「チベットに行く前の1988年1月13日の日記 混沌 価値観」
1月13日(水) はれ
人間は楽しく生きるべきか?楽しいだけは何かをなすことはできない。気が滅入っている。
俺は孤独に耐えられないのかもしれない。
支えがないのである。甘えてはいけない。
俺は男だ。されど弱い。強さが必要だ。
強さだけでは優しさは生まれない。
“タフでなければ生きられない、優しくなければ男じゃない”
何と難しいことだろう。
下らんことに悩むバカよ。
負けるな一茶ここにあり。
意志の力で自分を支えていくしかない。
逃避の楽しさを否定することはできるが、現代は甘えの構造と呼ばれる。
甘えようと思えば甘えられるのである。
楽しもうと思えば存分に楽しめるのである。
そのとき人は何か忘れ物をしていないだろうか?
忘れ物をしたときには、もしかしたら、惰性と妥協の一見楽しい、いや、真に楽しい生活ができるのかもしれない。
しかし、忘れ物をしなかった者は、俺から見ると美しいのである。
そうだ、美しく生きているのである。
俺の親も俺から見れば、やはり美しいのである。
それが、現実には不幸であったかもしれないが。
しかしそれは、一つの価値観の問題である。
生きるために働くことができた世代の了見の狭さは俺も痛感している。
しかし、それでも俺は彼らに勝っているとは思えないのである。
もう、ハタチである
このままでは、混沌の中に突っ込んでいく。
これはざんげであるかもしれない。
充足しない自分に対して甘えているのだ。
強くなれ!
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