2017年9月6日水曜日

「実名でブログを書くブロガーは常識的な生き方に戻れないのか?」

「実名でブログを書くブロガーは常識的な生き方に戻れないのか?」

 先日、ネットを見ていたら、気になるブログがありました。

以下です。

文士とブロガー、ブロガーは人間のクズであることを隠してはならない


このブログを読んでみると、現代のブロガーと言われている方々にもっとおもしろいことを書けと警鐘を鳴らしています。

文士である、太宰治や中原中也、石川啄木を挙げて、昔の文士のクズぶりを現代のブロガーたちは見習うようにとのことも書かれています。

また、どうせwebの空間上に自分の実名と顔写真をさらしてしまえば、もはや常識的な生き方に戻ることなどできないのですから、

ともあります。

僕も実名でブログを書いていて、顔写真もGoogleで検索すると出て来ます。

僕はもう、常識的な生き方に戻ることが出来ないのでしょうか?

尚且つ、僕は、心の病気であることもブログに書いています。

病気であることを知って、雇ってくれる雇用主もあまりいないと思います。

このまま、ブロガーとして、常識的な生き方に戻れずに、文学的な生き方をする方が良いのでしょうか?

ブロガーとは、太宰治のように、入水自殺未遂をしたり、中原中也のように、「よごれちまった悲しみに」とかの詩を作ったり、石川啄木のように、借金ばかりしたりした方が良いのでしょうか?

ブロガーとは文学的である方が良いのでしょうか?

僕は、心の病気(精神障害)と文化についてもブログで考察していますが、文化活動の一つである文学活動が、破滅的な活動にもなり得ることも検証もしています。

僕は文学作品には文句は言いませんが、文学作品を作っている主体が、破滅的な人間だったりすることもあり、心の病気の要因の一つを作っているものが文学だとも思っています。

医学的には病的とも思われるような作品も多くの文学作品に見られます。

人間の狂気を描くのも文学作品の役割の一つだと思いますから、病的な作品があることも仕方ないのかもしれませんが、病はうつることもあるかと思います。

病的な作品に影響されて、鑑賞した側も心の病気になることもあるかと思います。

表現の自由があるので、表現行為は自由ですが、自由の中にも表現行為をする責任は生じると思っています。

自分の行っている表現行為に関しては、ブログでも文学作品でも自分の責任で行っていただけると良いと思っています。

太宰治とか中原中也とか石川啄木のようなブログを書くのが良いのか多いに疑問が湧きます。

先日、ネットを見ていたら、実名のブロガーは常識的な生き方に戻れないとの見解があったので、ブログを読んでの僕の感想を書いてみました。

以上、「実名でブログを書くブロガーは常識的な生き方に戻れないのか?」

ブログに載せます。












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