「チベットに行く前の1988年3月1日の日記」
1988年の3月1日の日記は以下のような日記でした。
奴も体に似合わず繊細な神経の持ち主である。
どういうことはないのだろう。
インドに行っても、初めはいろいろととまどうと思うが、奴なら適応していくだろう。
奴のパワーは今の俺にとっても一つの刺激となる。
全く困ったものだ。
昨日見たコーラスラインといい、今日聴いたリック=スプリングフィールドといい、そして倉島の電話といい、俺はやけに元気が出てきた。
今までが元気がなさすぎたのかもしれない。
本を読むとどうしても気持ちが明るくならないものだ。
単純と言われようが、明るいということはいいことだ。
しかし、この3月を俺は何をしていくかまだ決断しかねている。
勉強したいところであるが、先のことを考えるとバイトをしなければならないだろう。
何しろ、みんなに何も言わずに合宿免許に行ってしまったのである。
裏切りと言われても仕方ない。
斉藤からのバイトもまわってこないようだ。
やはりきちんと言っておくべきだったかもしれない。
3月になり、空気も春めいてきた。
退院してからの気の滅入る生活からもおさらばで、これからは燃えるような生活をしたい。
夏にはジンバブエに行きたいが、そのためには多くの犠牲が必要となってくるだろう。
しかし、ジンバブエには今しか行くチャンスがないような気がする。
20才最後のバカ行動として、思い切ってやるべきだ。
やはり、働くか。
俺は他人に気を使い過ぎたのかもしれない。
自分の好きなことをしてこそ、後悔はないはずという俺にとっての大きな真理を実践してこそ先が見えるような気がする。
全く今回は、浮かれ気分でろくなことも書けないが、荒ぶる心が生まれてきたぜ。
僕がジンバブエというアフリカの国に行きたかったことが分かる文章だと思います。
早稲田大学探検部の同期だった倉島がインドに行くということで電話があり、僕もエキサイトしていたことも分かります。
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