2022年2月20日日曜日

「小石川高校B組の中尾浩基には浪人時代にお世話になった」

 「小石川高校B組の中尾浩基には浪人時代にお世話になった」

  僕の小石川高校時代に在籍していたクラスB組のクラスメイト中尾浩基には僕が高校時代に大学受験に失敗して、中央区人形町の東京新聞の専売所で新聞配達をしながら、中央区浜町のアパートに住み込んで受験勉強をしていた頃にとてもお世話になりました。

  僕が住んでいた中央区浜町のアパートに僕の小石川高校時代のB組の担任の先生、三浦𠮷明先生の名前で、手紙を送ってきたりしていました。

  僕も浪人時代は新聞配達をしながら、中央区立日本橋図書館で受験勉強をして、文京区本郷にある僕が中学時代に通っていた学習塾、鐙坂学問所(早稲田大学教育学部出身の先生が塾を経営していました)に無料で通わせていただき、勉強を教えていただき、なんとか一浪で早稲田大学法学部に合格しました。

  浪人時代は、新聞配達が大変で、毎朝3時半頃に起きて、東京新聞の専売所に出勤して、200部くらい新聞を配達していました。朝刊の新聞配達が6時頃に終わり、専売所で朝食を食べてから浜町のアパートに戻り、駿台予備校から出ている、漢字の書き取りの参考書で漢字の勉強をアパートでしてから、朝9時から開館する中央区立日本橋図書館に行き、日本橋図書館で、受験テキストと以前もブログに書いた、中央公論社から出版されている「世界の歴史」全16巻を読破するという勉強をしていました。

  中央区立日本橋図書館とは、中央区兜町の証券会社街の近所にあり、日本橋図書館には、証券会社のサラリーマンと思われる方々が寝に来ていて、図書館で居眠りして休息を取る、サラリーマンの方々と一緒に、図書館の席に座って勉強をしていました。

  夕刊の新聞配達が、2時半頃から始まるので、一度、浜町のアパートに戻り、アパートで食パンの昼食を食べてから専売所に行き、夕刊も200部くらい配達していました。

  5時頃に夕刊の新聞配達が終わってから、週に2回くらいだったと思いますが、文京区本郷にある僕が中学生の頃に通っていた学習塾、鐙坂学問所に勉強を教わりに行きました。

  都営新宿線の浜町駅から、神保町に出て、神保町から都営三田線に乗り換えて、春日駅で降りて、文京区本郷にある鐙坂学問所に通っていました。

  浪人時代は、一人暮らしで、話し相手もいなくて、小石川高校B組だった中尾浩基によく電話をしていました。

  中尾浩基とは小石川高校時代はテニス部で、背も高くて格好が良くて、甘いマスクで人気があった人間です。

 浪人時代に中尾浩基と神保町で会ったりしていましたが、中尾浩基には、

 「うえどんは早稲田大学に行ったら、名物男になる」と言われていました。 

  中尾浩基も僕と同じ、早稲田大学法学部に合格して、早稲田大学法学部時代の語学クラスも、第一外国語で中国語を選択して、同じ語学クラスになりました。

  中尾浩基とは早稲田大学時代に、漫歩会というサークルに入り、アウトドア系や旅をしたりしていたようです。

  僕も早稲田大学時代に中尾浩基と一緒に、横浜中華街にご飯を食べに行ったりしていました。

  中尾浩基とは早稲田大学からJR東日本に就職されたようです。

  Facebookで友達になっているので、何をしているのかも分かります。

  僕が小石川高校B組の中尾浩基に浪人時代にお世話になったことをブログに書いておきます。

  以上、「小石川高校B組の中尾浩基には浪人時代にお世話になった」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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