「震災本を 集めて早し 神田川 では、人はついてこないと思ったが、詠み続けている」
僕は長く、「震災本を 集めて早し 神田川」と詠み続けています。
神田川に縁のない人もいると思うし、
「震災本を 集めて早し 神田川」
では人はついてこないとも思いましたが、僕は同じ句を詠み続けています。
案の定、ツイッターのフォローワーさんはここ1年間で100人くらい減っています。
東京に住んでいるなら、銀座とか六本木とか渋谷とかに行きたいと思っている人も多いと思うし、僕が長く僕の地元の神田川沿いの様子を詠み続けているので、ツイッターのフォロワーさんも減っているのだと思います。
ただ、僕に出来ることは、「震災本を 集めて早し 神田川」と詠むことくらいしか出来ないので、自分の出来ることをしています。
これが僕の実力なので、フォロワーさんが1年間で100人くらい減っているのも、僕に対する正当な評価だと思います。
等身大の僕を表現している句なので、身の丈にあった活動が、
「震災本を 集めて早し 神田川」を詠むことです。
自分で出来ることをしているので、無理しなくても良いし、ある程度の安全も確保されている活動です。
僕の真の姿を表している句であり、活動なので、僕にはこれ以上のことは出来ないと思っています。
昨年から1年間でツイッターのフォロワーさんが100人くらい減っているので、長く、
「震災本を 集めて早し 神田川」
と詠んでいることが悪いのかなとも思いブログを書いてみました。
以上、 「震災本を 集めて早し 神田川 では、人はついてこないと思ったが、詠み続けている」
ブログに載せます。
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