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2022年2月1日火曜日

「茗台中学時代の同級生、松尾省吾と木村一相とは神保町で開花丼を食べ、早稲田でつけ麺を食べた」

 「茗台中学時代の同級生、松尾省吾と木村一相とは神保町で開花丼を食べ、早稲田でつけ麺を食べた」

  僕は、中学校は自分の住んでいる学区内の茗台中学校という中学校に通っていました。

  僕は、茗台中学校時代はバスケットボール部に所属していました。

  僕と同じバスケットボール部に所属していた仲間に文京区の礫川小学校出身の松尾省吾という人間と木村一相という人間がいました。

  松尾省吾は茗台中学から僕と同じ小石川高校に進みました。木村一相は茗台中学から戸山高校に進みました。

  僕は松尾省吾と木村一相と一緒に神田神保町で開花丼を食べ、早稲田でつけ麺を食べたことがあります。

  僕も何の偶然か、早稲田大学に進みました。

  僕は何か中学時代の友達に自分の進路を決められていたような気がしています。

  早稲田でつけ麺を食べたから僕も早稲田大学に進んだような気がしています。

  僕が茗台中学時代の同級生、松尾省吾と木村一相とは神保町で開花丼を食べ、早稲田でつけ麺を食べたことがあることをブログに書いておきます。

  以上、「茗台中学時代の同級生、松尾省吾と木村一相とは神保町で開花丼を食べ、早稲田でつけ麺を食べた」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月4日火曜日

「14歳の頃に書いていた作文、とんかつ」

 「14歳の頃に書いていた作文、とんかつ」

  今日、部屋の掃除をしていたら、僕が14歳の頃に書いていた作文が見つかりました。タイトルは「とんかつ」です。以下のような作文を僕は14歳の頃に書いていました。僕が茗台中学校2年生の時に書いていた作文です。

  25組 上原和明

 僕は、その日、夕方615分頃家に帰った。

「ただいま」、とんかつを揚げている母の後姿にむかって声をかけた。僕は制服を脱いで着替え、手を洗い、いすにすわった。すると、僕の目の前に、揚げたてのとんかつが、キャベツの上にどかっとのって出ていた。僕は無意識にどなってしまった「疲れて帰ってきて、こんなもの食えるか!」母は一瞬びっくりしたようだったが、「食べたくなければ食べなくていい」と語調強く言い返してきた。僕は「やばい」と心の中で思ったが、今になっては、謝るわけにもいかず、言いわけもしないで、黙って二階に上がってしまった。

 僕は、大の字になり、「バカやろう」などと独り言をいっているうちに、いつのまにか眠ってしまった。十二時頃、目が覚めたが、お腹がすいているのでそっと、下に降りていった。すると母が、さっきの出来事など忘れてしまったのか、僕の前にとんかつを出してくれた。僕はぐうぐうなるお腹をたたきながら、すぐにたいらげてしまった。心の中では、「ありがとう」と母に感謝したが、口に出して「ありがとう」とは、言えなかった。ただ無言で食べた。母もひとことも言わなかった。

 よく考えてみると、僕は、その前日、なかなか眠れず、朝も早かったので、3時間くらいしか、睡眠をとっていなかった。それに重ねて、部活がとても厳しかったので、疲れて、気分がむかむかしていた。それで、母にやつあたりをしていたのであった。

  僕は、その夜、自分の行動を恥じ、悲しくなった。十四歳にもなって、自分の気持ちを押さえられないのが悔しく思った。そしてまた、我儘な僕を黙って見つめてくれた母親をありがたいと思った。

  以上が僕が14歳の頃に書いていた「とんかつ」という作文です。

  僕の内面の心の動きも書いていて、今読み返してみると面白いと思いました。

  今日、部屋の掃除をしていたら、僕が14歳の頃に書いていていた作文、「とんかつ」が見つかったので、ブログに載せます。

  以上、「14歳の頃に書いていた作文、とんかつ」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月5日日曜日

「茗台中学時代のバスケットボール部の同期生のこと」

 「茗台中学時代のバスケットボール部の同期生のこと」

   僕は、中学校は文京区の文京区立茗台中学校という中学校に通っていました。

   僕は、中学時代はバスケットボール部に所属していました。

   中学時代のバスケットボール部の同期生に、茗台中学校から都立青山高校に進み、大学は信州大学に行った山口貴士君という人がいます。

  僕は都立小石川高校から早稲田大学に進み、早稲田大学では探検部で登山とかもしていたので、長野県松本市にある信州大学に遊びに行ったことがあります。

  中学校のバスケットボール部の同期生は、信州大学から三菱製紙に就職して、紙を作る仕事に就いたようです。

  実は、僕の母は、江戸川橋にあるラーメン屋さんをやめてから湯島にあった三菱製紙の研修の寮の清掃の仕事をしていて、三菱製紙の研修の寮での清掃の話を家でしていましが、その際に、僕の中学時代の同期生で三菱製紙に就職された山口貴士君の話を盛んにしていました。

三菱製紙に就職された方が研修のために来ることはないのかなと言って、盛んに話をしていました。

三菱製紙に就職された方とは、東京外語大学の文化祭を一緒に見に行ったこともありました。

もう何十年も会っていませんが、中学校時代の同期生のことを思い出したのでブログを書いておきます。

以上、「中学時代のバスケットボール部の同期生のこと」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年7月20日月曜日

「中学2年生の頃は学年で2番の成績だったようだ」


「中学2年生の頃は学年で2番の成績だったようだ」

 先日、家の畳の入れ替えをして、部屋を掃除した際に、僕の中学2年生の頃の、学力テストの成績が出てきました。

 国語、数学、英語、社会、理科の5科目の総合学力テストの成績では、僕は学年で2番だったようです。

 僕の通っていた茗台中学校とは越境入学をしてくる生徒もいた中学校で、勉強は出来る中学校だったようですが、その中学校で、学年で、2番の成績とは僕も中学生の頃は、勉強が出来たのだと思います。

 母にその成績表の話をしたら、「おまえもきちんと働いていれば良かったのに」と言っていました。

 「学校では成績が良かったんだから、きちんと働いていれば良かったのに」と言っていました。

 「大学卒業後に、マスコミ関係の会社でアルバイトをしたのが悪かったんだ」とも言っていました。

 「もう遅いけどね」とも言っていました。

 僕も母の言葉を聞いて、僕も学校を卒業してからきちんと就職をしていれば良かったと思いました。

 先日、家の畳の入れ替えをして部屋の掃除をした際に、僕の中学時代の学力テストの成績表が出てきて、中学2年生の時は学年で2番の成績だったので、僕も中学校の頃は勉強が出来たんだと思ったのでブログを書いておきます。

 以上、「中学2年生の頃は学年で2番の成績だったようだ」

 ブログに載せます。



 

 



 

2020年6月20日土曜日

「中学1年生の頃に書いていた作文、性教育について」

「中学1年生の頃に書いていた作文、性教育について」

 先日、畳の入れ替えで部屋を掃除していたら、僕が中学生の頃に書いていた作文が見つかりました。

 中学1年生の時に書いた作文ですが、日本の性教育についての作文でした。

 読んでみたらおもしろいことが書かれているのでブログに載せたいと思います。

 以下のような作文です。

 ぼくは現代の日本の性教育はあまりにもおかしすぎると思う。それは、普通、中学生くらいになると、女に興味をもちはじめる。しかしそれをみんなは、いやらしいという。今まで知らないことに興味を持ってもそれはおかしいということとは思われない。
 そしてそういう興味をたくさん持ちすぎると、やはりそういう女の裸ののっている本などを買ってしまうものも少なくない。これを親や大人たちはしかる。こどもがわからないことをわかろうとしてもいいと思う。こどもがわからないなら大人が性について教育していれば、そういう非行に走らないと思う。だから、小学5年生ぐらいのときから、週に一回ぐらいでいいから、性の時間というのも取り入れてもいいと思う。中学生になっても、赤ちゃんは、なぜ生まれるかなどの一般常識ぐらいは教えておいてもいいのではないか?アメリカでは、小さいころから性教育をしているということを聞いたことがある。日本ではちゃんとそういうことを教えておかないから、中学生の母や、高校生の母などというものが増えているのではないかと思う。また、日本のいろいろなことについての規則もちょっと厳しすぎると思う。第一にカットするところである。まああまり強烈なものだったらしょうがないが、芸術的なものまで、だめだということがある。例えば、このあいだ新聞に書いてあったが、アメリカからアメリカの歴史かなんかの写真がきたそうである。しかし税関では、それをわいせつあつかいにして、すぐに、アメリカに返したそうである。そのときアメリカ人たちは、日本人は、芸術とわいせつの区別もつかないのかとひどく激怒したそうである。またスウェーデンなどのポルノ映画館に行くといるのはほとんど、黒人かアジア人だということを聞いたことがある。それからこのあいだ、カリギュラツアーというのがあったがそれは、カリギュラという映画をノーカットで見せるためである。そんなものを見るために金を出してロサンゼルスに行ったそうである。それから、ちょっと話が変わるが、最近、東南アジア方面の買春ツアーというものがあるが、このために東南アジアの方では、日本人に対する考えがそうとう変な方向に行っているという。このようなことからあまりに規則が厳しすぎるために、日本人が外国に行って恥をさらしているようなものである。日本人がそういう変態な人間だと思われてもいいのだろうか?こういうことからちゃんと小さい頃から性教育をして大人になってもきちんとした人間になるようにした方がよいのではないかとぼくは思う。

 以上が、僕が中学1年生の時に書いていた作文です。

 中学一年生の時の作文のようですが、日本の性教育のことについて作文を書いていたようです。

 中学生の時ですから、性に関心を持つことは普通のことだと思うし、それを作文に書いていた僕も普通だったと思います。

 文章は中学生らしい稚拙な文章ですが、書いてあることはおもしろいことを書いていると僕は思いました。

 先日、畳の入れ替えで部屋を掃除していたら、僕が中学1年生の時に書いていた作文が見つかったのでブログに載せておきます。

 以上、「中学1年生の頃に書いていた作文、性教育について」

 ブログに載せます。

 


 

 

 




2020年6月10日水曜日

「中学校の頃は、心と体の健康に努力したと表彰されていたようだ」

「中学校の頃は、心と体の健康に努力したと表彰されていたようだ」

 昨日、部屋の掃除をしていました。

 本棚に筒があり、中を見てみると表彰状が入っていました。

 表彰状は、僕が中学校の頃、心と体の健康に努力した生徒として何かの審査会に表彰された表彰状でした。

 僕は中学校の頃は心と体の健康に努力した生徒として表彰されていたようです。

 僕は30歳の頃に心の病気(統合失調症)と診断されていて、精神障害2級の精神障害者になっていますが、中学校の頃は、心と体の健康に努力した生徒として何らかの審査会に表彰されていたようです。

 僕が心の病気になること自体がおかしなことで、何か大きな精神的なストレスがかかり、僕は心の病気になってしまったようです。

 親にも、中学校の頃の表彰状を見せましたが、驚いていました。

 今の僕からは考えられないような表彰状だと思ったようです。

 僕が心を病むような人間ではなかったことが分かり、僕を心の病気にした何かに対してものすごい憎悪の感情を持ちました。

 僕の人生が帰ってくるわけでもないし、僕の人生が変わるわけでもありません。

 ただ、僕は心の病気になった現実を淡々と受け入れて、人生の終着点まで生きていくしかありません。

 僕を心の病気にした何かを憎んでも憎んでも、僕を心の病気にした何かが倒れるわけでもないし、無くなるわけでもないし、淡々と心の病気になった現実を受け入れていくしかありません。

 とても辛い現実ですが仕方ありません。

 昨日、部屋の掃除をしていたら、僕が中学校の頃に、心と体の健康に努力した生徒として表彰された表彰状が見つかったので、表彰状を見て僕の思ったことをブログに書いておきます。

 以上、「中学校の頃は、心と体の健康に努力したと表彰されていたようだ」

 ブログに載せます。

 


 

 

 

 

 

 
 

 



 

2019年5月30日木曜日

「先輩がいなかった、中学時代のバスケ部、大学時代のゼミ」

「先輩がいなかった、中学時代のバスケ部、大学時代のゼミ」

 僕が中学校の頃に所属していたバスケットボール部には先輩がいなくて、僕らがバスケットボール部の一期生でした。

 先輩、上級生がいなくても、自分たちで練習方法を考えて、独創的なバスケットボール部を作れたと思っています。

 早稲田大学時代のゼミにも先輩、上級生がいませんでした。

 僕らがゼミの一期生で、良いゼミを作りました。

 僕は先輩、上級生がいない環境の方が、自分の力を発揮できるタイプの人間だと思っています。

 理不尽な上下関係とかに晒されずに、自分の能力を最大限に発揮できるのが、先輩、上級生がいない環境だったと思っています。

 僕が中学時代のバスケ部と、大学時代のゼミに先輩がいなくて、先輩、上級生がいない方が、僕が力を発揮できるタイプの人間になったことをブログに書いておきます。

 以上、「先輩がいなかった、中学時代のバスケ部、大学時代のゼミ」

ブログに載せます。



 

 

 

 

2019年5月17日金曜日

「出身中学校のバスケットボール部が良い成績を上げたようだ」

「出身中学校のバスケットボール部が良い成績を上げたようだ」

 先日、僕の出身中学校の前を通りました。

 僕の出身中学校には、バスケットボール部の成績が掲げられていて、女バスは区大会で優勝、男バスは区大会で3位とその成績が掲げられていました。

 昨日は、親にその話をしました。

 僕の母は、茗台中学校は優秀な中学校だと言っていました。

 以前、文京さくらまつりの際も、茗台中学校のブラスバンド部が音楽の演奏をしていたそうです。

スポーツに文化活動に僕の出身中学校は頑張っているようです。

先日、僕の出身中学校の前を通ったら、バスケットボール部の成績が掲げられて、良い成績を上げたようなのでブログを書いておきます。

以上、「出身中学校のバスケットボール部が良い成績を上げたようだ」

ブログに載せます。

  

 


 

2018年12月9日日曜日

「中学生の方が、大人より頭が良いような気がする」

「中学生の方が、大人より頭が良いような気がする」

 僕は中学生の頃、松尾芭蕉を学びました。

 僕が中学生の頃に松尾芭蕉を学ばなければ、僕も、

 「震災本を 集めて早し 神田川」

と詠めなかったと思います。

 世には多くの学問があり、多くの学問を学んで本を書かれている方々がいますが、あまりにも専門的になり過ぎて、本を読んでも本の内容を理解できないこともあるかと思います。

 本を書かれた方々からすると、頭が悪いから本を読んでも内容が理解できないのだと言われることもあるとか思いますが、僕はどうも、難しい本を書いている大人たちより、松尾芭蕉とかを勉強している中学生の方が、頭が良いような気がして仕方がありません。

 普通の人が読んでも理解できないような難しい本を書かれている方々より、松尾芭蕉を学んでいる中学生の方が、頭が良いような気がして仕方ありません。

 日本の教育とは、年齢と共に、難しいことを勉強させていく教育で良くない教育だと思っています。

 僕も大学まで行っていますから、僕も難しいことを少しは理解できますが、難しいことを理解するために、本を多く読み、視力が悪くなり、眼鏡をかけるようになったし、良いこともあまりありません。

 僕は中学生の頃は眼鏡をかけていなかったし、健康な人間でした。

 何か、難しいことを多く勉強している大人たちより、松尾芭蕉とかを勉強している中学生の方が、頭が良いような気がして仕方ありません。

 難しい勉強をしている大人たちより、松尾芭蕉とかを勉強している中学生の方が頭が良いような気がして仕方ないのでブログを書いてみました。

 以上、「中学生の方が、大人より頭が良いような気がする」

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2018年3月15日木曜日

「地理とか歴史が好きだった中学、高校時代」

「地理とか歴史が好きだった中学、高校時代」

 僕は大学では法学部でした。

 大学では法律のことも勉強しました。

 しかしながら、僕は、中学、高校の頃は、社会科の科目が好きな人間でした。

 地理とか歴史とかが好きな人間でした。

 地理では、地図帳を見ているのが好きで、世界の国々とか、各国の首都とかを覚えるのが得意でした。

 歴史も世界史が好きで、世界の各地域の歴史を学ぶのが好きでした。

 世界は広く、様々な文化があり、世界各地で様々な文化作品も生まれていたことも分かりました。

 大学に進むと、専門科目を学び、社会に出て役に立つようなことばかりを勉強するようになるのだと思いますが、中学、高校の頃を思い出して、地理とか歴史の本を読むのも良いとも思っています。

 大学が法学部だったからといって、法律関係のことばかりを考えていると、視野も狭くなると思います。

 中学、高校の頃を思い出して、地理とか歴史の本を読んでみるのも良いと思っています。

 以上、「地理とか歴史が好きだった中学、高校時代」

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2018年2月15日木曜日

「小学校、中学校の頃の活動範囲にいれば病気にならないような気がする」

「小学校、中学校の頃の活動範囲にいれば病気にならないような気がする」
 
 僕は高校時代に胃潰瘍になりました。

 早稲田大学の近所の住んでいる頃には統合失調症に罹りました。

 おそらく、高校時代、大学時代が、僕にとって大きなストレスのかかる環境だったのだと思います。

 小学校の頃とか中学校の頃は、ほとんど大きな病気になることもありませんでした。

 僕が考えるに、僕が小学校時代、中学校時代に活動していたあたりを僕の活動範囲にしていれば、僕は病気にならないような気もしています。

 胃潰瘍も、統合失調症もストレスから、病気になるようです。

 高校時代や、大学時代のようなストレスのかかる環境に身を置かずに、僕が小学校時代、中学校時代に活動した環境を僕の活動範囲にすれば、僕も病気にならないような気もしています。

 以上、「小学校、中学校の頃の活動範囲にいれば病気にならないような気がする」

ブログに載せます。



2018年1月17日水曜日

「中学校の頃の生徒会長の任期は半年だったが。」

「中学校の頃の生徒会長の任期は半年だったが。」

僕は中学校の頃、生徒会長を務めました。

 中学校の頃の生徒会長の任期は半年でした。

 中学生ですから、生徒会長を務めても特別手当とかもらえなかったし、そんな役を半年務めました。

 クラスでの推薦で、生徒会長に立候補することになり、選挙で生徒会長に選出されました。

 自分から立候補していれば、生徒会長の任期も充実したものだったと思いますが、推薦で立候補したので、やらされ感もあった生徒会長でした。

 生徒会長とは、学校の模範になるような活動をしなくてはなりませんでした。

 半年間、我慢して生徒会長を務めましたが、学校での模範になるような活動を半年間、実行するのは大変でした。

 僕は東日本大震災以来、東日本大震災のことを中心にツイートして、2014年からは「震災本」を紹介して、

 「震災本を 集めて早し 神田川」

 と詠み続けています。

 昔、生徒会長を務めた頃のことを思い出して、責任感を感じて、Twitterを運営しています。

 今年で、「震災本を 集めて早し 神田川」

4年になります。

中学校の頃のように、生徒会長の任期が半年なら、僕もこれだけ苦労することもなかったと思います。

 中学校の頃の生徒会長の任期が半年だったので、中学生だったら、僕も、

 「震災本を 集めて早し 神田川」

4年も詠まなくて良かったのだと思いブログを書いてみました。

以上、「中学校の頃の生徒会長の任期は半年だったが。」

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2017年11月7日火曜日

「これからは中学、高校時代の友達と付き合っていく」

「これからは中学、高校時代の友達と付き合っていく」

 僕の早稲田大学時代の知り合いは、さすが早稲田だけあって、プライドも高く、能力の高い方々が多いようです。

 早稲田大学時代の知り合いと付き合っていると、僕が、様々な病気になってしまうような方々のようです。

 もう早稲田大学時代の知り合いとは、ネット以外では交流は持たないようにしていこうと思っています。

 これからは、中学時代、高校時代の知り合いと接することになると思います。

 早稲田大学時代の知り合いと接すると、また、病気になったりすると思うので、なるべく交流を持たないようにしていこうと思っています。

 以上、「これからは中学、高校時代の友達と付き合っていく」

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「中学、高校の頃の部活でバスケットボールをしていた頃が懐かしい」

「中学、高校の頃の部活でバスケットボールをしていた頃が懐かしい」

 僕は、中学、高校の頃に、部活でバスケットボールをしていました。

 高校のバスケ部は少し厳しかったですが、中学、高校時代は、バスケットボールをしてスポーツをしていました。

 体を動かしていていたので、柔軟体操とかもしていました。

 前屈、屈伸などの、基本的な柔軟体操から、ストレッチ体操までしていました。

 柔軟体操をしていたので、体も今より全然、体が柔らかったし、健康な状態を維持できていたような気もします。

 毎日のように、放課後にバスケットボールをしていて、良いストレス解消になっていたと思います。

 社会に出てからは、仕事の後にスポーツをすることとかもほとんどなくなり、本当に不健康になっていったと思います。

 統合失調症になってから、本郷の森、銀杏企画に入所して、バレーボールがあり、体育館でバレーボールの練習をしていたときに、中学、高校時代にバスケットボールをしていた頃を思い出しました。

 中学、高校の頃は、健康な生活を送っていたような気がします。

 適度なスポーツは、健康に良いと思います。

 頭もスッキリするし、勉強をしても、能率が上がると思います。

 中学、高校の頃のように、適度なスポーツをする時間があれば良いのだがと思っています。

 以上、「中学、高校の頃の部活でバスケットボールをしていた頃が懐かしい」

ブログに載せます。







2017年9月10日日曜日

「ブログのタイトルを諸行無常にしなくて良かった」

「ブログのタイトルを諸行無常にしなくて良かった」

 僕は中学時代に生徒会長を務め、「諸行無常の世の中のために」という文章を書いたことがあります。

 平家物語に影響されての文章でしたが、暗い文章だったと思っています。

 死ぬ前に、「諸行無常」との言葉を出すなら分かりますが、まだ、10代前半の人間が、「諸行無常」との言葉を使うことが、少しおかしかったと思っています。

 中学時代も暗いことを考えていた中学生だったのだと思います。

 このブログも一つ間違えば、「諸行無常」というタイトルになっていてもおかしくありませんでしたが、僕は、早稲田大学探検部の先輩がカラオケで歌っていた歌から、諦めない気持ちを表現するために、ブログのタイトルを、“Don’t give up”としました。

 ブログのタイトルも大事です。

 「諸行無常」も真理を表している言葉だと思いますが、ブログのタイトルが、「諸行無常」だと虚無的な気持ちになってしまうような気もしています。

 「諸行無常」だからこそ、どう生きていくかも自分で考えなければならないと思います。

 僕は、「諸行無常」という言葉も信じている言葉ですが、「諸行無常」から出発して、どう生きるかも考えなければならないと思っています。

 ブログのタイトルを、「諸行無常」にしなくて良かったことを書いてみました。

 以上、「ブログのタイトルを諸行無常にしなくて良かった」

ブログに載せます、








2017年6月1日木曜日

「神田川生活時代の中学校時代の友人の来訪」

「神田川生活時代の中学校時代の友人の来訪」

 僕が神田川生活(一人暮らし)をしていた頃に、僕の家に中学時代の友人、松尾省吾がアパートに遊びに来たことがありました。

 松尾省吾は、車で遊びに来て、サングラスをかけて遊びに行きました。

 松尾省吾は茗台中学時代は同じバスケットボール部で、一緒に練習をしたりした仲の人間でした。

 昔の友人は、僕の住んでいるアパートに入ると、その貧乏ぶりに、驚いたような表情をしていましたが、僕がお茶を出すと、お茶を飲んでいました。

 少し、話をして、友人は車で、帰ったと思います。

 中学時代の友人まで、僕の住んでいたアパートに来てくれるのは嬉しかったです。

 早稲田大学時代のことを引きずって、早稲田大学の近所にアパートを借りて住んでいましたが、今から思うと、極貧の生活だったようです。

 中学時代の友人、松尾省吾も、僕の極貧生活をおもしろがって、僕の住んでいたアパートを来訪したのだと思います。

 急に、神田川生活(一人暮らし)している時の中学時代の友人、松尾省吾の来訪を思い出したので、ブログを書いてみました。

 以上、「神田川生活時代の中学校時代の友人の来訪」

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2017年4月26日水曜日

「春先から夏にかけては本を読むのは辛い」

「春先から夏にかけては本を読むのは辛い」

 僕は、中学、高校時代、一学期の成績が悪かったです。

 何故、一学期の成績が悪かったというと、一学期が春先から夏にかけての学期だからです。

 春先から夏にかけては、体を動かしたくなりますが、本を読みたい気分にはなりません。

 特に難しい本は読む気になりません。

 陽気のせいか、難しい本を読む気が起きません。

 秋口から、冬にかけては、いくらでも難しい本も読めますが、春先から夏にかけては難しい本を読むのは辛い状態になります。

 僕の中学、高校の頃と同じように、現在でも、一学期に当たる時期は、難しい本を読むのが辛い時期です。

 プロ野球選手が、冬でもトレーニングしていることを考えると、僕も苦手な春先から夏にかけても難しい本を読まなければならないのかもしれませんが、どうもこの季節は、難しい本を読んでも内容が頭に入りません。

 秋口から冬にかけては、簡単に覚えられることも、春先から夏にかけては覚えられないこともあります。

 何とか、継続して難しい本を読んで、脳を鍛えたいと思っていますが、この時期に難しい本を読むことは辛いことです。

 学校時代の経験とは大人になっても出てくるもので、僕も大人になってからも、春先から夏にかけて、難しい本を読むのが辛いです。

 何とか難しい本を読まなくても良い、春夏を過ごせることを願っています。

以上、「春先から夏にかけては本を読むのは辛い」

ブログに載せます。



 





2017年4月1日土曜日

「中学校の頃の部活の思い出と僕の所属していたバスケットボール部」

「中学校の頃の部活の思い出と僕の所属していたバスケットボール部」

 僕は中学校でバスケットボール部に所属していました。

 僕が通っていた中学校はバレーボールが盛んな中学校でした。

 中学校で運動が出来る人間の多くの方々がバレーボール部に入部されていました。

 文京区の中でもバレーボールの強い中学校で、都大会まで進出していたと思います。

 僕の通っていた中学校ではバレーボール部が人気の部活でした。

 僕は中学校の頃はバスケットボール部でしたが、バスケットボール部は、区大会でベスト8に入れるかどうかの強くない部活でした。

 強くない部活でしたが、バスケットボール部に入部されてくる方は多くて、僕らの代は15人くらい部員がいたと思うし、僕の一つ下の代は、20人以上部員の方がいたと思います。。

 狭い校庭と、体育館でバスケットボール部の練習をしていましたが、ストリートバスケのような感じで、楽しく練習をしていました。

 強い部活動も良いと思いますが、部活動で人生が決まるわけではないので、無理をして強い部活動に入る必要はないと思います。

 情操教育も必要かと思われる中学時代に、ストリートバスケのような感じで、楽しくバスケットボールをすることも良いことだと思います。

 運動不足になりがちな、東京都内での生活で、空き地とかを活用してのスポーツは子供の遊びの延長で良いものだと思います。

 本格的にバスケットボールをしたい方はバスケットボールが強い学校に行かれて、バスケットボールをすれば良いと思います。

 中学校時代に、楽しくストリートバスケのように、バスケットボールを楽しみたい方々にとっては、僕らが所属していた中学校のバスケットボール部は良い部活だったと思います。

 特にバスケットボールの名門中学校でもないし、楽しんでバスケットボールをして、体と心を鍛えるには良いバスケットボール部だったと思います。

 文京区の大会で、負けると、少しでも強くなりたいと思い、練習量を増やしたり、顧問の先生だけに頼らずに、部員で練習法を考えたりしていました。

 中学校の頃から、一方的に先生の指示に従うだけでなく、自分たちで、創意工夫しながらバスケットボール部を運営していたので、自分たちで考える習慣が中学生の頃が身に付きます。

 しごきとかもなかったし、ストリートバスケのような感じで、楽しくバスケットボール部を運営していました。

 その後、僕は都立小石川高校に進み、やはりバスケットボール部に入部しましたが、高校のバスケットボール部は、管理教育のような部活で、とにかく規律が厳しく、高校の中ではバスケットボール部は宗教団体だとかと言われていました。

 人間教育としての、部活も悪くないと思いますが、生徒たちが自分たちで考えて部活動を作っていくとかいうのもおもしろいと思います。

 高校の頃のバスケットボール部では、バスケットボール部の雰囲気に合わずにバスケットボール部を退部していった部員も多くいました。

 僕も2年生の秋に退部しました。

 その後、僕がFacebookを開設したら、どこで探し出したのか分かりませんが、都立小石川高校のバスケットボール部の人間だった方から友達申請がありました。

 高校の時のバスケットボール部の部員だった人間が落語で真打になっている方がいるので、その方の落語会を見に行くために連絡をしたいようです。

 僕も、落語家になっている方の落語は、僕が一人暮らしをしていた頃に、落語会のお知らせをする封書が良く郵送されてきて足を運びました。

 同じ、宗教団体と言われていた、小石川高校バスケットボール部を中途退部した人間同士でシンパシーもあり、僕が一人暮らしをしていた頃も手紙のやり取りをしていたのだと思います。

 中学・高校含めて、部活動は楽しい方が良いと思うし、辛い思い出ばかりある部活動に入部すると、その後の部活動で汗を流した人間同士の交流もなくなると思います。

 高校時代のバスケットボール部は、とにかく厳しい部活で、高校時代の部活の仲間と会っても、辛い練習の思い出ばかりが思い出されると思うので、高校時代のバスケットボール部の仲間とは、ネット以外では会っていません。

 かといって、中学時代のバスケットボール部の仲間とも会っていませんが、まだ、中学時代のバスケットボール部の仲間の方が、楽しい思い出もあると思っています。

 僕が中学校の頃、バスケットボール部に所属していたことを書くとともに、部活動のことについても書いてみました。

以上、「中学校の頃の部活の思い出と僕の所属していたバスケットボール部」

ブログに載せます。




 





 



2016年12月28日水曜日

「アンサイクロペディア 文京区 僕の通っていた中学校は人気があるようだ 生徒会長」

「アンサイクロペディア 文京区 僕の通っていた中学校は人気があるようだ 生徒会長」

 先日、ネットを見ていたら、おもしろい、ウィキペディアのようなものがありました。
 
ウィキペディアのようなサイトの名前は、アンサイクロペディアです。

 この、アンサイクロペディアの文京区に関する記述がおもしろかったので、URLを貼っておきます。

 URLは以下です。


このサイトでは、東京都の区の一つである文京区を冷やかし半分に書いていて、読む人によっては怒り出すかも知れませんが、読む人によっては、吹き出してしまう方もいるかと思うような記述がなされています。

おもしろおかしく、文京区を表現しています。

「(文京)区内にはJRの駅が一つも無く、繁華街が無い」

という部分だけでも、文京区が東京都の中でも、田舎のような街だと分かります。

「文京」という名の由来についても、

「文京」なる地名はもともとこの地には存在せず、「本郷区」と「小石川区」が合体して誕生した時に、「文化と教育が盛んである」という意味の「文教」と、「みやこ」を意味する「東京」の「京」の部分を無理やりくっつけた、親父ギャグ真っ青の駄洒落から生まれたものである。

と述べていて、「文京」を冷やかしています。

そもそも「文京区」の名称を通過させた役人たちはさしずめウィキペディアンみたいなもので、学校のお勉強はできるが、いわゆる「ユーモア」に大いに欠けていたがためにこのような悲劇が生まれたという説もある。

と「文京」の名称の由来を茶化していています。

かねてより東京大学などを始めとする文教施設が多すぎる嫌いがあったこの地域だが、「文京区」の誕生によりお勉強はできるがその他の点でちょっと・・・・という人々が激増することになったらしい

と、文京区民は、お勉強は出来るがその他のことはちょっとという方が多いと述べられて、
文京区民のことをバカにしています。

文京区にある茗荷谷地区に関しては、

茗荷谷
受験戦争その他で頭脳に普段から負荷がかかりすぎている文京区民の脳が、暴発してバーンアウトを起こさないように設けられた癒しと憩いの楽園。この地には敷き詰められたように茗荷(ミョウガ)が植えられており、これがリタイア寸前のストレスフルな文京区民の脳を穏やかなものにしている。お釈迦様の偉大な弟子周利槃特(しゅうりはんとく)の故事で知られるようにここのミョウガは強烈なもので、口に入れただけで瞬間的に「忘却力」を最大限に拡張し、ありとあらゆる記憶が吹き飛び、イヤなことをほとんど無痛で忘れ去ることができるので、癒しには最適である。しかし効能が強すぎて「ここはどこ?私は誰?」という状況に追い込まれてしまうらしい。

と述べて、文京区における茗荷谷の効用について説明しています。

僕も長く、文京区に住んでいますが、住むのには良いのですが、真面目に政治の話とか社会問題の話とかを語り始める方も多くて、疲れてしまうことの多い区でもあります。

癒しの楽園が、茗荷谷地域のようですが、僕が良く利用している茗荷谷のカフェでは、パソコンとにらめっこして、勉強されている方も多くて、茗荷谷が癒しの楽園とは思えません。

先日、小石川図書館で、「東京23区 教育格差案内」という本を読みましたが、僕が通っていた茗台中学校は、現在では文京区の名門中学校、文京六中と双璧の人気のある中学校だそうです。

文京六中が受け入れ人数120名に対して希望校最終調査提出者212名、茗台中は受け入れ人数105名に対して195名の希望者がいると書かれていています。

現在では、文京区では中学校は選択制で、どの中学校に通うかは選べるようで、選択制にした際に、僕が通っていた茗台中学校は、受け入れ人員に対して希望者が約2倍の倍率の人気のある中学校になっているようです。

文京六中と言えば東京大学の前にある中学校で、僕らの頃から、文京区では一番の名門中学校でしたが、僕の通っていた茗台中学校がこんなに人気があるとは思いもしませんでした。

人気のある中学校に僕も通っていたようです。

僕は茗台中学校に通っていた頃に、生徒会長をしたことがあり、(推薦で立候補して、生徒の選挙で選ばれました)中学校をまとめる立場になったこともあります。

中学生の頃ですから、いじめも起きます。

僕は中学校の頃はバスケットボール部に所属していて、体育の成績は5で、50メートル走は6秒台、垂直跳びは70センチ台、1500メートル走も5分台くらいだったと思います。

中学生の頃ですから、運動が出来る人間がいじめを止めることも出来るし、上に立つことが良くあります。

僕も茗台中学校で体育の成績が良かったら、生徒会長になったのだと思います。

僕は茗台中学校の発行する雑誌に、生徒会長として文章を書いたことがありました。

タイトルは、「諸行無常の世の中のために」

というようなタイトルの文章だったと思います。

中学校の頃の国語の授業で、「平家物語」が出てきて、

「平家物語」の冒頭の、

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。


という部分が中学生の僕にとても印象が残ったので、

「諸行無常の世の中のために」

という文章を書いたと思います。

中学生の頃から、無常観を感じていると、ポジティブな人間にならないかもしれませんが、平家物語の冒頭は、とても心に残る文章でした。

中学生の頃から、新聞とか本は読んでいたし、政治家の不祥事とかは、見聞していました。

総理大臣になっても、汚職をしたり、法に触れる行為を行っていたりして、世の中で成功している人間の多くが、成功してからの驕りの気持ちも出てきて、身を落としていくと思っていました。

お金持ちになったところで、自分の妻だけでは満足せずに、愛人を作ったりする人間もバブルの頃はいました。

社会的成功をおさめても、経済的な成功をおさめても、成功したという驕りの気持ちを持った途端に、多くの人間が身を落としていくのだと思っていました。

中学校の頃から、そのような気持ちがあったので、平家物語の冒頭を引用して文章を書いていたのだと思います。

ただ現在の茗台中学校の人気ぶりを見てみると、僕が通っていた頃の茗台中学校とはかなり違うようです。

文京区の一番の名門中学校、文京六中と双璧の人気にある中学校になっているようです。

多分、勉強も良く出来るのだと思います。

どんどんレベルが上がっていて、勉強も出来る人が多いのかなと思います。

文京六中と双璧の人気のある中学校ということは、かなりレベルも上がっているのだと思います。

僕らの頃から越境通学している人もいたし、人気のある中学校になったのかなと思います。

中学校の頃は、学校の授業を真面目に受けていれば、良い成績は取れたし、(ちなみに僕は中学校の頃は主要5教科はほとんど5でした)進学校の都立高校(都立高校の入学試験の成績も500点満点中480点で、数学と理科は100点でした)にも入学出来ました。

現在では、僕の通っていた茗台中学校は多分、僕らの頃以上に勉強も出来るのだと思います。

今、もし、僕が現在の茗台中学校に通っていたらとても生徒会長など務まらないと思います。

現在の、文京区の教育レベル、茗台中学校の人気を考えると、僕らの頃より断然、学力もアップしていると思うし、多分、難しい勉強も出来るのだと思います。

子供の学力が上がるのは良いことだと思いますが、大人たちが子供たちの考えている難しいことについていけないこともあるのかなと思います。

学校で学んだ、難しいことを生かせる仕事、職場があれば良いのだと思いますが、多くの職場では、ご自分の仕事で精一杯で、名門高校、名門大学出身の方々の考えている難しいことに対処出来ない職場も多いと思います。

多くの職場では日々の決まったルーティンワーク(決まった仕事)をこなしている職場が多いと思います。

日々のルーティンワークをきちんとこなしてくれる方が職場では重宝されるのだと思います。

学校で学んだ、難しいことを生かせる職場とはあるのかなと最近、思っています。

学校で、数学とか理科とか英語とか出来ても、職場ではあまり使わないし、大学まで行って法律を勉強しても職場ではあまり使わないし、一体学校に行くとは何のために学校に行くのかなと最近思っています。

僕が、2014年から長く詠み続けている句も、中学校の頃の国語の授業で学んだ松尾芭蕉の、

「奥の細道」に出てくる、

「五月雨を 集めて早し 最上川」

を真似て詠んでいる、

「震災本を 集めて早し 神田川」

です。

進学校の高校にも行きましたが、高校で学んだことは漢文の授業で、松尾芭蕉が傾倒していた、杜甫の漢詩だったりします。

文京区を冷やかし半分に書いているアンサイクロペディアというサイトから現在の文京区の学力と、僕が生徒会長をしていた頃のことも思い出して現在の勉強が出来る子どもたちと自分の仕事で精一杯の大人の関係についても考えてみました。

以上、「アンサイクロペディア 文京区 僕の通っていた中学校は人気があるようだ 生徒会長」

ブログに載せます。