2015年12月26日土曜日

「神田川生活(一人暮らし)のクリスマス」

「神田川生活(一人暮らし)のクリスマス」

 僕が新宿区の書店で働きながら、一人暮らしていた頃、使っていたMacのノートパソコンのハードディスクをバックアップしたCDRを現在、使用しているWindowsPCで読めました。

 CDRを見ていると、 当時の状況が、昨日のことのように思い出されます。

 僕が一人暮らしをしていたのは、新宿区の戸山でした。

 藤尾潔さんというライターが「早稲田大学おもしろ話」に書いているように、家賃28千円の4畳半のおんぼろアパートに住んでいました。

 風呂はなし、トイレは共同トイレのアパートでした。

 貧乏暮らしをしていても、クリスマスとかには、気分を変えて、一人でクリスマスを4畳半の部屋でやっていました。

 高田馬場のケンタッキー・フライド・チキンで、買ってきた、チキンをビールを飲みながら、食べるというのが僕のクリスマスでした。

 侘しいクリスマスですが、一人暮らしをしている人間のクリスマスは大抵、この程度のものではないでしょうか?

 その後、僕は心の病気になり、福祉施設に入所しましたが、福祉施設のクリスマスの方が一人暮らしをしていた頃のクリスマスより、よほど盛大で楽しかったです。

 ピザとか出るし、美味しいものを食べられて楽しかったものです。

以上、「神田川生活(一人暮らし)のクリスマス」

ブログに載せます。


 


 

2015年12月25日金曜日

「船戸さんのご冥福をお祈りして」

「船戸さんのご冥福をお祈りして」

 今年、大学探検部の大先輩、船戸与一氏が亡くなりました。
 僕にとっては船戸与一先輩は物凄い大きな方でした。
京都大学探検部が大学探検部で強かった時代に、早稲田大学探検部を世に知らしめた大先輩でした。
 僕は、大学卒業後も、探検部時代の強烈な経験が忘れられず、
 20代の頃、早稲田界隈にアパートを借りて、貧乏生活をしていました。
生活の糧を得るために近所の書店でのアルバイトとビルのメインテナンス会社でのデータベースの検索業務の仕事のWワークで生活の糧を稼いでいました。

 早稲田大学探検部のOBは船戸与一氏や西木正明氏など、著名な作家の方がいました。
 何度も書きますが、僕は大学卒業後、早稲田の四畳半のアパートを借りて、探検部まみれになる生活に挑戦したことがあります。
 船戸与一の「硬派と宿命」、この本は絶版です。
 僕はわざわざ、広尾にある東京都立図書館まで行き、
 全ページをコピーして冊子にまとめました。
 一見馬鹿に見えますが、人生を何かに打ち込むのも大事だと思います。
 当時の僕の月曜から金曜までの生活パターン。

 朝、6時起床。
  朝食
 食パンと牛乳。
 戸山団地の前のバス停から新橋行きのバスに乗る。
 7:00 千代田区、麹町にある会社に出勤。   
 僕の仕事、
 電通のELnetで会社に役立つ情報を収集して、社内報のようなものにまとめて、配る。
この仕事を朝の10時頃までやる。

 10時半頃、
 早稲田のアパートに帰宅。

 雑事を行う。

 12

 昼食
 近所のスーパーで売っていた業務用のスパゲティを茹でてミートソースなどをかけて食事。


 13

 探検・冒険関連新聞記事をマッキントッシュのファイルメーカーというソフトに入力。
探検・冒険関連データベースを作る。

 16

 近所の書店にバイトに行く。

 22

 書店のバイト終了。

 銭湯に行く。

 23時頃 帰宅

 缶ビールを飲んで、レトルトカレーライスの夕飯。

 24時前 

 就寝

 こんな生活を送っていましたが、自分の好きなことをしていると思うと、貧乏も苦になりませんでした。

 早稲田大学探検部というサークルについては、世間からの目は是々非々ありますが、僕にとっては人生の中で、充実した時間を過ごせた場所です。

 大学まで進むと、世間ズレする人が沢山いますが、このサークルでは大学生ながら、真面目に探検・冒険について考えています。
                                                                                                  
 その実績はもう50年以上にわたって証明されています。

 探検部の部員は大抵、アルバイトをして、自分たちの遠征費を捻出します。

 本当に自分のしたいことのためなら、アルバイトくらい出来るかと思います。

 学生時代に真面目に何かに取り組むことは非常に大切だと私は思います。

 現在の早稲田大学探検部がどのような状況か分かりませんが、良き伝統は受け継いで頂きたいと思っています。

 早稲田大学探検部の礎を築いた、大学探検部時代の大先輩、船戸与一さんのご冥福を心よりお祈りするとともに、僕の20代の頃の「神田川生活(一人暮らし)」していた頃の生活も書いておきます。

 以上、「船戸さんのご冥福をお祈りして」

 ブログに載せます。














2015年12月24日木曜日

夫婦善哉会(いいふうふの会)

「夫婦善哉(めおとぜんざい)会」(いいふうふの会)

 1999年のMacのハードディスクをバックアップしたCDRMac Driveを使って見ていたら、1997年の友人の結婚を祝う会のハガキフォーマットの文章がありました。

ブログに掲載するものではないかもしれませんが、一人暮らし(神田川生活)をしていた頃が懐かしいので昨日と同様、ブログに載せてみます。

以下がハガキの文面です。




探検部33期OB会

第一回夫婦善哉会のお知らせ

 
この度、T君が見事Wさんと結婚いたしました。私たち探検部33期では11人目の結婚です。

 そこで二人の結婚にあやかりまして、来る1122日、夫婦善哉会(いいふうふの会)として結婚を祝う会を催すことになりました。

 皆様、お忙しいとは思いますが御伴侶、お子様、お誘い合わせの上、奮ってご参加下さいますようお願いいたします。



日時 1122日 土曜日19:00~

場所 『北海道』

   新宿区西新宿6-5-1新宿アイランドタワー44F

   TEL03-5323-2190

   会費 お一人様 3500円

   ★赤ちゃんが来ますので禁煙とさせて頂きます。

当時、早稲田大学探検部の同期の人間が結婚し、同期では結婚は11人目だったので、ゾロ目に合わせて、

11 22の会=いい ふうふ の会という二人の結婚を祝う会をセッティングしました。



早稲田大学探検部で僕と同期だった方は、真面目に会社員をしていた方が多く、若い頃に結婚していた方が多かったので、皆様の労をねぎらう会をセッティングしていました。

以上、夫婦善哉会(いいふうふの会)

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2015年12月23日水曜日

「桜井誠人さんの結婚披露宴スピーチ」

「桜井誠人さんの結婚披露宴スピーチ」

1999年のMacのハードディスクをバックアップしたCDRMac Driveを使って見ていたら、1997年の友人の結婚披露宴の際の僕のスピーチの文章がありました。

ブログに掲載するものではないかもしれませんが、一人暮らし(神田川生活)をしていた頃が懐かしいのでブログに載せてみます。

早稲田大学探検部33期で同期の桜井誠人の結婚披露宴でのスピーチは以下のようなものでした。


私、早稲田大学探検部で桜井誠人と同期でありました上原和明です。私と桜井誠人はかれこれ十年以上のつきあいでして話したいことは山ほどあるのですが、時間の制約も有りますので今日は探検部時代の桜井のエピソードを中心にお話しをしたいと思います。私が桜井と初めて出会いましたのは、大学一年の六月の春合宿でありました。桜人は入部したのが一ヵ月遅かったのでこのときの合宿が探検部初めての合宿でありました。桜井を初めて見たときの印象はとにかく背が高く、骨格もがっちりしていて、体全体から何かをしてやろうというエネルギーがむんむんと出ておりまして、これはものすごい新人が入部してきたものだと思い同期である私も探検部に彼を受け入れる度量の大きさがあるものかと心配したものでした。合宿は南アルプスの縦走だったのですが、山は不慣れなはずの桜井はまったく苦しそうな表情も見せず、登山の途中では綿のズボンを膝のあたりで切る余裕も見せて半ズボンだった少年時代に帰ったように楽しそうに雪の残る南アルプスを征服していきました。次に桜井といっしょに参加した合宿は大学二年の春合宿、高知県の四万十川川下りでした。このときは桜井の高校時代の後輩もメンバーの一人だったのですが、この男が私の持ってきましたサントリーオールドを割ってしまいました。私が激怒していると彼はわざわざ街まで行って代わりに紙パックの日本酒を買ってきまして私に渡しまして、「上ドンこれでゆるしてあげなよ」と言われました。私は怒っていた自分の未熟さを恥じるとともに桜井の本性といいますか、非常に暖かみの有る優しい男と出会ったものだと内心非常にうれしく思いました。この四万十川川下りで意気投合しました桜井と私は本日出席しております倉島孝行と中谷敏夫を誘って夏のチベット遠征を計画いたしました。都会育ちの四人組みは東京にいるときは口八丁手八丁で探検部の先輩を説得いたしましていろいろと計画を立てられるのですが、現場に行きますと頭の中で抱いていた構想と中国、チベットというフィールドはかなりちがうものでありまして、挫折挫折の繰り返しでありました。カイラスと言いますチベット西部にそびえる聖なる山までの厳しい道のりを四人で助けあいながら進んで行ったのですがなにせチベットは標高5000メートル近い高地でありまして、皆、自分のことで精一杯になります。必然的に四人の人間関係は悪くなりがちになるのですが、そんなときでも桜井は体調を崩さないよう自分を厳しく律して、苦しんでいれば可能な限り助けてくれますし、だまり込んでいれば話しかけてくれます。聞いてみれば桜井のお父さんは高名な医師とのことでありまして、例えは悪いかもしれませんが、門前の小僧手習覚えずと言いますか、親というのはこういうところに出てくるものだと感心いたしました。ここまでお話ししてきたことが学生時代に桜井と私たちとでつくりました探検小説の楽しい一部であります。先日、本を読んでいましたら、ある詩人が、「結婚とは小説の終わりであり、歴史の始まりである」と言っております。小説というのは人間のエゴを最大限に抽出してそれをぶつけ合いドラマを展開して行くものですが、歴史というものは人間の理性を最高の価値において相手を最大限許容しながらみんなで幸福の物語をつくって行くものです。今日この日から桜井誠人Yさんは歴史の中に飛び込んでいくわけでありますが肩肘張ることなく自然な広い心で人間の幸福の物語を作り上げて行ってください。

以上が、早稲田大学探検部の友人、桜井誠人の結婚披露で僕がスピーチした内容です。

僕は吃音ですが、友人の結婚披露宴では何とかスピーチをさせていただきました。

今、18年前の昔の僕のスピーチ原稿を読み返してみると、なかなか、いいことを書いているなと思いました。

これから、知り合いの結婚披露宴とかに出席する予定のある方には少しは参考になればいいなあと思います。

以上、「桜井誠人の結婚披露宴スピーチ」

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2015年12月22日火曜日

『「254」を3回行った』

『「254」を3回行った』

2015年、1211日から、僕のサブブログ、「東日本大震災」関連書籍の紹介サイトにアップしてきた本を三つ目のTwitterアカウント、uedon110から一日25冊紹介しています。

一日に25冊紹介するので、4日紹介活動を行うと、100冊紹介することになります。
(上記の活動を、僕の心の中では、「254」と名付けています。)

今日で、紹介した本の冊数は、300冊になりました。

僕はこれを自分の中では、『「254」を3回行った』と名付けています。

文京区を通る幹線道路の一つに、国道254号線があります。

強引な語呂合わせですが、文京区を通る幹線道路、国道254号線から、発見した法則です。

震災本を一日、25冊紹介する活動を、4日行うと 100冊紹介できる。

小学生の算数のような、計算ですが、こういう単純な活動を継続して行うことによって、日々の生活は規則正しくなります。

生活が乱れている方には、生活のリズムを取り戻す、単純なルーティンで良いと思います。

この「254」(震災本を一日25冊する活動を4日行う)を20回くらい行うと、
「東日本大震災」関連書籍の紹介サイトの本を全て紹介出来ます。

今日で、「254」を3回行いました。

以上、『「254」を3回行った』

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