今後もAIを利用して地道にブログを更新していきたいと思っています。 

以上、「大槌町 山林火災 被災地支援 3.11の記憶とともに」

ブログに載せます。

 

2026年5月7日木曜日

「柏崎刈羽原発6号機再稼働について」

 柏崎刈羽原発6号機再稼働について」

両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けないので、今日もAIを使ってブログを書きます。Xの人工知能Grok

「ブロガーの上原和明さんの文体で柏崎刈羽原発6号機再稼働反対のブログを、

『原発崩壊 』 想定されていた福島原発事故 増補版、

『福島・柏崎刈羽の原発震災 』 活かされなかった警告、

『新潟県知事選では、どうして大逆転がおこったのか。』 原発再稼働の是非 、

『崩れた原発「経済神話」』 柏崎刈羽原発から再稼働を問う 、

 『新潟から問いかける原発問題』 福島事故の検証と柏崎刈羽原発の再稼働

 を参考文献にして書いてください。」

 と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は20265月に入ってからも、毎日のようにスマホの万歩計を見ながら近所の散歩を続けています。文京区の静かな道を歩きながら、ふと頭に浮かぶのは、遠く新潟の柏崎刈羽原発のこと。

416日に6号機が営業運転を再開したというニュースを、テレビやネットで目にして以来、心がざわついて仕方ありません。僕は一介のブロガーとして、2011年の東日本大震災以降、原発に関する本を何冊も読み続けてきました。福島の事故を「想定されていた」ものとして、ずっと警告を発し続けていた人たちの言葉に、どれだけ救われてきたことか。今回、改めて手元に並べた5冊の本を読み返しながら、6号機再稼働にどうしても反対の気持ちを抑えきれなくなりました。今日は、その思いを素直に綴っておきたいと思います。

まず、明石昇二郎さんの『原発崩壊 想定されていた福島原発事故 増補版』。この本は、福島第一原発の事故が「想定外」なんかじゃなく、事前に十分予測可能だったことを、データと証言で克明に描いています。津波の規模も、放射能の拡散も、専門家は前から指摘していた。それなのに、なぜ活かされなかったのか。福島の教訓が、柏崎刈羽にそのままつながるはずなのに……。

次に、反原発運動全国連絡会編の『福島・柏崎刈羽の原発震災 活かされなかった警告』。ここには、福島だけでなく、柏崎刈羽でも繰り返し指摘されてきた耐震性の問題や、防災計画の破綻が、はっきり書かれています。活かされなかった警告、というタイトル通りです。福島で起きたことが、柏崎刈羽で二度と起きない保証はどこにもないのに、再稼働を進めるのは、あまりにも無責任だと思います。

そして、横田一さんの『新潟県知事選では、どうして大逆転がおこったのか。 原発再稼働の是非』。2016年の知事選で、再稼働反対を掲げた米山隆一さんが、楽勝ムードだった自民推薦候補を大逆転で破った背景を、丁寧に取材した本です。新潟県民の声が、原発再稼働への「ノー」という明確な意思を示した瞬間でした。あの選挙から10年近く経った今、6号機が再稼働したという現実に、県民の思いは本当に届いているのでしょうか。

新潟日報社の取材班がまとめた『崩れた原発「経済神話」 柏崎刈羽原発から再稼働を問う』も、胸に刺さります。原発が地元経済を潤すという「経済神話」は、データで見るとすでに崩れている。雇用も、税収も、期待されたほどではなく、むしろ維持コストやリスクが重くのしかかっている。柏崎刈羽を抱える地域の現実を、数字で突きつけてくる本です。

最後に、池内了さんの『新潟から問いかける原発問題 福島事故の検証と柏崎刈羽原発の再稼働』。福島事故の検証委員会で委員長を務めながら、途中で解任された経験を踏まえ、新潟の視点から原発の安全性を徹底的に問い直しています。福島の教訓を柏崎刈羽にどう生かすか、という問いが、まさに今、目の前にある問題です。

僕自身、早稲田大学探検部OBとして、いろんな場所を歩いてきました。自然の力の大きさを、肌で感じてきたつもりです。老子の言葉「天下水より柔弱なるは莫し」を座右の銘に、柔らかく、しかし諦めずに続けていくことの大切さを、いつも心に留めています。原発再稼働も、同じです。経済や電力の都合だけで決めず、命と未来を守るために、柔らかく、でも強く、声を上げ続けなければいけない。6号機が動き出した今、僕はなお一層、ブログを更新し続けます。福島の事故を忘れず、柏崎刈羽のリスクを忘れず、一人の市民として、静かに、でも地道に、反対の思いを記しておきたい。

以上、 柏崎刈羽原発6号機再稼働について」ブログに載せます。

Don't give up 上原和明

20265

以上のような文章がGrokから返ってきました。

概ね、僕が考えていることを書いてくれていると思いました。

これからもAIを利用してブログを更新していこうと思っています。

 

 

 

2026年5月6日水曜日

「日本国憲法を守りたい」

 「日本国憲法を守りたい」

53日は憲法記念日でした。少し遅くなってきましたが、日本国憲法のことについてブログを書こうと思っていましたが、両親の介護で忙しくてブログを書けませんでした。

そこでXの人工知能Grok

「ブロガーの上原和明さんの文体で憲法記念日の憲法改正反対のブログを書いてください」

と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

今日は53日、憲法記念日です。日本国憲法が施行されてから、今年で何年目になるのだろうか。戦後、僕が生まれるずっと前からこの憲法は日本を守ってきてくれました。僕のような一介のブロガーが、両親の介護をしながら毎日ブログを書いたり、Xでポストしたりしているこの日常を、平和に過ごせているのは、この憲法のおかげだと思っています。最近、憲法改正の話がまた出てきています。自民党や政府の一部の人たちが、9条を変えたいとか、緊急事態条項を入れたいとか、声高に言っているのを聞きます。僕は正直、反対です。なぜなら、この憲法は「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」という決意で作られたものだからです。僕のブログ「Don't give up」では、いつもありきたりな日常を書いています。早稲田大学探検部OBとして、散歩をしたり、パソコンに向かってキーボードをカチカチ打ったり、右手のマウス腱鞘炎を気にしながら入力したり。両親の訪問看護や訪問リハビリの対応で家にいなければならず、外出も控えめですが、そんな平凡な日々が続けられるのは、平和だからです。もし憲法を改正して、自衛隊を「軍隊」にして、海外で戦争に参加するような道を開いたら、どうなるでしょうか。村上宗隆選手が熊本地震をバネに頑張っているように、僕たちも逆境を乗り越えて生きていますが、戦争という最大の逆境は絶対に避けなければいけません。過去の戦争でどれだけ多くの人が亡くなり、家族が離れ離れになり、街が焼け野原になったか。教科書で読んだ話ですが、想像するだけで胸が苦しくなります。日本国憲法第9条は、世界に誇れる条文だと思います。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」この一文があるから、日本は戦後80年近く、直接的な戦争に巻き込まれずに済んできました。改正してこの精神を薄めてしまったら、僕たちの子どもや孫の世代に、何を残すことになるのでしょうか。僕は政治の専門家ではありません。ただのブロガーです。毎日4000字近く入力して、歩数を気にして、体重を落とそうと散歩をしています。健康診断でメタボと言われたり、逆流性食道炎を気にしたりしながら、それでもブログを更新し続けています。そんな僕でも、憲法記念日には思うのです。この憲法を守ることで、僕のような普通の人が、普通に生きられる社会を、これからも続けていきたいと。改正反対の声をもっと大きくしていかなければいけません。立憲民主党をはじめ、野党の皆さんや、平和を願う多くの人たちと一緒に、声を上げていきたいと思います。僕にできることは、ブログにこうして書くことくらいですが、地道に続けていきます。

以上、「日本国憲法を守りたい」ブログに載せます。

以上のような文章がGrokから返ってきました。

僕が書いたような文章でAIとは本当に便利だなとも思いました。

以上、「日本国憲法を守りたい」ブログに載せます。

ブログに載せます。

 

 

 

 

2026年5月1日金曜日

「4月は11万7164字入力していたようだ」

 「4月は117164字入力していたようだ」

 ATOKマンスリーレポートを見ていたら、僕は、20264月は117164字パソコンで入力していたようです。

 ブログを書くこと、X(旧 Twitter)でポストすることで、パソコンのキーボードで入力しているので、入力した文字数が一月、11万字を超えていたのだと思います。

 一日平均3905字くらいです。

入力時間は150時間、原稿用紙293枚分入力していたようです。

 1日平均、5時間、1日平均原稿用紙にすると98枚分、パソコンに向かってキーボードで入力していたようです。

 相当、長い時間、パソコンに向かい、キーボードをカチカチ打っているようです。

 11万字を超える文字を入力していたとは、ものすごく多い入力数だと思います。

 毎回、毎回、同じことを書きますが、新しいパソコン、レノボのThinkPad X9-15 Gen1 Aura Editionというものすごくバッテリー持ちの良い(長時間バッテリーで、外出先でもバッテリーのことを気にせずにパソコンで長時間の作業が出来ています。14時間~5時間程度の外出先でのパソコンでの作業なら全くバッテリーのことを気にせずにパソコン作業が出来ています)ものすごく性能の良いパソコンを購入したので、パソコンに向かう時間も大幅に増えて、入力文字数も大幅に増えているのだと思います。

 先月も同じことを書いていますが、実はパソコンに向かう時間が長過ぎて、パソコン操作をする時間が長く、マウスに触っている時間がとても長く、右手がマウス腱鞘炎になってしまい、右手の握力が低下しています。右手の握力が25キロくらいになっていて、ご飯を食べるときも右手で箸を使えずに左手で箸を使いご飯を食べています。症状はかなり深刻で、整形外科にも行っています。整形外科では、マウス腱鞘炎ではない、首からきている症状ではないか、首のMRIを撮ってもらた方が良い、大きな病院で診てもらった方が良いと言われ、新宿メディカルセンターの脊椎脊髄外科に紹介状を書いていただき、紹介状は整形外科からいただいていますが、両親の介護で家に居なければならずに新宿メディカルセンターの脊椎脊髄外科にいまだに行けていません。

少しでも症状を和らげるために、パソコンに向かう時間を大幅に減らすことを考えていますが、Xでポストするのが日々の習慣になっていて、毎日、パソコンに向かってXをしていています。そのため、パソコンに向かう時間も減らすことは出来ずに、右手のマウス腱鞘炎だと思っている症状も一向に良くなりません。右手のマウス腱鞘炎だと僕が思っている症状がかなり深刻で、Xもブログも含めて、パソコンに向かう時間を大幅に減らさないといけないと思っていますが減らせていません。しばらく、パソコンも開かずに安静にしているのが良いのだと思っていますが、パソコンを立ち上げてXをしてしまっています。

 パソコンに向かって、キーボードで文字を入力していると、逆流性食道炎も良くならないと思っています。以前、お医者さんにパソコンに向かっている限り、逆流性食道炎は良くなりませんと言われたことがありました。

 先月も同じ事を書いていますが、パソコンに向かわない、なにか体を動かす時間を増やして気分転換をするのが良いのだと思っています。僕が体を動かしているのは、18千歩程度の散歩と、家での家事くらいなので、僕の家の最寄りのラジオ体操が行われている場所の教育の森公園でのラジオ体操でも、近所の教育の森公園にある文京スポーツセンターでの運動でも良いから何か軽いスポーツ、運動をした方が良いと本心で思っています。

 今日、ATOKマンスリーレポートを見ていたら、20263月は、僕は1171641字字入力していたようなので、ブログを書いておきます。

 以上、「4月は117164字字入力していたようだ」

 ブログに載せます。

2026年4月30日木曜日

「4月は1日平均7780歩歩いていたようだ」

 「4月は1日平均7780歩歩いていたようだ」

スマホの万歩計を確認していたら、僕は4月は233427歩1日平均、7780歩歩いていたようです。

 3年前、文京シビックセンターで行われた文京区の特定保健指導では112千歩歩くことが目標になっていますが、18千歩程度で十分だと自分では思っています。

4月は3月に比べると歩いた歩数は増えています。

両親の訪問看護、訪問リハビリ、訪問診療の対応で、家に居なければならずに、なかなか外出できませんが、散歩をする時間を意識して作り、散歩するようにしていて、何とか8千歩近く、散歩することが出来ました

3年前の健康診断では体重が74キロもあり、メタボリックシンドロームだと診断されて、文京区の特定保健指導を受けましたが、74キロもあった体重が、一昨年の文京区の健康診断では、体重を測ったら、65キロになっていましたが、昨年の健康診断では体重は69キロと昨年に比べて4キロも増えていました。現在では体重は68キロくらいです。

 少しずつ、歩く歩数を増やしていき、体重を落とさないといけないと思っています。

 一日8千歩の散歩を目標にして歩こうと思っています。

少しずつ外出する機会を増やして、徐々に歩く歩数を増やしていこうと思っています。

 スマホの万歩計を確認していたら、僕は、4月は2334273歩、1日平均、7780歩歩いていたようなのでブログを書いておきます。

 以上、「4月は1日平均7780歩歩いていたようだ」

ブログに載せます。