「チベットに行く前の1988年1月7日の日記 混沌」
いよいよ1988年になる。去年の俺は、おととしとは違った意味で素晴らしい一年であった。
2月の大学受験、3月の合格発表、4月の入学、4,5,6と皿洗いのバイト、7月から8月にかけてのヤップ。8月から9月にかけての百姓のバイト、9月から10月にかけての入院、10月から12月までの苦しみ、寿司屋のバイトと一つのしっかりしたヴィジョンに向けた行動とは思えないが、様々なことができて非常に面白い一年であったちがいない。
今年は、どんな年になるかまだ先は漠然としていて、はっきりしたものは見えてこないが、混沌としているからこそ楽しいのかもしれない。
先の見えた人生は、ある意味で楽しいとは言えないかもしれない。幸せであるかも知れないが。
とにかく失敗を恐れていては、何かをやることはできないであろう。
何度も挫けて、挫けて、そしてできれば、「挫けぬ男」になりたいものだ。
とにかく俺は、傲慢にだけはなってはいけない。
俺は根が単純だ。悪く言えば、優柔不断であり、よく言えば臨機応援である。その場に適応していく能力はいくらかあるのかもしれない。
それを支えていく力は、常に謙虚でいることであり、それが日和見主義であってもそれが俺の長所であるような気がする。
そろそろ一つの方向に固まっていかなければ、何かを成すことはできないかもしれない。
もう20歳だ。難しい所である。
以上が1988年1月7日の僕の日記の文章です。
20歳になり、自分のことを客観的に見て、何かを成そうとしていることが分かります。
先日、部屋の掃除をしたら、僕が早稲田大学探検部でチベットに行った1988年のDiary(日記)が見つかったので日記に書いていた文章をブログに載せます。
以上、「チベットに行く前の1988年1月7日の日記 混沌」
ブログに載せます。
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