チベットに行く前の1988年1月27日の日記 価値観 アンチテーゼ」
先日、部屋の掃除をしていたら、僕が早稲田大学探検部でチベットに行った1988年のDiary(日記)が見つかりました。日記には僕が早稲田大学探検部でチベットに行く前の心境が書かれています。
チベットのことは書かれていませんが、今日は、1988年1月27日の日記をブログに載せたいと思います。
1988年の1月27日の日記は以下のような日記でした。
1月27日(水) 天気 はれ
今日は映画「イージーライダー」を見た。
今から20年前の作品とは言え、今の自分にとっても衝撃的なものだった。
都市の束縛を捨て、自由を求めてバイクの旅に出るピーター=フォンダとデニス=ホッパー。
彼らは、現代の価値観の縄に縛られない自由を求めるのである。
しかし、彼らは、どことなく充足していないようである。
そして、ラストで2人は権力の象徴、警察により、見事に殺される。
いや、自由のために殉死するのである。
デニス=ホッパーが冗談のライフルで撃たれた後、ピーター=フォンダは警察の車に突っ込んでいく。
悲しいアナーキストの最期である。
ここには、希望などというガキみたいな意味づけは全く無い。
ただ、現実を直視した冷静な目のみがある。
しかし、これは、現代に対する鋭いアンチテーゼなのだ。
巨大権力に対しての抵抗を希望無き中で推進していく2人のドンキホーテの姿に若者たちは何かを感じるはずである。
この映画の20年後、学生運動の反動から我々の世代は見事なまでに無気力となった。
自分もそうである。
そんな中でこの映画を見て、みんなはどう感じるだろうか?
ただのバカな2人のヒッピーとせせら笑うか?
いや俺は、そんな風に思いたくはない。
バカなマヌケだから人々は勇気づけられるのである。
みんな自分の本音を隠している中で、見透かしたような笑いを浮かべているようではいけないのである。
以上が1988年1月27日の僕の日記の文章です。
アメリカ映画、「イージーライダー」を見ての日記でした。
映画「イージーライダー」のラストを見て、僕がこの映画が現代に対する鋭いアンチテーゼなのだと思っていることが分かります。
この映画の主人公が、現代の価値観の縄に縛られない自由を求めていると僕が思っていることも書いています。
この日記に、「現代の価値観」「現代に対する鋭いアンチテーゼ」という言葉が出てきます。
先日、部屋の掃除をしたら、僕が早稲田大学探検部でチベットに行った1988年のDiary(日記)が見つかったので日記に書いていた文章をブログに載せます。
以上、「チベットに行く前の1988年1月27日の日記 価値観 アンチテーゼ」
ブログに載せます。
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