「チベットに行く前の1988年3月25日の日記 価値観」
1988年の3月25日の日記は以下のような日記でした。
3月25日(金) 天気 くもり
最近、どうも頭が働かなくなってきた。
90分単位で頭を休めないと頭に入らない。
いきなりサミュエルソンの経済学というのをやっているが、やはり俺はバカだと思う。
何をやるにも集中力が無いのである。
カミュの言っていることは当たっていると思うが、それを全人類に当てはめてみると、疎外される人間が限りなく出る。
やはり、文学は一つの高尚な小宇宙なのである。
芸術的なものと経済学を一緒にやっていると、全く価値観は異なっているようで、実はお互いに補完し合っていることに気づく。
芸術の栄えるところには、必ず大規模な経済社会があるし、経済的成金の最終的に求めるところは、芸術的名声なのである。(コレクションにおいて)
同様のことは、政治の分野でもそうであるだろうし、科学もまたしかりである。
それぞれの適した分野において精一杯のことをやれる社会、つまり自分の能力を最もよく発揮でき、なおかつ、職業的差別、金銭的差別のないような社会で、お互いに他人を認め合えうるような社会が良いのであろう。
それには、自分の立場から何かを主張することは絶対に必要であると思う。
それでいて、ちゃんと相手の立場を理解していることが必要なのである。
日本人は和を重んじ、相手の立場を考えすぎるあまり、本音が言えないことがあまりにもあり過ぎる。
お互い本音を言い合い、それでいて理解できる人間関係が最も良いはずである。
以上が1988年3月25日の日記です。
僕が文学的なもの、芸術的なものと経済的なものは、全く価値観は異なっているようで、実はお互いに補完し合っていることに気づいていることが分かります。
文化に関する考察を日記でしていたようです。
1988年3月25日の日記を読み返していたらおもしろかったのでブログに載せます。
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