「高校の国語の授業の思い出」(羅生門の続きを書く)
僕が通っていた高校には、教育実習に来る先生の卵の方もいらっしゃいました。
高校の時の教育実習の先生の授業で思い出に残っている授業がありました。
国語の教育実習の先生の授業で、芥川龍之介の「羅生門」の続きを生徒に書かせる授業でした。
女性の教育実習の国語の先生でしたが、クラスの生徒に、芥川龍之介の「羅生門」の続きを自分で考えて書くように指示していました。
僕も、当時は高校生で、芥川龍之介の「羅生門」を読むと、心に感じ入る部分がありました。
有名な賞の名前にもなっている芥川龍之介の作品を読んでから、その続きを書かせるというのは、教育実習生ならではの授業だったと思います。
僕が「羅生門」の続きをどのように書いたかは全く覚えていませんが、名作の続きを自分で考えて書くというのは、なかなかおもしろい授業だったと思います。
僕はこの授業がきっかけで、黒澤明監督の「羅生門」という映画も飯田橋の佳作座で観ました。
黒澤監督の「羅生門」は、同じ芥川龍之介の、「藪の中」を原案に映画を作っていますが、黒澤監督の「羅生門」の中でも、芥川龍之介の「羅生門」の小説のようなシーンが出て来ます。
高校とかの国語の授業も一方通行になりやすいと思います。
先生の書いている、黒板の板書をノートに書き写すだけでなく、名作の続きを自分で考えて書かせるというのは、斬新な授業だったと思います。
自分の書いた文章を読むのは、そんなに大変ではありませんが、他人の書いた文章を読むのは、大変です。
なおかつ、先生の立場で、何らかの評価を与えないといけないとなると、読むのも本当に大変だと思います。
僕の知り合いには、200ページとか300ページ位の本を書いている知り合いもいて、自分の書いた本を送って下さる方もいますが、正直なところ、読むのが大変だというのが率直な感想です。
僕は先生ではありませんが、他人の書いた文章を読むのは大変です。
本作りの大変さは僕も知っていますが、他人の世界観で書かれた本をある時間かけて読むというのは、他人の世界観に、ある時間をかけることになります。
本を送ってくださるのはありがたいですが、読むのが大変です。
これだけ、図書館とか、充実している時代ですから、図書館で借りて読めば、狭い部屋の中の本も増えないで済むし、わざわざ、送ってくださらなくても良いというのが最近の気持ちです。
自分が読みたくなった時に、図書館で借りて読めば良いものですが、 本が送られてくる(献本)と何かきちんと読んで、書評のような作業をしなくてはならないという強迫観念に駆られます。
きちんと本を読んで、書評のような作業をするのは物凄い労力がかかるので送られてきた本を読むのは大変です。
自分が読みたくなった時に、図書館で借りて読めば良いものですが、 本が送られてくる(献本)と何かきちんと読んで、書評のような作業をしなくてはならないという強迫観念に駆られます。
きちんと本を読んで、書評のような作業をするのは物凄い労力がかかるので送られてきた本を読むのは大変です。
高校時代の国語の授業の思い出から、他人の文章を読むことについて考えてみました。
以上、「高校時代の国語の授業の思い出」
ブログに載せます。
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