2024年11月11日月曜日

「早稲田大学探検部チベット高原民族探査隊について」

 「早稲田大学探検部チベット高原民族探査隊について」

  昨日、今日と失礼なメールをしてしまいました。先輩から注意されました。

  メールは以下のようなメールをしてしまいました。

   件名「早稲田大学探検部チベット高原民族探査隊について」

  中島さん、吉澤さん、及びチベットに関わった皆さんへ

 度々のメール失礼します。

早大探検部時代にチベットに関わった方々のメールアドレスを探してメールをしています。

昨日のメールでは斎藤のメールアドレスが間違っていてCcに入れられませんでした。

修正しましたので、斎藤もCcに含めて、昨日のメールを再送させていただきます。

岸田君のメールアドレスが間違っているようです。

 どなたか岸田君のメールアドレスが分かる方がいらしたら教えてください。

 先日、吉澤さんと中島さん(NHK勤務)の制作された番組についてメールでやり取りをしました。

 僕が在日連絡人を務めた第6次チベット高原民族探査隊の計画書(沢田石君作成だと思います)が家にあり、その計画書を読んでいたら、中島さんと吉澤さんの1986年の隊がチベットの第一次隊だと知り、吉澤さんとメールでやり取りをしました。

 計画書によると、

 第一次隊 中島、吉澤隊 ~1986年夏 木村、坂下隊 ~1987年春

 第二次隊 中島、後藤、斎藤隊 ~1987年夏

 第三次隊 斎藤、松田隊 ~1988年夏 上原、桜井、倉島、中谷隊 ~1988年夏

 第四次隊 高橋、斎藤隊 ~1989年冬、春

 第五次隊 中谷、岸田隊 ~1990年春 沢田石、前田隊 ~1990年春

 第六次隊 沢田石、遠藤、桑田隊 ~1990年 夏

 のようです。

  実は先日、吉澤さんより中島さんの制作された番組についてメールが届きまして、吉澤さんとチベットのことについてやり取りをしました。

 吉澤さんとは中島さんの制作された番組について以下のようなメールのやり取りをしました。

  「中島さんの番組」

   先日、早稲田大学探検部32OBの吉澤基勝さんよりメールが届きました。メールは早稲田大学探検部30OBの中島さんの制作された番組についてメールでした。このメールに関して、僕は吉澤さんとやり取りをしました。僕が学生時代に、チベットのカイラスに行っていて、中島さんも吉澤さんもチベットのカイラスに行かれているので、共通の話題になるので、吉澤さんとやり取りをしました。以下のようなメールでのやり取りをしました。

  上原さん

   こんにちは。OB会つながりで、中島さんの制作番組のご紹介をもらいました。今週2本、いずれも再放送ですので、すでに見たかもしれませんが、ご参考まで。

   明日30日(水)1730分~ NHK BS

  アフリカ ナミブ砂漠に水の奇観! - グレートネイチャー - NHK

   112日(土)1930分~ NHK BS

  母なる大河へ...〜地球・“恵みの”川紀行〜 - グレートネイチャー - NHK

   これは2年前に制作した『大遡行!ヤルツァンポ川~聖地を生んだ大陸衝突~』のほかナイル、アマゾン、ライン、モンゴルの河川の過去映像と識者の話を織り交ぜ再編集したものだそうです。小生は先日のOB会の前に見ましたが、中沢新一さんも登場し、カイラスの映像も鮮明で驚きました。

  吉澤

  吉澤さん

  こんにちは上原です。

 中島さんの制作された番組のご紹介ありがとうございます。

 見たい気持ちはあるのですが、実は僕の家ではBSは契約していなくて、

 NHK BSは見られません。

 中島さんの制作された番組のご紹介ありがたいのですが、

 残念ですが、番組を拝見することは出来ません。

  上原

  上原さん

   それは残念。もし地上波で放送することがあって、事前に分かれば、お知らせするようにしますね。

   吉澤

  吉澤さん

    僕の部屋に、探検部の後輩の沢田石君の作った「第6次チベット高原民族探査隊」1990年夏という計画書があるのですが、

    この計画書を読んでみると、チベット隊の第一次隊は、中島さんと吉澤さんの1986年の隊だったようです。

   文化人類学的な調査をチベット自治区にて展開すると書かれていました。

  僕らが1988年に行ったチベットカイラス隊は第三次隊になるようです。

    実は僕は探検部1年生の時の春合宿で、中島さんリーダー、吉澤さんサブリーダーの、南アルプス赤石岳山行(登ったのは聖岳でした)に参加させていただき、その影響もあり、僕も同期の仲間と隊を組んで探検部2年生の時に、チベット、カイラスに行ったのだと思います。

  チベットカイラス隊のことについては僕はブログを書いています。

  「チベットで詠んだ句、カイラスに 帰らすなんて 言わせない」

  http://www.ueharakazuaki.net/2022/06/blog-post.html

 お恥ずかしいブログですが、ここにかなりチベットカイラス隊のことを書いています。

 一つお聞きしたいことがあるのですが、1986年の中島さんと吉澤さんの隊ではチベットではどのようなことをされたのでしょうか?

 関心があるので質問させていただきます。

 お仕事がお忙しいようでしたら、こちらは急ぎませんので、お返事はいつでもいいです。

  上原

  上原さん

    たしかに、中島さんが3年生、僕が1年生の時にチベットに行き、カイラスを回ってきました。中島さんはチベット語を勉強し、念願の地で、僕は幸運にもご一緒させてもらいました。西安で待ち合わせたのだったと思いますが、携帯もない時代によく合流できたものです。

   カイラス巡礼の後は別れて、中島さんが単独でヤルツァンポ上流のネパール国境の方を目指し、僕は新疆ウイグル自治区カシュガルに向かいました。報告書が残っているか、探してみます。

 チベットは天国に近いように当時感じました。

  吉澤

 吉澤さん

  おはようございます、上原です。

 吉澤さんの大学1年生の時のカイラス行のお話が聞けて幸いです。ありがとうございます。

 吉澤さんは大学1年生の時にカイラスに行かれていたのかと驚くばかりです。

 しかも中国の西安で中島さんと待ち合わせして、西安からカイラスを目指さされたようです。

 中島さんと吉澤さんのお二人でカイラスに到達して、きちんとカイラス山の周囲の巡礼路を巡礼して、

 巡礼後、中島さんは単独でヤルツァンポ上流のネパール国境の方を目指され、

 巡礼後、吉澤さんは単独で新疆ウイグル自治区に行かれカシュガルに行かれたようです。

 実際にチベット、カイラスに行った人間からすると、中国から、チベットに行くだけでも高山病にもなりますし、

 尚且つ、チベット西部のカイラスに至っては、到達するだけで僕らの1988年の隊(上原、桜井、倉島 中谷の隊)

 は精一杯でした。

 中島さんと吉澤さんの行動力、語学力、体力にも驚くばかりです。

 カイラス巡礼路の最高標高点ドルマラ峠のことや、宿泊するゴンパのことなど、

 お聞きしたいことは多くあるのですが、メールでご質問するのも失礼だと思いますので、

 この辺でやめておきます。

 今回の番組はNHK BSなので見られませんが、

 また、中島さんがチベット関連の番組の制作に携われた際にお知らせいただければ幸いです。

  上原

  上原さん

   どういたしまして。一つ記憶違いで訂正です。待ち合わせしたのは西安ではなく、青海省の西寧でした。格安航空券で日本から香港に飛び、広州から西安行きの夜行列車に乗りました。西安をぶらっとした後、西寧に向かって中島さんと合流したのでした。

 ドルマ峠は今もって人生の最高地点です。ずっと地面を這って行きましたので、幸い高山病にはなりませんでしたが、酸素が薄く、息切れして苦しかった覚えはあります。

 ちなみに僕がテントのポールを持って行くのを忘れ、中島さんから叱られたのも苦い思い出です。木の枝で代用しました(_;

 断片的な回想で失礼します。ではまた。

  吉澤

  吉澤さん

  お忙しいと思いますが、メールを下さりありがとうございます。

 中国青海省西寧で中島さんと待ち合わせだったのですか?大変だったと思います。

 僕らの隊は、成田で4人(上原、桜井、倉島、中谷)集合して香港に行きました。

 香港から四川省成都まで飛行機で行き、成都から汽車で青海省西寧に行き、西寧から汽車で南下してラサに入りました。

 ラサからはヒッチハイクでトラックを乗り継ぎ、なんとかカイラスに到達しました。

 カイラスの周囲の巡礼路では、カイラス北壁にあるゴンパ(ディラプクゴンパ)に泊まりました。

 ドルマ峠では僕も本当に苦しくて、ザックが約20キロもあり、僕も地面を這うようにして歩き、なんとか難所を乗り越えました。僕にとってもドルマ峠が今までの人生の最高標高点です。

 ところで、吉澤さんは中島さんと連絡をとっていらっしゃるでしょうか?

 実は、2021年にインドブラマプトラ川川下りに一緒に行った関口君という方と高田馬場にある、

 インド・ネパール・チベット料理屋で軽く飲んだのですが、

 その店ではチベット料理のモモも食べられました。

 お店はこんな感じです。

 https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130503/13024860/

 もし中島さんと吉澤さんが高田馬場にいらっしゃるようなことがありましたら、一度、チベットのことについて直接お話を伺いたいです。

 僕は主に、昼間はTwitter(現X)をしていて、あとは、父と母の介護のようなことをしています。仕事はしていません。

 時間的に遅くなると高齢の両親に悪いので、午後7時くらいで帰れるような会なら参加出来ます。

 中島さんと吉澤さんのご都合に合わせますが、僕も友達もいなくて、一人で家の雑事や親の病院の付き添いなどをしていて、学生時代の昔話が分かる方とお話がしたいというのが本心です。

 僕の都合を書いてしまて申し訳ありませんが、もし、中島さんと吉澤さんが高田馬場にいらっしゃるようなことがあれば、

 一度、中島さんと吉澤さんにチベットのお話を直接伺いたいです。

 本来なら、こちらから、中島さんや吉澤さんの勤務地に出向くのが礼儀だと思いますが、

 失礼かもしれませんが、高田馬場でのインド・ネパール・チベット料理屋さんでの会が出来ないかと思いましてメールをさせていただきます。

  上原

  上原さん

  了解しました。中島さんに相談してみます。少しお時間をください。貴兄もきっと体調の良し悪しがあるでしょうから、相談して行きましょう。

  吉澤@京都(一応出張です)

  吉澤さん

  メールを確認しました。

 了解です。

 お手数をおかけしてしまいますが、どうぞよろしくお願いいたします。

  上原

  吉澤さん

  高田馬場でのインド・ネパール・チベット料理屋さんでの会の話とは関係がないのですが、

 1988年に僕らが行ったチベットカイラス隊のルートの訂正をしておきます。

 成田で4人(上原、桜井、倉島、中谷)集合(飛行機)香港(電車)広州(飛行機)成都(電車)西寧(電車だったと思います)ゴルムド(バス)ラサ(ヒッチハイクでトラックを乗り継ぎ)カイラスだったと思います。

 記憶違いで申し訳ありません。

 吉澤さんは大学1年生で一人で青海省の西寧まで行かれたとは本当に驚いています。

  上原

  以上のようなメールのやり取りを早稲田大学探検部32OBの吉澤さんとしました。

    吉澤さんが早稲田大学1年生の時に、お一人で中国青海省西寧まで行かれて、西寧で中島さんと待ち合わせされ、その後、中島さんと吉澤さんのお二人でカイラスに到達され、カイラス山の周囲の巡礼路を歩かれたことも分かりました。大学1年生で、標高5600メートルを超える所に行かれていて本当にすごいなと思いました。

   カイラス巡礼後は、お二人は別れて、中島さんは単独でヤルツァンポ上流のネパール国境の方を目指され、吉澤さんは単独で新疆ウイグル自治区に行かれカシュガルに行かれたようです。

    僕も早稲田大学探検部2年生の時に同期の仲間と4人で隊を組んで、チベットカイラスに行きましたが、僕の人生の最高標高点がチベットカイラスの巡礼路のドルマラ峠でした。

    中島さんと吉澤さんとはチベット、カイラスという共通の話題があるので、是非、一度直接お会いして、チベットの話、カイラスのお話を伺いたいと思いました。

    お二人ともお忙しいと思うので、そう簡単に、会うことは出来ないかもしれませんが、メールにも書いている高田馬場でのインド・ネパール・チベット料理屋さんでの会が、中島さんと吉澤さんと出来れば良いなと思っています。

 吉澤さんの承諾は得ていませんが、以上のようなメールのやり取りを吉澤さんとしたことをお知らせしておきます。

もし、高田馬場でのインド・ネパール・チベット料理屋さんでの会が実現したら、皆様もご参加されませんか?

 先日は吉澤さんと中島さんの制作された番組についてメールでやり取りをしたので、早稲田大学探検部時代にチベットに関わった方々にメールをしておきます。

 このメールを足がかりに、早大探検部時代にチベットに関わった方々が集まっての高田馬場のインド・ネパール・チベット料理屋さんでの会が実現したら良いと思っています。

 皆様からのご返信をお待ちしております。

 上原和明

  以上のようなメールを早大探検部時代にチベットに関わった方々にしてしまいました。

  吉澤さんから注意されました。会は少人数の方が話しやすいということで、会は少人数で開催することになりました。

  今後、このようなメールはしないように気を付けようと思っています。

  以上「早稲田大学探検部チベット高原民族探査隊について」

  ブログに載せます。

 

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