「吃音(どもり)のこと、スマートフォンの登場」
僕は、子供(幼少)の頃から吃音があります。
今でも吃音があります。
学校の国語の授業で教科書を読まされると、詰まり詰まりながら教科書を読むことになるので本当に恥ずかしくて嫌でした。子どもにとっては拷問のようなものでした。
教室で、先生から自分が教科書を読むように言われるとびくびくしていました。
幼少時の経験は大人になっても、残ります。
僕は大学を卒業して、社会に出るようになっても、人前で話をするのが嫌で嫌で仕方ありませんでした。
特に、僕が嫌だったのが電話です。
会社の電話に出るのが、嫌でした。
僕が勤務していた会社では、僕は吃音ということで、社内電話以外は出るなと言われていました。
取引先からの電話に出られると取引先に良く思われないということから社外からの電話には出ないように会社の方から言われていました。
僕の職場経験がそのようなものだったので、以来、電話に出なくても良い仕事に就くようになっていきました。
電話に出なくも良い仕事というのは肉体労働が中心で、体を動かす仕事かパソコンと向き合い、話をしなくても良い仕事しかありません。
肉体労働では、倉庫内作業とか、フリーライターの助手とか、書店員の仕事とか、清掃の仕事とかになりました。
パソコンと向き合う仕事では、パソコン通信によるデータベースの検索業務などになりました。
現代ではスマホがあり、メールやラインなどで、連絡を取ることが出来るので、電話を使わなくても、連絡を取れるようになったのは良いことです。
特に吃音持ちの僕からすると、電話口で言葉を無理して発する電話よりも、自分の考えていることをそのまま文字にして、連絡を取れるメールやラインは便利です。
僕は、大学生の頃、早稲田大学探検部に所属し、「チベット探査計画書」の中で、「現代社会へのアンチテーゼ」という文書を作ったことがあり、その文書の中で、「最先端の情報からなる私たちの価値観をチベットという鏡に照らし合わせてみたいと思う」という文書を作ったことがありますが、僕は現在では、現代日本社会で生活していて最新の情報機器の恩恵を受けて生活しています。
スマートフォン一つとっても、弊害などが盛んに叫ばれていますが、僕はスマートフォンがあり本当に助かっています。
吃音持ちで、もし、スマートフォンが無かったら、メールもラインも使えません。
電話を使わずにコミュニケーションが取れる、スマートフォンが登場した現代に生きていて良かったと思っています。
幼少の頃からある吃音の恐怖経験から、現代のスマートフォンなどの最新の情報機器を持てるようになった現代の世の中で生活することについて考えてみました。
以上、「吃音のこと、マートフォンの登場」
ブログに載せます。
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