2017年10月20日金曜日

「物書き連中の怒り、うつ感情を抑えるためには 震災本を 集めて早し 神田川 と詠むしかなかなかった」

「物書き連中の怒り、うつ感情を抑えるためには 震災本を 集めて早し 神田川 と詠むしかなかなかった」

 僕は長い間、「震災本を 集めて早し 神田川」と詠み続けています。

 2011年の東日本大震災、それに伴う、福島原発事故以来、多くの物書き(新聞記者も含む)の方々が、憤り、怒り、憂い、うつ状態にも近くなって本を書かれていると思います。。

 中には読むのもしんどい本も多くあり、ボクシングの打ち合いのような感じで本を書かれている方もいます。

 本を書かれている物書き(新聞記者を含む)の方々の怒り、うつ感情を抑えるためにも、僕は、

 「震災本を 集めて早し 神田川」

と詠み続けざるを得ませんでした。

 本を書くことが悪いことだとは思いませんが、「震災本」も本という価格のついた一商品です。

 本を作る工程があり、文章を執筆する方だけが、本作りを担っているわけではありません。

 本作りの工程の一役を担っている、神田川沿いの製本業、印刷業、などの紙産業に従事する方々の風景を詠むことによって、僕は、「震災本」を書かれた方々の怒り、うつ感情を抑えてきたつもりです。

 福島県に電気作りを任せてきたことを本に書かれている方々が多いですが、東京都に本作りを任せてきたことも事実です。

 東京都の文京区の地場産業に従事する方々の風景を詠み続けることによって、僕は、「震災本」を書かれた方々の怒り、うつ感情を抑えてきたつもりです。

 新聞社に代表されるマスコミの世論誘導に巻き込まれないように、僕はあえて、

 「震災本を 集めて早し 神田川」

と詠み続けてきました、

 物書き(新聞記者含む)連中の怒り、うつ感情が収まったかは分かりませんが、一般人が物書き(新聞記者含む)連中の怒り、うつ感情に影響されないように、

 「震災本を 集めて早し 神田川」

を詠んできました。

 以前、ブログを書いたように、句にある、「早し」から想起されるように僕が「早死に」したら、国語の教科書からも、松尾芭蕉の句は削除されるかもしません。

 僕のことを嫌う、物書き(新聞記者含む)の方々も多いかとは思いますが、僕はあえて、

「震災本を 集めて早し 神田川」

と詠み続けてきました。

物書き(新聞記者含む)連中の怒り、うつ感情が少しでも収まっていれば良いと内心思っています。

以上、「物書き連中の怒り、うつ感情を抑えるためには 震災本を 集めて早し 神田川 と詠むしかなかなかった」

ブログに載せます。





 

 

 

 






 

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