「くつろぎの時間 喫煙室 第21集 の西木正明さんのエッセイ 帰らざる河」
先日、図書館で本を借りました。
何か気分転換に読めるような本を読もうと思い、図書館の本棚を探していたら、
「喫煙室 くつろぎの時間」という本が目にとまり、僕も喫煙者なので僕と同じような人達の話が読めると思い、図書館で借りて、気晴らしに読んでみました。
「喫煙室 くつろぎの時間」という本を読んでいると、早稲田大学探検部の大先輩で亡くなった直木賞作家の故西木正明さんの書かれた文章が載っていました。
「道楽の帰らざる河」というエッセイが西木正明さんらしい文章だったので、書き写しになってしまいますが、ブログに載せようと思います。
「道楽の帰らざる河」
わたしは道楽者で、これまで多くの趣味や道楽に手を染めてきた。小学生時代は親父の道楽につきあわされてのレコード鑑賞。戦後の物資欠乏時代、竹針をカッターで切って、ゼンマイ駆動の蓄音機でSPレコードを聞いた。小学生上級から中学にかけては、これも親父につきあわされての写真機。六櫻社(現 コニカミノルタ)製の単玉ベスト判カメラ、パーレットで庭を走り回るニワトリや犬、隣の女の子などを撮り、自分で現像、焼き付け、引伸しまでやっていい気分になっていた。
同じ頃、写生に夢中になった。絵描きだった母方の祖父の血をわずかに受け継いだのか、県の席画コンクールで二回金賞を得たから、これは多少モノになった口。ちなみにこの祖父は、森永ミルクキャラメルのエンゼルマークを創作した。秋田県蘭画の異端。
中学上級以降はにわかにアウトドア指向になった。近隣に住む暴れ者で有名だった前科七犯のマタギに可愛がられ、山歩きのイロハをたたき込まれた。それが大学時代の北極圏越冬につなって家業の医者になりそこね、村は無医村となって、近在の人々にただならぬ迷惑をかけた。
その後遺症は社会人になってからも残り、昨今はゴムボートに生活用具一式を積み込んでの川下りに血道をあげている。高校時代にはまった映画鑑賞とアウトドア指向が結びついた結果かも知れない。当時繰り返し見た、ロバート・ミッチャムとマリリン・モンロー主演の映画「帰らざる河」が、道楽人生の後半を決定づけたような気がする。
これらの道楽が実生活になんの恩恵ももたらさない中、なぜか子供時代もっとも苦手だった作文で口に糊している。人生の皮肉ここにきわまり、まさに道楽人生の「帰らざる河」である。
以上のような「帰らざる河」というエッセイが載っていて、おもしろくて腹を抱えて笑いそうになってしまいました。
「昨今はゴムボートに生活用具一式を積み込んでの川下りに血道をあげている。」
というのが本当におもしろくて、
西木正明さんが繰り返し見た映画「帰らざる河」が道楽人生の後半を決定づけたような気がする。
というのが、おもしろくて、繰り返し見た映画がそのまま人生に反映されているのが本当におもしろいと思いました。
僕も若い頃は映画をよく見ていたので、繰り返し見た映画が僕の人生を決定づけるようなことがあれば僕のこれからの残り少ない人生もなにかおもしろい人生になるかもしれないと思いました。
先日、「喫煙室 くつろぎの時間」という本を図書館で借りて気分転換に読んでいたら、早稲田大学探検部の大先輩だった西木正明さんの書かれたエッセイが載っていたのでおもしろかったのでブログを書いてみました。
以上、「くつろぎの時間 喫煙室 第21集 の西木正明さんのエッセイ 帰らざる河」
ブログに載せます。
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