「早稲田大学探検部関係者を信じて、脱原発を主張して自由な発想を持つか、就労するか?」
僕は早稲田大学在学中に、早稲田大学探検部というサークルに所属していました。
早稲田大学探検部の僕のすっと上の代の方々は、2011年の東日本大震災とそれに伴う、福島原発事故以来、「脱原発」を主張しているようです。
本気で、「脱原発」の一助になるようにとの思いを込められて作品を作っていらっしゃるようです。
このまま、早稲田大学探検部のずっと上の代の方々を信じて、「東日本大震災」関連書籍を紹介し続けて、
「震災本を 集めて早し 神田川」
を詠み続けるか、それとも、早稲田大学探検部のずっと上の代の方々のことは忘れて、就労を目指すか、大きな分かれ目です。
僕が政治家とかだったら、「脱原発」を主張して、政治活動をしたりしても良いのだと思いますが、僕は議員でも何でもありません。
一介のブロガーです。
一介のブロガーが何を書いたところで、大きな力にはなりません。
これから先の、人生を考える上で、早稲田大学探検部のずっと上の代の方々にどう向き合っていくかが大きな問題になります。
早稲田大学探検部の僕らの近い世代の方々は、きちんと「原発」のことに関して自分の考えていることを書いてネットに公開するような方はいないようです。
僕らの近い世代の方々はサラリーマンをしている方々が多く、発想も、
「サラリーマン的な発想」
になるようで、自分の意見をきちんと書いて、ネットで公開するとかの自由な発想を持っている方々は少ないようです。
このような「サラリーマン的な発想」から脱しないと、いつまでも、僕だけが一人、ブログを書いてネットにブログを公開するというそんな役回りを背負いこむことになります。
僕は早稲田大学探検部時代は、飲み会の幹事を務めていて、早稲田大学探検部の連中のストレスを発散させるような役割を担っていました、
もともと、早稲田大学探検部に飲み会の幹事がいることからして、早稲田大学探検部が会社のようなサークルだったことが分かります。
大学時代からサラリーマン的な発想の勉強をして、会社勤めをしていくことになると本当に、「自由な発想」を持てなくなると思います。
「サラリーマン的な発想」から脱することこそが、大事なことのような気もします。
「サラリーマン的な発想」から脱して、「自由な発想」を持てるようにならないと、人生もつまらない人生になるような気もします。
一回限りの人生を会社に捧げるのか、自由な発想を持てるようになれるのか大きな分かれ道です。
早稲田大学探検部の僕らの近い世代の方々のように、「サラリーマン的発想」で就労を目指していくのか、それとも、ずっと上の代を信じて、「自由な発想」を持って「東日本大震災」関連書籍を紹介し続けて、
「震災本を 集めて早し 神田川」
を詠み続けたり、ブログを書いたりしていくのかこれから大きな分かれ目です。
以上、「早稲田大学探検部関係者を信じて、脱原発を主張して自由な発想を持つか、就労するか?」
ブログに載せます。
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