2024年11月22日金曜日

「チベットのお土産、マニ車」

 「チベットのお土産、マニ車」

  僕は早稲田大学探検部2年生の時にチベットに行きました。

  チベットとは中国のチベット自治区のことですが、チベットでは仏教、チベット仏教が盛んな地域で、チベット仏教の信徒の方が多くいらっしゃる地域です。

  チベットでは、ラサに滞在した際に、ポタラ宮にも行きました。ポタラ宮は壮観な建物で、学生ながら、立派な建物に行ったと思っています。

  セラ寺にも拝観に行きました。

  チベットではマニ車をお土産に買いました。1988年当時、チベットで買ったお土産のマニ車は今でも僕の部屋にあります。

 


  マニ車とはウィキペディアによると、

 「マニ車は円筒形で、側面にはマントラが刻まれており、内部にはロール状の経文、真言や、大型のものでは1秩がそのまま納められている。」

  というものです。

  マニ車は僕の部屋の引き出しに入っているので、チベットのことを思い出したときに引き出しから取り出して、マニ車を回しています。

  僕は特別に仏教を信仰しているわけではありませんが、仏教には良い感情を持っていて、お正月には七福神巡りをしてお寺で手を合わしています。

  学生時代にチベット仏教の盛んな土地であるチベットに行ったので、チベットのお土産としてマニ車が僕の部屋の引き出しに入っていることをブログに書いておきます。

  1130日土曜日の高田馬場チベット料理屋での中島さんと吉澤さんとの会合の際にもチベットのお土産のマニ車を持っていこうと思っています。

  以上、「チベットのお土産、マニ車」

  ブログに載せます。


2024年11月21日木曜日

「チベット勉強会」

 「チベット勉強会」

  僕らは早稲田大学探検部2年生の時に、同期の仲間(上原、桜井、倉島、中谷)4人と隊を組んで、1988年夏チベット探査計画を立ち上げました。

  夏のチベット遠征の前には、4人でチベット勉強会を何度も開催して(当時の学生手帳を見てみると、週に23回、チベット勉強会を開催していたようです)、チベットに関する勉強をしていました。

  今でも僕の家には1988年のチベット勉強会のファイルが残っています。

  チベットの宗教、チベットの歴史、チベットの政治、チベットの地理、チベットの風俗・習慣、チベットの経済、などについて、各自、レポート用紙に調べたことを書いて、4人でチベットのことについて勉強しました。

  チベットに関する書籍もリストアップして、本を読んでチベットに関する勉強をしました。

  事前の準備期間は少し短かったと思いますが、それでも、4人とも忙しい中、4人集まってチベット勉強会を開催していました。

  早稲田大学探検部では現場のフィールドに赴くことが最も重視されますが、事前の勉強もとても大事だと僕は思っています。

  実際に現場のフィールドに赴いた際に、事前の勉強をしておかないと、見えてこないことも多くあると思います。

  勉強したことと、現場のフィールドに赴いて見たこと感じたことが違うなと思うこともあると思いますが、事前の勉強はとても大事だと僕は思っています。

  僕らはチベット語に関しては、ほとんど勉強できずにチベットに行ってしまいましたが、簡単な挨拶、こんにちは(タシデレ)、良い(ヤップドゥ)くらいは言えるように勉強していました。

  語学力不足だったことは否めませんが、チベットというフィールドを前に最低限の知識の勉強はしていました。

 チベット勉強会で勉強したことは、実際にチベットというフィールドに赴いた際にも役に立ったし、チベットの方々の考えていることを理解するためにもチベット勉強会はとても大事だったと今でも思っています。

  何か新しい計画を立ち上げる際には、きちんと赴くフィールドに関しての勉強をしておかないといけないと僕は思っています。

  赴くフィールドで、自分たちの持っている価値観を押しつけるのではなく、赴いたフィールドの方々から何か学ぶ姿勢がとても大事になってくると思います。

  とかく日本人は、自分の国が先進国で、自分たちの価値観が良いものであって、赴いたフィールドに住んでいる方々の価値観と合わないと思ってしまう方も多くいると思います。

  事前に赴くフィールドについてきちんと勉強して、どのような背景で、現地の方々はこのような価値観を持っているのだろうかとか、何故、チベット仏教を信仰しているのだろうかとか、勉強しておくことはとても大事なことになってくると僕は思っています。

  現場のフィールドに赴けば戸惑うことも多々あると思います。現場のフィールドに赴いて、なるべく戸惑わないように、赴くフィールドについて勉強をしておくことはとても大事なことだと僕は思います。

  1988年夏チベット探査計画の現場のフィールドに赴く前には、4人で集まって、チベット勉強会を開催してチベットに関する勉強をしていたので、現場のフィールドに赴いてもなんとかやっていけたのだと思います。

  僕ら1988年夏チベット探査隊が事前にチベット勉強会を開いてチベットに関して勉強していたことをブログに書いておきます。

  1130日土曜日の高田馬場チベット料理屋の中島さん、吉澤さんとの会合では、きちんとチベット勉強会のファイルも持参して、僕らが事前にチベットに関する勉強をしていたこともお伝えしようと思っています。

  以上、「チベット勉強会」

  ブログに載せます。

 

2024年11月20日水曜日

「早稲田大学探検部とチベット」

 「早稲田大学探検部とチベット」

  先日、自分の部屋を掃除していたら、「第6次チベット高原民族探査隊 1990年夏」という計画書が見つかりました。早稲田大学探検部34OBの沢田石君が作成された計画書だと思います。僕はこの第6次チベット高原民族探査隊 1990年夏の在日連絡を務めたので、僕の部屋に「第6次チベット高原民族探査隊 1990年夏」という計画書が保管されていたのだと思います。

  この「第6次チベット高原民族探査隊 1990年夏」という計画書に早稲田大学探検部とチベットのことがかなり分かり易く書かれていました。早稲田大学探検部とチベットのことについて書かれている部分をブログに載せます。

  [探検部とチベット]

   チベット高原民族探査隊は1986年夏、当時の幹事長、中島木祖也氏により創設された。氏は当初よりチベット隊が継続して送り出されるべきであると主張し、10カ年計画を提唱されたが、その主旨は次のように解される。

 即ち、チベット文化圏が広大であり、その文化がそれぞれの地域において独自性を持つからである。代表的な地を列挙すると、チベット自治区の東部と西部、雲南省北部、四川省西北部、青海省南部、ビルマ北部、シッキム地方、ラダック地方、パキスタンのバルチスタン地方、ネパールの亡命地、インドにおける亡命地(ラダック、アッサム、ダラムサラ周辺、南インドなど)、さらにはイギリス、アメリカ、スイスなどにも多くのチベット人が居住している。

 これらの地の独自性、及びチベット文化圏、チベット民族に共通する普遍性を明らかにするには、一人の力、数度の探検のみでは力量不足であることは明白である。

 チベットに関する多くの地を探検しても一度のみの訪問では検証が浅く、内容も片寄ったものになる可能性が大きい。現代世界の流動は激しく、チベットについてもその例外ではない。ある地域における活動をそれぞれの世代が何度もフォローし、その内容を深化させると共に、それぞれの世代おけるチベット民族とチベット文化の証人となり、チベット史を築き上げていく。つまり、早稲田大学探検部があるかぎり、チベット高原民族探査隊が続けられていく、それが早大探検部とチベットなのである。

 [過去のチベット隊]

 (第一次隊)

1) 中島、吉沢隊 ~1986

文化人類学的な調査をチベット自治区にて展開する。

2) 木村、坂下隊 ~1987

東チベット、チベット自治区、ネパール、ダラムサラの難民を訪問し、チベット民族の現状を把握。チベット問題を直視する。奇襲1号参照

 (第二次隊)

中島、後藤、斎藤隊 ~1987

 第一次隊に続き、文化人類学的調査をチベット自治区にて展開し、内容を深化させる。遊牧民のキャンプに住み込み、ヤクとチベット人の関係、一妻多夫制を家系図により証明すると共に、大草原での遊牧生活とそれに根ざす文化のすばらしさを紹介し、以後の活動の根幹を築く。

 (第三次隊)

1) 斎藤、松田隊 ~1988

2) 上原、桜井、倉島、中谷隊 1988

この遠征によりチベット自治区の開放地、未開地の相当分を網羅する。スライド等の資料を多数持ち帰る。

(第四次隊)

高橋、斎藤隊 ~1989冬、春

 冬の遊牧民の生活を調査。「彼らは冬の間遊牧しない(高橋)」などの調査結果を出す。厳冬期のヒマラヤを徒歩でネパールに抜ける。

 (第五次隊)

1) 中谷、岸田隊 ~1990

ネパールのチベット難民居住区を訪問。チベット難民がネパール人のカースト制度の人で下層のカーストに位置付けられ、ボテと呼ばれ、ある意味では虐げられている姿をリポートする。彼らもまたそのボテとしての地位に不満を示す様子はない。仮に独立を果たしてもだだっ広い高原に文明生活のない事を理由に、帰るかどうか迷う人間の姿に感動する。

2) 沢田石、前田隊 ~1990

インドのダラムサラ、ラダック地方を訪問。198938日以来、チベット自治区に戒厳令が敷かれたためチベット自治区訪問を断念。当初は漢民族によるチベット人虐殺、不妊手術などの人権侵害に取り組む予定であったが、訪問地をインドに変更し、難民の文化、またチベット人よりチベット的と呼ばれるラダックの文化を調査した。と同時にチベット問題、ラダック問題についても調査し、かなりの部分をフォローした。

(第六次隊)

沢田石、遠藤、桑田隊

以上のような早稲田大学探検部とチベットに関する記述がありました。

早稲田大学探検部とチベットの関係が分かり易く書かれていると思いました。早稲田大学探検部のチベットの計画が早稲田大学探検部30OBの中島木祖也氏により創設され、その後、数次の隊が早稲田大学探検部からチベットに送り出されて、なんらかの成果があったことが分かります。

僕がチベットに行った1988年夏の隊は第3次隊になるようです。成果としては、「この遠征によりチベット自治区の開放地、未開地の相当分を網羅する。スライド等の資料を多数持ち帰る。」という記述がありました。

僕が作成したチベットのスライドも重要な成果の一つだったようですが、僕は重要な成果であるチベットのスライドを紛失してしまったようです。残念です。

1130日土曜日に高田馬場でのインド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合では早稲田大学探検部でチベットの計画を創設された中島木祖也さんにもお会いします。

早稲田大学探検部のチベット話を盛り上げていこうと思っています。

先日、自分の部屋を掃除していたら、「第6次チベット高原民族探査隊 1990年夏」という計画書が見つかったので、早稲田大学探検部とチベットのことに書かれている部分をブログに載せます。

以上、「早稲田大学探検部とチベット」

ブログに載せます。


2024年11月19日火曜日

「11月30日(土)高田馬場チベット料理屋での会合 その4」

  1130日(土)高田馬場チベット料理屋での会合 その4

   昨日、早稲田大学探検部32OBの吉澤さんから1130日土曜日の高田馬場チベット料理屋での会合に関するメールが届きました。

以下のようなメールのやり取りをしました。

 中島さん、上原さん

   後藤くんから連絡があり、11/30は高校時代の先約@横浜がすでに入っており、残念ながら高田馬場に馳せ参じることができません、とのことでした。お二人にくれぐれもよろしくお伝えください、次回OB会の幹事を中島さんから仰せつかったので、しっかりやりますとのことでした。彼は今週クレーム対応の気が進まない海外出張で、仕事の方も結構大変な様子です。

   ということで、11/30(土)は3人で予定しますので、よろしくお願いいたします。念のためマヤに電話して、17時から席を予約しておきました。

  吉澤

  中島さん、吉澤さん

   吉澤さん、後藤君(さん?)との連絡、マヤの席の予約とお手数をおかけしてしまって申し訳ありません。

  本来なら、僕がやることを吉澤さんの手を煩わしてしまって申し訳ありません。

  なにか他にやることがあれば僕が会の雑用をしますので僕に言ってください。

  当日は中島さんと吉澤さんと僕の3人での会合になるようですが、

  どうぞよろしくお願い致します。

  当日は楽しみにしております。

  上原

 上原さん

   いえいえ、お安い御用で、会社でもいつも上司・同僚・部下のためにもやっているようなことですので、全然気にしないでください。mayaは席だけ予約し、食べ放題・飲み放題も3,500円であるようですが(当時の清龍並み!?)、当日でも注文OKだそうです。

   急に寒くなったというか、本来のこの季節らしくなりましたが、夏から冬に一足飛びしたような感じですので、お互い風邪などひかないように気を付けましょう。

  吉澤

 中島さん、吉澤さん

  マヤはインド・ブラマプトラ川川下りに一緒に行った関口君(フロンティアボートクラブの方)

が、知っていたお店で、関口君と飲んだときはエベレストという名前のビールを飲みました。

チベットのお話をするにはうってつけのお店だと思います。

チベット料理のモモも食べられます。

清瀧並みの料金で、社会人の方には向いているか分かりませんが、

良いお店だと僕は思いました。

僕も学生時代を思い出して、チベットのお話をしたいと思っております。

当日は楽しみにしております。

 上原

   高田馬場は青春の町、学生が多くて、今でも行くと若い活気をもらって元気になる感じがします。

  楽しみにしています! 吉澤

 以上のようなメールのやり取りをしました。

   高田馬場のチベット料理屋さんではエベレストという名前のビールが飲めるので、中島さんにも吉澤さんにも是非、飲んでいただきたいと思い、エベレストという名前のビールが飲めることをメールに書きました。

   せっかく、僕と一緒にインド・ブラマプトラ川川下りに行った、日本側隊長だった八木原國明さんがエベレスト登頂経験者の方で、早稲田大学探検部で登山をしていたなら、世界一の最高峰エベレスト登頂をこれからの人生の目標にしてみるのも良いのではないでしょうかと思いまして、メールに高田馬場のチベット料理屋さんでエベレストという名前のビールが飲めることをメールに書かせていただきました。

  目標を達成できるかどうかは別にして、目標は常に高く置いておいた方が良いと思います。

  昨日は早稲田大学探検部32OBの吉澤さんから高田馬場チベット料理屋での会合に関するメールが届いたので、メールのやり取りをブログに載せます。

  以上、「1130日(土)高田馬場チベット料理屋での会合 その4

  ブログに載せます。

 

 

 

 

2024年11月18日月曜日

「土本武司先生の思い出」

 「土本武司先生の思い出」

   今日、土本武司さん(僕の早稲田大学法学部時代の刑事法のゼミの先生でした)が5月6日に亡くなっていたことが報じられている記事を読みました。

僕にとってはとても大きな存在の方で、僕がなにかを書けるような方ではありませんが、土本武司先生の思い出を書かせていただきます。

ゼミ(土本先生のゼミ)は自由な雰囲気で、僕がサークルで探検部というサークルに所属したこともご存じで、大学3年生の時のカナダユーコン川川下り、大学4年生の時のインド・ブラマプトラ川川下りのこともご存じで、ゼミでは僕のことを温かく見守ってくださっていました。

ゼミでは難しい公害訴訟(水俣病訴訟)のことについて分かり易く講義をされていたのが思い出に残っています。

ゼミの講義のあとに大隈庭園でご一緒させていただいて、お話を聞かせていただいたのも思い出に残っています。

早稲田大学界隈でのゼミの飲み会(源兵衛とか面影鮨で飲み会をしていました)にも学生に混じって来ていただいて、飲み会の席でお話を聞かせてくださいました。学生相手の飲み会にも来ていただいて本当に感謝しています。

僕は法曹の道には進みませんでしたが、学生時代に土本武司先生に教わったことは、今でも覚えていて、僕が東電刑事裁判についてブログを書けるのも、学生時代に土本先生に刑事法を学んでいたから書けたのだと思っています。

今でも学生時代に学んだ土本先生の本は家にあります。「刑事裁判」(令文社)という本が僕の家にあります。

今日の報道を見て本当に驚いていますが、早稲田大学法学部時代に土本武司先生のゼミでご一緒させていただいた方々にも連絡を取れるなら連絡を取りたいと思っています。

心よりご冥福をお祈り致します。

短いブログで失礼かもしれませんが、土本武司先生の思い出について書かせていただきました。

以上、「土本武司先生の思い出」

ブログに載せます。

 

 

 

 

 

「インド・ブラマプトラ川川下りの趣旨」

 「インド・ブラマプトラ川川下りの趣旨」

  部屋を探していたら、ブラマプトラ川川下りの計画書が見つかりました。

  計画書には日本ヒマラヤ協会の理事長をされていた稲田定重さんの書かれた、ブラマプトラ川川下りの趣旨という文章が載っていました。インド・ブラマプトラ川川下りがどのような趣旨で行われたのかが分かるので、インド・ブラマプトラ川川下りの趣旨の稲田さんの文章を載せます。

  趣旨

  日本ヒマラヤ協会は、1967年創立以来、常に未知と未踏のロマンを求めてヒマラヤを中心とするユーラシアに数多くの登山・調査・その他の野外活動を展開して来ました。

 特に、60数隊を派遣して来た登山の分野では、20座に及ぶ高峰の初登頂、時代を画す登山スタイルの実践などの実績を上げてまいりました。

 そして、これらの活動を通じて広く諸国と友好関係を発展させ、相互の理解と友情を促進してきたところであります。

 このたび準備を進めている世界第六位の大河ブラマプトラ川の舟行は、インドとの深いきずなの中で実現する世界最初のプロジェクトであります。

 遥か高地アジアの聖地カイラスの麓に源を発し、チベット高原を千五百キロ東流し、大ヒマラヤを断ち割って南に流れるブラマプトラは、今世紀まで「謎の川」といわれ、いまなお地理上の空白部を数多く残しております。

 本会は、1984年以来、辛抱強く渉外を重ねてまいりましたが、このほど国境の治安を守るインド・チベット国境警察隊(ITBP)と本会は、1981年以来良好な関係を有し、これまでも幾度かの合同遠征を成功させ、信頼関係を深めてきたところです。

 未だ知られていない北東辺境地域(NEFA)の奥深く入り、禁断の中印国境(マクマホンライン)からバングラデシュ国境にいたる1200キロの川下りと踏査活動は、多大の新知見をもたらすものであります。この企画の趣旨をご理解の上、よろしくご支援のほどお願いいたします。

  以上のようなインド・ブラマプトラ川川下りの趣旨の文章でした。

  僕は大学2年の時にチベットのカイラスに行っているので、カイラスの麓に源流を持つブラマプトラ川川下りは僕にとっても大変、意味深い活動だったような気がしています。

  部屋を探していたら、インド・ブラマプトラ川川下りの計画書が見つかったので、計画書に載っているインド・ブラマプトラ川川下りの趣旨の文章をブログに載せます。

  以上、「インド・ブラマプトラ川川下りの趣旨」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

2024年11月17日日曜日

「土屋健さん」

 「土屋健さん」

  先日、早稲田大学探検部32OBの吉澤さんから奥島先生を偲ぶ会の様子の写真がメールで送られてきました。僕はそのメールに対する返信で、僕の聖徳幼稚園、小日向台町小学校時代の友達で、吉澤さんと早稲田中学高校で同期生の友達の土屋健さんのことについてメールをさせていただきました。

 以下のようなメールのやり取りをしました。

 吉澤さん

  こんにちは上原です。

度々、メールをしてしまい申し訳ありません。

探検部とは関係がないのですが、

吉澤さんが早稲田中学高校で同期生だった土屋健さんとは連絡を取っていらっしゃるでしょうか?

実は僕が早大探検部に入部したのは、

僕の小日向台町小学校時代の友達だった土屋健さんの紹介でした。

土屋健さんは何をしていらっしゃるだろうとふと思ったので、

失礼かもしれませんがメールをさせていただきます。

 上原

上原さん

   おはようございます。返信が遅くなってしまいましたが、土屋健くんとは今もつながっています。今年2月の中学高校の同期会にも一緒に出席し、その前は舞踏家になった同期の公演会を彼(中高時代から皆でケンズと言っています)と恩師と3人で見に行ったこともありました。彼はフジテレビのドラマのプロデューサーになり、Dr.コトーが代表的な作品だろうと思います。その映画の制作にも携わったと言っていました。今もその類の仕事を続けているようです。

   貴兄がケンズと小学校の友人であることは僕もよく覚えていて、そのことをケンズと話したこともあり、今でも貴兄のことを話せば、彼もよく覚えていることはまちがいありません。プロデューサーとして芸能人と付き合うことも普通でしょうが、彼は全然変わっておらず、皆の人気者です。サッカー部の同期会参加率がダントツなのはケンズのおかげだと思っています。

  それでは、また。

  吉澤

 吉澤さん

 おはようございます、上原です。

土屋健さんのことについてメールを下さりありがとうございます。

土屋健さんは小日向台町小学校時代から人気者でした。

早稲田中学高校時代はサッカー部だったということも僕も土屋健さんから聞いておりました。

早稲田大学時代はスキー関連のサークルに所属していらしたと聞いております。

今でも吉澤さんが土屋健さんと連絡を取り合っていらっしゃることが分かりました。

ありがとうございます。

土屋健さんが僕のことも覚えてくれていることも書いてくださり、僕も嬉しいです。

これからも何かあればメールをさせていただくかもしれません。

どうぞよろしくお願いいたします。

 上原

吉澤さん

土屋健さんのことでのメールです。

実は僕は土屋健さんとは幼稚園も同じで、小日向台町小学校時代も友達で仲が良くて、

子供の頃はよく土屋健さんの家に遊びに行っていました。

僕が高校卒業後、一年間の新聞配達をしながらの浪人生活を送り、

なんとか早稲田大学法学部に合格した際に、

僕は嬉しくて、土屋健さんの家に報告に行きました。

(当時は土屋健さんは、早稲田中学高校から現役で早稲田大学に進まれていたので報告に行きました)

土屋健さんのお母様も喜んでくださり、お寿司をとっていただき僕もご馳走になりました。

その際に、僕は土屋健さんに早稲田大学探検部というサークルがあるからと探検部を紹介されました。

僕はその後、探検部の部室を探して、早稲田大学探検部に入部しました。

一つお聞きしたいことがあるのですが、

土屋健さんは僕が統合失調症という精神疾患を患っていて精神障害2級の精神障害者になっていることをご存じでしょうか?

もしかしたら、吉澤さんから土屋健さんにお伝えしているでしょうか?

僕の病気のことについて土屋健さんはご存じか知りたいのでメールをさせていだきます。

上原

上原さん

  今日はひどい雨ですが、明日明後日は秋晴れになるみたいですね。

  お尋ねの件、土屋君は貴兄の病気のことは詳しく知らないものの、心の病でずっと苦しんでいることは知っていると思います。もうかなり前ですが、そのように彼と話したことがあったと思います。精神障害2級というのは、貴兄のこのメールで僕も初めて知りました。

   土屋君のメールアドレスを知っていますか。もし必要なら、まず僕が彼にメールして、貴兄にアドレスを伝えることを連絡します。幼稚園からの友達とはいいですね。2人ともナイスガイです!

 吉澤

 吉澤さん

 今日はお仕事はお休みだと思いますが、会社のアドレスが良いと書かれていたので、

メールをしました。お休みのところメールをしてしまい申し訳ありません。

心の病、統合失調症に関しては精神科で精神障害2級と診断されています。

精神障害者手帳も持っています。

土屋健さんのメールアドレスに関しては、

もう長い間、会っていないし、連絡も取っていないし、

土屋健さんもお忙しいと思うので、土屋健さんのメールアドレスに関しては

教えていただかなくて大丈夫です。

土屋健さんとは、聖徳幼稚園という聖徳太子の聖徳の名のついている

名前のすごい幼稚園で、ご一緒させていただきました。

土屋健さんは本当にナイスガイだと思います。

僕に関しては、心を病んでしまい、昔の面影はないと思います。

メールではきちんとしたことを書けるので、

精神障害者に思えないということも言われたこともあります。

吉澤さんは今日はお休みだったと思いますが、メールをしてしまい失礼しました。

明日は晴れの特異日、文化の日です。

連休を楽しまれてください。

 上原

 以上のようなメールのやり取りを吉澤さんとしました。

 このメールで話題になっている土屋健さんには僕は本当に感謝していて、僕に早稲田大学探検部を教えて下さり、僕も早稲田大学探検部に入部することが出来て、良い学生時代を過ごせたと本当に感謝しています。僕に沢木耕太郎さんというノンフィクション作家の方のことを教えてくれたのも土屋健さんでした。インドブラマプトラ川川下りの番組が出来上がり、番組をフジテレビに見に行った際にも土屋健さんと偶然会いました。

 僕の父と母も土屋健さんのことは良く覚えていて、

 「子供の頃、よく健ちゃんの家に遊びに行ったね」

 と言っていました。

  今では、有名なテレビのプロデューサーになられているようですと父と母に話すと立派だねと褒め称えていました。

  ただ、土屋健さんも僕が心の病気に罹っていることは吉澤さんから聞いているということで、昔のような上原君でないことも分かっていると思います。

  吉澤さんを通じて、吉澤さんと僕の共通の友達である土屋健さんのことについてメールでやり取りをしていたのでメールのやり取りをブログに載せます。

  以上、「土屋健さん」

  ブログに載せます。

 

 

 

2024年11月16日土曜日

「11月30日(土)高田馬場チベット料理屋での会合 その3」

 「1130日(土)高田馬場チベット料理屋での会合 その3

 昨日、早大探検部30OBの中島さんからメールが届きました。以下のようなメールが届きました。

 吉澤さま、上原さま

 30日、楽しみにしています。

チベット話を盛り上げるべく

後藤君も誘いましょう。

よろしくお願いします。

 このメールに対して僕は以下のような返信をしました。

 中島さん、吉澤さん

 1988年当時の学生手帳と日記にチベット探査計画のことがかなり書かれているので、当日は持って行きます。

1988年当時のチベット勉強会のファイルも1988年夏チベット探査の計画書、報告書も家にあるので当日は持って行きます。

チベットの写真集、カイラスの写真集も家にあるので当日は持って行きます。

僕が作成したチベットのスライドは行方不明か紛失してしまったようです。申し訳ありません。

中島さんのお役に立てば幸いです。

 上原和明 拝

   僕は1130日の1130日(土)高田馬場チベット料理屋での会合には、1988年当時の学生手帳と日記、1988年当時のチベット勉強会のファイル、1988年夏チベット探査の計画書、報告書、チベットの写真集、カイラスの写真集を持って行こうと思っています。僕が作成したチベットのスライドは紛失してしまったようなので、持って行かれませんが、1130日当日はチベット料理に舌鼓を打ちながら、ゆっくりと落ち着いて、チベットのお話、カイラスのお話が出来れば良いなと思っています。

 以上、「1130日(土)高田馬場チベット料理屋での会合 その3

 ブログに載せます。

 

2024年11月15日金曜日

「11月30日(土)高田馬場チベット料理屋での会合 その2」

 「1130日(土)高田馬場チベット料理屋での会合 その2

  今日は早大探検部32OBの吉澤さんよりメールが届きました。

  以下のようなメールが届きました。

  中島さん、上原さん

 11/30の件、齋藤泰晴くんに連絡がついたのですが、あいにくその日は都合が悪いとのことで、とても残念がっていました。「中島さんの100300名山やグレートネイチャーは欠かさず見ています。上どんの冗談も久しぶりに聞きたい、相変わらず全速力で冗談を言っているのでしょうか」と言われ、お二人にくれぐれもよろしくお伝えくださいとのことでした。

 ということで、11/303人でやりたいと思いますので、よろしくお願いします。あるいは後藤でも誘ってみましょうか? 海外出張もあって忙しそうな感じでしたが、都合さえ合えば来るだろうと思います。

  このメールに対して僕は以下のようなメールを返信しました。

  中島さん、吉澤さん

 こんにちは上原です。

メールをくださりありがとうございます。

斎藤泰晴君に会えないのは残念ですが、もし斎藤泰晴君と連絡が取れるなら、

「それを言っちゃあ、おしまいよ」と上原が言っていたとお伝えください。

後藤君(さん?)をお誘いすることには賛成です。

次回の探検部のOB会の幹事になっているそうですし、

今回の会合が何か話のネタになるかもしれないし、

ご参加されて良い効用があると思います。

吉澤さんにお手数をおかけしてしまって申し訳ないと思っています。

ただ、吉澤さんのご人徳で、後藤さんも参加されるかしれないし、

後藤さんに関して吉澤さんにお任せ致します。

当日はチベット料理でも食べながら、チベットの話が出来ることを楽しみにしております。

 上原

 早大探検部33OBの斎藤が

 「上原が全速力で冗談を言っている」と書いてあったので、仕方なく、

 寅さん(男はつらいよ)のセリフ

 「それを言っちゃあ、おしまいよ」

 とメールに書きました。

  僕はかなり真面目にX(旧 Twitter)をやっていて、ブログもかなり真面目に書いていますが、心外な言葉がメールに書かれていたので、仕方なく寅さんのセリフをメールに書きました。

  おもしろいほうが良いのは分かりますが、早大探検部の先輩方が、命がけで原発に反対しているのに、我々の世代はこんなくだらないメールのやり取りをしているようです。

  以上、「1130日(土)高田馬場チベット料理屋での会合 その2

  ブログに載せます。

2024年11月14日木曜日

「1988年夏チベット探査報告書」

 「1988年夏チベット探査報告書」

  部屋を探していたら1988年夏のチベット探査の際の報告書が見つかりました、1130日土曜日に中島さん吉澤さんとの会合の際に持って行こうと思っています。紙に書いたものとパソコンで清書してプリントアウトしたものを持って行こうと思っています。パソコンで清書した報告書は以下のようなものです。

 期間 1988722日~104

 隊員 隊長 上原和明 副隊長 桜井誠人 渉外 倉島孝行 食糧 中谷敏夫

 行程 成田(飛行機)→ソウル→香港(鉄道)→広州(飛行機)→成都(鉄道)

→蘭州(鉄道)→西寧(鉄道)→ゴルムド(バス)→ラサ(バス)

→シガチェ(バス、ヒッチハイク)→ラズー(ヒッチハイク)

→ツオチェン(ヒッチハイク)→ヤンフー(ヒッチハイク)

→シーチャンホー(ヒッチハイク)→タルチェン(カイラスの周囲の巡礼路を1周して

カイラス巡礼)(ヒッチハイク)→シーチャンホー(ヒッチハイク)

→イエチョン(バス)→カシュガル(ヒッチハイク)→ウルムチ(飛行機)

→上海(船 鑑真号)→神戸→早稲田大学

 

目的 チベットの自然及び、チベット人の生活に関するスライド作成

   カイラス巡礼者調査

 成果 今回のチベット探査の目的の2つのうち、スライド作成に関してはスライドを見ていただければ分かると思います。目的は達成したと思います。

   カイラス巡礼者調査について

     カイラスとはチベット自治区の南西に位置し、3つの宗教、すなわち、チベット仏教(ラマ教)、ヒンドゥー教、ボン教(チベット原始宗教)の聖地とされる。このカイラス山の麓に1周約50㎞の巡礼路があり、私たちもこの巡礼路を歩いた。言葉は分からなかったが、服装から判断して識別できたのはチベット仏教とヒンドゥー教の信者たちであった。ヒンドゥー教の信者たちは主にインドの豊かな階層の人々のようで、50人乗りぐらいのバスで大挙して巡礼にやって来ていた。チベット仏教の信者たちが、私の見る限りでは最も人数が多いようであった。高僧から貧しい老人までかなりの人数がいた。ボン教徒は見る限りでは分からないが、カイラスの巡礼路を反時計回りに回ると聞いていたので注意して見たところ、10人に1人くらいはいたようである。カイラス滞在期間も1週間くらいと短く、ろくに言葉が分からず、全般的な巡礼者についての調査はしていないので、カイラスで会ったあるチベット仏教信者の巡礼者の行動をを中心に、巡礼者を見てみたい。

    「カイラス北壁のゴンパ(山小屋のようなもの)で会ったチベット仏教信者の場合」

          私はシーチャンホーで倉島、中谷と別れ、桜井と二人でカイラスに向かい、カイラス北壁で桜井と別れ、後続の二人を待つため4日間カイラス北壁にあるゴンパと呼ばれる山小屋のような建物の中で過ごした。ゴンパは20畳くらいの広さで、中には柱が2本立っていてテントを張るスペースがなく、又、天井に穴が二つ空いており吹雪という悪天候の中、寒さが身にしみた。私は最初、テントを外に張っていたが吹雪になったので急きょゴンパに避難したのであったがテントのほうがゴンパより快適であった。そんななかで私が外に出られずシュラフに包まっていると大きな袋を持った親子連れの巡礼者がやってきた。父親の方は40半ばくらいの人の良さそうな顔つきの男で、子供はまだ5才ぐらいのかわいらしい笑顔を持つ元気な男の子であった。彼らが来たのは午後6時ごろであったがチベットは北京時間を採用しており、しかもカイラスはチベットの西に位置しているため時間のずれが大きく6時でも外は明るかった。(ひぐれはだいたい9時ごろ)。彼らは吹雪のため体じゅう雪化粧といった観で白くなっており衣服の汚れ、顔の汚れと対照的であった。

    彼らは私を見ると一瞬驚いたようであるが、こちらから笑顔を見せると笑顔で答えてきた。彼らはしきりにチベット語で話しかけてきたが私はほとんどチベット語を知らないので、ただ「タシデレ」(こんにちは)と繰り返していた。彼らはようやく私がチベット語を話せないことが理解できたらしく話しかけるのをあきらめた様子でゴンパのなかに入り、私のいた反対側にあぐらをかいて座った。父親の方は何かを口ずさんだ後、大きな袋から円形の黒い塊を取り出した。最初、何がなんだか分からなかったが、これらに火をつけるのを見て、ヤクのフンであることが分かった。チベットではヤクのフンが大切な燃料になっている。彼はヤクのフンに火をつけると今度は羊の皮で作ったふいごのようなもので空気を送り、火をだんだん大きくしていった。もの凄い煙のためゴンパの中はモノクロの世界に変わった。火が大きくなると彼はやかんを持って外に出ていき水を汲んできた。そしてやかんを石で作ったかまどの上に置いた。彼は再びふいごを自由自在に操り空気を吹き込んだ。30分ぐらいすると、湯が沸きはじめ、四角い固まりになっている茶をばらして湯の中に入れた。2、3分ふいごの手をゆるめ、待ち、茶ができると茶椀を出して茶を注いだ。次にそのなかに独特の臭みのあるバターを入れる。チベットではバターは希少なたんぱく源であり、このバター茶は朝昼晩を問わず一日20杯ぐらいは飲む。彼は子供の茶碗に茶を注いだ後、私にも勧めてきたので私は好意を受け入れコップを差し出した。バター茶は日本人が飲んでもうまいと感じないかもしれないが、この様な状況では寒さをいやしてくれるもの、人の暖かみを感じさせてくれるものである。私は一杯飲み干しすっかりいい気分になった。彼はもう一杯勧めてきた。私は一度遠慮してからコップを差し出して注いでもらった。すると今度は白い粉をバター茶の中に入れてくれた。明らかに砂糖でないことがわかる。なぜならコップ一杯にこぼれるぐらい入れるのであるから。この白い粉はチンコー麦である。チベットの主食であるツァンパはこのようにチンコー麦をバター茶の中に入れそれを練りそのまま食べるのである。日本のきなこを思い浮かばればわかりやすいと思う。味は砂糖か何かがあれば何とか口に入るのだが、そのままでは何も味がせずバター独特の臭みとあいまってうまいと言えるものではない。しかし彼らはそれをうまそうに食べているので、私も気分を害すまいと「ヤップドゥ」(very goodの意)を連発した。それに乗じて勧めてくる彼らに辟易したが真の好意であったのだろう。そうこうしているうちに私と彼らはすっかり仲良くなり、子供は調子に乗って歌を歌い出し、服を脱いで小さな息子をあらわにして踊りも始めた。私と子供の父親は大笑いでそれに拍手を送った。このようにしてバター茶とツァンパの食事は終わり、私はシュラフの中にもぐりこんだ。

    彼らはもう寝るものと思っていると父親はお経をとなえ、手を頭の上にかざして祈りはじめた。もう夜の11時過ぎであった。ヤクのフンの火も消えゴンパの中は真っ暗になっていた。彼は細いろうそくの火を頼りに五体投地をしている。彼はさっきまでの笑顔と打って変わって真剣であった。子供が何を話しかけても怒鳴ってそれに答え、ひたすら

「オム マニ ペメ フム」

で始まるお経を繰り返してはゴンパの土間に身を投げ出していた。祈りが終わったのは12時過ぎであった。

以上が僕が1988年に書いていた、チベットの聖山、カイラス山北壁のティラプクゴンパというゴンパで僕が見聞したチベット仏教徒の方の父と子の様子です。

  チベット仏教徒の方の、祈りの真剣さが現在でも記憶に残っています。

 チベット仏教徒の方々は他者のために祈りを捧げるようです。

  五体投地という祈りの仕方のようです。

  僕も、チベットに行った際に五体投地をする方と実際に会いましたが、真剣でした。

  何か、僕にとって大切なことを教えていただいたような気がしています。

    以上、「1988年夏チベット探査報告書」

     ブログに載せます。