「何故、僕が 震災本を 集めて早し 神田川 と詠んでいるか?」
僕は3年以上、
「震災本を 集めて早し 神田川」
と詠んでいます。
何故、僕がこの句を詠み続けているかと言うと、僕の両親が神田川沿いで中華料理店を開いていて、働いていたからです。
長い間、両親が見慣れた風景を詠み続けることによって、両親の若い頃を思い出すようにしています。
僕の両親の住んでいた住まいは、僕が小学校4年生の頃まで神田川沿いの本当に窓の下に神田川があるようなアパートだったし、神田川沿いには、多くの思い出があります。
まさに、かぐや姫の「神田川」のように、銭湯にも良く行ったし、フォークソングのような生活をしていました。
僕にとっての心の故郷のような地域が神田川沿いです。
僕は東京で生まれ育ちましたから、故郷と言えるような土地はないのだと思います。
ただ移りゆく東京も、僕にとっては懐かしい故郷のような土地なのかもしません。
「震災本を 集めて早し 神田川」
を詠むことによって、僕の心の故郷も表現しているのだと思います。
うさぎもいないし山もない東京で生まれ育った僕が、自分の心の故郷を表現すると、
「震災本を 集めて早し 神田川」
になるのだと思います。
2011年の東日本大震災以来、多くのツイートをしていたので、その責任もあり、文京区立図書館所蔵の「東日本大震災」関連書籍を集めたブログを作り、締めとなる句として詠んできた、
「震災本を 集めて早し 神田川」
には、僕の故郷に対するそんな思いも込められています。
以上、「何故、僕が 震災本を 集めて早し 神田川 と詠んでいるか?」
ブログに載せます。
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