2022年10月2日日曜日

「チベットに行く前の1988年2月27日の日記」

 「チベットに行く前の1988227日の日記」

  先日、部屋の掃除をしていたら、僕が早稲田大学探検部でチベットに行った1988年のDiary(日記)が見つかりました。日記には僕が早稲田大学探検部でチベットに行く前の心境が書かれています。

  チベットのことは書かれていませんが、1988227日の日記を読み返していたらおもしろかったので、ブログに載せたいと思います。

1988年の227日の日記は以下のような日記でした。

 2月27日(土) 天気 ゆき

  将来何をすべきか最近考えるようになってきた。大学の初めの頃は、別に飯さえ食べていければバイトでも何でもやって生きていこうとも考えていたが、何故大学に行っているのかと思うとそんなことも言っていられない。

 しかも俺は親に最近甘えるようになってきた。これが正常な状態なのかもしれないが、正常な学生が将来変わったことが出来るのか?

 何を言っているのか分からないが、親の愛情を受け入れている限り、俺は親に報いなければならないのではないか?

 加藤先生の気持ちに対しても同じである。

 俺が将来プー太郎になるようにあのようなことをしてくれたとは思えない。

 社会にとって役に立つ人間になってくれよと俺をあれほど世話してくれたはずである。

 このことは過去に対しての束縛なのであろうか?

 俺は知らぬ間に自由を失ってしまったのか?

 この自由は一体何なのか?

 他人の気持ちだけを自分の利益に結びつけ、あとは勝手気ままにやることが、真の自由なのか?

 俺にはやはり日本伝統の義理を強く持っているかもしれない。

 口では過去に縛られるなと言っても、どこかで責任を感じてしまうのである。

 これが大人の世界なのか?

 20才というのがそれほどに意味を持っているとは思わないが、最近、自分の周囲に対して責任というようなものを感じ始めてきた。

 尾崎よ、本当に卒業できるのか?

 さびしくないのか?

  以上が1988227日の僕の日記の文章です。

  僕が早稲田大学2年生の時、別に飯さえ食べていければバイトでも何でもやって生きていこうとも考えていたことが分かります。

  1988227日の日記を読み返していたらおもしろかったのでブログに載せます。

  先日、部屋の掃除をしたら、僕が早稲田大学探検部でチベットに行った1988年のDiary(日記)が見つかったので日記に書いていた文章をブログに載せます。

   以上、「チベットに行く前の1988227日の日記」

   ブログに載せます。

 

 

 

 

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