「日本死ねを考える」
ネットの世界とは怖い世界で、普通ではとても発さない言葉とかも見られます。
話題になった言葉では、「日本死ね」でしょうか。
ネットの世界の法は、まだ確立していないようだし、悪意のある言葉に対しての措置もないようです。
僕はブログでは、「死ね」とか「殺せ」とかの言葉も使っていないし、なるべく穏やかにブログを書くようにしていますが、日本の言論界のリーダーとも思われる朝日新聞でさえ、
「日本死ね」のブログとかを朝日新聞一面で肯定的に取り上げたり、日本のマスコミも含めて言葉に関する感覚が麻痺しているような気もしています。
いわゆる、言論人、表現者と言われている方々が、ネット環境で自由な言論活動、表現活動をしているので、言論行為、表現行為の中に、「死ね」とか「殺せ」とかの言葉も出て来るのだと思います。
子供たちも、学校で、「死ね」とか「殺せ」とか、言い合っているのでしょうか?
大人の言葉は子供も真似すると思います。
子供心に、「死ね」とか「殺せ」とか言われたら傷つくと思うし、僕も仮にネット環境で、
「上原死ね」「上原殺せ」とか書かれたら、精神的に病気になると思います。
ネット環境での言葉がとても怖ろしく、平気で人の心が病むような言葉を使っているので、ネットの世界とは怖いと僕は思っています。
「日本死ね」を含めて、ネット環境の言葉が荒れていて、ネットの世界とは怖いと僕は思っています。
それを肯定的に取り上げている朝日新聞も、言葉の怖さを肌で感じていないと思います。
言葉とは、発した言葉が現実に起こる可能性もあるものです。
「死ね」とか「殺せ」とかの憎悪を煽るような言葉を多用していると、本当に、殺人事件とか起きてしまうような気がします。
言葉を司る方々が言葉に敏感にならないと世の中も物騒な世の中になると思います。
以前、朝日新聞が、「日本死ね」を肯定的に取り上げていたので、「日本死ね」について考えてみました。
以上、「日本死ねを考える」
ブログに載せます。
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