「早稲田大学探検部物語を読んでみて」
昨日、早稲田大学探検部OB会より、メールが届きました。
メールには、早稲田大学探検部OBである恵谷治さんの「早稲田大学探検部物語」が添付されていました。
添付されていたWordのファイルは40ページにも及ぶ、文章で、読み応えのある文章でした。
早稲田大学探検部の生い立ちのことも書かれていました。
早稲田大学探検部の歴史が良く分かる文章でした。
早稲田大学探検部が早稲田大学の中でも国際志向で、日本脱出を考えていた方々の集まりであることも分かりました。
早稲田大学探検部で幹事長を務めた方が後に直木賞を受賞していることも分かりました。
早稲田大学探検部で副幹事長を務めた方が、後に鎌倉市長になったりしていることも分かりました。
早稲田大学探検部が運動部ではなく、サークルで、体育会ではないことも書かれています。
早稲田大学探検部がもともと映像の分野でも強かったことも書かれています。
早稲田大学探検部での死亡事故のことも書かれていて、他人事ではないと思いました。
富士川川下り中の事故のようですが、文章を読んでいると辛くなりました。
早稲田大学探検部物語を書いている筆者の方ご自身も早稲田大学探検部の幹事長を引責辞任していることも分かりました。
もともと、早稲田大学探検部がバイタリティのあるサークルで、かなり優秀な学生の方々の集まりだったことも分かりました。
僕も、早稲田大学在学中は早稲田大学探検部に所属していましたが、僕らの頃の早稲田大学探検部とは比べ物にならないくらいのサークルであったことが分かりました。
人間の格が違うというか、凄い方々が集まっていらしたサークルだったのだと思います。
僕らの頃の早稲田大学探検部は、現代っ子型のサークルだったと思います。
僕も早稲田大学探検部には所属していましたが、僕は早稲田大学探検部だったと言えるような人間ではないので、僕のことは除名していただいても良いと思っています。
僕は貧しいし、精神的にも、「貧困な精神」を持っているので、僕のことは除名していただいても良いと思っています。
以上、「早稲田大学探検部物語を読んでみて」
ブログに載せます。
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