2016年8月21日日曜日

「頑張って、3年以上障害者雇用で働いても、結局、過労で退職した」

「頑張って、3年以上障害者雇用で働いても、結局、過労で退職した」

 僕は、2007年から、障害者雇用で週5、一日8時間働いていました。

 通勤時間も片道1時間半以上、かなりきつい、勤務でした。

一度、僕はとても体調が悪かったので、昔、在籍していた本郷の森、銀杏企画セカンドに仕事がきつくて、仕方ないのですがと相談に行きました。

 2008年の4月頃にも相談に行ったと思います。

 僕が相談したO職員さんからは最低でも3年は頑張ってみるとのお言葉をいただきました。

 僕はO職員さんに関しては、全く悪い感情を持っていないし、O職員さんからは貴重なお言葉をいただき有り難いと思いました。

 ただ、その後の経過を振り返ってみると、結局、過労という形で、勤務していた会社を退職してしまったし、傷病手当金請求にまで至っています。

 障害者を雇って、ここまで追い込む会社はブラックと言われても仕方ないと思います。

 僕が本郷の森、銀杏企画に相談に行くときは、不真面目な気持ちでは相談に行っていません。

 状況が切迫しているから、相談に行きます。

 ただ、本郷の森、銀杏企画の職員さんも、障害者雇用の現場を知っているわけでもなく、普通に働いているものと勘違いすることもあるかと思います。

 結果として、僕は、本郷の森、銀杏企画に相談しても、過労による退職、傷病手当金請求という結果になりました。

 もともと、過労で精神病になった人間であるにも関わらず、その人間を雇って、再び、過労で退職に追い込むとは本当に酷いと思います。

 本郷の森、銀杏企画は全く、僕が勤務していた会社に対して抗議してくれませんでした。

 僕が、本郷の森,銀杏企画から足が遠ざかることにになった原因も、僕の状況をきちんと把握せずに、善意かとは思いますが、頑張れ、頑張れの一点張りだったことがあります。

 僕が2010年に、再び、本郷の森、銀杏企画に入所した際にも、僕の担当になった職員さんから、

「銀杏企画をどこで知った?」とか

とか、なにやら偉そうな言葉を吐かれました。

確かに歴史の古い作業所で、バレーボールも強いし、就労支援にも力を入れていて、自分たちの作業所に自信を持っているのかと思いますが、僕から見ると、職員を含め、障害者雇用の現場を知らない人も多いと思うし、そんなに自分たちの作業所に自信を持っているのかなと不審に思いました。

職員さんも確かに勉強して、頑張って仕事をしているかもしれませんが、現場を知らな過ぎるので、結局、対話は成立せずに、僕の就労も叶わぬこととなりました。

もう、僕は、本郷の森、銀杏企画関係者とは、ネット以外では関係を断とうと思っています。

昔、僕が投稿していた、「銀杏企画三丁目の掲示板」の管理人さんも、ネット大好きの気持ち悪い人間だったし、付き合いたくない人間の一人です。

バレーボールは上手かったので、バレーボールの練習中は言うことを聞いていましたが、ネット大好きな気持ち悪い人間だと現在では思っています。

いろいろな職員さんと関わってきましたが、結局、僕にとって良い方向に導いてくれるような職員さんはいませんでした。

もう年賀状も出していないし、これからも年賀状は出さないと思います。

自分たちの内輪で、仲良く作業所を運営していけば良いと思っています。

昔、「銀杏企画三丁目の掲示板」に書き込みをしていたころは、文章も上手い方もいらして、とても勉強になりましたが、現在の「銀杏企画三丁目の掲示板」を見ていると、何だこりゃという感じです。

もう、「本郷の森 銀杏企画」という名の付く方々とはネット以外では、縁を切りたい(離縁したい)と思っています。

「本郷の森 銀杏企画」には「本郷の森 銀杏企画」の言い分があると思いますが、僕の「本郷の森 銀杏企画」に対して抱いている気持ちについて正直にブログに書いてみました。

以上、「頑張って、3年以上障害者雇用で働いても、結局、過労で退職した」

ブログに載せます。









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