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2025年9月21日日曜日

「2019年にチベットカイラス隊で飲み会をした際のメールのやり取り」

 「2019年にチベットカイラス隊で飲み会をした際のメールのやり取り」

 僕は2019323日土曜日に高田馬場の居酒屋で早稲田大学探検部チベットカイラス隊のメンバー、上原和明、桜井誠人、倉島孝行、中谷敏夫とチベットで会った近大探検部OB吉竹俊之、中国語の専門家、田中智秀と飲み会をしました。

 飲み会の前と後のメールのやり取りをブログに載せたいと思います。

 以下のようなメールのやり取りをしました。

 先ず、近大探検部OBの吉竹俊之より僕宛に以下のようなメールが届きました。

 上ドン 今 高田馬場の老人ホームで働いている。4月から夜間の専門学校に通う予定。時間のある3月中に一度会おう。黒澤明 隠し砦の三悪人を見よう。メールください。待ってるよ。

 吉竹さま

上原です。メールを下さりありがとうございます。

高田馬場で働いているのですか?

僕も3月なら大丈夫だと思うので、高田馬場で会いましょう。

吉竹が希望するなら、桜井とか倉島とか中谷とかにも連絡してみます。

しばらくメールでやり取りをしてみましょう。

上原

件名 「近大探検部OB、吉竹から連絡がありました」

桜井さま、倉島さま、中谷さま

お世話になっております。上原です。

昨日、チベットで会った近大探検部OBの吉竹から連絡がありました。

高田馬場の老人ホームで働いているそうです。

4月から忙しくなるので、3月中に会おうとのことです。

桜井、倉島、中谷にも連絡しますかとメールをしてみたら、皆で集まれたら嬉しいとのことです。

皆様のご都合がよろしければ何か会でもしますか?

返信をお待ちしております。

上原

上ドンへ

連絡ありがとうございます。

近大探検部吉竹懐かしいですね。

高田馬場の老人ホームで働いているとは奇遇です。

3月中、土曜日曜であれば集合できます。

和朗はどうしますか、連絡しますか?

よろしくお願いいたします。

桜井

桜井さま

上原です。メールを確認しました。

土曜日か日曜日なら大丈夫とのこと確認しました。

和郎は吉竹のこと知っているのでしょうか?

吉竹とチベットで会った早稲田大学探検部チベット隊のメンバーで集まるのが良いと僕は思っています。

3月中の土曜日か日曜日に集まりましょう。

倉島、中谷のご都合を伺えれば良いと思っています。

上原

上ドン

久しぶり。最近、心身の状態はどう?

私は下記日程、いずれもオーケーです。

適当に日時、場所、指定してください。

ただし、9pm過ぎると眠くなるので、早めだと助かります。

和郎は京都に戻っているらしいよ。一時は栃木にいたようだけど。

それと、この間、田中君(中国語の専門家)から足立に引っ越したというはがきが来た。

また、老人ホームだと、関口君も同じ仕事だね。

ただ、いずれにしても、誰に声掛けするとかは、上ドン次第で。

とりいそぎ。

倉島

PS: 吉竹って、「ロッキー」だよね? 

倉島さま

上原です。メールを確認しました。

土日なら大丈夫とのこと確認しました。

吉竹とは通称、ロッキーのことです。

ロッキーを知っている人間で集まるのが良いと思っています。

田中君も連絡先を知っているので、誘ってみましょうか?

僕の心身の状況は、心の病気の方は良くなっていますが、逆流性食道炎の具合が悪いです。

お心配りありがとうございます。

あとは、中谷ですが、メールは読んでいるのかな?

上原

桜井さま、倉島さま

上原です。中谷から返事が来ませんが、お二人の希望に合わせて、

323日(土)、高田馬場 にんじん屋 

https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130503/13010953/

夕方5~でいかがでしょうか?

4000円のコースがあるようです。

吉竹にもメールをしていますが、今日はまだ返事が来ていません。

ご検討ください。

上原

上どんへ

お店を探して頂きありがとうございます。

323日(土)17:00

高田馬場 にんじん へ行きます。

よろしくお願いします。

桜井

桜井さま、倉島さま、中谷さま

吉竹から3235時で大丈夫との連絡が来ました。今のところ、上原、桜井、吉竹の3人から大丈夫とのことです。倉島も多分、大丈夫だと思っています。その他、誘いたい方がいらしたら、お声掛けしてみて下さい。お店の予約をどなかしていただけないでしょうか?まだ、にんじん屋には予約の連絡はしていません。人数も分からないのでまだ予約していません。皆さま、お忙しいとは存じますが、どうぞよろしくお願いいたします。

上原

上原様 Cc. 田中様(ご無沙汰でいきなりすみません。下まで読んでいただけると幸いです)

分かった。予約はこっちでする。とりあえず上ドン希望の場所・日時で4千円飲み放題個室コースで聞いてみるが、

だめなら、馬場で同じような感じのところを探す。時期が時期なので、青龍あたりになるかもしれんが。

ロッキーと田中君のメールアドへも、このメールを転送してもらえますか。

あと、以後のやり取りでは、お二人のアドレスも入れていただけると助かります。

(もし田中君もオーケーならば)

吉竹(ロッキー)

倉島(身長1.9)デカ男です。20年ぐらい前になるかな、一度馬場の青龍で皆で飲んだような

それ以来かな。ご無沙汰。相変わらず、セクシーボイス?

この歳になっても、おかげ様で男には興味はないけど、渋い声だったよね。

楽しみにしてます。

ところで、上ドンが相変わらず電話は苦手そうなので、予約はこちらでやります。

以後、こちらの集合メールに直接ご返信ほか願えますと幸いです。

田中様

先日はお引っ越しのお知らせのはがき、どうもありがとうございました。

お知らせいただいたのに、返信もせず、どうもすみません。

ところで、上ドンのところに、学生時代、チベットで知り合いになった友人から

久しぶりに一献どうという話があり、下記のような感じで一杯やります。

田中君も、もしお時間があったら、ご一緒にどうですか。

中谷様

あいかわらず、超多忙かな。 その後、心臓の方は順調?

この時期の土曜なので、予約は明日してしまうと思うけど、

このまま、集合メール流し続けますので、時間がうまくできたら、頼みます。

倉島

倉島さま

朝早くから、メールをいただき、ありがとうございます。

𠮷竹にはメールを転送しておきました。

田中君にもメールを転送しようとしましたが、エラーが出て送れません。

とりあえず、このメールで𠮷竹君のアドレスを加えておきます。

にんじん屋が空いていたら、予約の方よろしくお願いします。

𠮷竹は、17:00だと都合が悪いそうで、18:00にしてくださいとのことです。

何か仕事を増やしてしまうようで申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

上原

上原様、皆様

6時からの件、了解。ただ、送別会の時期だから、取れないかもね。

そしたら、青龍あたりね。あるいは、新宿にするとかね。

田中君には、こっちからもメールしてみた。

自動返信もかえって来ないから、ついたかな?

それでは、予約、適当にやっておきます。

倉島

倉島さま

メールを確認しました。

田中君にはLINEで連絡をしてみたところ、参加したいとのことです。

場所が取るのは大変そうですが、よろしくお願いいたします。

上原

倉島さま

上原です。

今朝、Gmailを確認したら、昨日の倉島からの「予約完了」のメールが消えていました。

323日土曜日、1800~ 高田馬場にんじん屋で良いのでしょうか?

𠮷竹からは返事は来ているでしょうか?

確認のメールをしてみます。

上原

件名「23日はみんな参加のようです」

上原様、皆様

はい。ロッキーからも参加意向のメールもらっています。

ロッキー、田中君、隊長以下チベット隊計4名、合計6名です。

上原が下に書いている通りで、変更はありません。

ところで、いままた政治的には北京ともめているようだけど、

チベットも、激変しているのでしょうね。ラサとか。シガチェも。

まあ、いまの中国の状況も、1980年代末には全く予想もつかなかったけど。

というか、私が単にアホな学生だっただけかもしれないが。

それでは、当日。

倉島

件名「Re: 倉島: 23日予約完了」

田中様

返信ありがとうございます。

中谷のケースは同世代でもだいぶ特殊かもしれませんが、

(詳しくは氏に直接聞いてください)

身体に関してはまあいろいろ出てきますね。50になると。

ご自愛を。それではまた、当日。

倉島

皆様

お久しぶりです。

前回上どんから連絡もらった時はどうしても仕事の都合がつかなくて会えなかったのが残念です。

今回は調整していきますので、よろしく!

私も諸々あって当日は酒が飲めないのが残念なのですが、みんなに会えるのを楽しみにしています。

田中智秀

中谷さま

メールを確認しました。

お体の方は大丈夫ですか?

お体を労ってお過ごし下さい。

323日は僕も楽しみにしてます。

楽しい飲み会になると良いと思っています。

上原

倉島さま

上原です。このメールと、僕が送ったメールの返信を確認しました。

𠮷竹から返事が来ていること、323日、1800~高田馬場にんじん屋に集合とのこと確認しました。

田中君には僕のメールアドレスからはメールが送れなかったようです。

みんなで集まれて、楽しみにしています。

ラサとかシガチェとか懐かしいです。

チベットののんびりした雰囲気が懐かしいです。

では当日。

上原

件名「おーい ありがとさん」

皆様

本日は探検パワーを頂き感謝致します。

また第2弾やりましょう。カラオケも行きましょう。

私のFacebookにのせますが、お許し下さい。

今と昔 写真対比したいので、桜井さくちゃん チベット隊の集合写真ちょうだい。

メールで送っておくれ、これは作品ですよ。皆と出会えた、これは私の人生において一つの道標ですよ。

だからさくちゃん 昔のチベット隊の集合写真をお送り下さい

吉竹

皆様

今日は楽しい時間を過ごさせていたがきありがとうございました。

ロッキーではありませんが、今日の集合写真をFacebookTwitterに載せさていただきました。

そのうち、また集まりましょう。

上原

皆様

本日はありがとうございました。久々のメンバーで楽しかったです。とりあえず写真を送ります。

桜井

皆様

上どん今日は声をかけてくれてくれてありがとう。

倉ちゃん幹事お疲れさまでした。

なんか久しぶりの気がしなかったのですが、考えてみたら30年近く会っていなかったんですねぇ。

皆さん昔と変わらず、楽しい時間が過ごせました。

今後も集まる際には声をかけてください。

田中智秀

皆様

写真ありがとさんです!カッチョええなあ。やっぱり。押忍

吉竹

皆様、和郎さま

昨日は皆様、お疲れ様でした。

昨日飲み会にを来た方々の何人かから次回もやりましょうとの声が上がっています。

Facebookに飲み会の集合写真を載せたら、次回は松田和郎も誘ってくださいとのことです。

このメールで松田和郎も加えておきます。

適当な時期に次回の会も出来たら良いと思っています。

このメールの連絡網を頼りにやり取り出来れば良いと思っています。

それでは皆様お元気にお過ごし下さい。

上原

皆様

またやろうぜ。

やろうぜ。

中谷

以上のようなメールのやり取りを2019年に高田馬場の居酒屋で早稲田大学探検部チベットカイラス隊(上原、桜井、倉島、中谷)と近大探検部OB、吉竹、中国語の専門家、田中と飲み会をした際に行いました。

 以上、 「2019年にチベットカイラス隊で飲み会をした際のメールのやり取り」

 ブログに載せます。


2025年9月8日月曜日

「The taste of Brahma water」

 The taste of Brahma water

 先日、僕が早稲田大学4年生の時にインドブラマプトラ川川下り報告書「神の河 ブラマプトラの激流を下る」に書いた報告のような感想のような文章「ブラマの水の味」を自動翻訳してみました。

 以下のような英文になりました。英文にしてもなかなか面白い文章だと思うのでブログに載せたいと思います。

 英文タイトルは「The taste of Brahma water」というタイトルになりました。

 The taste of Brahma water

 That day was a day that had given me a bad feeling from the very morning. One of our members, Sekiguchi, suddenly announced in the morning that he couldn't go on the boat due to stomach pain. Sekiguchi and I were on one of the two rowboats as members of the Japanese team. As he was the general secretary of the Waseda University Frontier Boat Club, he knew more about river rafting than I did, even though he was a year older than me, and was therefore a reliable man who could make accurate decisions. However, he had been heading out into the grass several times that morning to hunt for pheasants, and he seemed to be acting strangely. In the end, it seemed his stomachache was getting worse, and he decided not to go on the boat.

 Thinking about it, I realized that the cause of Sekiguchi's stomachache was the fatty pork he ate yesterday during his stay in a town called Tuting. In this region known as Arunachal Pradesh, the locals look similar to Japanese people, and although I can't say for sure if this is the reason, their personalities also seem similar, and they are extremely hospitable when guests visit. However, perhaps the proverb "too much is as bad as too little" is true, and the extravagant hospitality can sometimes be a bit overwhelming. Perhaps because food is not particularly abundant in this region, which began with the Chang, hospitality in this region does not cause you to feel overwhelmed by overeating. What is most frustrating is when you are offered unfamiliar food and told it is a delicacy.

 That was the case with us. During our stay in Tuting, Sekiguchi and I visited a community (as the locals call it) with a Tibetan Buddhist (Lamaist) gompa. We were then invited to the home of a person we met there. We were delighted by their kindness and gratefully accepted their hospitality. We began with chang, followed by mandarin oranges, and then a drink called apong, similar to sake. As we slowly sipped our drinks in preparation for the evening (a dance with young village women was scheduled), we noticed an animal skin hanging on the wall next to a picture of the Dalai Lama. As Sekiguchi and I wondered what it was, the couple showed it to us and asked, "Would you like to eat this?" We wanted to try it, so we replied, "Yes, we'll eat it." They cut it up with a knife and offered it to us. It was pork fat, with the skin still attached. It smelled a little fishy, ​​but considering they'd offered it to us, we chewed it a little and swallowed it.

 That was careless of me. They must have found it delicious and ate it all up in no time, because they offered me another piece of fatty meat about twice the size of the previous one. I was hesitant to eat it because of the fishy smell, but Sekiguchi ate it with determination. I think it was probably this pork fat (which I think was quite raw) that caused Sekiguchi's stomachache.

 For these reasons, Sekiguchi did not board the boat, and a reserve member from the Indian side took his place. The sky was overcast that day, and I had a bit of diarrhea, so I had been feeling unwell since the morning. The rafting guide said to me, "Kazu (my nickname), you seem to be in a bad mood today," but I couldn't be bothered and replied casually, "Calmness is the Japanese spirit." The river was not particularly rapid, and we were moving along at a leisurely pace. Just after noon, we spotted some rapids, so we pulled the boat to the shore to check them out. From the shore, the rapids looked to be about grade 4.

 Without listening to the detailed explanation of the rafting guide about course selection, I thought we could go down at this rate. Chamoli, the leader of the expedition, wanted to take some photos, so I left him on the shore and set out on the boat.

 We all shouted a cheer to inspire us before we set off down the rapids, and as always, under the guidance of our guide, we started rowing down the slow-moving section in front of the rapids. When we went down this rapids, my boat went first (on this trip, we went down in two rows to ensure safety in case of capsizing).

 The waves were bigger than I expected from the entrance to the rapids. From this point on, I was so focused on paddling that I didn't think about anything else. The waves just kept getting bigger. I was positioned on the left front, and a wall of water appeared and disappeared in front of me. As we entered the rapids, the paddle became useless. The guide shouted, "Over front!" I moved to the front of the boat. I was being controlled by the waves and it was impossible to control the boat.

 Next, the guide shouted, "Overright!" I moved to the right edge of the boat. When about the fourth big wave approached, the guide shouted, "Drop" (to sink into the boat to avoid being thrown into the river). I moved from the right side to my position to the left front and dropped down. As the boat, leaning to the right, plunged headfirst into the wave, the boat tilted sharply to the left. Next thing I knew, I had been thrown out of the boat and was being swallowed up by the wave.

  Somehow, I realized that the boat hadn't capsized and was in front of me, so I shook myself and paddled, and grabbed onto the boat. Looking around, I saw that all seven of us had been thrown into the river. First, I rescued two of them from the trough, and told the remaining person to swim to the right bank and land, and we docked the boat on the left bank and waited for the next group.

 Three members of the later team were also thrown into the river. Two of them were Japanese team members Yashima and Nakatani. Yashima is a Himalayan mountaineer, but this was his first time participating in a river rafting trip. I was worried when Yashima was thrown into the river, but he didn't look particularly shocked and was swept away to our boat. I was impressed that people who have experienced hell in the mountains could remain unfazed by something so minor. Yashima was swept away, but the other member, Nakatani, was not.

 He's a fellow student in the same club as me, and has a lot of stamina. I thought Nakatani would be okay, but he wasn't floating away. He was stuck in a swirling current and couldn't get out. What's more, he seemed unable to move, as he had hit his injured heel on a rock when he was thrown into the river. The Indian team members climbed over the rocks to the spot in the swirling current where Nakatani was stuck and rescued him. Nakatani seemed to have drunk a lot of water, and for a while he didn't speak and looked unwell. However, as the Indian team members' wry smiles grew into louder laughter, Nakatani began to cheer up as he responded with a wry smile.

 Nakaya drank a fair amount of the water from the Brahmaputra, and I also drank a fair amount when I fell into the river. The water of this river, which originates at the foot of Mount Kailash in Tibet, may be sacred. However, to those without faith, it is just water. When I saw myself like that, I suddenly became frightened of the river rafting I was doing.

 この英文を読んでみると、最後の

The water of this river, which originates at the foot of Mount Kailash in Tibet, may be sacred. However, to those without faith, it is just water. When I saw myself like that, I suddenly became frightened of the river rafting I was doing.

という部分が問題になるとだと思いました。

 The taste of Brahma waterjust waterだと問題になるとだと思っています。

 without faith(信仰が無い)にとってはjust wateと書いています。

 sacred waterholly waterと書かないといけなかったようです。

 まだ、早稲田大学4年生で23歳の頃に書いた文章なので、僕もかなり左がかって(左翼傾向)いてThe taste of Brahma waterjust wateと書いてしまっています。

 僕は今では信心深い人間になっていて、お寺で手を合わせてお祈りをしています。

 自分の若い頃に書いた文章を読み直すと僕にも多くの問題があったと分かります。

 先日は、僕が早稲田大学4年生の時にインドブラマプトラ川川下り報告書に書いた報告のような感想のような文章「ブラマの水の味」を自動翻訳してみたのでブログに載せます。

 以上、「The taste of Brahma water

 ブログに載せます。

 

 

 

2025年5月17日土曜日

「第二の青春」

 「第二の青春」

 先日、早稲田大学探検部32OBの吉澤さんとメールのやり取りをしました。

 メールでは僕は両親の介護をしていて、吉澤さんは会社勤めをされていていることなどをメールでやり取りしました。

 吉澤さんがご自分のことを大企業に就職して安定志向があって探検部の落ちこぼれですとメールに書かれていたので、僕はその返信のメールで会社勤めが終わってからが第二の青春ですとメールに書きました。メールのやり取りは以下のようなやり取りをしました。

吉澤さん

幸い僕の両親は長生きで父は91歳(今年で92歳)、母は88歳です。

吉澤さんは会社勤めで仕事が大変なので、親御さんの面倒を見られないのではないでしょうか?

介護離職とか増えているようですし、

介護が負担になり、会社を辞めてしまう人も多いようです。

お母様へのメールだけでも十分なのではないでしょうか?

先輩後輩に関しては、吉澤さんは立派な先輩だと僕は思っています。

年齢は同じで高校までは同学年ですが、大学卒業後のことを考えるときちんと会社勤めをされていて僕らの代の人間からも慕われている先輩だと思います。

こちらこそ本当に拙い後輩で申し訳なく思っています。

何かありましたらまた、メールでやり取りが出来れば幸いです。

上原

上原さん

おはようございます。なんだか照れてしまいます。

田村とよく、僕たち大企業に就職して探検部出身らしからずに肩身が狭いですよねと話しています(いました)。安定志向があって探検部の落ちこぼれです😰 田村も僕もようやく裁量が取れるこの年代になるともう先が見えて、開き直ると会社でも探検部らしい思い切りが言えたりします。

探検部での経験と仲間は本当にありがたく、これからもよろしくお願いします。

添付の写真は稲門同期の西武鉄道車両部の人と最近早稲田に飲みに行った時に撮ったものです。


吉澤

吉澤さん

会社勤めが終わってから、

探検部時代を思い出して、旅行をされたりすれば良いのではないでしょうか?

大企業に勤められて安定志向で正解だと僕は思います。

退職後が第二の青春になるのではないでしょうか?

上原                                                                         

 以上のようなメールのやり取りをしました。

 僕は早稲田大学探検部出身ですが、早稲田大学探検部出身でもなるべく早く大学を卒業して社会に出て就職をした方が良いと思っている人間です。

 早稲田大学探検部では、就職したら負け組とか言われているようですが、僕は大学を卒業したら就職をした方が良いと思っています。

 僕が早稲田大学と一般社会を経験していて、確かに早稲田大学時代が楽しく、社会に出てからは過労で入院したり、統合失調症という精神疾患に罹ったりしていて、どちらが楽しかったと言われれば早稲田大学時代が楽しかったのは本当ですが、僕はそれでも、早稲田大学探検部出身でも大学卒業後は就職をした方が良いと思っています。

 きちんと会社勤めをされている方々の悪口を言うのは簡単ですが、僕はきちんと会社勤めをされて、会社を定年まで勤め上げて、退職してから、早稲田大学探検部時代を思い出して旅行をされたりすれば良いと思っています。会社を勤め上げて退職してからが第二の青春になるのではないかと思っています。人それぞれで考え方に違いがあると思いますが、僕はきちんと会社勤めをされて退職してからが第二の青春になるのではないかと思っています。

 以上、「第二の青春」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

2025年1月7日火曜日

「父が入院した際の松田和郎さんとのメールでのやり取り」

 「父が入院した際の松田和郎さんとのメールでのやり取り」

  僕の父は昨年の10月に新宿メディカルセンターに入院しました。2回入院したのですが、2回目の入院の際に、早稲田大学探検部33期の同期生で医師をされている松田和郎さんにメールで相談しました。

  今日は松田和郎さんから年賀状が届き、

 「お父様回復されて何よりです」

 と書かれていて、本当にありがたい友を持っていると嬉しく思いました。

 僕から年賀状を出していて、

 「父のことで相談に乗っていただきありがとうございました」

  と書いていたので、その返信の年賀状をいただきました。

 昨年の10月に父が新宿メディカルセンターに2回目の入院をした際のメールのやり取りをブログに載せたいと思います。

 松田和郎さま

 夜分失礼します。上原和明です。

   年賀状を出さないなどの不義理お許し下さい。

この度、メールをさせていただいたのは、

父(91歳です)が昨日(1027日 日曜日)、夕飯後、認知症の薬ドネペジルという薬を服薬してから、突然気分が悪くなり、よだれを垂らしたり、鼻から鼻水のようなものを垂らしたり、吐いたりしました。

背中が痛い痛いと言い始めて、私と母で背中をさすりました。

背中の痛みがひどいようで、父が救急車を呼んでくれと言って、

私が119番に電話をして救急車を呼びました。

救急車で新宿メディカルセンターに搬送され、

父は新宿メディカルセンターの急患で診ていただき、

昨日、新宿メディカルセンターに入院しました。

入院の書類には、病名で一過性意識消失と書かれあります。

今日面会に行きましたが、父の主治医は脳神経内科の先生が父の主治医になったようです。

父は長く心房細動で新宿メディカルセンターの内科に通院していて、

介護認定調査は済んでいて11月末に介護認知の書類が郵送されることになっています。

1025日より認知症で精神科にも通院しています。

1025日の精神科の診察でドネペジルという薬を処方されました。

ネットで松田和郎さんで検索をしましたら、

脳神経外科の先生をしていたことがあり、

意識障害のこともご存じだと知りまして、

何かアドバイスがあれば幸いだと思い、メールをさせいただきました。

ご多忙かと存じますが、何かアドバイスがあれば幸いです。

  上原 和明

  上原和明 様

  ご無沙汰しております。

お父様の入院の件、お知らせ頂きありがとうございます。

早いもので十五年くらい前でしたか、櫻井君と一緒にお宅を訪問して絶品の餃子をご馳走になって以来でしょうか。

お元気かなと時々思い出してました。

 一過性意識消失というのは病名というより症状ですので、まだこれから色々検査を進めて行く上での暫定的な診断名だと思います。

 ドネペジルの影響も考慮が必要ですが、背中を痛がっておられたというのも非常に気になります。

大動脈解離という病気も疑われます(背中を痛がったことは担当医に伝えてありますか?)。

 入院後に色々検査することで病状が判明してきて医師から説明があると思います。

(胸部CTも行われているはずです)

 自分も心配なのでまた経過を教えてください。

 取り急ぎご返信いたします。

 松田和郎

 松田和郎様

 こんにちは上原です。

Facebookを拝見していると、沖縄旅行中のようでメールをしても良いものか迷いましたが、

メールをさせていだきます。

父の入院についてですが、本日、面会に行って来ました。

先生とも話が出来ました。

検査は脳のMRI、不整脈の検査をしていると仰っていました。

検査の結果は明日には分かるということで、明日に電話で先生が僕に連絡をしてくださると仰っていました。

退院の目処は、1134日の後の連休明けに退院になると思いますと仰っていました。

認知症の薬、ドネペジルの影響についても質問しましたが、ドネペジルの影響については話はありませんでした。

昨日、兄が面会に行った際には、父は食事を摂るときに食道に詰まった感があると言っていたようです。

ご返信のメールに経過を教えてくださいとあったので、

父のその後の経過を報告させていただきます。

松田様におかれましても、お体に気をつけてお仕事なさってください。

 上原和明 拝

松田様

  父は内科での胸部CT検査で胸部上行大動脈瘤が45mmと拡張している。上行大動脈瘤疑いと診断されています。

上原

 上原様

 沖縄からは一昨日帰ってきております。

 お父様の件、追加情報とその後の経過報告をありがとうございます。

 解離性動脈瘤は元々指摘されていたのですね。

その病歴と今回背部痛を訴えたことを現在の担当医にお伝えしているならOKです。

 ドネペジルとの関連ははっきりしませんが、あまり関連はないと思われている感じですね。

 いずれにせよ、容体は安定していて11月初旬に退院出来そうでまずは何よりです。

 また何かお変わりがありましたら教えてください。

 ワコト

 松田様

 ご返信ありがとうございます。

父のことでご心配をおかけして申し訳ありません。

何か容体の変化がありましたら連絡させていただきます。

 上原

 松田様

 度々のメール失礼します。

先程、新宿メディカルセンターの父を診ている先生より電話がありました。

脳波の検査と不整脈の検査では異常はなく、

115日に退院することになりました。

この度は相談に乗っていただきまして本当にありがとうございます。

また何か変化がありましたら連絡させていだきます。

 上原

 松田様

 こんにちは上原です。

今日、115日火曜日、父が新宿メディカルセンターを退院しました。

父は元気そうです。

この度はご心配をおかけして申し訳ありません。

アドバイスもいただきありがとうございます。

ワコトがお医者さんなので、

困ったときに相談してしまいます。

今回はお忙しいところ本当にありがとうございました。

 上原

 上原様

 お父様のご退院おめでとうございます。

 お元気とのことで、まずは何よりでした。

 お父様によろしくお伝えください。

 また何かありましたらご相談ください。

  松田和郎

  以上のようなメールでのやり取りを松田和郎さんとしました。

  本当に困ったときには専門家であるお医者さんに相談してしまいます。

  幸いに僕にはお医者さんの友達がいるので、本当に困ったときには助けられます。

   昨年の10月に父が新宿メディカルセンターに2回目の入院をした際に早稲田大学探検部33期の同期生の松田和郎さんにメールで父のことで相談をしたので、メールのやり取りをブログに載せます。

  以上、「父が入院した際の松田和郎さんとのメールでのやり取り」

 ブログに載せます。

2024年12月27日金曜日

「日経新聞文化欄のチベット関連記事」

 「日経新聞文化欄のチベット関連記事」

  1224日に早稲田大学探検部32OBの吉澤さんからメールが届きました。

  以下のようなメールが届きました。

  中島さん、上原さん

  おはようございます。毎日寒いですね。

  今日の日経新聞にチベットのことが載っていました。元気な美容師さんがいるものだと感心しました。ご参考まで。

  今年も残り1週間となりました。どうぞよいお年をお迎えください。

  吉澤

  中島さん、吉澤さん

   昨日は本当にありがとうございました。

   中島さん、近々集まる機会があるのでしたら、是非、お声かけください。

   何かお力になれることがありましたら協力させていただきます。

  チベット話の続きにも参加させていただきたいです。

  吉澤さんの当時の手帳にも興味があります。

  上原 和明

  このメールに僕は以下のような返信をしました。

  中島さん、吉澤さん

 おはようございます、上原です。寒さも厳しくなってきました。

   朝起きて、外に出ると、寒さが厳しくなっているのが分かります。

  さて、稲葉香さんについての日経新聞の記事を送っていただきありがとうございます。

  さっそく、添付されていた記事を読ませていただきました。

   稲葉香さんに影響を与えた河口慧海さんは、リウマチを抱えてのヒマラヤ行、カイラス行だったようで、僕も驚きました。

   実は僕の母も関節リウマチで痛みがあるようです。

   何かしていれば(読経も良いのかもしれません)痛みを紛らわすことが出来るのかもしれないと思いました。

  中島さん、吉澤さんにおかれましても良いお年をお迎えください。

  上原 和明

  以上のようなメールのやり取りをしました。

  吉澤さんのメールには1224日の日経新聞文化欄の記事が添付されていました。

   ヒマラヤのドルポで越冬して植村直己冒険賞を受賞された稲葉香さんについての記事でした。

 記事は以下のような記事です。

 


  僕も稲葉香さんも河口慧海さんもリウマチを抱えてのヒマラヤ行ということで本当に感心しました。

 チベットに行ったことのある人間からすると、本当に素晴らしい活動だと思い、僕も何か頑張らないといけないなという気持ちになりました。

 12月24日に早稲田大学探検部32期OBの吉澤さんからメールが届いたので、メールのやり取り、添付されていた記事をブログに載せます。

 以上、「日経新聞文化欄のチベット関連記事」

 ブログに載せます。

 

 


 

 

2024年12月18日水曜日

「くつろぎの時間 喫煙室 第21集 の西木正明さんのエッセイ 帰らざる河」

 「くつろぎの時間 喫煙室 第21集 の西木正明さんのエッセイ 帰らざる河」

  先日、図書館で本を借りました。

  何か気分転換に読めるような本を読もうと思い、図書館の本棚を探していたら、

  「喫煙室 くつろぎの時間」という本が目にとまり、僕も喫煙者なので僕と同じような人達の話が読めると思い、図書館で借りて、気晴らしに読んでみました。

  「喫煙室 くつろぎの時間」という本を読んでいると、早稲田大学探検部の大先輩で亡くなった直木賞作家の故西木正明さんの書かれた文章が載っていました。

  「道楽の帰らざる河」というエッセイが西木正明さんらしい文章だったので、書き写しになってしまいますが、ブログに載せようと思います。

  「道楽の帰らざる河」

  わたしは道楽者で、これまで多くの趣味や道楽に手を染めてきた。小学生時代は親父の道楽につきあわされてのレコード鑑賞。戦後の物資欠乏時代、竹針をカッターで切って、ゼンマイ駆動の蓄音機でSPレコードを聞いた。小学生上級から中学にかけては、これも親父につきあわされての写真機。六櫻社(現 コニカミノルタ)製の単玉ベスト判カメラ、パーレットで庭を走り回るニワトリや犬、隣の女の子などを撮り、自分で現像、焼き付け、引伸しまでやっていい気分になっていた。

 同じ頃、写生に夢中になった。絵描きだった母方の祖父の血をわずかに受け継いだのか、県の席画コンクールで二回金賞を得たから、これは多少モノになった口。ちなみにこの祖父は、森永ミルクキャラメルのエンゼルマークを創作した。秋田県蘭画の異端。

 中学上級以降はにわかにアウトドア指向になった。近隣に住む暴れ者で有名だった前科七犯のマタギに可愛がられ、山歩きのイロハをたたき込まれた。それが大学時代の北極圏越冬につなって家業の医者になりそこね、村は無医村となって、近在の人々にただならぬ迷惑をかけた。

 その後遺症は社会人になってからも残り、昨今はゴムボートに生活用具一式を積み込んでの川下りに血道をあげている。高校時代にはまった映画鑑賞とアウトドア指向が結びついた結果かも知れない。当時繰り返し見た、ロバート・ミッチャムとマリリン・モンロー主演の映画「帰らざる河」が、道楽人生の後半を決定づけたような気がする。

 これらの道楽が実生活になんの恩恵ももたらさない中、なぜか子供時代もっとも苦手だった作文で口に糊している。人生の皮肉ここにきわまり、まさに道楽人生の「帰らざる河」である。

  以上のような「帰らざる河」というエッセイが載っていて、おもしろくて腹を抱えて笑いそうになってしまいました。

 「昨今はゴムボートに生活用具一式を積み込んでの川下りに血道をあげている。」

  というのが本当におもしろくて、

  西木正明さんが繰り返し見た映画「帰らざる河」が道楽人生の後半を決定づけたような気がする。

  というのが、おもしろくて、繰り返し見た映画がそのまま人生に反映されているのが本当におもしろいと思いました。

  僕も若い頃は映画をよく見ていたので、繰り返し見た映画が僕の人生を決定づけるようなことがあれば僕のこれからの残り少ない人生もなにかおもしろい人生になるかもしれないと思いました。

  先日、「喫煙室 くつろぎの時間」という本を図書館で借りて気分転換に読んでいたら、早稲田大学探検部の大先輩だった西木正明さんの書かれたエッセイが載っていたのでおもしろかったのでブログを書いてみました。

  以上、「くつろぎの時間 喫煙室 第21集 の西木正明さんのエッセイ 帰らざる河」

  ブログに載せます。

 

 

 

2024年12月14日土曜日

「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合でお話しした話 その2」

 「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合でお話しした話 その2

  先日、 1130日土曜日に高田馬場のインド・ネパール・チベット料理屋さんで早稲田大学探検部30OBの中島さんと早稲田大学探検部32OBの吉澤さんと会合をしました。

 会合ではもっぱらチベットのお話を2時間以上していました。

  先日はカイラスについてのお話をブログに書きましたが、今日は探検部らしいお話をブログに書きたいと思います。

  先ず、僕が1988年夏早稲田大学探検部チベット探査の際の報告書を中島さんにお見せすると、

  「よく大学2年でカイラスまで行けたな」

  と感心してくださいました。

  その後、チベットのお話をしていると、

 4人でチベットに行ってよく喧嘩にならなかったな」

 とも感心してくさいました。

 僕が五反田にあるチベット文化研究所に行ってお話を聞いたことがありますと言うと、

 中島さんもチベット文化研究所でチベット語を勉強されたそうで、

 「どの先生に会った」

 とも聞かれました。僕はどの方にお話を聞いたかはもう覚えていませんでした。

 僕から

 「中島さんと吉澤さんは中国語は出来たのですか?」

 とお聞きすると、中島さんも吉澤さんも早稲田大学で中国語を選択されていたということで、僕も中国語を選択していましたと言うと、中島さんが

 「探検部は中国語を選択している学生がよく入部する」とも仰っていて、

 吉澤さんも

 「普通の学生はフランス語かドイツ語だよね」

 とも仰っていました。

 僕はそのお話を聞いて、1988年夏早稲田大学探検部チベット探査に行った4人のうち、

 「僕(上原)、倉島、中谷は中国語を選択していました、桜井はドイツ語を選択していました。」

 とお伝えしました。

 僕の作成したチベットのスライドに関しては、吉澤さんが僕のブログを読んでくださっていたようで、行方不明、紛失してしまったこともご存じだったようですが

 「スライドはマウントしてある?」

  と訊かれたので、 

 「マウントしてあります」

 と答えました。

 中島さんが、

 「スライドが紛失したということはない。どこかにある。箱に入っているはずだ」

 とも仰っていました。

 1988年夏チベット探査計画書をお見せした際には、僕が、

 「探検部の審議にかけられて、書き直しもしました」

 と言うと、吉澤さんは、

 「そのようなことはしていなかったと思う、なんか会社みたいだな」

 と仰っていました。

  僕が1988年夏チベット探査計画書に関しては

 「カイラスまでのルートとか突っ込まれました」

 と言うと、

 中島さんが気を利かせてくださり、

 「ルートはどうする?」

 とも言ってくださいました。

 中島さんも吉澤さんも

 「この計画書、奥島先生も見ていると思うよ」

 とも仰っていました。

僕が中島さんに

「ドルマ・ラ峠が中島さんにとっての最高標高点ですか?」

「ドルマ・ラ峠が最高標高点」

と仰っていました。

吉澤さんもドルマ・ラ峠が最高標高点だと仰っていたので、先日のインド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合で集まった中島さんも吉澤さんも僕(上原)の3人とも人生における最高標高点はドルマ・ラ峠(5660m)のようです。

僕がチベットのラサで食べた記憶があるモモに関しては、中島さんがチベットに行った際には食べていないと仰っていて、1986年にはモモはラサで食べてないようでしたが、僕らがチベットに行った1988年にはモモを出すようになったのだろうかとも仰っていました。

 「上原がインドブラマプトラ川川下りに行ったのはいつだ?」

 とも尋ねられたので、

「大学4年の時です」

 と答えました。

その他にも、僕らが早稲田大学探検部1年生の時の新歓合宿の際に、当時大学4年生だった中島さんと椎木さんがいらしていたこともお話ししました。

僕が早稲田大学探検部1年生の時の参加した春合宿で中島さん、リーダー、吉澤さん、サブリーダーで南アルプス赤石岳に登る予定だったが、途中で雪渓があり、赤石岳登頂はあきらめたこともお話しし、

中島さんが、

「1年生は山の素人だったから」

と仰り、僕は

「あの合宿が、僕にとっては南アルプスは初めてでした」

と答えました。

すると、中島さんが、

「どのピークに登ったけ?」

と仰っり、僕は

「聖岳に登りました」

と答えました。

中島さんが、

「上原たちの代は部員は何人いたんだ?」

と尋ねたので、僕は

「15人いました」

と答えました。

「上原たちの代は、多彩な人材が揃っているね」

とも中島さんが仰っていたので、

「僕らの代くらいから、部員が増えました。僕らの代は15人で、僕らの下の代は20人くらい部員がいました」

と答えました。

早稲田大学探検部の現役についてのお話も少ししました。

現在の早稲田大学探検部の顧問の先生が元早稲田大学部員の方で初めての生え抜きの顧問の先生だと伺いました。

もう何年か前の現役の1000キロのヒマラヤ隊の話もして、早稲田大学探検部OBの庄司さんと一緒にヒマラヤに行ったことも伺いました。

僕は早稲田大学探検部OBの庄司さんのことは昔、NHKスペシャルの「ザンスカール 氷の回廊」という番組を拝見したことがあり、存じ上げていたので、

中島さんに、

「氷の回廊」

と言いました。

僕のTwitter(現X)が1000キロのヒマラヤ隊のTwitterにフォローされたこともお話ししました。

なにか1000キロのヒマラヤ隊は、Twitterを使ってクラウドファンディングでお金を集めたことも伺いました。

中島さんはSNS X(旧 Twitter)についてはあまり良い印象を持っていないようでした。

現在の早稲田大学探検部が他大の学生も受け入れていることについては、中島さんは反対のようで、中島さんは早稲田大学探検部は早稲田大学純血主義の方が良いと仰っていました。

中島さんはアフリカのナイル川源流の調査をしているというお話もして、早稲田大学探検部OBの小川さんの計画だよねというお話もしました。

僕は現在の早稲田大学探検部については早稲田大学探検部のXとかを見るくらいしか知らないので、何も言えませんでしたが、僕も現在の早稲田大学探検部のXとかを見ていると、何か早稲田大学探検部OBの方の過去の業績をなぞって活動をしているような気がしていたので、

「自分の物語を作るのが早稲田大学探検部ですよね」

というようなことを言いました。

もう僕は統合失調症の精神障害2級の障害者なので、偉そうなことは言えませんが、先日の会合では少し偉そうなことを言ってしまいました。

大学卒業後のお話も少ししました。僕が大学卒業後、テレビ業界に進んだのですが、現場に出ての取材は面白かったのですが、テレビ番組は編集の仕事があり、締め切りがあり、締め切り前は徹夜、徹夜で、大変で、自分でテレビ業界は向いていないと思い、テレビ業界は辞めましたとお話ししました。僕はテレビ業界が本当に向いていなかったので、

「マスコミには行かない方がいいですよ」

とも言いました。

高野秀行さんのお話もしました。高野さんの著作、「イラク水滸伝」を吉澤さんが会合の前に高田馬場の書店で見てきたそうで、「イラク水滸伝」のお話をしました。

吉澤さんが、

「高野さんが「イラク水滸伝」で植村直己冒険賞を受賞したようですね、本を見ましたが、相棒の山田高司さんのイラストもプロの作品だったよ」と仰っていました。

僕はその話を聞いて、

「ティグリス・ユーフラテス川ですね。山田さんは東京農業大学探検部出身の方ですね。実はインドブラマプトラ川の話も東京農業大学探検部に最初に話がいきました。山田さんは四万十川にいらしていたと思います」

と言いました。

すると中島さんがその話を聞いて、

「農大の探検部は長江全流をやろうとしていた。農大探検部はすごかった」

と仰っていました。

高野さんが植村直己冒険賞を受賞した「イラク水滸伝」についてこのようなお話をしました。

帰り際に、

「上原は集まるとしたらどこがいい?」

とも聞かれたので、

「早稲田か高田馬場がいいです」

と答えました。

早稲田大学のホームグラウンドとなるような早稲田か高田馬場なら、早稲田大学探検部の話も気兼ねなく出来ると思ったので、「早稲田か高田馬場がいいです」と答えました。

  本当に早稲田大学探検部の部室にいるような感じのお話が出来て、僕も本当に楽しかったです。

 普段は両親と3人で暮らしていて、チベットの話などするような人もいないので、僕の早稲田大学探検部時代の本当に僕にとって最高の思い出になっているようなチベットのお話を出来て本当に楽しかったです。

 以上、「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合でお話しした話 その2

 ブログに載せます。


2024年12月9日月曜日

「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合で拝見した日記」

 「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合で拝見した日記」

  先日、インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合で吉澤さんの日記を拝見しました。日記についてメールでやり取りをしました。早稲田大学探検部関係者にとっては参考になるメールのやり取りだと思うのでブログに載せたいと思います。

 上原さん

  土曜はありがとうございました。いろいろと話すことができ、中島さんも貴兄もよく覚えていて、とても楽しかったです。

   小生の手帳(日記)はたしかに自分が見返しても興味深いものです。まだ10代で、いつどこを訪れ、何を見て、どんなことに感動したかなど、我ながらよく記録していています。

吉澤さん

先日は本当にありがとうございました。

僕も本当に楽しい時間が過ごせました。

まるで早稲田大学探検部の部室にいるような気分になりました。

吉澤さんのチベットカイラス行の際の日記ですが、

「日本の探検家たち」(未知への挑戦) 西堀栄三郎記念 探検の殿堂 NHK出版

という本に、梅棹忠夫さんの書かれた探検についての文章に以下のようなことが書かれています。

49人の探検を選ぶにあたって」梅棹忠夫

「探検家は探検した地域について報告をおこなう義務がある。いくら未知の地域にわけいったとしても、報告がなければ、なにをしたのかを知るすべがない。ただし、ここにいう報告とは、かならずしも報告書という体裁をとったものでなくともよい。日記、写真、地図、紀行文など、どのようなかたちでもよいわけであるが、知的に考察されたもので、人類の知識の蓄積にくわえられるべき質のたかさをもつものでなければならない」

以上のようなことが書かれています。

吉澤さんはあれだけ、手帳にびっしりときちんとした字で日記を書かれていて、梅棹忠夫さんのおっしゃる探検の報告になるのではないかと僕は思いました。

実は僕がチベットに行った際には、僕はほとんどと言って良いほど、記録が出来ませんでした。

本来なら報告書作成のために、探検する現場に自分で赴き、記録を書かなければいけなかったのですが、僕はそれが出来ませんでした。

僕は吉澤さんの当時の手帳は探検の報告になっているような気がしたので、日記に興味がありますとメールに書きました。

来年、探検部の同世代で会うことがありましたら、僕も出来る限り参加させていただきたいと思っています。

なんとか都合をつけて参加させていただきたいと思っています

どうぞよろしくお願いいたします

上原 和明

上原さん

一昨日のメールありがとうございます。梅棹忠夫さんの言う探検の報告にあたるのではないかと貴兄に言っていただき、何とも面映ゆい思いがして恐縮してしまいました。10代の学生が素直かつ率直に記録はしていますが、知的な考察とはかけ離れていて、お恥ずかしい限りです。

あの部室も時代もよかったですし、モモも美味しかったですし、中島さんも当時から変わっていませんでしたね(小生も周りからよくそう言われます)。探検部出身者は持ち前の好奇心によるものか、気持ちが若いのだろうと思います。

このあいだのOB会がきっかけとなって、来年また僕らの世代で集まると思いますので、その際はお声がけします。明日あたりから本来のこの季節らしい寒さになるようですので、お互いに気を付けましょう。では、また。

吉澤さん

吉澤さんのチベットカイラス行の日記が探検の報告になるかについては、僕は探検の報告になると思います。

知的に考察されているかは、僕は日記を読んでいないので何とも言えませんが、

吉澤さんの書かれる文章は知的に考察された文章だと僕は思います。

僕の体調を慮っていただきありがとうございます。

これから寒さも厳しくなるかもしれません。

吉澤さんもお体に気をつけてお過ごしください。

来年の同世代の集まりの際にもお声かけいただければ、

なんとか参加させていただきたいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

上原 和明

以上のようなメールのやり取りをしました。

早稲田大学探検部について回る問題に探検をして、報告を残すというものがあります。僕は探検をして記録をすることが報告書の基本だと思っていますが、日記も報告になると思っています。

僕はチベットに行った際にはポジフフィルムで写真を撮って記録(報告 スライド)を残したつもりでしたが、スライドはどこかに紛失してしまったようです。残念に思っています。

僕は早稲田大学探検部時代に文章による記録はほとんど書けなかったので、その後も活字メディァには進まずに、映像関係のメディアに大学卒業後進みました。

早稲田大学探検部の現役時代に、探検をして、文章として記録を出来るかどうかは大学卒業後の人生でも大きな岐路になるような気がしています。

以上、「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合で拝見した日記」

ブログに載せます。


2024年12月8日日曜日

「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合でお話ししたカイラスについての話」

 「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合でお話ししたカイラスについての話」

   先日、高田馬場のインド・ネパール・チベット料理屋さんで早稲田大学探検部30OBの中島さんと早稲田大学探検部32OBの吉澤さんと会合をしました。

  会合ではもっぱらチベットの話を2時間以上していました。

  全てのお話をブログに書くのは大変なので、カイラスについてのお話をブログに書きたいと思います。

  中島さんと吉澤さん、僕(上原)が行ったことのあるチベット、カイラスについては、中島さんが、カイラスについては、ヤルツァンポ川沿いを護岸したので(僕らがチベットに行った頃はヤルツァンポ川沿いの道が、ヤルツァンポ川が氾濫していて通れなくて大きく北に迂回にしてカイラスに行きました)ヤルツァンポ川沿いの道を車で通って、現在では簡単にカイラスに行けるようになっていると仰っていました。また、カイラス巡礼の出発地点、タルチェン(大金)にはホテルも出来ていると仰っていました。

  僕はそのお話を聞いて、

 「それでは、カイラスは観光地になっているのですか?」

  と中島さんに尋ねると、中島さんは、

 「今でも巡礼地になっている」

  と仰っていました。

   カイラスについては、日本のお寺の地図記号にもなっている卍(まんじ)もカイラスが由来らしいと中島さんが仰っていたので、僕は「カイラス 卍」というキーワードでグーグルでネット検索してみました。

  すると、カイラスと卍についてのグーグルでのSearch Labs | AI による概要では

  お寺の地図記号は「卍(まんじ)」です。寺院で見られる「卍」をそのまま使用しており、国土地理院のホームページによると、有名な寺や目標になる寺を表す記号として使用されます。

   「卍」は、古代インドで用いられたサンスクリット語(梵語)に由来し、幸福を意味します。ヒンドゥー教や仏教では吉祥の印として用いられ、インドではビシュヌ神(ヒンドゥー教三神の一)の胸にある旋毛とされ、瑞兆の相といわれています。

  以上のような記述がありました。

   その他にもカイラスと卍(まんじ)について書かれたブログが見つかり、そのブログを読んでみました。ブログなので信用できるのか分かりませんが、興味深い記述があったので、何故、カイラスが卍の由来になっているかについてブログを引用して書いてみたいと思います。

  卍は本来、仏教のものではなかった。元々は、在る土地の地形に基づいた「吉祥」を意味するデザインである。何処に在る土地か? それは「シャンバラ」の土地にある。卍の文字の中心の二つの線が重なった部分が、チベットに在る聖山「カイラス山」の在る地点となる。そこが、古来から「天地を繋ぐ中心」とされてきた。それは今でも変わらない。これからも変わらない。カイラス山の形、四つの河の源流、そして、その相互の波動が不思議な力を感じさせるからだ。

 カイラス山を中心にして、四方に四つの河が、外向きに流れている。カイラス山の辺りが源流となっているのだ。四つの河とは、それぞれ、ブラマプトラ、サトレジ、ガンジス(ガンガー)、インダスである。全てはアジアを代表する大河である。卍は地図がそのまま文字になった好例、しかも、象形文字としてもかなり古い。

 という記述が、

https://shambhalacafe.blogspot.com/2006/12/blog-post_03.html

 というブログに載っていました。

 カイラスから、四つの河(ブラマプトラ、サトレジ、ガンジス(ガンガー)、インダス)、が外向きに四方に流れていることを表すのが卍(まんじ)のようです。

  僕の家にある「チベットの山 カイラス山とインド大河の源流を探る」 という本にも、カイラス山が卍(まんじ)の山、という記述があります。

  卍(まんじ)もカイラスが由来だとすると僕も本当にすごい場所に学生時代に行っていたのだと思いました。

  先日の先日、高田馬場のインド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合ではとても貴重なお話をお伺いできたので、ブログに書いても良いものか迷いましたが、カイラスについてのお話をブログに載せさせていただきます。

  以上、「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合でお話ししたカイラスについての話」

  ブログに載せます。

 

2024年12月3日火曜日

「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合後のメールのやり取り」

 「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合後のメールのやり取り」

  1130日土曜日の高田馬場チベット料理屋さんでの会合の後に会合に参加された中島さんと吉澤さんとメールでやり取りをしました。

  以下のようなメールのやり取りをしました。

 中島さん、吉澤さん

 今日は楽しい時間を過ごさせていただいてありがとうございました。

中島さんと吉澤さんのカイラス行のお話も伺えて、

カイラスでのお写真も見せていただきありがとうございました。

中島さんも吉澤さんもドルマ峠が最高標高点と伺い、私と同じだと思い親近感が湧きました。

私も懐かしい記憶が蘇りました。

拙い後輩で申し訳ありませんが、今後も何卒よろしくお願いいたします。

 上原 和明 拝

 上原様

 今、吉澤君と別れたところです。

本日はありがとうございました。

上原君の変わらぬお姿とチベット話で盛り上がれ

とてもハッピーな時を過ごせました。

それにしても2時間少々あっという間まだ話し足りない気がしています。

近々集まる機会があると思うので話の続きをその時にできればと期待しています。

 中島木祖也

 上原さん

 こちらこそありがとうございました。貴兄が呼びかけてくれたおかげで、とても貴重な会合を持つことができました。そうでもないと当時の手帳を掘り出すこともなかったですし、中島さんと貴兄の記憶力にも驚かされました。あの時代しかできないことをよくぞやれたと思います。親にも先輩にも社会にも感謝します。

 それでは、また。おやすみなさい。

 吉澤

 中島さん、吉澤さん

 昨日は本当にありがとうございました。

中島さん、近々集まる機会があるのでしたら、是非、お声かけください。

何かお力になれることがありましたら協力させていただきます。

チベット話の続きにも参加させていただきたいです。

吉澤さんの当時の手帳にも興味があります。

 上原 和明

 以上のようなメールのやり取りをしました。

 次回の早稲田大学探検部の同世代の集まりが来年のようなので、僕もなんとか体調を崩さないように気をつけて、早稲田大学探検部の同世代の集まりに参加出来るようにしたいと思っています。

  以上、「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合後のメールのやり取り」

  ブログに載せます。

 

2024年12月2日月曜日

「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合」

 「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合」

  先週の土曜日に、早稲田大学探検部30OBの中島木祖也さんと、早稲田大学探検部32OBの吉澤基勝さんと僕の3人で、高田馬場のインド・ネパール・チベット料理屋さんで会合をしました。

  5時前に、お店の近くを歩いていると、吉澤さんに

 「上原」

  と声をかけられ、吉澤さんと一緒に、お店を探して、僕が少し迷ってしまいましたが、何とかお店のある雑居ビルを見つけました。

  すると、中島さんもお店のある雑居ビルの前にいらしていて、3人でエレベーターに乗ました。僕はお店は4Fだと思っていて、4Fまで行ってしましたが、4Fにはお店はなく、吉澤さんが3Fではないだろうかと仰り、3人で階段を降りて、3Fのお店に到着しました。

  お店は3人以外にはお客さんはいなくて、中島さんをが上座に座られ、吉澤さんと僕が下座に座りました。

  僕は会社勤めはしていなくて、お店のご案内も席の座り方も知らない人間で、ここら辺から、僕はこの会合に参加して良い人間だったのだろうかと不安になり始めました。

  中島さんがメニューを見て、注文を始められたので、僕は「エベレスト」という名前のビールがあったと思い、メニューを見ましたが、「エベレスト」という名前のビールはなくて、店員さんに

  「エベレストいう名前のビールありませんでしたっけ」

  と聞いてしまいました。

  この辺りでも、僕の不手際を感じ始めていました。

  中島さんが、メニューを見て料理を注文され、ビールを注文して会は始まりました。

  会合では主に、チベットに関するお話を2時間以上ずっとしていました。

 僕も持参した、カイラスの写真集、1988年夏チベット探査計画書、報告書、当時の学生手帳などを先輩方にお見せしました。

  会はあっという間に2時間以上経ってしまって、午後7時になり、吉澤さんが僕に気を遣っていただいて、時計を見せてくださり、午後7時から少し時間が経ったときに、中島さんが、店員さんにお会計お願いしますとおっしゃり、中島さんが会の会計を持たれて、会は終了しました。

  僕の両親が高齢で、両親とも要介護1なので、帰宅が遅くなると、両親に悪いので、僕が午後7時くらいに帰れる会なら参加出来ますとメールに書いていたので、先輩方が気を遣って僕を帰してくださったのだと思います。

  会では懐かしいお話が出来て本当に楽しかったです。

  本当にありがたい場を設けていただき、ありがとうございましたという気持ちです。

  先週の土曜日に高田馬場のインド・ネパール・チベット料理屋さんで中島さんと吉澤さんと僕の3人で会合をしたので、ブログを書かせていただきました。

  以上、「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合」

  ブログに載せます。

 

 

2024年11月30日土曜日

「チベットに行った1988年のラグビー大学選手権」

 「チベットに行った1988年のラグビー大学選手権」

   僕がチベットに行った、1988年の日記には、1988110日の第24回ラグビー日本選手権をその後チベットに一緒に行くことになった早稲田大学探検部で同期の倉島孝行さんと観戦しに行ったことが書かれています。

  僕が早稲田大学に入学した1987年にはスーパー1年生と言われた堀越正巳選手、今泉清選手、藤掛三男選手が早稲田大学ラグビー部に入部され、1988110日のラグビー大学日本選手権で同志社大学と対戦して、1910で勝利を収め、優勝されました。

   その後、115日に行われたラグビー日本選手権でも社会人の東芝府中を2216で破り、なんと大学生が社会人を倒して、日本一になりました。社会人のチームに大学生が勝ったのは1988年の早稲田大学ラグビー部が最後のようです。

  1988年の日記には、110日の第24回ラグビー日本選手権を観戦して、かなり興奮して、日記が書かれていました。日記は創造というタイトルで、

 「人間が何かを創造するためには楽しいだけではできないと思う。

   何かを成し遂げようと思ったときからその人の苦しみは始まるのかも知れない。なぜなら成功することは、失敗の山の上にあるからであり、挫折の末にあるからである。」

 という文章が書かれていました。早稲田大学ラグビー部のストイックな姿勢に感動して、書かれた文章だと思います。

  僕が1988年にチベットに行ってもなんとか頑張れて、カイラスまで到達出来たのは、早稲田大学ラグビー部のストイックな姿勢に多くのことを学んで、なんとか頑張れたのだと思っています。

  僕が早稲田大学で良かったと思うのは、早稲田大学がスポーツが強くて、多くの勇気、元気をもらえたことも早稲田大学で良かったと思っています。

  明日はラグビーの早明戦があり、100回目の記念の早明戦になるようです。

  早稲田大学に関係している方々は、多くの勇気、元気をもらえると思っています。

  良い影響は自分にとっての養分になると思います。

  僕がチベットに行った1988年に一緒にチベットに行った倉島孝行さんとラグビー大学選手権を観戦していて、とても感動して日記を書いていたことをブログに書いておきます。

  以上、「チベットに行った1988年のラグビー大学選手権」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

2024年11月29日金曜日

「中国のアウトドア用品メーカーとしてのカイラス」

 「中国のアウトドア用品メーカーとしてのカイラス」

  僕は早稲田大学探検部2年生の時に中国のチベット自治区にある、チベットの聖山、カイラスに行き、カイラス巡礼をしました。

 そのカイラスの名前を冠した中国のアウトドア用品のメーカーがあることを何年か前に知りました。

 ネットで、「アウトドア用品メーカー、カイラス」と検索してみると、カイラスジャパンというサイトが見つかりました。

 カイラスジャパンのサイトを見てみると、カイラスというブランドは2003年にBaggio Zhong氏が創立されたアウトドア用品のブランドだそうで、中国国内での売り上げが90%を占めているそうです。

 日本ではカイラスジャパンという名前で楽天市場などでオンラインショップを運営しているようです。

 https://www.rakuten.co.jp/kailas/

 僕は、早稲田大学卒業後は仕事ばかりの人生になってしまって、アウトドアの活動も登山も川下りも全くしていません。

 今からでも遅くないので、学生時代を思い出して、僕にでも出来るようなアウトドアの活動をしてみようかとも思っています。

 カイラスジャパンという名前で楽天市場などのオンラインショップがあり、カイラスという名前のブランドでアウトドア用品を購入できるのなら、一度、カイラスジャパンというオンラインショップでアウトドア用品を購入して、学生時代を思い出して、アウトドアの活動を始めてみても良いとも思っています。

 アウトドアの活動を始める良いきっかけになる、カイラスという名前を冠したアウトドア用品のブランドの発見があったので、早稲田大学卒業後、全くアウトドアの活動をしていない自分を叱咤激励する意味でも、中国のアウトドア用品メーカーとしてのカイラスのことについてブログを書いてみました。

 1130日土曜日の高田馬場チベット料理屋さんでの中島さんと吉澤さんとの会合でもカイラスという名前を冠したアウトドア用品のブランドがあることのお話もしてみようと思っています。

 以上、「中国のアウトドア用品メーカーとしてのカイラス」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

2024年11月28日木曜日

「カイラスと日本人」

 「カイラスと日本人」

  僕は早稲田大学探検部2年生の時にチベットの聖山、カイラスに行きました。

  カイラスと日本人の歴史を調べてみると、日本人で初めてカイラスに行かれのは僧の河口慧海さんのようです。河口慧海さんは1900年に日本人として初めてカイラスに行かれたようです。

 


  カイラスを日本人として初めて写真撮影されたのは長谷川伝次郎さんのようです。長谷川伝次郎さんは1927年にカイラスを巡礼されて日本人として初めてカイラスを写真撮影されているようです。

 


   河口慧海さんも長谷川伝次郎さんも、滋賀県にある探検の殿堂が選んだ日本の探検家になっています。

   日本人の探検とカイラスがとても関係が深いことが分かります。

   僕らがカイラスに行った1988年では、カイラスに行っても探検と認めてもらえるか分かりませんが、僕にとっては探検でした。

   カイラスと日本人について簡潔ですがブログを書いてみました。

   1130日土曜日の高田馬場チベット料理屋での中島さんと吉澤さんとの会合ではカイラスと日本人についてもお話が出来れば良いなと思っています。

  以上、「カイラスと日本人」

  ブログに載せます。