「中島さんの番組」
中島さんの制作された番組のご紹介ありがとうございます。
見たい気持ちはあるのですが、実は僕の家ではBSは契約していなくて、
NHK BSは見られません。
中島さんの制作された番組のご紹介ありがたいのですが、
残念ですが、番組を拝見することは出来ません。
この計画書を読んでみると、チベット隊の第一次隊は、中島さんと吉澤さんの1986年の隊だったようです。
文化人類学的な調査をチベット自治区にて展開すると書かれていました。
僕らが1988年に行ったチベットカイラス隊は第三次隊になるようです。
実は僕は探検部1年生の時の春合宿で、中島さんリーダー、吉澤さんサブリーダーの、南アルプス赤石岳山行(登ったのは聖岳でした)に参加させていただき、その影響もあり、僕も同期の仲間と隊を組んで探検部2年生の時に、チベット、カイラスに行ったのだと思います。
チベットカイラス隊のことについては僕はブログを書いています。
「チベットで詠んだ句、カイラスに 帰らすなんて 言わせない」
http://www.ueharakazuaki.net/2022/06/blog-post.html
お恥ずかしいブログですが、ここにかなりチベットカイラス隊のことを書いています。
一つお聞きしたいことがあるのですが、1986年の中島さんと吉澤さんの隊ではチベットではどのようなことをされたのでしょうか?
関心があるので質問させていただきます。
お仕事がお忙しいようでしたら、こちらは急ぎませんので、お返事はいつでもいいです。
カイラス巡礼の後は別れて、中島さんが単独でヤルツァンポ上流のネパール国境の方を目指し、僕は新疆ウイグル自治区カシュガルに向かいました。報告書が残っているか、探してみます。
チベットは天国に近いように当時感じました。
吉澤さんの大学1年生の時のカイラス行のお話が聞けて幸いです。ありがとうございます。
吉澤さんは大学1年生の時にカイラスに行かれていたのかと驚くばかりです。
しかも中国の西安で中島さんと待ち合わせして、西安からカイラスを目指さされたようです。
中島さんと吉澤さんのお二人でカイラスに到達して、きちんとカイラス山の周囲の巡礼路を巡礼して、
巡礼後、中島さんは単独でヤルツァンポ上流のネパール国境の方を目指され、
巡礼後、吉澤さんは単独で新疆ウイグル自治区に行かれカシュガルに行かれたようです。
実際にチベット、カイラスに行った人間からすると、中国から、チベットに行くだけでも高山病にもなりますし、
尚且つ、チベット西部のカイラスに至っては、到達するだけで僕らの1988年の隊(上原、桜井、倉島 中谷の隊)
は精一杯でした。
中島さんと吉澤さんの行動力、語学力、体力にも驚くばかりです。
カイラス巡礼路の最高標高点ドルマラ峠のことや、宿泊するゴンパのことなど、
お聞きしたいことは多くあるのですが、メールでご質問するのも失礼だと思いますので、
この辺でやめておきます。
今回の番組はNHK BSなので見られませんが、
また、中島さんがチベット関連の番組の制作に携われた際にお知らせいただければ幸いです。
ドルマ峠は今もって人生の最高地点です。ずっと地面を這って行きましたので、幸い高山病にはなりませんでしたが、酸素が薄く、息切れして苦しかった覚えはあります。
ちなみに僕がテントのポールを持って行くのを忘れ、中島さんから叱られたのも苦い思い出です。木の枝で代用しました(・_・;
断片的な回想で失礼します。ではまた。
中国青海省西寧で中島さんと待ち合わせだったのですか?大変だったと思います。
僕らの隊は、成田で4人(上原、桜井、倉島、中谷)集合して香港に行きました。
香港から四川省成都まで飛行機で行き、成都から汽車で青海省西寧に行き、西寧から汽車で南下してラサに入りました。
ラサからはヒッチハイクでトラックを乗り継ぎ、なんとかカイラスに到達しました。
カイラスの周囲の巡礼路では、カイラス北壁にあるゴンパ(ディラプクゴンパ)に泊まりました。
ドルマ峠では僕も本当に苦しくて、ザックが約20キロもあり、僕も地面を這うようにして歩き、なんとか難所を乗り越えました。僕にとってもドルマ峠が今までの人生の最高標高点です。
ところで、吉澤さんは中島さんと連絡をとっていらっしゃるでしょうか?
実は、2021年にインドブラマプトラ川川下りに一緒に行った関口君という方と高田馬場にある、
インド・ネパール・チベット料理屋で軽く飲んだのですが、
その店ではチベット料理のモモも食べられました。
お店はこんな感じです。
https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130503/13024860/
もし中島さんと吉澤さんが高田馬場にいらっしゃるようなことがありましたら、一度、チベットのことについて直接お話を伺いたいです。
僕は主に、昼間はTwitter(現X)をしていて、あとは、父と母の介護のようなことをしています。仕事はしていません。
時間的に遅くなると高齢の両親に悪いので、午後7時くらいで帰れるような会なら参加出来ます。
中島さんと吉澤さんのご都合に合わせますが、僕も友達もいなくて、一人で家の雑事や親の病院の付き添いなどをしていて、学生時代の昔話が分かる方とお話がしたいというのが本心です。
僕の都合を書いてしまて申し訳ありませんが、もし、中島さんと吉澤さんが高田馬場にいらっしゃるようなことがあれば、
一度、中島さんと吉澤さんにチベットのお話を直接伺いたいです。
本来なら、こちらから、中島さんや吉澤さんの勤務地に出向くのが礼儀だと思いますが、
失礼かもしれませんが、高田馬場でのインド・ネパール・チベット料理屋さんでの会が出来ないかと思いましてメールをさせていただきます。
了解です。
お手数をおかけしてしまいますが、どうぞよろしくお願いいたします。
1988年に僕らが行ったチベットカイラス隊のルートの訂正をしておきます。
成田で4人(上原、桜井、倉島、中谷)集合(飛行機)→香港(電車)→広州(飛行機)→成都(電車)→西寧(電車だったと思います)→ゴルムド(バス)→ラサ(ヒッチハイクでトラックを乗り継ぎ)→カイラスだったと思います。
記憶違いで申し訳ありません。
吉澤さんは大学1年生で一人で青海省の西寧まで行かれたとは本当に驚いています。
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